【いろは歌地獄旅~ほくそ笑む男~】
文字数 3,802文字
人を騙すには人を選ばなければならない。
これは至極当たり前の話だ。誰彼構わず人を騙そうとすれば、自分の身が危ないのはいうまでもない。警戒心の強い相手や疑り深い相手を騙そうとするのは骨が折れる。
だからこそ人を騙すなら人を選ぶ必要がある。例えていうなら、お人好しや気の弱いヤツなんかは絶好のカモなのはいうまでもない。
というのも、前者はちょっとしたお願いでも聞きがちで、後者は押せば何とかなりがちだからだ。まぁ、大概は前者と後者、どちらの要素も持っていることが多く、お人好しなのは、裏を返せば気が弱いことに対する防衛機制であることは、改めていうことでもないだろう。
あとは生粋のバカだが、こういうヤツはお人好しであることも多く、どちらにせよ牙城を崩すのは容易なことだ。
さて、今わたしはちょうどいいカモを見つけ、ファミリーレストランの長椅子席にて交渉に入っているところだ。
「いやぁ、そういうワケなんですよぉ……」
わたしがそういうと、男はーー
「そうなんすねぇ。大変そうですなぁ……」
何とも優柔不断そうな口振り。わたしは畳み掛けるようにしていうーー
「そうなんですよぉ! だから、お願いしますよぉ!」
わたしはテーブルの表面に額をつける勢いで頭を下げる。ここまでやれば、お人好しな人間を落とすのはあと一歩だ。げんに上目遣いで覗き込んだ相手の顔は迷いに迷っている。
さて、ではここで、だ。
わたしは頭を上げ、続ける。
「どうしても、ダメですかねぇ……」
「まぁ、何というか……」
「おぉ、武田じゃん。何してんの?」
そういってわたしに声を掛けた男は、一見するとただの友人のように思われるかもしれないが、実は完全な仕込み要員だ。わたしが頭を下げ、頭を上げてから特に何のアプローチもしなかった場合は加勢するように店内の別の席に待機させていたのだ。それと、わたしの名前は武田ではない。完全な偽名だ。
「おぉ、島崎」
当たり前だが、今わたしが話している仕込み仲間の名前も島崎ではない。まぁ、便宜上、島崎とでもしておくとするか。島崎はわたしの向かいに座る男をチラッと見、
「友達? 良かったら、おれも一緒にいい?」
わたしは島崎の申し出を了承する。当たり前だが、普通だったらこんなことはあり得ない。そもそも、自分とはコミュニティの違う相手と一緒にいる友人とメシを同席しようなど、頭が可笑しくない限りはまずしない。
島崎は図々しくも、わたしの向かいに座る男の横に座る。向かいに座る男はこれでシートの奥へと追いやられ、逃げることはできなくなった。あとは相手が音を上げるまでじっくりと話をするだけでいい。
「で、何の話してたの?」島崎はさも事情を知らないようにいう。
「いやぁ、この人にロイヤルセミナーのこと話しててさ」
「え! マジで!?」島崎はとなりに座る男のほうを向き、「良かったじゃないですか! ロイヤルセミナーに誘ってもらえるなんて!」
わたしは思わずほくそ笑む。
何が良いモノか。あんなセミナー、高いだけで何の役にも立ちはしない。わたしは勧誘員だからこそ甘言で人を誘惑するが、あんなバカみたいに高いセミナーに出たところで、下らない人生が薔薇色に変わるワケがない。
ただ、わたしたちは灰色の人生を高額な料金と引き換えに薔薇色になったように錯覚させるだけだ。まぁ、信ずる者は救われるというし、それも強ち間違いではないのかもしれない。
「はぁ、そうなんすねぇ……」
男は困惑しつつも愛想笑いをしている。島崎はここぞとばかりに畳み掛ける。
「そうなんですよぉ! ロイヤルセミナーに通えば、幸せになれること間違いなし! 開運グッズに役立つ教本、あなた、ラッキーですよ」
「そうなんすねぇ……」男は尚も困惑した笑みを浮かべ、「でも、幸せの形なんて、人それぞれな気がするんよなぁ……」
そう男がいうと、島崎は尚も男を説得するが、男はそれをのらりくらりとかわす。
違和感。わたしは男を観察する。男の話術、それはこちらが主導権を握っているようで、その実、勢いは殺されて気づけば、男の手のひらの上で転がされてしまう。
そして、わたしはハッとする。瞬間的ではあるが、男が島崎に鋭い表情で鋭く一瞥したのだ。そして、口許には微かな笑み。だが、目許は一切笑っていない。
マズイ。この男、思った以上に面倒な相手だ。一見するとお人好しのようだが、その性質は気弱なところから来ておらず、むしろーー、
それは完全なる人間不信から来ている。
いるのだ、たまに。人をまったく信じていないにも関わらず、お人好しなヤツが。理由は簡単、お人好しのほうが人間関係における摩擦が少なくなるからだ。
しくじった……。そうなると話は平行線。男はいつまで経っても首を縦に振ろうとしない。
それから、人を増やし、セミナーのセクシーな女勧誘員である岡本を男の横に座らせ、性による誘惑をしてやったが、男は尚も困惑しつつ笑みを浮かべるばかり。
「あたしぃ……、お兄さんみたいな人、タイプなんだけどなぁ……」
岡本のことばは半分ウソっぽく、半分ほんとのようだった。いつもなら、完全なるウソでしかないのだが、この男、わたしが今まで見た男の中でもトップクラスに顔がいい。まるで俳優でもやっているかのようだ。……俳優?
