【明日、白夜になる前に~四拾玖~】
文字数 2,063文字
夕陽を背にした観覧車がぼくたちの目の前に神々しく君臨している。
それはまるで神のよう、だなんていうと仰仰しいけど、それが何だか素晴らしい光景に見えたのはいうまでもない。
ぼくと桃井さんはベンチに掛けて、後光を受けて影となった家族連れや恋人たちを眺めている。それはまるで影絵を見ているようだった。
「楽しかった?」ぼくは訊ねる。
と、桃井さんはうんといって頷く。その表情を見ても、満足なのはいうまでもない。
「満足して貰えたなら嬉しいよ」
そのことばの裏に恐怖が隠れているのをぼくは自覚している。本当に訊きたかったのはそれではない。
『これで罪滅ぼしになったかな?』
だが、そんなことは訊けなかった。それはぼくの良心が許さなかった。まるで上から目線でいっているようで、もはやイエスという回答が来ることを見越しているような傲慢な態度。
これで貸借なし。イーブンな状態でいれる。卑劣な考えだとわかっていながらも、それを抑えることは出来なかった。
卑しい人間は、何年経っても卑しいままだ。だが、それを受け入れて行くことで未来は変わっていく。ぼくはそう考える卑しい自分という存在を受け入れることに決めた。そうしたら、何だか清々しさすらある。
だが、清々しさの果てにトーク力が上がるかといったら、それはまた別問題だ。覚悟が変わっても、知識や教養はそのままなのだから、別にこれといった変化があるワケではない。
沈黙、園内の喧騒とは裏腹にぼくと彼女の間にだけ静寂が流れる。当たり前だが、アトラクションに乗っている時はそんなこと気にならなかったし、並んでいる時も気にならなかった。
……まぁ、それはぼくが絶叫マシンが苦手で、黙り込んでしまったからなのだけど。
ジェットコースターに並んでいる時である。ぼくはどうも固く引き吊った顔をしていたらしく、桃井さんにケタケタと笑われた。
「先輩、もしかしてジェットコースター、ダメなんですか?」
図星、まったくの図星だった。だが、ぼくはそれを認めんとして、
「まさか、会社のことでマズイことを思い出しちゃっただけだよ」
「え、じゃあ帰ります?」
「あ、いや、それは別にいいんだ」
危ない、危ない。こうやって楽しいはずの時間に仕事の話をするマヌケがどこにいる?ーーまぁ、ここにいるけど。いずれにせよ、仕事の話はNGだ。それはぼくだけでなく、桃井さん的にも仕事のことなんか思い出したくないだろうから。と、その時だった。
ふと桃井さんの手が、ぼくの手に触れた。
もしかしたらぼくの気のせいかもしれない。ほんとそう思えるレベルだった。
何かの記事で読んだことがあるが、恐怖やスリルと恋愛の感情は表裏一体で、それらの感情が起きるときに使用される脳の部位は同じなのだそうだ。すなわち、恐怖を感じた末に恋愛が上手く行くというのもざらだということだ。
それはいってしまえば、アクション映画にありがちな、敵を倒した後に男女が結ばれるというのも同じことなのだ。
そう、それは所謂『つり橋効果』というヤツで、同じ恐怖感やスリルを共有することで、男女の間に、共に何かを乗り切ったという一体感が生まれ、関係が良好になりやすくなるというモノだ。
まさか、桃井さんがそれを意識して遊園地でのデートを提案して来たとは思えない。だとしたら策士すぎるし、ちょっと恐い。でも、その恐怖を共有したのだからーーあぁ、無限。
結局、ジェットコースターは気づいた時には終わっていた。始まる前はあんなに心臓がバクバクしていたというのに、終わってしまえばなんてことはない。……当たり前か。
「でも先輩、ジェットコースターに乗るってなってわたしの手をギュッと握って来るんだもん、ビックリしましたよ」
思わずギョッとする。
「えぇ!? 乗る時って並んでる間!?」
桃井さんは首を横に振る。
「違いますよ。乗ってから最初の坂を昇る時です」桃井さんはケタケタ笑う。
そうだったっけ、か。まったく覚えていない。多分、自分としてもそれどころではなかったのだと思う。しかし、まぁ……
「先輩、何か可愛かった。いつもはやる気なさげで見栄っ張りのクセに、何だか子供みたいに怖がっちゃって」
桃井さんの笑い声が更に勢いを増す。やる気なさげで見栄っ張り。見事な洞察である。というか、ぼくのパーソナリティなんて、それくらいバレバレといったところか。恥ずかしい。
「ぜ、全然怖くないよ」そういって弁解していることばが緊張しているのだからお笑いだ。
「ほんとぉにぃ?」
「本当だよ!」
「へぇ、じゃあ特にスピードがメッチャ早いとか、高いところがダメとかそういうことじゃないってことですか?」
桃井さんはイジワルな笑みを浮かべて尚もいう。ぼくは半分剥きになっていう。
「だからそうだよ!」
「へぇ、そうなんですね。じゃあ……」
桃井さんの顔が急に真剣味を帯びる。かと思いきや桃井さんは、何処かを指差す。
「アレに、一緒に乗ってくれませんか」
