【西陽の当たる地獄花~死拾壱~】
文字数 2,120文字
「試す……?」宗顕の顔が歪む。「一体、何をなさるおつもりなんですか?」
牛馬は相変わらずの不敵な笑みで宗顕を見る。その様相は死に取り憑かれた魔のよう。
「何って、飛び降りるのさ」
「飛び降りるッ!?」宗顕の顔が驚きと恐怖で引き吊る。「バカなことは止めてくださいッ! 下は空じゃないですか!」
「本当にそうなのか?」牛馬の問いで、その場の空気が一瞬止まったようになる。
「……え?」
「だから、おれたちが見ているこの『空』は、本当に『空』なのか、ってことだ」
宗顕は曖昧な反応。だが、どちらかといえば否定的な様子ではあるが、そうでないともいい切れないでまごついている。
「大体、可笑しくねえか。おれもお前も、小さい蜘蛛に飲み込まれてここまで来た。そうかと思えば下は青空だ。太陽が出ている真っ暗な空。じゃあ、そこから夜になれば月の出ている明るい夜が来るのか? もし。もしだ。この空がウソっぱちだったら、下には地面があるんじゃねえのか?」
「た、確かに、そうかもしれません。なら、もう少し試す方法はあるはずです! 何も、自ら身を投げるようなことをしなくとも、出来ることはあるはずです! わたしたちは今混乱しています。だから、一時の感情で動くのは危険です! 考え直して下さい!」
「別のモノで試すといって、何で試すんだ。布を落とした所で音はしない。刀は落とせない。だとしたら、もう命を投げ出すしかねえだろ」
「ど、どうしてそうなるのですか!」
「大体、天と地がひっくり返るってのが可笑しくねえか。こんなカラクリ、神はどうして作る必要があったんだ。ただ逃げ延びるためだとしたら、自分も不利を被ることになるじゃねえか。だとしたら、あの『天』に見える地には、足場があるんじゃねえか?」
宗顕は口を真一文字に結ぶ。口許が小刻みに動いているところを見るといいたいことはあるのだろうが、もはや牛馬を説得することは難しいとも考えているのかもしれない。
「わ、わかりました。でも、その前に、もう少しこの辺りの様子をよく見てからでも良いのではないでしょうか。思い込みと猪突猛進は死へと直結します。だから最後の最後には飛び込むとしても、もう少しだけ吟味してもよろしいのではないでしょうか」
宗顕の必死の訴えに、牛馬はつまらなそうな顔をする。だが、そのまま下を見ていう。
「……わかった。でも、ここからどう動くっていうんだ。足許は皮にまとわりつく蜘蛛の糸。今は着物が足場になっているとはいえ、これじゃあ動きようがねえじゃねえか。大体、テメエだって動けやしねえだろ」
その通りだった。宗顕はいまだに蜘蛛の糸に絡まったまま。動ける気配はない。
「今あるのは、刀と目の前で死んでる蜘蛛の化け物ただ一匹。こんな状況でどうなる……」
と、牛馬は化け物の上に乗り、その背中にドサリと座り込むと神殺を抜く。
「……どうされるんですか?」宗顕が不安そうに訊ねる。
「簡単な話だよ」
そういって牛馬は神殺の刃を化け物の足の一本へとあてがう。そして、ノコギリのように押し引きする。生々しい音、凝固しつつある緑色の血が流れ落ちていく。
化け物の脚が切断される。切れた脚はそのまま天へと落ちていく。まるで時間がゆっくりになったように、脚は落ちていく。その重みのある脚は落ちて、落ちて、落ちていく。だが、落下する音は聞こえない。
静寂が呪いのようにこだまする。微かに聴こえる風の音。牛馬は眉間にシワを寄せる。
「……やっぱり、下には何もないんですよ。危なかったですね。落ち着きましょう。ね?」
「あぁ……、確かにおれは可笑しかった」
そういうと、牛馬は自分の右手人差し指を軽くしゃぶると、指を出して目線の高さへと翳す。
「……何をされているんですか?」
だが、牛馬は答えない。そのまま指を翳すばかりだ。風の音がする。牛馬は舌打ちする。
「牛馬様……?」
「風だ」
「……何ですか?」
「風が吹いていた」
「風?」
牛馬は頷く。
「そうだ。だが、それが何処から吹いているのかはわからない。だから濡れた指を翳したんだ。でも、風は下から吹いてやがる」
「下から……?」
「そうだ。ひとつ考えられるのは、この蜘蛛の巣が張られているのは何処かの谷かもしれないってことだ。それか……」牛馬は上を向く。「おい、世界がひっくり返ったら、海や湖はどうなると思う?」
「海や湖、ですか?」
「そうだ。どうなると思う?」
「それは、ひっくり返るんだからーー」宗顕はハッとする。「あっ、もしかして……」
「気づいたか。様々なモンが天井へと落ちていたんだ。水だって例外じゃないはずだ。さっき、この化け物が襲って来る前、上から水滴が落ちて来た。それは少なくともひっくり返る前も湿っているような場所だったってことだ」
「つまり、ここが水が溜まっていた場所だってことですか」
「その通りだ。で、この広さから見て、まず湖や海じゃねえだろう。考えられるのは、底の深い沼だ。お前、そんな沼に心当たりはねえか」
「沼、ですか」宗顕は考えてる。「……あ!」
宗顕の声が反響して何度も呼応する。
