【明日、白夜になる前に~四拾捌~】
文字数 2,143文字
頬が弾け飛ぶような衝撃。
ぼくはその痛みをこころから受け止める。一瞬の鋭い痛みはすぐに熱となり、その熱もすぐに冷め熱気を失っていくと同時に、ぼくも冷静さを取り戻して行く。
「あぁー、痛い……」ぼくは温泉に浸かったオジサンのようにいうーーまぁ、オジサンだけど。「気は済んだ?」
思わずそういってしまったが、自分がいうべきセリフではないといってから後悔する。これでは反省の色がまったくないのだけど、頭が吹き飛ばされそうなほどのビンタを喰らったのだから、そうもいいたくなるモノだ。
桃井さんは笑いを抑えている。ぼくの反応が面白かったのか、思った以上に強く叩いてしまったからなのか、理由はわからない。
「斎藤さんはそれをいっていい立場にないですよ」ぼくはしまったと思ったが、桃井さんは笑うのを必死に堪えるばかり。「まぁ、でもほんの少しだけスッキリした……」
「ほんの少しだけかよ」
「だから、まだまだ付き合って貰いますよ」
そういって桃井さんは颯爽と駆け出す。ぼくは叩かれた頬を撫でる。痛いけど、気持ちがスーッとする。同時に、これまでどれほど頭に血が昇っていたかを教えられた気がした。
「本人がそういってんだからねぇ。付き合ってあげなよ。それが罪滅ぼしになるんならさ」
あの時来た里村さんのメッセージにはそう書いてあった。
桃井さんを含む宗方さん、小林さんと四人で退勤後に食事に出た翌日のこと。朝起きた時点で桃井さんから届いていたメッセージには、こう書かれていた。
「昨日はありがとうございました。でも、わたしはまだ納得しきれていないというか……。だから、その、今度の休みにふたりで何処かへ連れて行って貰えませんか?」
まったくもって驚いた。納得しきれていないということは、まだ許せていないということだ。だが、その対価として桃井さんは、ぼくに何処かへ連れて行くように要求して来た。これって一体どういう……、というより、どうしたらいいのか、とぼくは困惑するしかなかった。
そこで里村さんにどうしようかとメッセージを送ったところ、さっきのように返って来たワケだ。
ぼくは、連れていくなら何処へ?と拗ねた子供がするような質問をしてしまった。里村さんからのメッセージは鬼のように早かった。
「そのくらい自分で決めなさい。そのくらい、中学生だってやってるよ」
まったく、耳に痛いことをいう。確かにそのくらいは中学生だって自発的に決められるだろう。でも、だからといってぼくに可能かといえば、それも怪しい。何より、人間には得意、不得意があるし、ぼくにもそれがないわけじゃない。まぁ、不得意のほうが圧倒的に多く、得意なモノなどほぼないけど。
それからどうするべきか考えた。あまり返信を待たせるのは悪いとわかっていた。そもそも、向こうだって覚悟を決めてそういって来たに違いないのだから。
だが、返信はすぐには出来ず、そのまま仕事に行くことに。
その日の仕事は気が気ではなかった。やたらと周りの目が気になるし、桃井さんがメッセージの遅さに辟易して乗り込んで来るのではないか、と戦々恐々とした。
仕事中もやたらと視線が飛ぶ。小林さんに宗方さん。ふたりはこのことを知っているのだろうか。いや、知っているはずがない。話す理由もないだろう。現に、ふたりとも何もないように自分の仕事をしているではないか。
多分、穴の中から広い空を眺めているのはぼくだけなのだろう。だが、一度疑うと、というより、自分にとってそうでないで欲しいと思うことが出来ると、その不安は無限に大きくなっていく。お陰で全然仕事に集中出来なかった。
昼休みになって、小林さんに昼飯に行こうといわれたけれど、ぼくは思わずドキッとしてしまった。まさか、何か問われるのでは。まぁ、昨日の今日なので、そのことに関して何か訊かれるであろうことは何となく想像はついた。
