【明日、白夜になる前に~拾睦~】
文字数 2,140文字
何も見えないーーまるで世界が闇に包まれてしまったよう。
いや、間違いなく世界は闇に包まれている。といっても包まれているのはぼくひとり。
ぼくは眠っていたのだろうか。そんなこともわからないくらいに、ぼくの意識は混濁している。身体を動かそうにも動かせない。
声を出してみようとする。だが、それも叶わぬ夢のように儚く終わる。というのも、口が何かで塞がれており、呻き声以外の発声が出来なくなっていたのだ。
これはどういうことなのだ。
これは夢だろうか。
わからない。それを確かめる術を、今のぼくは持ち合わせていない。
だが、僅かな感覚から何かしらのヒントを得ることはできるはず。ぼくは真っ暗な闇の中で聴覚と嗅覚に感覚を集中させる。
とてもいいにおい。何と形容したらいいのか難しいけれど、いうなれば柔軟剤のような優しく鼻腔をくすぐるような柔らかな香り。かつての記憶が蘇る。そういえば、これに似たにおいをぼくはかつて嗅いだことがある。
しかし、あれは何だったろうか。
思い出せ。思い出すんだ。ぼくはにおいを頼りに、遠く消え去っていった過去の記憶を呼び起こす。この甘く優しいにおいは一体何だ。この何処か懐かしいにおいーー
そうだ、女の子の部屋のにおいだ。
そう。かつて付き合っていた彼女の部屋のにおいにそっくりだ。今まで数人と付き合ったけれど、みな、部屋のにおいは明確に同じワケではなかったが、彼女たちの部屋はみな優しく柔らかな香りを放っていた。
だが、そう考えると疑問が残る。
何故、ぼくは今、女の子の部屋らしき場所で視界と身動きを奪われたままでいるのだろう。
こころ当たりなどひとつもない。もしかしたら、かつての彼女が酔った勢いか何かでぼくのことを思い出し、付き合っていた当時にぼくにされたことで苛立ちを覚え、ぼくを部屋に拉致監禁したのだろうかーー
そんなことは有り得ない。
そんなことをするメリットは何もないし、それに彼女たちとは別れて以来まったく連絡を取っていない。
そもそも付き合った人の殆どが知っているのは、ぼくの独り暮らしの部屋で、実家に戻った今ではぼくのテリトリーを侵すようなことはまず不可能だといっていいだろう。
プラス、学生時代に関係のあった女性だとしても、自分が実家に戻ってきていることなんか知らないはず。それに、ぼくが知っている限り、同級生の女子たちの殆どはとっくにこの街を出ているはずだし、その多くが結婚して家庭をもっているはずだった。
まさか、結婚して家庭を持った人がぼくをこんな風に拉致監禁するワケはないだろう。
だとしたら、疑問は再燃する。ぼくはどうして今このようなシチュエーションにあるのか。
身体が痛い。微かに身体を動かすごとに身体に何かが食い込んで行くよう。想像はしたくないが、恐らく、ロープかテープーーこの平坦な感触からすると多分テープだろうーーで身体を拘束されているのだろう。
ぼくは再び聴覚に意識を集中する。
静寂の音がけたたましく内耳にこだまする。具体的な手掛かりは何もない。何か外の音か何かが少しでも聴こえれば、また違うのだけど。ぼくは更に聴覚に意識を集中する。
無音、無音ーー無音。
純度百パーセントの静寂がぼくの内耳を孤独に置き去りにする。何でもいい。何かしらの手掛かりはないだろうか。
確かに右か左か、はたまた前かうしろか、どの方向が外なのかわかりはしないが、何かしらの手掛かりはあるはずーー
待てよ、ここまで静かということは夜も遅い時間なんじゃないか?
それも場所は都会ではなく田舎。人の通りが少ない場所ーーしかし、だとしたら虫の音が聴こえるはずだ。秋とはいえ、この季節なら微かに虫の音が聴こえてもいいはずだ。それが聴こえないということは、都会過ぎず、田舎過ぎない、草木の限りなく少ない場所ーー
わからない。
果たしてそんな場所、あるのだろうか。
ひとつわかることは、ここが防音ではないということだ。防音ならば、気圧の関係で耳が詰まったような違和感があるが、今の自分にそういった違和感はない。
目元に不快感。ぼくは自分が滝のような汗を掻いていることに気づく。そうか、目を覆っている布か何かが汗で濡れたのか。ぼくは不自由な身体を必死に動かして目を覆っている何かをずらそうと試みる。こころなしか少しずつではあるが、擦れはじめーー
突然、ドアが開く音がする。
一般的な家庭にあるような木戸を開くようなオーソドックスな音。そして、それに合わせて靴下を履いているかのような微かな足音。
誰か来た。
空気がピーンと張り詰める。
ぼくは全身を硬直させ、何事もなかったかのように静止する。プラス、こころなしか気絶しているかのように頭をだらりと垂らす。
足音に聞き耳を立てる。
足音は少しずつぼくのほうへ近づいて来る。
ぼくは荒くなりそうになる呼吸を必死に圧し殺して気絶したふりをし続ける。
足音はゆっくりと近づいて来、そしてぼくの手前で止まる。衣擦れの音ーー恐らく屈んだか何かしたのだろう。
不意に鼻腔に嗅ぎ慣れたにおいが飛び込んでくる。それでぼくはわかってしまった。今、ぼくの目の前にいるのが誰かーー