突然、世界が歪む。宗顕は目を回す。牛馬も。そして、世界は闇に飲まれた。
【続く】
牛馬は相変わらずの不敵な笑みで宗顕を見る。その様相は死に取り憑かれた魔のよう。
「何って、飛び降りるのさ」
「飛び降りるッ!?」宗顕の顔が驚きと恐怖で引き吊る。「バカなことは止めてくださいッ! 下は空じゃないですか!」
「本当にそうなのか?」牛馬の問いで、その場の空気が一瞬止まったようになる。
「……え?」
「だから、おれたちが見ているこの『空』は、本当に『空』なのか、ってことだ」
宗顕は曖昧な反応。だが、どちらかといえば否定的な様子ではあるが、そうでないともいい切れないでまごついている。
「大体、可笑しくねえか。おれもお前も、小さい蜘蛛に飲み込まれてここまで来た。そうかと思えば下は青空だ。太陽が出ている真っ暗な空。じゃあ、そこから夜になれば月の出ている明るい夜が来るのか? もし。もしだ。この空がウソっぱちだったら、下には地面があるんじゃねえのか?」
「た、確かに、そうかもしれません。なら、もう少し試す方法はあるはずです! 何も、自ら身を投げるようなことをしなくとも、出来ることはあるはずです! わたしたちは今混乱しています。だから、一時の感情で動くのは危険です! 考え直して下さい!」
「別のモノで試すといって、何で試すんだ。布を落とした所で音はしない。刀は落とせない。だとしたら、もう命を投げ出すしかねえだろ」
「ど、どうしてそうなるのですか!」
「大体、天と地がひっくり返るってのが可笑しくねえか。こんなカラクリ、神はどうして作る必要があったんだ。ただ逃げ延びるためだとしたら、自分も不利を被ることになるじゃねえか。だとしたら、あの『天』に見える地には、足場があるんじゃねえか?」
宗顕は口を真一文字に結ぶ。口許が小刻みに動いているところを見るといいたいことはあるのだろうが、もはや牛馬を説得することは難しいとも考えているのかもしれない。
「わ、わかりました。でも、その前に、もう少しこの辺りの様子をよく見てからでも良いのではないでしょうか。思い込みと猪突猛進は死へと直結します。だから最後の最後には飛び込むとしても、もう少しだけ吟味してもよろしいのではないでしょうか」
宗顕の必死の訴えに、牛馬はつまらなそうな顔をする。だが、そのまま下を見ていう。
「……わかった。でも、ここからどう動くっていうんだ。足許は皮にまとわりつく蜘蛛の糸。今は着物が足場になっているとはいえ、これじゃあ動きようがねえじゃねえか。大体、テメエだって動けやしねえだろ」
その通りだった。宗顕はいまだに蜘蛛の糸に絡まったまま。動ける気配はない。
「今あるのは、刀と目の前で死んでる蜘蛛の化け物ただ一匹。こんな状況でどうなる……」
と、牛馬は化け物の上に乗り、その背中にドサリと座り込むと神殺を抜く。
「……どうされるんですか?」宗顕が不安そうに訊ねる。
「簡単な話だよ」
そういって牛馬は神殺の刃を化け物の足の一本へとあてがう。そして、ノコギリのように押し引きする。生々しい音、凝固しつつある緑色の血が流れ落ちていく。
化け物の脚が切断される。切れた脚はそのまま天へと落ちていく。まるで時間がゆっくりになったように、脚は落ちていく。その重みのある脚は落ちて、落ちて、落ちていく。だが、落下する音は聞こえない。
静寂が呪いのようにこだまする。微かに聴こえる風の音。牛馬は眉間にシワを寄せる。
「……やっぱり、下には何もないんですよ。危なかったですね。落ち着きましょう。ね?」
「あぁ……、確かにおれは可笑しかった」
そういうと、牛馬は自分の右手人差し指を軽くしゃぶると、指を出して目線の高さへと翳す。
「……何をされているんですか?」
だが、牛馬は答えない。そのまま指を翳すばかりだ。風の音がする。牛馬は舌打ちする。
「牛馬様……?」
「風だ」
「……何ですか?」
「風が吹いていた」
「風?」
牛馬は頷く。
「そうだ。だが、それが何処から吹いているのかはわからない。だから濡れた指を翳したんだ。でも、風は下から吹いてやがる」
「下から……?」
「そうだ。ひとつ考えられるのは、この蜘蛛の巣が張られているのは何処かの谷かもしれないってことだ。それか……」牛馬は上を向く。「おい、世界がひっくり返ったら、海や湖はどうなると思う?」
「海や湖、ですか?」
「そうだ。どうなると思う?」
「それは、ひっくり返るんだからーー」宗顕はハッとする。「あっ、もしかして……」
「気づいたか。様々なモンが天井へと落ちていたんだ。水だって例外じゃないはずだ。さっき、この化け物が襲って来る前、上から水滴が落ちて来た。それは少なくともひっくり返る前も湿っているような場所だったってことだ」
「つまり、ここが水が溜まっていた場所だってことですか」
「その通りだ。で、この広さから見て、まず湖や海じゃねえだろう。考えられるのは、底の深い沼だ。お前、そんな沼に心当たりはねえか」
「沼、ですか」宗顕は考えてる。「……あ!」
宗顕の声が反響して何度も呼応する。
突然、世界が歪む。宗顕は目を回す。牛馬も。そして、世界は闇に飲まれた。
【続く】