「そういえば、フリーターをされているといっていましたね」わたしが男に確認すると、男は頭を縦に振る。「もしかして、俳優か何かを目指されてますか?」
男ははにかみながら、
「別に目指してはないんよ。ただ、趣味でやってるってだけで」
やはりそうか。しかし、そうなるとわからなくなってくる。もしかしたら、男は優柔不断な振りをしてわたしたちをバカにしているのかもしれない。そう考え出すと止まらなくなる。
「えぇー! やっぱりぃ! 通りでカッコイイなぁと思ったんだぁ!」岡本はそういって男の身体を触る。「身体もすごく鍛えられてるし、何かやってるんですかぁ!?」
「いえ、運動は苦手なもんで」
ウソだ。顔の精悍さとシャツの上からでもわかるほど部分的に盛り上がりつつ全体的に引き締まった肉体は、まず間違いなく良く鍛えられたモノだ。筋トレによるモノかもしれないが。
「筋トレとかされてるんですか?」わたしは試しに訊ねてみる。
「いえ、筋トレもスポーツもまったく」
絶対ウソである。だとしたら、バイト先が肉体労働か、だが、それはーーいや、そのバイト先の情報すら男はーー
待て!
何故、わたしが疑念を抱いているのだ!
本当ならわたしがこの男をハメようとしていたのに、今ではわたしが疑念という深く掘られた落とし穴に身を落としている。
わたしはすべてを悟る。
「……わかりました」わたしは声のトーンを落としていう。「あなたはロイヤルセミナーには興味ない、とそういうことですね」
岡本と島崎がハッとする。だが、男ははにかんだ笑顔から、困惑したように表情になりーー
「いや、そうはいってませんよ」
「ならハッキリして下さい。体験でもいいからセミナーに参加するかしないか」
「なら、しません」
突然、男の様子が豹変する。さっきまで曖昧だった口調が急にハキハキしだし、表情も無になる。島崎と岡本は明らかに困惑している。
「……そうですか。わかりました」
わたしが諦感に満ちた調子でいうと、男は懐から財布を取り出し、一万円を抜き出してテーブルに叩きつけるようにして置く。
「釣りはいらん。アンタらで勝手に処理してくれ。おれも暇じゃないんよ」男はそういって勢いよく立ち上がる。「……どけ」
男の凄みに岡本と島崎は土砂崩れを起こすように席から退き、前を開ける。男は席から退くと笑顔を浮かべてこちらを向く。
「いやぁ、楽しかったです。ご馳走さま」
そういって、男はそこから消える。周りの客や店員は以上には気づいていない。俳優は自分の存在感をフルに飛ばすこともできれば、それを無にすることも出来る。
考えてみたら名前の時点で変だと思ったのだ。確かにハーフのような顔立ちではあったが、その名前を「ジャック天野」といった時点で気づくべきだった。
ジャック天野ーーそれは即ち、「天の邪鬼」ということだ。
「あ……! これ……!」
岡本が、男が置いていった一万円札を手に取る。
「どうした?」
わたしが訊ねると、岡本は札をわたしに見せる。それでわかった。
その一万円は偽札にもならないようなオモチャの金だったのだ。
島崎が声を上げる。周りの客が一斉にこちらを見る。オロオロとする島崎と岡本。だが、わたしはそれどころではない。
やられた……。結局代金は全額こっち持ち。可笑しいと思ったのだ。札を置いていきながら、何故ヤツはわたしらに向かって「ご馳走さま」といったのか。つまり、始めからこういうことだったのだ。
上には上がいる。
ヤツは騙される振りをして騙そうとするわたしたちを腹の底でほくそ笑んでいたのだ。
そして、わたしは気づくーー札の端っこにボールペンの濃い筆跡で何か書いてある。わたしは目を凝らしてそれを見るーー
「残念でした。金が欲しけりゃ真面目に働きなーー山田和雅」
山田和雅ーーそれがあの男の名前だろうか。例え違ったとしても、わたしは生涯この名前を忘れないだろう。
この世には人の皮を被った悪魔がいるとーー
これは至極当たり前の話だ。誰彼構わず人を騙そうとすれば、自分の身が危ないのはいうまでもない。警戒心の強い相手や疑り深い相手を騙そうとするのは骨が折れる。
だからこそ人を騙すなら人を選ぶ必要がある。例えていうなら、お人好しや気の弱いヤツなんかは絶好のカモなのはいうまでもない。
というのも、前者はちょっとしたお願いでも聞きがちで、後者は押せば何とかなりがちだからだ。まぁ、大概は前者と後者、どちらの要素も持っていることが多く、お人好しなのは、裏を返せば気が弱いことに対する防衛機制であることは、改めていうことでもないだろう。
