【歌え男ども!低い声で】
文字数 2,185文字
自主的に何かをやる、という経験は非常に大事だと思うのだ。
まぁ、これは当然イリーガルなモノは除外しての話ではあるけれど、やはり誰かにやらされるより、自分から何かに取り組むということのほうが大切だと思うのだ。
そりゃ、当然何もわからない、右も左も判別つかないような状況であれば、何かしらのサポートがなければアプローチするのは難しくなるだろう。だが、そんな中でも、第一歩を自分の足で踏み切るというのは、大事だと思うのだ。
よく「指示待ち人間」ということばを耳にするけど、案外そういった類いの人は多い。というか、こういうのは結局、子供の頃どういった生き方をしてきたかに依存すると思うのだ。
子供の頃から自発的に何かをやって来た人間は、何かしらのトラウマが植え付けられでもしない限りは、大人になっても自発的なモノだし、逆にいえば、子供の頃からネガティブで、自分からは何もしない、他力本願がスタンダードな人はずっとそういうことになる。
さて、かくいうおれはというと、基本的には他力本願スタンダードなタイプの人間だ。
ただ、これは自分が嫌いなモノ、苦手なモノに関しての話で、自分が好きなモノ、興味があるモノに関していえば、話は変わってくる。
というのも、おれは自分の好きなモノ、興味のあるモノに関していえば、比較的自発的に動くタイプの人間ということだ。
まぁ、とはいえ下手の横好きレベルのちょいと摘まんでみました程度の自発性ではあるのだけど、それでもまだ何かをただ待ち続けるよりはマシなのかな、とは思う。
おれみたいな低レベルな人間をモニターしたところで、自発的に何かやることに何の価値があるのかということを説明するのは非常に難しいだろう。
だが、こんな拙い人生の中で感じたことは、やはり自分から何かを始めないと何も変わらないということだろう。
居合も、芝居も、沖縄空手も、バンドも、結局は自分から興味を持って始めたことだし、そん中から得たモノは何だかんだ多い。
それが社会で何の役に立つのかといわれたら何の役にも立たないし、ただのゴミクズじゃんといわれたら、そうとしか答えようがないだろう。
だが、そんなのは所詮、他人の主観に基づいた感想に過ぎず、大事なのは、その人にとってのそれがどんな価値を持っているかということなのだろう。単純に、その人の人生にとってそれが必要だったか否かってだけの話だしな。
さて、『音楽祭篇』の外伝的な話の続きである。さっさと本編に戻って終わらせてしまいたいもんだ。あらすじーー
「三年生男子の有志によるアカペラ合唱のメンツも決まり、それから曲を決めることとなった。担当教員のブタさんが取り上げた数曲の中から吟味した結果、我々は坂本九の『見上げてごらん夜の星を』を歌うことになったのだったーー」
まぁ、こんな感じだな。じゃ、やってくーー
曲が決まると続いて歌のパートを決めることに。パートというのは、早い話がバスやテノール、アルトといった音の高低の話である。
とまぁ、おれはどこにしたかというと、アホみたいな見栄を張った結果、やっぱりアルトにしてしまったワケだ。
まぁ、至極当たり前な話をしてしまうと、人にはそれぞれ適材適所な分野というモノがある。おれの声はこの時点でかなり低く、バリトン系の音域であったこともあって、普通に音の高いパートを担当するなんてバカもいいところ、といった感じだったワケだ。
まぁ、今でこそ普段の声よりもオクターブ上の声で歌うなんてことは余裕で出来るけども、この当時は日常的に歌っているワケでもなければ、レッスンや何かを積んでトレーニングしていたワケでもないこともあって、声域はかなり狭かったと思う。
そんな自分が、出せる声域のギリギリか、更にその上のラインの声を出さなきゃいけないパートに入るなんて、まったく以て可笑しな話だった。
だが、おれの血迷った希望も何の議論もなく通ってしまい、おれは有志のアカペラ合唱でもアルトを担当することとなってしまったのだ。
さて、パートが決まったところで早速練習に入るワケだが、これがまた面白かった。
やはり、自発的にやりたいと来たメンツなだけあって、そのやり方は十人十色とはいえ、みなそれぞれの真面目さを発揮して歌に取り組んでいた。
そして、そこにはオタクから不良、スポーツマンから優等生といったカテゴライズは存在せず、みなそれぞれ楽しんで練習していた。
変な話、男子校が平和みたいなモンで、男だけの集まりになるとそこには変な張り合いみたいなモノは殆ど皆無だったワケだ。
そんな空間が居心地よく、おれも楽しんで練習に取り組んでいた。
自発的故のネガティブなスタンスもなく、真面目であることがダサイみたいなバカみたいな姿勢もなくて、非常に心地よかった。
そんなこともあって、おれは週に数回昼休みに開かれる練習の時間が楽しみで仕方なかった。本道では指揮者という問題があったが、そんなことも忘れて、おれは有志のアカペラを楽しんでいた。
楽しい時間だった。過ぎるのも早かった。最後の練習も楽しんで、気づいたら終わっていた。
そして、気づけば本番前日となっていた。
おれは不安と期待を胸に、ベッドに潜り込むのだったーー
