【藪医者放浪記~弐拾弐~】
文字数 2,178文字
緊張が走る。
目が丸くなる。丸くなった目は今にもまぶたから零れ落ちてしまいそうだ。吐息が漏れ、汗がこめかみから零れ落ちる。アゴが外れそうになる。とんでもない衝撃。頭のうしろをガツンとぶん殴られたようだ。
「おめぇ……、しゃべれるじゃねぇか……」茂作は声を震わせながらいう。
差した人差し指はお咲の君のほうへと向いている。しゃべれないと思われていたお咲の君がしゃべった。そんなバカなはずがない。医者に頼むほどだったはずなのに、こんなにも……。
「もしかして!」茂作は声を上げる。「あ、あぁ! おめぇ、治ったのか!」
これに対してお咲は茂作から目を逸らし、何事もなかったかのようにちょこんと座っている。だが、その目の動きと表情の硬さはいわずもがなで、何を意味しているかは明らかだった。
「あぁ! 良かった! これで何とかなるぞ!」立ち上がり外のほうを向く茂作。「松平さん! 娘さんが……」
が、その口は突然に閉じられる。その口を閉じたのは、小さな手ーーお咲の手だ。
「何を……ッ!」モゴモゴと茂作がいう。
「いいから黙れよ」
女の声。間違いなくささやくような女の声だった。そして、今そこにいるのは茂作とお咲のふたりだけだった。
「おめぇ、やっぱり……ッ!」
茂作のことばに続いて、ため息が部屋中に響いたかと思うと、茂作のいいたいことを補うように、ことばは継がれる。
「……頼むから、デカい声出すなよ」
それは紛れもないお咲のことばだった。そのタヌキのようなかわいらしい顔とは対照的なゴツゴツとした声だった。
「……声、出さないか?」茂作はうんうんと首を縦に振る。「出したら、今アンタがしようとしたこと、父上に話すからな」
茂作の目がギョッと開かれる。今しようとしたこと。いうまでもなく茂作がお咲の胸を触ろうとした一件のことだ。もしそんなことを話されでもしたら、茂作は……。仮に松平天馬が許してくれたとしても、あの苛烈な中年侍が許してはくれないだろう。つまり、お咲にこの一件を話された時点で、すべては終わる。
「どうなんだよ?」
お咲が訊ねると、茂作はうんうんと唸りながら首を縦に振る。その目には必死さが宿っている。死にたくないから絶対しゃべらないという声が聴こえて来るようだ。
そんな茂作の様子を見て取ったお咲は、勢い良く茂作の口から手を外す。荒く呼吸する茂作。突然、茂作の首もとに鋭い切っ先が向けられる。小刀が向けられている。それを持っているのは、鋭い目をしたお咲。茂作は恐怖が溢れ出さんばかりに、ふふっと笑みを漏らす。
「何のマネだよ……」
「アンタみたいのを信用出来ると思う? どうせ、口約束だけしてワラワを売るつもりだったんだろ? わかってんだよ」
「売るって……、おめぇいってたじゃねぇか。しゃべったら殿様とあの可笑しな中年侍にこのことを話すって。なら、おれだって話せやしねぇだろ……?」
「だとしても、念には念を入れてだよ」
「そんなに庶民が信用出来ねぇか!?」
「信用出来ないのは庶民じゃなくてアンタだよ。アンタ、医者じゃないだろ?」
完全な図星だった。キョトンとする茂作、そうかと思うとより大きな笑みを浮かべて視線を左右に振りながらいう。
「な、何をいい出すかと思えば……」
「だったら、何でワラワのこれが病じゃないってすぐに断言出来なかったんだよ?」
「え……?」動揺は走る。「そ、そりゃ、どんなことがあってもそんな簡単にアレがコレだなんていいきれるモンじゃないだろ?」
「何いってんだよ」
お咲のいう通り、茂作が何をいってるのかはまったくもって意味不明だった。もはや完全にボロが出ている。いや、はじめからか。
「あ、いや、ほら、もしアレだったらマズイだろ? だから……」
「アレって何だよ?」
「え……?」瞬間的に考えは笑みといいワケに変わる。「アレは、アレ、だよ……」
まったくもって答えになっていないのは誰が見ても火を見るより明らかだった。それを代弁するかのようにお咲はいう。
「アンタ、医学のこと何もわかってないな?」
お咲の握る小刀の切っ先が茂作の顔に近づいていく。鋭い切っ先に、茂作の視線は吸い込まれて行く。
「いや、そんなことは……」
「何なら、ワラワが終わらせてもいいんだぞ」
その声には暖かさもなければ感情もなかった。完全な人殺しの声。茂作は仰け反り、口許だけでなく全身を震わせる。
「す、すまねぇ! お、おれは、医者なんかじゃねぇんだ! だから、助けてくれぇ!」
ニヤリと笑うお咲。
「なるほど。やっぱりそうか。でも、どうして医者の真似事なんかしてるんだよ。もしかして、この屋敷の財に興味があるのか?」
茂作は黙り込む。だが、お咲の握る小刀の切っ先が更に顔に近づくと、
「財は……! まぁ、興味はある。でも、本当はそれがキッカケじゃねぇんだ」
茂作はすべてを話す。犬吉という大男に大藪順庵と間違われてここまで連れてこられたこと。自分の名前が茂作であること。犬吉に間違われたのは、お涼のウソが原因であること。
「なるほどな。それはひでえな」
「だろ? だから……」
「黙ってろ、ってか」
茂作は頷く。
「なら、ワラワのことも黙ってろいいな?」
「それはいいんだけど、おめぇ、何でしゃべれねぇフリなんかしてんだ?」
