【西陽の当たる地獄花~拾弐~】
文字数 2,110文字
『コロ』ーーその姿は間近で見ると、信じられないほどに大きく思える。
飛び出した大き過ぎる目は右側だけ異様に大きく、毛並みは針のようにボサボサで、口元から半尺程垂れている舌は槍のように鋭利だ。全長十尺程という大きさは伊達ではないようだ。
だが、牛馬はまったくといっていいほど驚きはしない。震えもしない。ただただ、遠い山を見つめるようなしっとりとした目付きで、自分よりもはるかに大きなコロのことを見ている。
「どうした牛馬とやら! 恐ろしくて手も足も出ないのか!?」神が笑いながらいう。
だが、牛馬は神の煽りには何の反応も見せない。完全なる無視。それを見た見物人の上級役人たちは更なる煽りのことばと暴言を投げ掛けるが、牛馬は一切反応を見せない。
神にはそれが不満だったようで、ムッとした表情で牛馬を呪うように見る。
中級役人及び閻魔の遣いたちは対照的に、不安そうに牛馬の行く末を見守っている。
「これ、牛馬とやら、始めてよいか?」
神が訊ねると、牛馬は顔を神のほうへ向けることもなく乱暴に、
「さっさと始めろよ」
という。その硬質でぶっきらぼうな口調からは一切の感情が覗けないようだった。これには神もムッとした表情で、
「刀は抜かなくとも良いのか?」
とおせっかいを掛けていう。だが、
「刀を抜くも抜くまいもおれの勝手だろ。良いからさっさと始めろや、不細工ハゲ」
牛馬の暴言に場の空気は一瞬静まり返る。そして、すぐに上級役人は怒りと煽りの暴言を吐き散らす。神は全身を震わせて立ち上がり、
「そこまで朕を侮辱するとは許さぬ……! コロよ、その無礼なる男を食っておしまい!」
神がそういい放つと、コロは武術場全体に響き反響するような雄叫びを上げる。
中級、上級役人と閻魔の遣いたちはその雄叫びに耳を塞ぐ。だが牛馬はコロのすぐ目の前にも関わらず、一切耳を塞ごうとはしなければ、まばたきもしない。
黄色い霞のような吐息を吐くコローー牛馬に向かって恐ろしい速さで飛び掛かる。
だが、牛馬はそれを見越していたかのようにコロの脇へと避ける。
コロは避けた牛馬を追うようにして右の前足で薙ぐ。
が、やはり牛馬はそれを更に右回りにかわす。
絶句する中級役人と閻魔の遣いたち。煽り散らす上級役人たち。神は不満そうにコロと牛馬の対決の様子を見つめている。
コロの息が荒くなる。前足の振りも大振りになり、正確さに欠けていく。
牛馬は尚もコロの周りを回りながらコロの攻撃を避け続ける。
一瞬の出来事ーー牛馬の回避が遅れる。
コロが大口を開ける。
そのまま牛馬に噛みつくーー
が、牛馬はそれを大きく屈んでかわす。
コロの噛みつきは不発ーー
だが、その一瞬の隙が命取り。
コロが顔を引こうとしたその刹那、牛馬は屈めていた脚を勢い良く伸ばし、身体ごとコロに向かっていく。
コロの顔面、その目許に牛馬の『神殺』の柄頭がぶち当たる。
コロは悲鳴を上げ、槍のような舌を垂れ流したままその場に倒れ込む。
痙攣するコローー地面にヨダレを垂らし、もはや戦意はないように見える。
静まり返る場の雰囲気。
「牛馬様が勝った……!」最初に静寂を破ったのは鬼水だ。「牛馬様が勝ったんだッ……!」
まるで牛馬の勝利を噛み締めるように繰り返していう鬼水はそのまま手を叩いて牛馬の健闘を讃える。中級役人や閻魔の遣いたちも鬼水の空気に飲まれてか、御座なりに手を叩き始める。
が、対面の神と上級役人たちは葬式のような雰囲気。上級役人たちは呆然とし、神のほうをチラッと眺める。当の神はというと、歯軋りをしてその様子を眺めている。
ふと牛馬が神に目をやる。
「このデカブツ、案外体力ないんだな」
そういって牛馬がニヤリと笑って見せると、神は顔を真っ赤にして、
「うるさい、うるさい、うるさい、うるさい!」と派手に取り乱す。「貴様みたいな下郎、……しかし、朕は少し見くびっていたようだ。いいだろう、少しーー」
突然、コロがガバッと起き上がり、牛馬に向かって飛び掛かる。
牛馬はコロをじっと眺めている。
悲鳴ーー
思わず目を瞑った鬼水もゆっくりと目を開く。だが、そこには凄惨な光景はない。
あるのは牛馬の顔を舐めるコロの姿。
牛馬を食しようという雰囲気はこれっぽっちもなく、それどころかコロが牛馬になついてしまったようにも見える。
「な、何をしておるのだ、コロ!」
神の呼び掛けに、コロは応えない。それどころか、牛馬に身体をすりつけたりして、完全になついてしまっているようだった。
「残念だったな。この犬ころもテメェみてぇなダサい不細工ハゲよりもおれのほうがいいんだとよ」
そのひとことは神には許せないモノだったらしい。すぐさま声を張り上げて、
「もう許さぬ! みなの者! 出てこんか!」
神の合図でいくつもの足音が武術場にこだまする。牛馬はコロを離して辺りを見渡す。
武術場を囲む天の武士、武士ーー武士。
いつの間にか、牛馬の周りには刀を持った武士の姿が幾人も見受けられた。
「犬ころ」牛馬が声を掛けると、コロは嬉しそうに反応を示す。「腹は減ったか?」
