【丑寅は静かに嗤う~来訪】
文字数 2,481文字
「誰だ!?」
猿田が低く警戒した声でいう。
「あたしだよ」聞き覚えのある女声と共に繁みの奥からお雉があらわれる。「どうかした?」
桃川と猿田のふたりは大きくため息をつき、刀の鍔に掛けた左手の親指をゆっくりと外す。
「いや、何でもないんだ。突然繁みが揺れたもんだから、変に警戒しちまって」
猿田がそういうと、桃川は同意するように頷いてみせる。お雉は繁みからふたりに向かって歩み寄りながら、
「あぁ、そうだったんだね。驚かしてゴメン」
「犬蔵さんの手掛かりはやはりありませんか」
桃川が訊ねると、お雉は悲しそうな表情を浮かべ、ややうつむき、「うん……」と今にも消え入りそうな声で答える。
これには桃川も「そうですか……」とため息混じりに答える。猿田は相変わらず憮然とした様子でおり、犬蔵の話題に対して視線を外すという態度で答えて見せる。
「あんなとこから落ちたんだ。まず助からない」
猿田がいうと、お雉はーー
「……そうかもしれないけど、でももしかしたら、ってこともあるかもしれない」
「ない」キッパリいう猿田。「それだったら、おれだって、川越を後にする前に死んでた」
お雉はことばを失ったように黙ってしまう。場の空気は険悪そのもの。お雉は悲しそうに黙り込み、猿田は静かに口を閉ざす。桃川はふたりの様子を見て、無表情。
突然、繁みが揺れる。
落ち込んだ雰囲気の三人に、緊張が走る。三人交互に目を合わせ、意思を疎通させる。
誰かがいる。
さっきはお雉がいなかったこともあって、お雉の可能性も捨て切れはしなかったが、今度こそは三人以外の誰かということになる。
「まさか、な……」
含みを持たせて猿田はいう。
沈黙と静寂がけたたましく鳴り響く。風は吹く。ささやかな風音。風は草木を揺らし、静寂に微かな緊張を与える。
「誰だ! 出てこい!」
猿田が叫ぶ。夜の繁みの中で猿田の声は反響し、闇の中へと吸い込まれていく。唾をゴクリと飲み込むお雉。桃川はひとり静かに目を細めて繁みの先を見通している。
「それがしは何者だ?」
繁みの向こうで男の声がそう答える。三人は互いに目を配る。猿田が再び口を開くーー
「ただの旅の者だ。貴殿は何者か?」
「わたしはこの先にある旗本の屋敷に仕えている者だ。主人の申しつけでここらを見回りしておる。今からそちらへ行く。構わぬな?」
三人は再び目配せをし、コクりと頷いて無言のまま自分たちの意見をまとめる。
「構わぬ。こちらに敵意はない!」猿田。
「わかった。かたじけない」
その声が聞こえたかと思うと、更に繁みが微かな唸りを上げる。相手の身分を聞いたとはいえ、三人の身体には明らかな緊張が宿っている。筋肉は強ばり、微かな揺れが伺える。
繁みの奥から人が現れるーー男が五人ほど横並びになって繁みを踏みしだく。
「いやぁ、驚かせてすまぬな」
中央の男がいう。男の背丈は対して大きくないが、やや肥えた印象。刀をセキレイに差し、比較的地味ではあるが、清潔で折り目正しいよく仕立てられた着物を着ている。
周りの者たちは手下だろうか、比較的若く、中央の男よりも背が高く身体も引き締まっているが、着物はどことなく依れている。
「いえ。こちらこそご無礼を申し訳ない。この先の旗本屋敷というと、どちら様の屋敷でございましょうか」猿田が答える。
居候とはいえ流石に旗本屋敷にいただけあって、外に対する姿勢は丁寧だ。中央の男もそんな猿田の受け答えに対し、
「や、や。ご丁寧にかたじけない。拙者とこちらの者どもはみな、常陸国の大鳥家に仕えている者であります。拙者の名前は牛野寅三郎」
牛野寅三郎、その名前に猿田は僅かな震えを見せる。お雉はそれを見てハッとし、桃川は、
「何か、ございましたか?」
その問いに対して猿田は固く笑って見せ、
「いや、何でもない。それよりーー」猿田は牛野に意識を向け、「こちらは猿田源之助と申すしがない浪人である。わたしのとなりにおるのが、桃川ーー佑馬。そして、こちらのおなごはお雉というわたしの伴侶でございます」
