【西陽の当たる地獄花~弐拾~】
文字数 2,621文字
極楽の街にけたたましい半鐘の音が鳴り響いている。
普段は火事の時に打ち鳴らされる甲高い鐘の音を聴いた街の人々は、ほぼ一斉に野次馬の如く外へ出てあちこちを見渡すが、どこからも火は上がっておらず、みな首を傾げては呪詛のことばを呟いている。
挙げ句の果てには鐘を打ちならしている役人に対して、うるせぇぞ!と因縁をつける始末。が、役人も上からの命令でそうしているだけであって、止めるワケにもいかない。
地獄ーーまるで地獄のような光景。
極楽といえど、所詮は現世と殆ど変わらない。極楽の住人も結局は自我を持っているし、怠惰さや強欲さ、色欲もちゃんと持っている。尤も、これらを捨て去ったが故に極楽にいるというのなら、それは極楽とはいいがたいが。
怒号響く街中、混乱の最中、顔を隠しながら人の海を掻い潜る一団の姿がある。そう、
鬼水たちの一団だ。
鬼水たちは宗賢の案内により何とか極楽院を抜け出し、極楽の外へと続く出口へ向かっている最中だったのだ。みな笠を被り、顔を隠しながら縮こまったようにして自分の存在を無きもののようにして歩んでいる。
「宗賢さん、これはーー」鬼水。
「酷いモンです。いくら極楽とはいえ、来てみれば現世とあまり変わりはない。それどころか、もっと酷いかもしれない。極楽へ来た自分たちは選ばれた存在だ、と本気で信じ込んでいる節が彼らにはある。そもそも、極楽へ渡る者も現世において普通の農民だった者から商人、武士、役人と様々です。人格の異なる人々がごちゃ混ぜに極楽へと打ち込まれるのです。だから、所詮は何も変わらない」
宗賢は往来で怒号を上げている極楽の住人を見ながらいう。笠に隠れてその目の様子はよく見えなかったとはいえ、そこに侮蔑の意味が込められているであろうことは、誰にでもわかることだったに違いない。
「そうですか……」
「先を急ぎましょう。わたしも極楽へは未練はありませんし、それに久しぶりに父にも会いたいと思っていたところです」
「お父様、ですか?」
「えぇーー兎に角先を急ぎましょう。話は歩きながらでも出来る」
そういって、宗賢は歩き出す。鬼水たち一行は歩き出す宗賢から少し遅れて歩き出す。
「お父様は、どちらにおられるのですか?」
鬼水は宗賢に早歩きで追い付き、訊ねる。宗賢は鬼水のことを見ずに、
「わたしの父は生前は寺の僧をしておりました。そして、死して彼岸にて寺を構えたのです。そう、寺は彼岸に来た人間が最初に目を覚ます場所でもあります。だから父はそこで今でも彼岸へ来た死者を起こしては閻魔様のところへと送っていることでしょうーー何故なら、わたしもそうでしたから」
「もしかして、宗賢さんはお父様にこちらで引き取られた、と?」
宗賢は静かに頷く。
「その通りです。ですが、わたしは生前僧の掟である、彼岸での死者の受け入れには就くことはありませんでした。それよりも生前の生き方が評価されたとのことで、極楽にて中級の役人として勤めることとなったのです」
「そうだったのですかーー」鬼水は息を吐くように密やかにいう。「で、その僧侶であるお父様のお名前は何と?」
「『悩顕』といいます。僧侶ではありますが、どこか俗っぽく、ぶっきらぼうなところがあって。でも、どうにも嫌いになれないというか」
「『悩顕』、様ですか……」鬼水の声が沈む。
「えぇ。確か、閻魔様とも面識がおありのことかと思うのですが、ご存知ないですか?」
鬼水はハッとする。面識がないワケがない。閻魔直々の四天王のひとりである鬼水は、悩顕のことは当たり前に知っている。だがーー
「お父様にーー悩顕様に、お会い出来るといいですね……」
鬼水が寂しげにそういうと、宗賢はどこか気恥ずかしそうに「えぇ」と答える。
だが、鬼水は知っている。悩顕はもはや、この世には存在しないということを。
基本、彼岸に来た魂が死ぬことはない。だが、凶器にて刺されたり、斬られたりといった外傷によっては死ぬことのないはずの魂も死んでしまうのだ。それは極楽、地獄、その他餓鬼道等でも同様である。
そして、彼岸にて死んだ魂は更なる地の底である『大地獄』へと行く。