あとは生粋のバカだが、こういうヤツはお人好しであることも多く、どちらにせよ牙城を崩すのは容易なことだ。
さて、今わたしはちょうどいいカモを見つけ、ファミリーレストランの長椅子席にて交渉に入っているところだ。
「いやぁ、そういうワケなんですよぉ……」
わたしがそういうと、男はーー
「そうなんすねぇ。大変そうですなぁ……」
何とも優柔不断そうな口振り。わたしは畳み掛けるようにしていうーー
「そうなんですよぉ! だから、お願いしますよぉ!」
わたしはテーブルの表面に額をつける勢いで頭を下げる。ここまでやれば、お人好しな人間を落とすのはあと一歩だ。げんに上目遣いで覗き込んだ相手の顔は迷いに迷っている。
さて、ではここで、だ。
わたしは頭を上げ、続ける。
「どうしても、ダメですかねぇ……」
「まぁ、何というか……」
「おぉ、武田じゃん。何してんの?」
そういってわたしに声を掛けた男は、一見するとただの友人のように思われるかもしれないが、実は完全な仕込み要員だ。わたしが頭を下げ、頭を上げてから特に何のアプローチもしなかった場合は加勢するように店内の別の席に待機させていたのだ。それと、わたしの名前は武田ではない。完全な偽名だ。
「おぉ、島崎」
当たり前だが、今わたしが話している仕込み仲間の名前も島崎ではない。まぁ、便宜上、島崎とでもしておくとするか。島崎はわたしの向かいに座る男をチラッと見、
「友達? 良かったら、おれも一緒にいい?」
わたしは島崎の申し出を了承する。当たり前だが、普通だったらこんなことはあり得ない。そもそも、自分とはコミュニティの違う相手と一緒にいる友人とメシを同席しようなど、頭が可笑しくない限りはまずしない。
島崎は図々しくも、わたしの向かいに座る男の横に座る。向かいに座る男はこれでシートの奥へと追いやられ、逃げることはできなくなった。あとは相手が音を上げるまでじっくりと話をするだけでいい。
「で、何の話してたの?」島崎はさも事情を知らないようにいう。
「いやぁ、この人にロイヤルセミナーのこと話しててさ」
「え! マジで!?」島崎はとなりに座る男のほうを向き、「良かったじゃないですか! ロイヤルセミナーに誘ってもらえるなんて!」
わたしは思わずほくそ笑む。
何が良いモノか。あんなセミナー、高いだけで何の役にも立ちはしない。わたしは勧誘員だからこそ甘言で人を誘惑するが、あんなバカみたいに高いセミナーに出たところで、下らない人生が薔薇色に変わるワケがない。
ただ、わたしたちは灰色の人生を高額な料金と引き換えに薔薇色になったように錯覚させるだけだ。まぁ、信ずる者は救われるというし、それも強ち間違いではないのかもしれない。
「はぁ、そうなんすねぇ……」
男は困惑しつつも愛想笑いをしている。島崎はここぞとばかりに畳み掛ける。
「そうなんですよぉ! ロイヤルセミナーに通えば、幸せになれること間違いなし! 開運グッズに役立つ教本、あなた、ラッキーですよ」
「そうなんすねぇ……」男は尚も困惑した笑みを浮かべ、「でも、幸せの形なんて、人それぞれな気がするんよなぁ……」
そう男がいうと、島崎は尚も男を説得するが、男はそれをのらりくらりとかわす。
違和感。わたしは男を観察する。男の話術、それはこちらが主導権を握っているようで、その実、勢いは殺されて気づけば、男の手のひらの上で転がされてしまう。
そして、わたしはハッとする。瞬間的ではあるが、男が島崎に鋭い表情で鋭く一瞥したのだ。そして、口許には微かな笑み。だが、目許は一切笑っていない。
マズイ。この男、思った以上に面倒な相手だ。一見するとお人好しのようだが、その性質は気弱なところから来ておらず、むしろーー、
それは完全なる人間不信から来ている。
いるのだ、たまに。人をまったく信じていないにも関わらず、お人好しなヤツが。理由は簡単、お人好しのほうが人間関係における摩擦が少なくなるからだ。
しくじった……。そうなると話は平行線。男はいつまで経っても首を縦に振ろうとしない。
それから、人を増やし、セミナーのセクシーな女勧誘員である岡本を男の横に座らせ、性による誘惑をしてやったが、男は尚も困惑しつつ笑みを浮かべるばかり。
「あたしぃ……、お兄さんみたいな人、タイプなんだけどなぁ……」
岡本のことばは半分ウソっぽく、半分ほんとのようだった。いつもなら、完全なるウソでしかないのだが、この男、わたしが今まで見た男の中でもトップクラスに顔がいい。まるで俳優でもやっているかのようだ。……俳優?
