【帝王霊~玖~】
文字数 2,628文字
朝の劇場は靄に包まれたように霞んでいる。
いや、この霞みは紛れもない照明の加減によるモノだ。その中に、最後のリハーサルに臨まんとする和雅の姿がある。
芝居の公演は基本的に予定がカツカツになる。仮に役者にフリーの時間が出来たとて、その間にスタッフが舞台装置や制作等、舞台に纏わる様々な仕事で動き回っている。
ネイビーの着物に黒の袴、竹光は淡青色の柄巻が巻かれたモノ。和雅は準備万端で舞台上に立っている。
が、周りの役者の弛緩した空気は場の空気を乱している。私語はあるし、セリフを覚えていないと舞台袖で台本を読んでいる者もいる。
それらを横目に和雅は、舞台に向かうスタッフ陣に気づかれないようにため息をつく。
「オメェら何やってんだよ!」
舞台監督の怒号が響くと、ダラダラやっていた役者たちが慌てて準備に移る。
が、突然のことでポジションは間違えるし、髪も衣服も乱れている。重要な殺陣のシーン、和雅は水が滴るような真剣な表情で竹光を構えるも、他の役者はしたり顔。緊張感は皆無。
演出の指示で殺陣のシーンを再現する。だが、『掛かり』と呼ばれる所謂『斬られ役』の役者たちのダラけた感じがそのまま動きに表れ、ミスはするし、動きにメリハリもない上に何処か危なっかしい。
殺陣師の怒声。一時だけのすいません。和雅は呆れ果てた様子で舞台上を眺める。馬鹿バカしい。まるでそんな声が聴こえて来るよう。
結局、終始弛緩しては無理矢理引き締められ、を繰り返したリハーサルは可もなく不可もなく終了し、本番となった。
本番は案の定といった出来。調子こいていたヤツはセリフをトチり、危うい場面で和雅がセリフのフォローに回る。和雅がフォローに回らねば、まともに成立していなかった。
だが、公演終了後、そのことに触れる者は誰もいない。それどころか、みな芝居を「やりきった」という万感の思いがあるのか、顔を輝かせてオーディエンスたちと談笑している。
舞台が終わった後の客出しの時間。舞台終わりの熱風、狂乱の中でただひとり、和雅は南極の氷山に取り残されたように孤独に、冷たく回りのバカ騒ぎを傍観している。
和雅の元へ声を掛けに来るオーディエンスはいたにはいたが、オーディエンスから掛けられるどんな褒めことばも和雅には右から左。どれも画一的で具体性のない、不良品だらけのディスカウント・ショップで売ってそうな安価で役立たずな褒めことばでしかない。
和雅は見る人が見れば、取り繕った笑顔だとわかってしまうような表情を浮かべている。
つまらない。
そういった思いがありありと覗けるように。
「山田くん」
まともに名前を呼ぶ誰かへと、和雅は顔を向ける。と、そこには高梨はるかの姿。
高梨はるかは和雅の中学時代の同級生だ。学生時代のふたりは特に仲が良かったワケでもなかったが、大人になってからとある事情で再会し、紆余曲折あって仲良くなった。
スレンダーで聡明、そして優しい、それが少し前までのはるかの特徴だったのだが、今となっては、やや肉がついて、優しかった表情には何処か悲哀が宿り、かつ疲れが見えるようになってしまい、一見してかなり老け込んだ見た目となってしまっていた。
「おぉ」和雅は小さく会釈する。「来てくれたんやね」
「うん。スゴイかったね。昔から他の人とは雰囲気が違ったけど、やっぱり全然違った」
「マジか、ありがとう」和雅は照れ臭そうに笑って見せる。「……あれから、どうよ?」
「うん……」はるかの表情がカーテンで遮られたように暗くなる。「何の連絡もない……」
「そうか……」
「山田くんは……?」はるかの問いに対し、和雅は首を横にふる。「そう……」
「今回も誘ってみたんだけど、やっぱり音沙汰なし。ほんと、どうしちまったのかな……」
「あの、さ、山田くん」はるかは切り出しにくそうに口を開く。「実はひとついっておかなきゃならないことがあるんだ……」
張り積めた空気を察知したのか、和雅の表情にも真剣味が宿る。
「……どうした?」
「あのね、実は……」
はるかは静かにことを伝える。和雅はそれを聴いて何処か寂しそうな表情を浮かべて、
「そうか……。じゃあ、早い内に何とかしなきゃならないよな」
「え、でも……」