コロは不気味に目を輝かせるーー
【続く】
飛び出した大き過ぎる目は右側だけ異様に大きく、毛並みは針のようにボサボサで、口元から半尺程垂れている舌は槍のように鋭利だ。全長十尺程という大きさは伊達ではないようだ。
だが、牛馬はまったくといっていいほど驚きはしない。震えもしない。ただただ、遠い山を見つめるようなしっとりとした目付きで、自分よりもはるかに大きなコロのことを見ている。
「どうした牛馬とやら! 恐ろしくて手も足も出ないのか!?」神が笑いながらいう。
だが、牛馬は神の煽りには何の反応も見せない。完全なる無視。それを見た見物人の上級役人たちは更なる煽りのことばと暴言を投げ掛けるが、牛馬は一切反応を見せない。
神にはそれが不満だったようで、ムッとした表情で牛馬を呪うように見る。
中級役人及び閻魔の遣いたちは対照的に、不安そうに牛馬の行く末を見守っている。
「これ、牛馬とやら、始めてよいか?」
神が訊ねると、牛馬は顔を神のほうへ向けることもなく乱暴に、
「さっさと始めろよ」
という。その硬質でぶっきらぼうな口調からは一切の感情が覗けないようだった。これには神もムッとした表情で、
「刀は抜かなくとも良いのか?」
とおせっかいを掛けていう。だが、
「刀を抜くも抜くまいもおれの勝手だろ。良いからさっさと始めろや、不細工ハゲ」
牛馬の暴言に場の空気は一瞬静まり返る。そして、すぐに上級役人は怒りと煽りの暴言を吐き散らす。神は全身を震わせて立ち上がり、
「そこまで朕を侮辱するとは許さぬ……! コロよ、その無礼なる男を食っておしまい!」
神がそういい放つと、コロは武術場全体に響き反響するような雄叫びを上げる。
中級、上級役人と閻魔の遣いたちはその雄叫びに耳を塞ぐ。だが牛馬はコロのすぐ目の前にも関わらず、一切耳を塞ごうとはしなければ、まばたきもしない。
黄色い霞のような吐息を吐くコローー牛馬に向かって恐ろしい速さで飛び掛かる。
だが、牛馬はそれを見越していたかのようにコロの脇へと避ける。
コロは避けた牛馬を追うようにして右の前足で薙ぐ。
が、やはり牛馬はそれを更に右回りにかわす。
絶句する中級役人と閻魔の遣いたち。煽り散らす上級役人たち。神は不満そうにコロと牛馬の対決の様子を見つめている。
コロの息が荒くなる。前足の振りも大振りになり、正確さに欠けていく。
牛馬は尚もコロの周りを回りながらコロの攻撃を避け続ける。
一瞬の出来事ーー牛馬の回避が遅れる。
コロが大口を開ける。
そのまま牛馬に噛みつくーー
が、牛馬はそれを大きく屈んでかわす。
コロの噛みつきは不発ーー
だが、その一瞬の隙が命取り。
コロが顔を引こうとしたその刹那、牛馬は屈めていた脚を勢い良く伸ばし、身体ごとコロに向かっていく。
コロの顔面、その目許に牛馬の『神殺』の柄頭がぶち当たる。
コロは悲鳴を上げ、槍のような舌を垂れ流したままその場に倒れ込む。
痙攣するコローー地面にヨダレを垂らし、もはや戦意はないように見える。
静まり返る場の雰囲気。
「牛馬様が勝った……!」最初に静寂を破ったのは鬼水だ。「牛馬様が勝ったんだッ……!」
まるで牛馬の勝利を噛み締めるように繰り返していう鬼水はそのまま手を叩いて牛馬の健闘を讃える。中級役人や閻魔の遣いたちも鬼水の空気に飲まれてか、御座なりに手を叩き始める。
が、対面の神と上級役人たちは葬式のような雰囲気。上級役人たちは呆然とし、神のほうをチラッと眺める。当の神はというと、歯軋りをしてその様子を眺めている。
ふと牛馬が神に目をやる。
「このデカブツ、案外体力ないんだな」
そういって牛馬がニヤリと笑って見せると、神は顔を真っ赤にして、
「うるさい、うるさい、うるさい、うるさい!」と派手に取り乱す。「貴様みたいな下郎、……しかし、朕は少し見くびっていたようだ。いいだろう、少しーー」
突然、コロがガバッと起き上がり、牛馬に向かって飛び掛かる。
牛馬はコロをじっと眺めている。
悲鳴ーー
思わず目を瞑った鬼水もゆっくりと目を開く。だが、そこには凄惨な光景はない。
あるのは牛馬の顔を舐めるコロの姿。
牛馬を食しようという雰囲気はこれっぽっちもなく、それどころかコロが牛馬になついてしまったようにも見える。
「な、何をしておるのだ、コロ!」
神の呼び掛けに、コロは応えない。それどころか、牛馬に身体をすりつけたりして、完全になついてしまっているようだった。
「残念だったな。この犬ころもテメェみてぇなダサい不細工ハゲよりもおれのほうがいいんだとよ」
そのひとことは神には許せないモノだったらしい。すぐさま声を張り上げて、
「もう許さぬ! みなの者! 出てこんか!」
神の合図でいくつもの足音が武術場にこだまする。牛馬はコロを離して辺りを見渡す。
武術場を囲む天の武士、武士ーー武士。
いつの間にか、牛馬の周りには刀を持った武士の姿が幾人も見受けられた。
「犬ころ」牛馬が声を掛けると、コロは嬉しそうに反応を示す。「腹は減ったか?」
コロは不気味に目を輝かせるーー
【続く】