【世界を手に入れてもまだ足りない】
文字数 1,686文字
人は死ぬーー
如何に強く、如何に聡明で、如何に運が良く、如何に恵まれている人であろうとも、いずれは鬼籍というあの世の名簿に己が名を刻まなければならなくなる時が来る。
死におののく人は、この世の中には大勢いることだろう。それは、生きている人間は誰もその先を知らないからであって、ある種の未知の世界に対する恐怖心がそこにあるからといっても過言ではないのかもしれない。
いずれにせよ、その『死』という暗い闇の向こう側を知るのは死者以外にはいないワケだ。そして、死者が『死』を語る機会は未来永劫来ることはない。
突然こんな話をするのは、この前観た映画が非常に印象的だったからだ。その映画とはーー
『007ノー・タイム・トゥ・ダイ』だ。
007に関しては、説明するまでもないだろう。イギリスはMi6のエージェント、『ジェームズ・ボンド』が己の肉体と頭脳と色気を駆使して巨悪と戦う世界的なスパイ映画だ。
その新作が前作『スペクター』から数年の合間を置き、またウイルス騒動による公開延期を何度も繰り返して、そして今月10月、満を持して漸く封切られたのだ。
かく言うおれは小学生の時に『ゴールデンアイ007』というテレビゲームにドハマりして以降007フリークとなり、以来ずっと新作が公開される度にチェックするようにしていた。
もちろん、今回の『ノー・タイム・トゥ・ダイ』もそうだ。更に言えば、延期に延期を重ねたこともあって、その期待度は遠い水平線の果てにまで達する勢いで爆上がりしていた。
そして、先週のことである。
おれは意気揚々と、待ちかねていた007の新作をこの目にしっかり焼き付けようと映画館へ向かった。ロビーでチケットを買い劇場に入ると、やっと007の新作が観れるという思いで胸がいっぱいになり、思わず泣きそうになった。
では、件の新作は如何なモノだったのか。結論から言えばーー
最高の映画だった。
これまで待たされて待たされて溜まったフラストレーションが一気に天へ溶け、昇華されていくほど、素晴らしい作品だった。
ネタバレをしない範囲で本編の話をすると、今回はアクションが多めでありながら、情感に満ち満ちた演出が目を引く。
そして、オープニングをはじめ、各シークエンスに旧作のオマージュが散りばめられていて、まるでパズルのようにそのピースを頭の中で当て嵌めていくのが非常に面白い。
マドレーヌと車に乗っているシーンは『女王陛下の007』のラストを彷彿とさせる不吉さがあるし、そして何よりも、今回の新作では「日本」というワードが出てきたり、日本的なエッセンスが顕著に見られる。
そこから言えるのは、今回の新作のキーワードは過去作の名の通り『007は二度死ぬ』なのかもしれないということだ。
瞳に写る藤色の空が煌めく星の輝きを帯びながら「墜ちてくる」のを目の当たりにした時、そこにあるのは諦感か、それとも安堵なのか。
そう、まさしく「空は墜ちた」のだ。
果たしてボンドはボロボロになりながらも胸を張って立ち上がり、崩れ行く空に立ち向かうことができたのだろうかーー
この映画が六代目ボンド役のダニエル・クレイグの最終作であって、本当に良かった。
中学生の頃、『カジノロワイヤル』の新ボンドの御披露目でダニエル・クレイグを初めて見た時、当時、五代目ブロスナン・ボンド信者だったおれは、偉く不満だった。
この人はボンドではないーーそう嫌悪し、悪態をついたこともあった。
疾風怒濤ーー
だが、そのネガティブな感情はダニエル・クレイグが『カジノロワイヤル』で見せた演技とアクションによって一撃で吹き飛ばされた。
そして、今回の『ノー・タイム・トゥ・ダイ』を観て言えることはーー
ダニエル・クレイグは最高のジェームズ・ボンドだったということだ。
だが、ダニエル・クレイグがボンド役を退いても、ジェームズ・ボンドは再び世界に姿を現すだろうーーいや、現さなければならない。
だって、アナタに死んでいる暇なんかないのだから。仮に世界を手に入れたとしても、アナタが満たされることなどないのだからーー