【続く】
目が丸くなる。丸くなった目は今にもまぶたから零れ落ちてしまいそうだ。吐息が漏れ、汗がこめかみから零れ落ちる。アゴが外れそうになる。とんでもない衝撃。頭のうしろをガツンとぶん殴られたようだ。
「おめぇ……、しゃべれるじゃねぇか……」茂作は声を震わせながらいう。
差した人差し指はお咲の君のほうへと向いている。しゃべれないと思われていたお咲の君がしゃべった。そんなバカなはずがない。医者に頼むほどだったはずなのに、こんなにも……。
「もしかして!」茂作は声を上げる。「あ、あぁ! おめぇ、治ったのか!」
これに対してお咲は茂作から目を逸らし、何事もなかったかのようにちょこんと座っている。だが、その目の動きと表情の硬さはいわずもがなで、何を意味しているかは明らかだった。
「あぁ! 良かった! これで何とかなるぞ!」立ち上がり外のほうを向く茂作。「松平さん! 娘さんが……」
が、その口は突然に閉じられる。その口を閉じたのは、小さな手ーーお咲の手だ。
「何を……ッ!」モゴモゴと茂作がいう。
「いいから黙れよ」
女の声。間違いなくささやくような女の声だった。そして、今そこにいるのは茂作とお咲のふたりだけだった。
「おめぇ、やっぱり……ッ!」
茂作のことばに続いて、ため息が部屋中に響いたかと思うと、茂作のいいたいことを補うように、ことばは継がれる。
「……頼むから、デカい声出すなよ」
それは紛れもないお咲のことばだった。そのタヌキのようなかわいらしい顔とは対照的なゴツゴツとした声だった。
「……声、出さないか?」茂作はうんうんと首を縦に振る。「出したら、今アンタがしようとしたこと、父上に話すからな」
茂作の目がギョッと開かれる。今しようとしたこと。いうまでもなく茂作がお咲の胸を触ろうとした一件のことだ。もしそんなことを話されでもしたら、茂作は……。仮に松平天馬が許してくれたとしても、あの苛烈な中年侍が許してはくれないだろう。つまり、お咲にこの一件を話された時点で、すべては終わる。
「どうなんだよ?」
お咲が訊ねると、茂作はうんうんと唸りながら首を縦に振る。その目には必死さが宿っている。死にたくないから絶対しゃべらないという声が聴こえて来るようだ。
そんな茂作の様子を見て取ったお咲は、勢い良く茂作の口から手を外す。荒く呼吸する茂作。突然、茂作の首もとに鋭い切っ先が向けられる。小刀が向けられている。それを持っているのは、鋭い目をしたお咲。茂作は恐怖が溢れ出さんばかりに、ふふっと笑みを漏らす。
「何のマネだよ……」
「アンタみたいのを信用出来ると思う? どうせ、口約束だけしてワラワを売るつもりだったんだろ? わかってんだよ」
「売るって……、おめぇいってたじゃねぇか。しゃべったら殿様とあの可笑しな中年侍にこのことを話すって。なら、おれだって話せやしねぇだろ……?」
「だとしても、念には念を入れてだよ」
「そんなに庶民が信用出来ねぇか!?」
「信用出来ないのは庶民じゃなくてアンタだよ。アンタ、医者じゃないだろ?」
完全な図星だった。キョトンとする茂作、そうかと思うとより大きな笑みを浮かべて視線を左右に振りながらいう。
「な、何をいい出すかと思えば……」
「だったら、何でワラワのこれが病じゃないってすぐに断言出来なかったんだよ?」
「え……?」動揺は走る。「そ、そりゃ、どんなことがあってもそんな簡単にアレがコレだなんていいきれるモンじゃないだろ?」
「何いってんだよ」
お咲のいう通り、茂作が何をいってるのかはまったくもって意味不明だった。もはや完全にボロが出ている。いや、はじめからか。
「あ、いや、ほら、もしアレだったらマズイだろ? だから……」
「アレって何だよ?」
「え……?」瞬間的に考えは笑みといいワケに変わる。「アレは、アレ、だよ……」
まったくもって答えになっていないのは誰が見ても火を見るより明らかだった。それを代弁するかのようにお咲はいう。
「アンタ、医学のこと何もわかってないな?」
お咲の握る小刀の切っ先が茂作の顔に近づいていく。鋭い切っ先に、茂作の視線は吸い込まれて行く。
「いや、そんなことは……」
「何なら、ワラワが終わらせてもいいんだぞ」
その声には暖かさもなければ感情もなかった。完全な人殺しの声。茂作は仰け反り、口許だけでなく全身を震わせる。
「す、すまねぇ! お、おれは、医者なんかじゃねぇんだ! だから、助けてくれぇ!」
ニヤリと笑うお咲。
「なるほど。やっぱりそうか。でも、どうして医者の真似事なんかしてるんだよ。もしかして、この屋敷の財に興味があるのか?」
茂作は黙り込む。だが、お咲の握る小刀の切っ先が更に顔に近づくと、
「財は……! まぁ、興味はある。でも、本当はそれがキッカケじゃねぇんだ」
茂作はすべてを話す。犬吉という大男に大藪順庵と間違われてここまで連れてこられたこと。自分の名前が茂作であること。犬吉に間違われたのは、お涼のウソが原因であること。
「なるほどな。それはひでえな」
「だろ? だから……」
「黙ってろ、ってか」
茂作は頷く。
「なら、ワラワのことも黙ってろいいな?」
「それはいいんだけど、おめぇ、何でしゃべれねぇフリなんかしてんだ?」
【続く】