わたしの伴侶と聞いて、お雉はハッとして猿田を見、顔を赤くして目を伏せる。だが、猿田はまったく動じることなく、
「わたしども夫婦は常陸の国へ行こうとしていたところ、盗賊に襲われ、その危機をこちらの桃川殿に助けられ、このように共に火を囲っていたのです」
「なるほど、そうでしたか。しかし、お主の名は猿田源之助様とおっしゃいますか?」
牛野の疑問に満ちた表情に、猿田の顔に緊張が走る。が、すぐさま、
「如何にも、そうです」
「そうでしたか。これはかたじけない。こちらは何も主たちの邪魔をしようとは思わないのです。ただ、ちょいとお訊きしたいことがありまして」
「訊きたいこと、何でしょうか?」
「ここら辺で、太った一本差しの浪人風の男を見なかったでしょうか。総髪で髷は結っているが、頭は剃っていない」
三人はその話を聞いて微かな反応を見せる。お雉は桃川と視線を交差させる。猿田はひとり口をきゅっと結び、牛野のほうを見詰め、
「いえ、見ていないですが、その浪人風の男が何をされたのでしょうか?」
「拙者の仕えている旗本屋敷のお坊ちゃんを怪我させたのです」
「何ですって……?」
猿田もこれには動揺を隠せない。が、この動揺に対して牛野はーー、
「どうかされましたか?」
「いえ、こちらも旅の身、そのような男が逃げていると知り、身の危険を案じたモノで。その男はどちらでそちらのお坊ちゃんを傷つけたのでしょうか?」
「常陸国のとある海辺でです」
「となると、ここからは少しありますね」確認するように猿田はいう。
「はい。ですが、もし、そこから逃げているとしたらここら辺りもくまなく調べるのがよいかと思いまして。しかし、お邪魔致しましたな。どうぞごゆっくり休んで下され」
そういって、牛野は振り返ろうとする。そこにーー
「待たれよ!」
猿田が声を掛ける。牛野と一行はゆっくりと振り返り、牛野がいう。
「何か?」
その問いに対し、猿田が口を開く。お雉の顔に驚きが宿る。桃川は微笑。
場は沈黙に包まれるーー
【続く】
猿田が低く警戒した声でいう。
「あたしだよ」聞き覚えのある女声と共に繁みの奥からお雉があらわれる。「どうかした?」
桃川と猿田のふたりは大きくため息をつき、刀の鍔に掛けた左手の親指をゆっくりと外す。
「いや、何でもないんだ。突然繁みが揺れたもんだから、変に警戒しちまって」
猿田がそういうと、桃川は同意するように頷いてみせる。お雉は繁みからふたりに向かって歩み寄りながら、
「あぁ、そうだったんだね。驚かしてゴメン」
「犬蔵さんの手掛かりはやはりありませんか」
桃川が訊ねると、お雉は悲しそうな表情を浮かべ、ややうつむき、「うん……」と今にも消え入りそうな声で答える。
これには桃川も「そうですか……」とため息混じりに答える。猿田は相変わらず憮然とした様子でおり、犬蔵の話題に対して視線を外すという態度で答えて見せる。
「あんなとこから落ちたんだ。まず助からない」
猿田がいうと、お雉はーー
「……そうかもしれないけど、でももしかしたら、ってこともあるかもしれない」
「ない」キッパリいう猿田。「それだったら、おれだって、川越を後にする前に死んでた」
お雉はことばを失ったように黙ってしまう。場の空気は険悪そのもの。お雉は悲しそうに黙り込み、猿田は静かに口を閉ざす。桃川はふたりの様子を見て、無表情。
突然、繁みが揺れる。
落ち込んだ雰囲気の三人に、緊張が走る。三人交互に目を合わせ、意思を疎通させる。
誰かがいる。
さっきはお雉がいなかったこともあって、お雉の可能性も捨て切れはしなかったが、今度こそは三人以外の誰かということになる。
「まさか、な……」
含みを持たせて猿田はいう。
沈黙と静寂がけたたましく鳴り響く。風は吹く。ささやかな風音。風は草木を揺らし、静寂に微かな緊張を与える。
「誰だ! 出てこい!」
猿田が叫ぶ。夜の繁みの中で猿田の声は反響し、闇の中へと吸い込まれていく。唾をゴクリと飲み込むお雉。桃川はひとり静かに目を細めて繁みの先を見通している。