如何に強く、如何に聡明で、如何に運が良く、如何に恵まれている人であろうとも、いずれは鬼籍というあの世の名簿に己が名を刻まなければならなくなる時が来る。
死におののく人は、この世の中には大勢いることだろう。それは、生きている人間は誰もその先を知らないからであって、ある種の未知の世界に対する恐怖心がそこにあるからといっても過言ではないのかもしれない。
いずれにせよ、その『死』という暗い闇の向こう側を知るのは死者以外にはいないワケだ。そして、死者が『死』を語る機会は未来永劫来ることはない。
突然こんな話をするのは、この前観た映画が非常に印象的だったからだ。その映画とはーー
『007ノー・タイム・トゥ・ダイ』だ。
007に関しては、説明するまでもないだろう。イギリスはMi6のエージェント、『ジェームズ・ボンド』が己の肉体と頭脳と色気を駆使して巨悪と戦う世界的なスパイ映画だ。
その新作が前作『スペクター』から数年の合間を置き、またウイルス騒動による公開延期を何度も繰り返して、そして今月10月、満を持して漸く封切られたのだ。
かく言うおれは小学生の時に『ゴールデンアイ007』というテレビゲームにドハマりして以降007フリークとなり、以来ずっと新作が公開される度にチェックするようにしていた。
もちろん、今回の『ノー・タイム・トゥ・ダイ』もそうだ。更に言えば、延期に延期を重ねたこともあって、その期待度は遠い水平線の果てにまで達する勢いで爆上がりしていた。
そして、先週のことである。
おれは意気揚々と、待ちかねていた007の新作をこの目にしっかり焼き付けようと映画館へ向かった。ロビーでチケットを買い劇場に入ると、やっと007の新作が観れるという思いで胸がいっぱいになり、思わず泣きそうになった。
では、件の新作は如何なモノだったのか。結論から言えばーー
最高の映画だった。
これまで待たされて待たされて溜まったフラストレーションが一気に天へ溶け、昇華されていくほど、素晴らしい作品だった。
ネタバレをしない範囲で本編の話をすると、今回はアクションが多めでありながら、情感に満ち満ちた演出が目を引く。
そして、オープニングをはじめ、各シークエンスに旧作のオマージュが散りばめられていて、まるでパズルのようにそのピースを頭の中で当て嵌めていくのが非常に面白い。
マドレーヌと車に乗っているシーンは『女王陛下の007』のラストを彷彿とさせる不吉さがあるし、そして何よりも、今回の新作では「日本」というワードが出てきたり、日本的なエッセンスが顕著に見られる。
そこから言えるのは、今回の新作のキーワードは過去作の名の通り『007は二度死ぬ』なのかもしれないということだ。
瞳に写る藤色の空が煌めく星の輝きを帯びながら「墜ちてくる」のを目の当たりにした時、そこにあるのは諦感か、それとも安堵なのか。
そう、まさしく「空は墜ちた」のだ。
果たしてボンドはボロボロになりながらも胸を張って立ち上がり、崩れ行く空に立ち向かうことができたのだろうかーー
この映画が六代目ボンド役のダニエル・クレイグの最終作であって、本当に良かった。
中学生の頃、『カジノロワイヤル』の新ボンドの御披露目でダニエル・クレイグを初めて見た時、当時、五代目ブロスナン・ボンド信者だったおれは、偉く不満だった。
この人はボンドではないーーそう嫌悪し、悪態をついたこともあった。
疾風怒濤ーー
だが、そのネガティブな感情はダニエル・クレイグが『カジノロワイヤル』で見せた演技とアクションによって一撃で吹き飛ばされた。
そして、今回の『ノー・タイム・トゥ・ダイ』を観て言えることはーー
ダニエル・クレイグは最高のジェームズ・ボンドだったということだ。
だが、ダニエル・クレイグがボンド役を退いても、ジェームズ・ボンドは再び世界に姿を現すだろうーーいや、現さなければならない。
だって、アナタに死んでいる暇なんかないのだから。仮に世界を手に入れたとしても、アナタが満たされることなどないのだからーー