【帝王霊~弐拾参~】
文字数 2,564文字
フローラルな香りが漂っている。
そんな香りをかぎ、山田和雅は目を覚ます。と、そこは薄暗い部屋。辺りを見回した感じ、そこはホテルの一室のようだった。それもただのホテルではない。ラブホテル。ダブルのベッドに広めで洒落た内装。壁掛けのテレビ。
和雅は身体を起こそうとする。が、起きられない。何かに引っ張られている。よく見たら掛け布団はなく、和雅の両手、両足はベッドの端で養生テープで拘束されている。
和雅は動揺を隠せない。何故このようなことになっているのか、和雅にはまったく記憶がないようだった。
「気がついた?」コケティッシュな女の声。
声のほうへ目を向けると、そこにはひとりの女の姿がある。身長はそこまで大きくはない。せいぜい160センチ程度だろう。胸はとても大きく、黒のワンピースを纏った全体的なプロポーションは非常にグラマラスだ。軽い微笑を浮かべる唇は厚すぎず薄すぎない程度で、目許はマスカラで妖しく光っている。髪はショートボブで、髪の隙間から汗に濡れたうなじが微かに覗かれている。
「……アンタ、どっかで」
和雅がいうと、女は微かに笑いながらヒールをコツコツ鳴らし、和雅のすぐそばまでやって来る。ベッド際まで来ると、和雅のすぐ傍でベッドの端に腰を下ろして和雅を見下ろす。
「お久しぶり、だね」
「……あぁ、久しぶり、か」と和雅は顔を叛ける。
「それはどっちの意味でいってるの?」
「どっちの意味?」
「あたしのいいたいこと、わかるでしょ?」
「……わからんね」
「そう……、残念だね……」
そういうと女はベッドの上に上がり、和雅に覆い被さるように四つん這いの格好になって和雅に向き合う。女のハッキリした目鼻立ちは、光が遮られて暗くなっても、その構造がしっかりわかるほどにしっかりしている。
「ほんと、久しぶりだね……」
女のことばに和雅は答えない。女の顔が和雅の顔のすぐ近くにまで来る。その差は鼻先同士で三センチほどという超近距離。
「知ってるよ。アナタはどんなに強がって孤高を装っていても、本当は人肌恋しいんだって」
女はささやくようにいう。距離が近すぎて、微かに動く口許がやけに大きく感じられる。しゃべる度に吐息が顔に掛かる。音、感触、視覚的な絵面、すべてがエロチック。
「……何がいいたい?」
和雅は憮然という。だが、女はそんな和雅を嘲るように笑みを浮かべると、
「アナタは非常に繊細だってこと」
「……へぇ。おれはてっきり、おれがSM好きの変態だとアンタが思ってるって思ってたわ」
「そう、その話し方が聴きたかった」
「……どういうことだい?」
「アナタ、この一、二週間くらい何してた?」
突然の質問に、和雅は眉間にシワを寄せる。
「それを教える義理が何処にある?」
「さぁ? そんなモノはないかもね。でも、問題はそこじゃない。アナタ、この一、二週間の記憶がないでしょ?」
和雅は答えない。真っ直ぐ自分を見詰めてくる女の視線、不敵な笑み、それから逃れるようにして、顔と視線を逸らす。
「ふふ……、図星ってところね」
「図星ねぇ……。そうとも限らんで。何故なら、アンタがあんまり真っ直ぐにおれを見るから、おれだって恥ずかしくなっちまったんで」
「ふふふ……、あたし、アナタみたいな人、大好き。純粋で傷つき易くて、賢いのに世間知らずで、他人を拒絶してるクセに困っている人は放っておけない」
「おれのことをいってるんだとしたら、それは見当違いだで。おれはそんな清廉潔白な男じゃない。ヘドロの中で泳ぐ狂った野良犬。誰もおれに近づかないし、おれも他人が大嫌いだ」
「それが強がりだってこと。そういわなきゃ、アナタは自分の孤独なこころを守ることが出来ない。でも、ひねくれてはいない。端から見たらそう見えるかもしれないけど、逆。アナタは他の社会の手垢にまみれた連中より、何処までも素直で可愛いげがある。だから色んな人から可愛がられている」
「……アンタ、何だ? おれのことを何処まで知っている?」
「まぁ、色々ってことかな。アナタが初めて舞台に上がった時の演技から、この前の猿田源之助まで。あの役はピッタリだったね」