桃井さんの指差す先にあったのは、夕陽を背にした観覧車だった。
【続く】
それはまるで神のよう、だなんていうと仰仰しいけど、それが何だか素晴らしい光景に見えたのはいうまでもない。
ぼくと桃井さんはベンチに掛けて、後光を受けて影となった家族連れや恋人たちを眺めている。それはまるで影絵を見ているようだった。
「楽しかった?」ぼくは訊ねる。
と、桃井さんはうんといって頷く。その表情を見ても、満足なのはいうまでもない。
「満足して貰えたなら嬉しいよ」
そのことばの裏に恐怖が隠れているのをぼくは自覚している。本当に訊きたかったのはそれではない。
『これで罪滅ぼしになったかな?』
だが、そんなことは訊けなかった。それはぼくの良心が許さなかった。まるで上から目線でいっているようで、もはやイエスという回答が来ることを見越しているような傲慢な態度。
これで貸借なし。イーブンな状態でいれる。卑劣な考えだとわかっていながらも、それを抑えることは出来なかった。
卑しい人間は、何年経っても卑しいままだ。だが、それを受け入れて行くことで未来は変わっていく。ぼくはそう考える卑しい自分という存在を受け入れることに決めた。そうしたら、何だか清々しさすらある。
だが、清々しさの果てにトーク力が上がるかといったら、それはまた別問題だ。覚悟が変わっても、知識や教養はそのままなのだから、別にこれといった変化があるワケではない。
沈黙、園内の喧騒とは裏腹にぼくと彼女の間にだけ静寂が流れる。当たり前だが、アトラクションに乗っている時はそんなこと気にならなかったし、並んでいる時も気にならなかった。
……まぁ、それはぼくが絶叫マシンが苦手で、黙り込んでしまったからなのだけど。
ジェットコースターに並んでいる時である。ぼくはどうも固く引き吊った顔をしていたらしく、桃井さんにケタケタと笑われた。
「先輩、もしかしてジェットコースター、ダメなんですか?」
図星、まったくの図星だった。だが、ぼくはそれを認めんとして、
「まさか、会社のことでマズイことを思い出しちゃっただけだよ」
「え、じゃあ帰ります?」
「あ、いや、それは別にいいんだ」
危ない、危ない。こうやって楽しいはずの時間に仕事の話をするマヌケがどこにいる?ーーまぁ、ここにいるけど。いずれにせよ、仕事の話はNGだ。それはぼくだけでなく、桃井さん的にも仕事のことなんか思い出したくないだろうから。と、その時だった。
ふと桃井さんの手が、ぼくの手に触れた。
もしかしたらぼくの気のせいかもしれない。ほんとそう思えるレベルだった。
何かの記事で読んだことがあるが、恐怖やスリルと恋愛の感情は表裏一体で、それらの感情が起きるときに使用される脳の部位は同じなのだそうだ。すなわち、恐怖を感じた末に恋愛が上手く行くというのもざらだということだ。
それはいってしまえば、アクション映画にありがちな、敵を倒した後に男女が結ばれるというのも同じことなのだ。
そう、それは所謂『つり橋効果』というヤツで、同じ恐怖感やスリルを共有することで、男女の間に、共に何かを乗り切ったという一体感が生まれ、関係が良好になりやすくなるというモノだ。
まさか、桃井さんがそれを意識して遊園地でのデートを提案して来たとは思えない。だとしたら策士すぎるし、ちょっと恐い。でも、その恐怖を共有したのだからーーあぁ、無限。
結局、ジェットコースターは気づいた時には終わっていた。始まる前はあんなに心臓がバクバクしていたというのに、終わってしまえばなんてことはない。……当たり前か。
「でも先輩、ジェットコースターに乗るってなってわたしの手をギュッと握って来るんだもん、ビックリしましたよ」
思わずギョッとする。
「えぇ!? 乗る時って並んでる間!?」
桃井さんは首を横に振る。
「違いますよ。乗ってから最初の坂を昇る時です」桃井さんはケタケタ笑う。
そうだったっけ、か。まったく覚えていない。多分、自分としてもそれどころではなかったのだと思う。しかし、まぁ……
「先輩、何か可愛かった。いつもはやる気なさげで見栄っ張りのクセに、何だか子供みたいに怖がっちゃって」
桃井さんの笑い声が更に勢いを増す。やる気なさげで見栄っ張り。見事な洞察である。というか、ぼくのパーソナリティなんて、それくらいバレバレといったところか。恥ずかしい。
「ぜ、全然怖くないよ」そういって弁解していることばが緊張しているのだからお笑いだ。
「ほんとぉにぃ?」
「本当だよ!」
「へぇ、じゃあ特にスピードがメッチャ早いとか、高いところがダメとかそういうことじゃないってことですか?」
桃井さんはイジワルな笑みを浮かべて尚もいう。ぼくは半分剥きになっていう。
「だからそうだよ!」
「へぇ、そうなんですね。じゃあ……」
桃井さんの顔が急に真剣味を帯びる。かと思いきや桃井さんは、何処かを指差す。
「アレに、一緒に乗ってくれませんか」
桃井さんの指差す先にあったのは、夕陽を背にした観覧車だった。
【続く】