そこは彼岸にいるモノは如何なる場所かは知らないが、伝えによれば、地獄よりもずっと苦痛に満ちた場所とのことで、一度堕ちたらまず抜け出せない場所とのことだった。
この数日間で大地獄へと送られた魂はたくさんいる。そう、それもすべてーー
牛馬の手によって、だ。
そんな牛馬が手を下した相手の中に悩顕の名前は入っている。牛馬に名前を与え、彼岸に受け入れた僧侶は、牛馬に殺されたことで今頃は大地獄にて果てなき苦痛に苦しんでいることだろう。その男こそが宗賢の父親だというのだ。
「えぇ、本当に」
宗賢は嬉しそうにいう。鬼水はそんな宗賢の顔をまっすぐ見ることは出来ない。
極楽院を出て半時ほどが経った頃、一行は極楽と極楽の門をつなぐ最後の長い長い河川敷へとたどり着く。
美しい川流れ。水のせせらぎは心地よく、水は何処までも澄んでいるーー何とも皮肉な話。
鬼水は笠の下で複雑な感情が交差したような表情を浮かべながら歩いている。
突然、鬼水の笠が折れ、何かが顔にぶつかる。
「どうされたんですか?」
鬼水が語気を強めてそういうと、目の前には宗賢ーーどうやら立ち止まっているらしい。
「何か、あったんですか?」
そう訊ね直した直後、鬼水はすべてを悟る。
目の前、白無垢の侍が立ちはだかっている。いや、白無垢というより、陽の光を浴びてまるで白銀のようになっている。
細身で長身、髪は総髪で、長く伸びた髪をうしろで結いて束ねている。顔には傷ひとつなく、髭もちゃんと剃られており清潔で気品がある印象。また、帯には白鞘の刀を差している。
「御神殿を裏切るつもりかな?」
白銀の男はいう。それに対し宗賢はーー
「いえ、そういうワケでは……」
「極楽院にて急襲があったとのことだ。直ちに戻られい」白銀の男は宗賢のうしろに佇む鬼水及び閻魔の遣いに目をやり、ふと笑う。「なるほど、そういうことか」
「いえ、違うんです」宗賢。「決してーー」
「まぁ、いい。結局のところ、もう話は終わりなのだから、な」
白銀の男のことばに、鬼水は眉間を狭めて首を軽く傾げる。そんな反応を見て答えてやるとでもいうように、白銀の男はいうーー
「牛馬だったか。あの男は死んだ。わたしが、殺した」
白銀の男はケタケタと不気味に笑った。
【続く】
普段は火事の時に打ち鳴らされる甲高い鐘の音を聴いた街の人々は、ほぼ一斉に野次馬の如く外へ出てあちこちを見渡すが、どこからも火は上がっておらず、みな首を傾げては呪詛のことばを呟いている。
挙げ句の果てには鐘を打ちならしている役人に対して、うるせぇぞ!と因縁をつける始末。が、役人も上からの命令でそうしているだけであって、止めるワケにもいかない。
地獄ーーまるで地獄のような光景。
極楽といえど、所詮は現世と殆ど変わらない。極楽の住人も結局は自我を持っているし、怠惰さや強欲さ、色欲もちゃんと持っている。尤も、これらを捨て去ったが故に極楽にいるというのなら、それは極楽とはいいがたいが。
怒号響く街中、混乱の最中、顔を隠しながら人の海を掻い潜る一団の姿がある。そう、
鬼水たちの一団だ。
鬼水たちは宗賢の案内により何とか極楽院を抜け出し、極楽の外へと続く出口へ向かっている最中だったのだ。みな笠を被り、顔を隠しながら縮こまったようにして自分の存在を無きもののようにして歩んでいる。
「宗賢さん、これはーー」鬼水。
「酷いモンです。いくら極楽とはいえ、来てみれば現世とあまり変わりはない。それどころか、もっと酷いかもしれない。極楽へ来た自分たちは選ばれた存在だ、と本気で信じ込んでいる節が彼らにはある。そもそも、極楽へ渡る者も現世において普通の農民だった者から商人、武士、役人と様々です。人格の異なる人々がごちゃ混ぜに極楽へと打ち込まれるのです。だから、所詮は何も変わらない」
宗賢は往来で怒号を上げている極楽の住人を見ながらいう。笠に隠れてその目の様子はよく見えなかったとはいえ、そこに侮蔑の意味が込められているであろうことは、誰にでもわかることだったに違いない。
「そうですか……」
「先を急ぎましょう。わたしも極楽へは未練はありませんし、それに久しぶりに父にも会いたいと思っていたところです」
「お父様、ですか?」
「えぇーー兎に角先を急ぎましょう。話は歩きながらでも出来る」