自分の過去の芝居を知る女、そして今現在までの軌跡を知っている女。和雅は一瞬顔を強張らせるが、すぐに風船が割れるように笑い、
「まさか、こんなところで数少ない追っ掛けに会うとは思わなかったで。でも、それならおれなんかより、もっと人気のある役者を狙ったほうがよかったんでねぇ? 人気も実力もないチンピラを追い掛けたって金にもならないし、何の報いもないで」
女は静かに首を横に振る。
「人気と実力がイコールになるとは限らないよ。アナタは人気はないけど、実力はある。それは初舞台の時から片鱗があった。アナタは研究者。何をやるにも向上心を持って積極的に取り組む。だけど、群れるのも媚びるのもキライなせいで、オーディエンスからは敬遠される」
「……よくわかってるじゃんか。でも、おれは実力なんかねぇし、『研究者』ってことばも大嫌いなんで」
「それは大学時代にコンプレックスがあるから?」女のことばに和雅は反応しない。「まぁ、それはいいとして、その繊細で謙虚なところが、あの男に付け込む隙を与えてしまった」
「あの男……?」和雅はワケがわからないといったようにいう。「何のことだ?」
「いい加減、和雅くんの身体から出てきたらどう?」
女がそういうと、和雅は突然苦しみ出す。そうかと思いきや気絶したように力なくグッタリする。
「……役者にこんなことしたくないけど」
そういって女は和雅の頬を平手で打つ。と、和雅は突然目を見開き、女に飛び掛からん勢いで、身体を起こそうとする。が、当然拘束されているせいで、それも叶わない。ただ、その力は何重にもなった養生テープを引きちぎらんほどに強い。そして、和雅の目は、表情は、先程と打って変わって猟奇的になっている。
「やっと会えたね」
「……久しぶりだなぁ。会いたかったよ」
「あたしはアンタに何か会いたくなかったよ、社長。もう社長と秘書、いえ、パトロンと愛人なんて関係じゃない。ね、蓮斗」
蓮斗。成松蓮斗。女は和雅のことを確かにそう呼んだ。それに対し和雅は、
「おれも会いたかったさ。佐野めぐみ」
佐野めぐみ。女は佐野めぐみだった。
【続く】
そんな香りをかぎ、山田和雅は目を覚ます。と、そこは薄暗い部屋。辺りを見回した感じ、そこはホテルの一室のようだった。それもただのホテルではない。ラブホテル。ダブルのベッドに広めで洒落た内装。壁掛けのテレビ。
和雅は身体を起こそうとする。が、起きられない。何かに引っ張られている。よく見たら掛け布団はなく、和雅の両手、両足はベッドの端で養生テープで拘束されている。
和雅は動揺を隠せない。何故このようなことになっているのか、和雅にはまったく記憶がないようだった。
「気がついた?」コケティッシュな女の声。
声のほうへ目を向けると、そこにはひとりの女の姿がある。身長はそこまで大きくはない。せいぜい160センチ程度だろう。胸はとても大きく、黒のワンピースを纏った全体的なプロポーションは非常にグラマラスだ。軽い微笑を浮かべる唇は厚すぎず薄すぎない程度で、目許はマスカラで妖しく光っている。髪はショートボブで、髪の隙間から汗に濡れたうなじが微かに覗かれている。
「……アンタ、どっかで」
和雅がいうと、女は微かに笑いながらヒールをコツコツ鳴らし、和雅のすぐそばまでやって来る。ベッド際まで来ると、和雅のすぐ傍でベッドの端に腰を下ろして和雅を見下ろす。
「お久しぶり、だね」
「……あぁ、久しぶり、か」と和雅は顔を叛ける。
「それはどっちの意味でいってるの?」
「どっちの意味?」
「あたしのいいたいこと、わかるでしょ?」
「……わからんね」
「そう……、残念だね……」
そういうと女はベッドの上に上がり、和雅に覆い被さるように四つん這いの格好になって和雅に向き合う。女のハッキリした目鼻立ちは、光が遮られて暗くなっても、その構造がしっかりわかるほどにしっかりしている。
「ほんと、久しぶりだね……」
女のことばに和雅は答えない。女の顔が和雅の顔のすぐ近くにまで来る。その差は鼻先同士で三センチほどという超近距離。
「知ってるよ。アナタはどんなに強がって孤高を装っていても、本当は人肌恋しいんだって」