「それがしは何者だ?」
繁みの向こうで男の声がそう答える。三人は互いに目を配る。猿田が再び口を開くーー
「ただの旅の者だ。貴殿は何者か?」
「わたしはこの先にある旗本の屋敷に仕えている者だ。主人の申しつけでここらを見回りしておる。今からそちらへ行く。構わぬな?」
三人は再び目配せをし、コクりと頷いて無言のまま自分たちの意見をまとめる。
「構わぬ。こちらに敵意はない!」猿田。
「わかった。かたじけない」
その声が聞こえたかと思うと、更に繁みが微かな唸りを上げる。相手の身分を聞いたとはいえ、三人の身体には明らかな緊張が宿っている。筋肉は強ばり、微かな揺れが伺える。
繁みの奥から人が現れるーー男が五人ほど横並びになって繁みを踏みしだく。
「いやぁ、驚かせてすまぬな」
中央の男がいう。男の背丈は対して大きくないが、やや肥えた印象。刀をセキレイに差し、比較的地味ではあるが、清潔で折り目正しいよく仕立てられた着物を着ている。
周りの者たちは手下だろうか、比較的若く、中央の男よりも背が高く身体も引き締まっているが、着物はどことなく依れている。
「いえ。こちらこそご無礼を申し訳ない。この先の旗本屋敷というと、どちら様の屋敷でございましょうか」猿田が答える。
居候とはいえ流石に旗本屋敷にいただけあって、外に対する姿勢は丁寧だ。中央の男もそんな猿田の受け答えに対し、
「や、や。ご丁寧にかたじけない。拙者とこちらの者どもはみな、常陸国の大鳥家に仕えている者であります。拙者の名前は牛野寅三郎」
牛野寅三郎、その名前に猿田は僅かな震えを見せる。お雉はそれを見てハッとし、桃川は、
「何か、ございましたか?」
その問いに対して猿田は固く笑って見せ、
「いや、何でもない。それよりーー」猿田は牛野に意識を向け、「こちらは猿田源之助と申すしがない浪人である。わたしのとなりにおるのが、桃川ーー佑馬。そして、こちらのおなごはお雉というわたしの伴侶でございます」
わたしの伴侶と聞いて、お雉はハッとして猿田を見、顔を赤くして目を伏せる。だが、猿田はまったく動じることなく、
「わたしども夫婦は常陸の国へ行こうとしていたところ、盗賊に襲われ、その危機をこちらの桃川殿に助けられ、このように共に火を囲っていたのです」
「なるほど、そうでしたか。しかし、お主の名は猿田源之助様とおっしゃいますか?」
牛野の疑問に満ちた表情に、猿田の顔に緊張が走る。が、すぐさま、
「如何にも、そうです」
「そうでしたか。これはかたじけない。こちらは何も主たちの邪魔をしようとは思わないのです。ただ、ちょいとお訊きしたいことがありまして」
「訊きたいこと、何でしょうか?」
「ここら辺で、太った一本差しの浪人風の男を見なかったでしょうか。総髪で髷は結っているが、頭は剃っていない」
三人はその話を聞いて微かな反応を見せる。お雉は桃川と視線を交差させる。猿田はひとり口をきゅっと結び、牛野のほうを見詰め、
「いえ、見ていないですが、その浪人風の男が何をされたのでしょうか?」
「拙者の仕えている旗本屋敷のお坊ちゃんを怪我させたのです」
「何ですって……?」
猿田もこれには動揺を隠せない。が、この動揺に対して牛野はーー、
「どうかされましたか?」
「いえ、こちらも旅の身、そのような男が逃げていると知り、身の危険を案じたモノで。その男はどちらでそちらのお坊ちゃんを傷つけたのでしょうか?」
「常陸国のとある海辺でです」
「となると、ここからは少しありますね」確認するように猿田はいう。
「はい。ですが、もし、そこから逃げているとしたらここら辺りもくまなく調べるのがよいかと思いまして。しかし、お邪魔致しましたな。どうぞごゆっくり休んで下され」
そういって、牛野は振り返ろうとする。そこにーー
「待たれよ!」
猿田が声を掛ける。牛野と一行はゆっくりと振り返り、牛野がいう。
「何か?」
その問いに対し、猿田が口を開く。お雉の顔に驚きが宿る。桃川は微笑。
場は沈黙に包まれるーー
【続く】