「ずっと、一緒だよ?」
たまきがいった。
【続く】
いや、間違いなく世界は闇に包まれている。といっても包まれているのはぼくひとり。
ぼくは眠っていたのだろうか。そんなこともわからないくらいに、ぼくの意識は混濁している。身体を動かそうにも動かせない。
声を出してみようとする。だが、それも叶わぬ夢のように儚く終わる。というのも、口が何かで塞がれており、呻き声以外の発声が出来なくなっていたのだ。
これはどういうことなのだ。
これは夢だろうか。
わからない。それを確かめる術を、今のぼくは持ち合わせていない。
だが、僅かな感覚から何かしらのヒントを得ることはできるはず。ぼくは真っ暗な闇の中で聴覚と嗅覚に感覚を集中させる。
とてもいいにおい。何と形容したらいいのか難しいけれど、いうなれば柔軟剤のような優しく鼻腔をくすぐるような柔らかな香り。かつての記憶が蘇る。そういえば、これに似たにおいをぼくはかつて嗅いだことがある。
しかし、あれは何だったろうか。
思い出せ。思い出すんだ。ぼくはにおいを頼りに、遠く消え去っていった過去の記憶を呼び起こす。この甘く優しいにおいは一体何だ。この何処か懐かしいにおいーー
そうだ、女の子の部屋のにおいだ。
そう。かつて付き合っていた彼女の部屋のにおいにそっくりだ。今まで数人と付き合ったけれど、みな、部屋のにおいは明確に同じワケではなかったが、彼女たちの部屋はみな優しく柔らかな香りを放っていた。
だが、そう考えると疑問が残る。
何故、ぼくは今、女の子の部屋らしき場所で視界と身動きを奪われたままでいるのだろう。
こころ当たりなどひとつもない。もしかしたら、かつての彼女が酔った勢いか何かでぼくのことを思い出し、付き合っていた当時にぼくにされたことで苛立ちを覚え、ぼくを部屋に拉致監禁したのだろうかーー
そんなことは有り得ない。
そんなことをするメリットは何もないし、それに彼女たちとは別れて以来まったく連絡を取っていない。
そもそも付き合った人の殆どが知っているのは、ぼくの独り暮らしの部屋で、実家に戻った今ではぼくのテリトリーを侵すようなことはまず不可能だといっていいだろう。
プラス、学生時代に関係のあった女性だとしても、自分が実家に戻ってきていることなんか知らないはず。それに、ぼくが知っている限り、同級生の女子たちの殆どはとっくにこの街を出ているはずだし、その多くが結婚して家庭をもっているはずだった。
まさか、結婚して家庭を持った人がぼくをこんな風に拉致監禁するワケはないだろう。
だとしたら、疑問は再燃する。ぼくはどうして今このようなシチュエーションにあるのか。
身体が痛い。微かに身体を動かすごとに身体に何かが食い込んで行くよう。想像はしたくないが、恐らく、ロープかテープーーこの平坦な感触からすると多分テープだろうーーで身体を拘束されているのだろう。
ぼくは再び聴覚に意識を集中する。
静寂の音がけたたましく内耳にこだまする。具体的な手掛かりは何もない。何か外の音か何かが少しでも聴こえれば、また違うのだけど。ぼくは更に聴覚に意識を集中する。
無音、無音ーー無音。
純度百パーセントの静寂がぼくの内耳を孤独に置き去りにする。何でもいい。何かしらの手掛かりはないだろうか。
確かに右か左か、はたまた前かうしろか、どの方向が外なのかわかりはしないが、何かしらの手掛かりはあるはずーー
待てよ、ここまで静かということは夜も遅い時間なんじゃないか?
それも場所は都会ではなく田舎。人の通りが少ない場所ーーしかし、だとしたら虫の音が聴こえるはずだ。秋とはいえ、この季節なら微かに虫の音が聴こえてもいいはずだ。それが聴こえないということは、都会過ぎず、田舎過ぎない、草木の限りなく少ない場所ーー
わからない。
果たしてそんな場所、あるのだろうか。
ひとつわかることは、ここが防音ではないということだ。防音ならば、気圧の関係で耳が詰まったような違和感があるが、今の自分にそういった違和感はない。
目元に不快感。ぼくは自分が滝のような汗を掻いていることに気づく。そうか、目を覆っている布か何かが汗で濡れたのか。ぼくは不自由な身体を必死に動かして目を覆っている何かをずらそうと試みる。こころなしか少しずつではあるが、擦れはじめーー
突然、ドアが開く音がする。
一般的な家庭にあるような木戸を開くようなオーソドックスな音。そして、それに合わせて靴下を履いているかのような微かな足音。
誰か来た。
空気がピーンと張り詰める。
ぼくは全身を硬直させ、何事もなかったかのように静止する。プラス、こころなしか気絶しているかのように頭をだらりと垂らす。
足音に聞き耳を立てる。
足音は少しずつぼくのほうへ近づいて来る。
ぼくは荒くなりそうになる呼吸を必死に圧し殺して気絶したふりをし続ける。
足音はゆっくりと近づいて来、そしてぼくの手前で止まる。衣擦れの音ーー恐らく屈んだか何かしたのだろう。
不意に鼻腔に嗅ぎ慣れたにおいが飛び込んでくる。それでぼくはわかってしまった。今、ぼくの目の前にいるのが誰かーー
「ずっと、一緒だよ?」
たまきがいった。
【続く】