女はささやくようにいう。距離が近すぎて、微かに動く口許がやけに大きく感じられる。しゃべる度に吐息が顔に掛かる。音、感触、視覚的な絵面、すべてがエロチック。
「……何がいいたい?」
和雅は憮然という。だが、女はそんな和雅を嘲るように笑みを浮かべると、
「アナタは非常に繊細だってこと」
「……へぇ。おれはてっきり、おれがSM好きの変態だとアンタが思ってるって思ってたわ」
「そう、その話し方が聴きたかった」
「……どういうことだい?」
「アナタ、この一、二週間くらい何してた?」
突然の質問に、和雅は眉間にシワを寄せる。
「それを教える義理が何処にある?」
「さぁ? そんなモノはないかもね。でも、問題はそこじゃない。アナタ、この一、二週間の記憶がないでしょ?」
和雅は答えない。真っ直ぐ自分を見詰めてくる女の視線、不敵な笑み、それから逃れるようにして、顔と視線を逸らす。
「ふふ……、図星ってところね」
「図星ねぇ……。そうとも限らんで。何故なら、アンタがあんまり真っ直ぐにおれを見るから、おれだって恥ずかしくなっちまったんで」
「ふふふ……、あたし、アナタみたいな人、大好き。純粋で傷つき易くて、賢いのに世間知らずで、他人を拒絶してるクセに困っている人は放っておけない」
「おれのことをいってるんだとしたら、それは見当違いだで。おれはそんな清廉潔白な男じゃない。ヘドロの中で泳ぐ狂った野良犬。誰もおれに近づかないし、おれも他人が大嫌いだ」
「それが強がりだってこと。そういわなきゃ、アナタは自分の孤独なこころを守ることが出来ない。でも、ひねくれてはいない。端から見たらそう見えるかもしれないけど、逆。アナタは他の社会の手垢にまみれた連中より、何処までも素直で可愛いげがある。だから色んな人から可愛がられている」
「……アンタ、何だ? おれのことを何処まで知っている?」
「まぁ、色々ってことかな。アナタが初めて舞台に上がった時の演技から、この前の猿田源之助まで。あの役はピッタリだったね」
自分の過去の芝居を知る女、そして今現在までの軌跡を知っている女。和雅は一瞬顔を強張らせるが、すぐに風船が割れるように笑い、
「まさか、こんなところで数少ない追っ掛けに会うとは思わなかったで。でも、それならおれなんかより、もっと人気のある役者を狙ったほうがよかったんでねぇ? 人気も実力もないチンピラを追い掛けたって金にもならないし、何の報いもないで」
女は静かに首を横に振る。
「人気と実力がイコールになるとは限らないよ。アナタは人気はないけど、実力はある。それは初舞台の時から片鱗があった。アナタは研究者。何をやるにも向上心を持って積極的に取り組む。だけど、群れるのも媚びるのもキライなせいで、オーディエンスからは敬遠される」
「……よくわかってるじゃんか。でも、おれは実力なんかねぇし、『研究者』ってことばも大嫌いなんで」
「それは大学時代にコンプレックスがあるから?」女のことばに和雅は反応しない。「まぁ、それはいいとして、その繊細で謙虚なところが、あの男に付け込む隙を与えてしまった」
「あの男……?」和雅はワケがわからないといったようにいう。「何のことだ?」
「いい加減、和雅くんの身体から出てきたらどう?」
女がそういうと、和雅は突然苦しみ出す。そうかと思いきや気絶したように力なくグッタリする。
「……役者にこんなことしたくないけど」
そういって女は和雅の頬を平手で打つ。と、和雅は突然目を見開き、女に飛び掛からん勢いで、身体を起こそうとする。が、当然拘束されているせいで、それも叶わない。ただ、その力は何重にもなった養生テープを引きちぎらんほどに強い。そして、和雅の目は、表情は、先程と打って変わって猟奇的になっている。
「やっと会えたね」
「……久しぶりだなぁ。会いたかったよ」
「あたしはアンタに何か会いたくなかったよ、社長。もう社長と秘書、いえ、パトロンと愛人なんて関係じゃない。ね、蓮斗」
蓮斗。成松蓮斗。女は和雅のことを確かにそう呼んだ。それに対し和雅は、
「おれも会いたかったさ。佐野めぐみ」
佐野めぐみ。女は佐野めぐみだった。
【続く】