とまぁ、こんな感じか。次回は本番について。やっと終わりが見えてきたな。
アスタラ。
まぁ、これは当然イリーガルなモノは除外しての話ではあるけれど、やはり誰かにやらされるより、自分から何かに取り組むということのほうが大切だと思うのだ。
そりゃ、当然何もわからない、右も左も判別つかないような状況であれば、何かしらのサポートがなければアプローチするのは難しくなるだろう。だが、そんな中でも、第一歩を自分の足で踏み切るというのは、大事だと思うのだ。
よく「指示待ち人間」ということばを耳にするけど、案外そういった類いの人は多い。というか、こういうのは結局、子供の頃どういった生き方をしてきたかに依存すると思うのだ。
子供の頃から自発的に何かをやって来た人間は、何かしらのトラウマが植え付けられでもしない限りは、大人になっても自発的なモノだし、逆にいえば、子供の頃からネガティブで、自分からは何もしない、他力本願がスタンダードな人はずっとそういうことになる。
さて、かくいうおれはというと、基本的には他力本願スタンダードなタイプの人間だ。
ただ、これは自分が嫌いなモノ、苦手なモノに関しての話で、自分が好きなモノ、興味があるモノに関していえば、話は変わってくる。
というのも、おれは自分の好きなモノ、興味のあるモノに関していえば、比較的自発的に動くタイプの人間ということだ。
まぁ、とはいえ下手の横好きレベルのちょいと摘まんでみました程度の自発性ではあるのだけど、それでもまだ何かをただ待ち続けるよりはマシなのかな、とは思う。
おれみたいな低レベルな人間をモニターしたところで、自発的に何かやることに何の価値があるのかということを説明するのは非常に難しいだろう。
だが、こんな拙い人生の中で感じたことは、やはり自分から何かを始めないと何も変わらないということだろう。
居合も、芝居も、沖縄空手も、バンドも、結局は自分から興味を持って始めたことだし、そん中から得たモノは何だかんだ多い。
それが社会で何の役に立つのかといわれたら何の役にも立たないし、ただのゴミクズじゃんといわれたら、そうとしか答えようがないだろう。
だが、そんなのは所詮、他人の主観に基づいた感想に過ぎず、大事なのは、その人にとってのそれがどんな価値を持っているかということなのだろう。単純に、その人の人生にとってそれが必要だったか否かってだけの話だしな。
さて、『音楽祭篇』の外伝的な話の続きである。さっさと本編に戻って終わらせてしまいたいもんだ。あらすじーー
「三年生男子の有志によるアカペラ合唱のメンツも決まり、それから曲を決めることとなった。担当教員のブタさんが取り上げた数曲の中から吟味した結果、我々は坂本九の『見上げてごらん夜の星を』を歌うことになったのだったーー」
まぁ、こんな感じだな。じゃ、やってくーー
曲が決まると続いて歌のパートを決めることに。パートというのは、早い話がバスやテノール、アルトといった音の高低の話である。
とまぁ、おれはどこにしたかというと、アホみたいな見栄を張った結果、やっぱりアルトにしてしまったワケだ。
まぁ、至極当たり前な話をしてしまうと、人にはそれぞれ適材適所な分野というモノがある。おれの声はこの時点でかなり低く、バリトン系の音域であったこともあって、普通に音の高いパートを担当するなんてバカもいいところ、といった感じだったワケだ。
まぁ、今でこそ普段の声よりもオクターブ上の声で歌うなんてことは余裕で出来るけども、この当時は日常的に歌っているワケでもなければ、レッスンや何かを積んでトレーニングしていたワケでもないこともあって、声域はかなり狭かったと思う。
そんな自分が、出せる声域のギリギリか、更にその上のラインの声を出さなきゃいけないパートに入るなんて、まったく以て可笑しな話だった。
だが、おれの血迷った希望も何の議論もなく通ってしまい、おれは有志のアカペラ合唱でもアルトを担当することとなってしまったのだ。
さて、パートが決まったところで早速練習に入るワケだが、これがまた面白かった。
やはり、自発的にやりたいと来たメンツなだけあって、そのやり方は十人十色とはいえ、みなそれぞれの真面目さを発揮して歌に取り組んでいた。
そして、そこにはオタクから不良、スポーツマンから優等生といったカテゴライズは存在せず、みなそれぞれ楽しんで練習していた。
変な話、男子校が平和みたいなモンで、男だけの集まりになるとそこには変な張り合いみたいなモノは殆ど皆無だったワケだ。
そんな空間が居心地よく、おれも楽しんで練習に取り組んでいた。
自発的故のネガティブなスタンスもなく、真面目であることがダサイみたいなバカみたいな姿勢もなくて、非常に心地よかった。
そんなこともあって、おれは週に数回昼休みに開かれる練習の時間が楽しみで仕方なかった。本道では指揮者という問題があったが、そんなことも忘れて、おれは有志のアカペラを楽しんでいた。
楽しい時間だった。過ぎるのも早かった。最後の練習も楽しんで、気づいたら終わっていた。
そして、気づけば本番前日となっていた。
おれは不安と期待を胸に、ベッドに潜り込むのだったーー
とまぁ、こんな感じか。次回は本番について。やっと終わりが見えてきたな。
アスタラ。