「心配すんなよ。そうとあれば、何とかしなきゃ終わるに終われねえべ。だから、何とかしなくちゃよ……」
何とかしなくちゃ。そう和雅は何度も繰り返す。まるで、自分自身にいい聴かせるように。
それからはるかは和雅と幾分かの会話を交わして劇場を後にした。
公演が終わるとバラシ、片付けの時間である。和雅は劇場内の解体された大道具や音響機材等を搬出し、楽屋の荷物を片付ける。
すべての片付けが終わったのは二時間後のことだ。本番を終え、ホール内に和雅を含むお手透きの役者とスタッフたちが時間を潰していた。終わりの挨拶とその後のスケジュールについての確認が終わるとそのまま解散となる。
和雅は公演が終わると、そのまま駅へ直行し、電車に乗った。共演者やスタッフに打ち上げに誘われはしたが、ストレートに断り、直帰することを選んだのだ。
電車に揺られて三十分ちょい。和雅は根城である外夢市へと到着する。駅の東口から出て、そのまま行きつけのバー『M-29』へ向かい、マスターのケイと共に軽く酒を飲んで一時間、和雅はM-29を後にする。
それから近くのコンビニで缶ビールとポテトチップを買うと、歩いて『外夢運動公園』へ。
『外夢運動公園』は外夢市のやや外れにある運動公園で、数年前に謎のホームレス殺害事件が起こり、一時話題となった場所だった。
和雅は公園に入るとベンチにひとり腰掛ける。夜の外夢運動公園には人影はなく、ランニングコースに街灯がある以外は闇が深く、何処までも暗い。
和雅はコンビニのレジ袋からビールとポテトチップを取り出すと、封を開け、ひとりで空気の音を聴きながら呆然と酒と菓子を呷る。
「山田、和雅さん、だよね?」和雅を呼ぶ声。
和雅が視線を向けると、そこにはホームレスらしき男が不気味な笑みを浮かべている。
「そうだけど、何か?」和雅の目に、表情に警戒の色が浮かぶ。
ホームレスは怪しく笑いながら、
「ちょっと、貸して欲しくてね」
ホームレスの曖昧なひとことに和雅は眉間にシワを寄せる。
「……何を」
ホームレスから禍々しいオーラが吹き出す。
和雅は顔をひきつらせ、ベンチの背に、自分の身体を預ける。瞳が、揺れる。
【続く】
いや、この霞みは紛れもない照明の加減によるモノだ。その中に、最後のリハーサルに臨まんとする和雅の姿がある。
芝居の公演は基本的に予定がカツカツになる。仮に役者にフリーの時間が出来たとて、その間にスタッフが舞台装置や制作等、舞台に纏わる様々な仕事で動き回っている。
ネイビーの着物に黒の袴、竹光は淡青色の柄巻が巻かれたモノ。和雅は準備万端で舞台上に立っている。
が、周りの役者の弛緩した空気は場の空気を乱している。私語はあるし、セリフを覚えていないと舞台袖で台本を読んでいる者もいる。
それらを横目に和雅は、舞台に向かうスタッフ陣に気づかれないようにため息をつく。
「オメェら何やってんだよ!」
舞台監督の怒号が響くと、ダラダラやっていた役者たちが慌てて準備に移る。
が、突然のことでポジションは間違えるし、髪も衣服も乱れている。重要な殺陣のシーン、和雅は水が滴るような真剣な表情で竹光を構えるも、他の役者はしたり顔。緊張感は皆無。
演出の指示で殺陣のシーンを再現する。だが、『掛かり』と呼ばれる所謂『斬られ役』の役者たちのダラけた感じがそのまま動きに表れ、ミスはするし、動きにメリハリもない上に何処か危なっかしい。
殺陣師の怒声。一時だけのすいません。和雅は呆れ果てた様子で舞台上を眺める。馬鹿バカしい。まるでそんな声が聴こえて来るよう。
結局、終始弛緩しては無理矢理引き締められ、を繰り返したリハーサルは可もなく不可もなく終了し、本番となった。
本番は案の定といった出来。調子こいていたヤツはセリフをトチり、危うい場面で和雅がセリフのフォローに回る。和雅がフォローに回らねば、まともに成立していなかった。
だが、公演終了後、そのことに触れる者は誰もいない。それどころか、みな芝居を「やりきった」という万感の思いがあるのか、顔を輝かせてオーディエンスたちと談笑している。
舞台が終わった後の客出しの時間。舞台終わりの熱風、狂乱の中でただひとり、和雅は南極の氷山に取り残されたように孤独に、冷たく回りのバカ騒ぎを傍観している。