「そういえば、フリーターをされているといっていましたね」わたしが男に確認すると、男は頭を縦に振る。「もしかして、俳優か何かを目指されてますか?」
男ははにかみながら、
「別に目指してはないんよ。ただ、趣味でやってるってだけで」
やはりそうか。しかし、そうなるとわからなくなってくる。もしかしたら、男は優柔不断な振りをしてわたしたちをバカにしているのかもしれない。そう考え出すと止まらなくなる。
「えぇー! やっぱりぃ! 通りでカッコイイなぁと思ったんだぁ!」岡本はそういって男の身体を触る。「身体もすごく鍛えられてるし、何かやってるんですかぁ!?」
「いえ、運動は苦手なもんで」
ウソだ。顔の精悍さとシャツの上からでもわかるほど部分的に盛り上がりつつ全体的に引き締まった肉体は、まず間違いなく良く鍛えられたモノだ。筋トレによるモノかもしれないが。
「筋トレとかされてるんですか?」わたしは試しに訊ねてみる。
「いえ、筋トレもスポーツもまったく」
絶対ウソである。だとしたら、バイト先が肉体労働か、だが、それはーーいや、そのバイト先の情報すら男はーー
待て!
何故、わたしが疑念を抱いているのだ!
本当ならわたしがこの男をハメようとしていたのに、今ではわたしが疑念という深く掘られた落とし穴に身を落としている。
わたしはすべてを悟る。
「……わかりました」わたしは声のトーンを落としていう。「あなたはロイヤルセミナーには興味ない、とそういうことですね」
岡本と島崎がハッとする。だが、男ははにかんだ笑顔から、困惑したように表情になりーー
「いや、そうはいってませんよ」
「ならハッキリして下さい。体験でもいいからセミナーに参加するかしないか」
「なら、しません」
突然、男の様子が豹変する。さっきまで曖昧だった口調が急にハキハキしだし、表情も無になる。島崎と岡本は明らかに困惑している。
「……そうですか。わかりました」
わたしが諦感に満ちた調子でいうと、男は懐から財布を取り出し、一万円を抜き出してテーブルに叩きつけるようにして置く。
「釣りはいらん。アンタらで勝手に処理してくれ。おれも暇じゃないんよ」男はそういって勢いよく立ち上がる。「……どけ」
男の凄みに岡本と島崎は土砂崩れを起こすように席から退き、前を開ける。男は席から退くと笑顔を浮かべてこちらを向く。
「いやぁ、楽しかったです。ご馳走さま」
そういって、男はそこから消える。周りの客や店員は以上には気づいていない。俳優は自分の存在感をフルに飛ばすこともできれば、それを無にすることも出来る。
考えてみたら名前の時点で変だと思ったのだ。確かにハーフのような顔立ちではあったが、その名前を「ジャック天野」といった時点で気づくべきだった。
ジャック天野ーーそれは即ち、「天の邪鬼」ということだ。
「あ……! これ……!」
岡本が、男が置いていった一万円札を手に取る。
「どうした?」
わたしが訊ねると、岡本は札をわたしに見せる。それでわかった。
その一万円は偽札にもならないようなオモチャの金だったのだ。
島崎が声を上げる。周りの客が一斉にこちらを見る。オロオロとする島崎と岡本。だが、わたしはそれどころではない。
やられた……。結局代金は全額こっち持ち。可笑しいと思ったのだ。札を置いていきながら、何故ヤツはわたしらに向かって「ご馳走さま」といったのか。つまり、始めからこういうことだったのだ。
上には上がいる。
ヤツは騙される振りをして騙そうとするわたしたちを腹の底でほくそ笑んでいたのだ。
そして、わたしは気づくーー札の端っこにボールペンの濃い筆跡で何か書いてある。わたしは目を凝らしてそれを見るーー
「残念でした。金が欲しけりゃ真面目に働きなーー山田和雅」
山田和雅ーーそれがあの男の名前だろうか。例え違ったとしても、わたしは生涯この名前を忘れないだろう。
この世には人の皮を被った悪魔がいるとーー