そういって、宗賢は歩き出す。鬼水たち一行は歩き出す宗賢から少し遅れて歩き出す。
「お父様は、どちらにおられるのですか?」
鬼水は宗賢に早歩きで追い付き、訊ねる。宗賢は鬼水のことを見ずに、
「わたしの父は生前は寺の僧をしておりました。そして、死して彼岸にて寺を構えたのです。そう、寺は彼岸に来た人間が最初に目を覚ます場所でもあります。だから父はそこで今でも彼岸へ来た死者を起こしては閻魔様のところへと送っていることでしょうーー何故なら、わたしもそうでしたから」
「もしかして、宗賢さんはお父様にこちらで引き取られた、と?」
宗賢は静かに頷く。
「その通りです。ですが、わたしは生前僧の掟である、彼岸での死者の受け入れには就くことはありませんでした。それよりも生前の生き方が評価されたとのことで、極楽にて中級の役人として勤めることとなったのです」
「そうだったのですかーー」鬼水は息を吐くように密やかにいう。「で、その僧侶であるお父様のお名前は何と?」
「『悩顕』といいます。僧侶ではありますが、どこか俗っぽく、ぶっきらぼうなところがあって。でも、どうにも嫌いになれないというか」
「『悩顕』、様ですか……」鬼水の声が沈む。
「えぇ。確か、閻魔様とも面識がおありのことかと思うのですが、ご存知ないですか?」
鬼水はハッとする。面識がないワケがない。閻魔直々の四天王のひとりである鬼水は、悩顕のことは当たり前に知っている。だがーー
「お父様にーー悩顕様に、お会い出来るといいですね……」
鬼水が寂しげにそういうと、宗賢はどこか気恥ずかしそうに「えぇ」と答える。
だが、鬼水は知っている。悩顕はもはや、この世には存在しないということを。
基本、彼岸に来た魂が死ぬことはない。だが、凶器にて刺されたり、斬られたりといった外傷によっては死ぬことのないはずの魂も死んでしまうのだ。それは極楽、地獄、その他餓鬼道等でも同様である。
そして、彼岸にて死んだ魂は更なる地の底である『大地獄』へと行く。
そこは彼岸にいるモノは如何なる場所かは知らないが、伝えによれば、地獄よりもずっと苦痛に満ちた場所とのことで、一度堕ちたらまず抜け出せない場所とのことだった。
この数日間で大地獄へと送られた魂はたくさんいる。そう、それもすべてーー
牛馬の手によって、だ。
そんな牛馬が手を下した相手の中に悩顕の名前は入っている。牛馬に名前を与え、彼岸に受け入れた僧侶は、牛馬に殺されたことで今頃は大地獄にて果てなき苦痛に苦しんでいることだろう。その男こそが宗賢の父親だというのだ。
「えぇ、本当に」
宗賢は嬉しそうにいう。鬼水はそんな宗賢の顔をまっすぐ見ることは出来ない。
極楽院を出て半時ほどが経った頃、一行は極楽と極楽の門をつなぐ最後の長い長い河川敷へとたどり着く。
美しい川流れ。水のせせらぎは心地よく、水は何処までも澄んでいるーー何とも皮肉な話。
鬼水は笠の下で複雑な感情が交差したような表情を浮かべながら歩いている。
突然、鬼水の笠が折れ、何かが顔にぶつかる。
「どうされたんですか?」
鬼水が語気を強めてそういうと、目の前には宗賢ーーどうやら立ち止まっているらしい。
「何か、あったんですか?」
そう訊ね直した直後、鬼水はすべてを悟る。
目の前、白無垢の侍が立ちはだかっている。いや、白無垢というより、陽の光を浴びてまるで白銀のようになっている。
細身で長身、髪は総髪で、長く伸びた髪をうしろで結いて束ねている。顔には傷ひとつなく、髭もちゃんと剃られており清潔で気品がある印象。また、帯には白鞘の刀を差している。
「御神殿を裏切るつもりかな?」
白銀の男はいう。それに対し宗賢はーー
「いえ、そういうワケでは……」
「極楽院にて急襲があったとのことだ。直ちに戻られい」白銀の男は宗賢のうしろに佇む鬼水及び閻魔の遣いに目をやり、ふと笑う。「なるほど、そういうことか」
「いえ、違うんです」宗賢。「決してーー」
「まぁ、いい。結局のところ、もう話は終わりなのだから、な」
白銀の男のことばに、鬼水は眉間を狭めて首を軽く傾げる。そんな反応を見て答えてやるとでもいうように、白銀の男はいうーー
「牛馬だったか。あの男は死んだ。わたしが、殺した」
白銀の男はケタケタと不気味に笑った。
【続く】