和雅の元へ声を掛けに来るオーディエンスはいたにはいたが、オーディエンスから掛けられるどんな褒めことばも和雅には右から左。どれも画一的で具体性のない、不良品だらけのディスカウント・ショップで売ってそうな安価で役立たずな褒めことばでしかない。
和雅は見る人が見れば、取り繕った笑顔だとわかってしまうような表情を浮かべている。
つまらない。
そういった思いがありありと覗けるように。
「山田くん」
まともに名前を呼ぶ誰かへと、和雅は顔を向ける。と、そこには高梨はるかの姿。
高梨はるかは和雅の中学時代の同級生だ。学生時代のふたりは特に仲が良かったワケでもなかったが、大人になってからとある事情で再会し、紆余曲折あって仲良くなった。
スレンダーで聡明、そして優しい、それが少し前までのはるかの特徴だったのだが、今となっては、やや肉がついて、優しかった表情には何処か悲哀が宿り、かつ疲れが見えるようになってしまい、一見してかなり老け込んだ見た目となってしまっていた。
「おぉ」和雅は小さく会釈する。「来てくれたんやね」
「うん。スゴイかったね。昔から他の人とは雰囲気が違ったけど、やっぱり全然違った」
「マジか、ありがとう」和雅は照れ臭そうに笑って見せる。「……あれから、どうよ?」
「うん……」はるかの表情がカーテンで遮られたように暗くなる。「何の連絡もない……」
「そうか……」
「山田くんは……?」はるかの問いに対し、和雅は首を横にふる。「そう……」
「今回も誘ってみたんだけど、やっぱり音沙汰なし。ほんと、どうしちまったのかな……」
「あの、さ、山田くん」はるかは切り出しにくそうに口を開く。「実はひとついっておかなきゃならないことがあるんだ……」
張り積めた空気を察知したのか、和雅の表情にも真剣味が宿る。
「……どうした?」
「あのね、実は……」
はるかは静かにことを伝える。和雅はそれを聴いて何処か寂しそうな表情を浮かべて、
「そうか……。じゃあ、早い内に何とかしなきゃならないよな」
「え、でも……」
「心配すんなよ。そうとあれば、何とかしなきゃ終わるに終われねえべ。だから、何とかしなくちゃよ……」
何とかしなくちゃ。そう和雅は何度も繰り返す。まるで、自分自身にいい聴かせるように。
それからはるかは和雅と幾分かの会話を交わして劇場を後にした。
公演が終わるとバラシ、片付けの時間である。和雅は劇場内の解体された大道具や音響機材等を搬出し、楽屋の荷物を片付ける。
すべての片付けが終わったのは二時間後のことだ。本番を終え、ホール内に和雅を含むお手透きの役者とスタッフたちが時間を潰していた。終わりの挨拶とその後のスケジュールについての確認が終わるとそのまま解散となる。
和雅は公演が終わると、そのまま駅へ直行し、電車に乗った。共演者やスタッフに打ち上げに誘われはしたが、ストレートに断り、直帰することを選んだのだ。
電車に揺られて三十分ちょい。和雅は根城である外夢市へと到着する。駅の東口から出て、そのまま行きつけのバー『M-29』へ向かい、マスターのケイと共に軽く酒を飲んで一時間、和雅はM-29を後にする。
それから近くのコンビニで缶ビールとポテトチップを買うと、歩いて『外夢運動公園』へ。
『外夢運動公園』は外夢市のやや外れにある運動公園で、数年前に謎のホームレス殺害事件が起こり、一時話題となった場所だった。
和雅は公園に入るとベンチにひとり腰掛ける。夜の外夢運動公園には人影はなく、ランニングコースに街灯がある以外は闇が深く、何処までも暗い。
和雅はコンビニのレジ袋からビールとポテトチップを取り出すと、封を開け、ひとりで空気の音を聴きながら呆然と酒と菓子を呷る。
「山田、和雅さん、だよね?」和雅を呼ぶ声。
和雅が視線を向けると、そこにはホームレスらしき男が不気味な笑みを浮かべている。
「そうだけど、何か?」和雅の目に、表情に警戒の色が浮かぶ。
ホームレスは怪しく笑いながら、
「ちょっと、貸して欲しくてね」
ホームレスの曖昧なひとことに和雅は眉間にシワを寄せる。
「……何を」
ホームレスから禍々しいオーラが吹き出す。
和雅は顔をひきつらせ、ベンチの背に、自分の身体を預ける。瞳が、揺れる。
【続く】