だが、今は出来ることならそれは避けたい。少なくとも、この一連の流れが終わるまでは。
そんなこともあってか、この日はあらかじめコンビニで弁当を買っておき、小林さんからのお誘いに対しては、
「今ちょっと切りが悪いので、すみません、また次によろしくお願いします」
と答えた。小林さんはそれ以上は特に追及してくることもなく、わかったと納得してオフィスを去って行った。
ぼくはなるべく自然に小林さんと宗方さんがオフィスからいなくなったことを確認すると、カバンからスマホを取り出し、前傾姿勢のまま座った状態で、メッセージを確認した。
里村さんから一件。桃井さんからは来ていない。ぼくは里村さんからのメッセージを開いた。
「で、どうしたの?」
里村さんからのメッセージに対し、ぼくはまだ連絡していないと返信した。と、里村さんからの返信は、テニスのレシーブのように素早く返って来た。ぼくは飛び付くようにメッセージを開いた。
「早く返せ。ケチるなよ?」
暖かみがまったくない文章だった。まさに電気信号の羅列といった感じ。
もうここまで来たら四面楚歌、背水の陣だ。ぼくはこんがらがる頭をフル回転させた。そして、メッセージを送信した。
「今度の日曜日、『紅葉レジャーランド』に一緒に行かないかい?」
と、これが成り行きというワケだ。
【続く】
ぼくはその痛みをこころから受け止める。一瞬の鋭い痛みはすぐに熱となり、その熱もすぐに冷め熱気を失っていくと同時に、ぼくも冷静さを取り戻して行く。
「あぁー、痛い……」ぼくは温泉に浸かったオジサンのようにいうーーまぁ、オジサンだけど。「気は済んだ?」
思わずそういってしまったが、自分がいうべきセリフではないといってから後悔する。これでは反省の色がまったくないのだけど、頭が吹き飛ばされそうなほどのビンタを喰らったのだから、そうもいいたくなるモノだ。
桃井さんは笑いを抑えている。ぼくの反応が面白かったのか、思った以上に強く叩いてしまったからなのか、理由はわからない。
「斎藤さんはそれをいっていい立場にないですよ」ぼくはしまったと思ったが、桃井さんは笑うのを必死に堪えるばかり。「まぁ、でもほんの少しだけスッキリした……」
「ほんの少しだけかよ」
「だから、まだまだ付き合って貰いますよ」
そういって桃井さんは颯爽と駆け出す。ぼくは叩かれた頬を撫でる。痛いけど、気持ちがスーッとする。同時に、これまでどれほど頭に血が昇っていたかを教えられた気がした。
「本人がそういってんだからねぇ。付き合ってあげなよ。それが罪滅ぼしになるんならさ」
あの時来た里村さんのメッセージにはそう書いてあった。
桃井さんを含む宗方さん、小林さんと四人で退勤後に食事に出た翌日のこと。朝起きた時点で桃井さんから届いていたメッセージには、こう書かれていた。
「昨日はありがとうございました。でも、わたしはまだ納得しきれていないというか……。だから、その、今度の休みにふたりで何処かへ連れて行って貰えませんか?」
まったくもって驚いた。納得しきれていないということは、まだ許せていないということだ。だが、その対価として桃井さんは、ぼくに何処かへ連れて行くように要求して来た。これって一体どういう……、というより、どうしたらいいのか、とぼくは困惑するしかなかった。
そこで里村さんにどうしようかとメッセージを送ったところ、さっきのように返って来たワケだ。
ぼくは、連れていくなら何処へ?と拗ねた子供がするような質問をしてしまった。里村さんからのメッセージは鬼のように早かった。
「そのくらい自分で決めなさい。そのくらい、中学生だってやってるよ」
まったく、耳に痛いことをいう。確かにそのくらいは中学生だって自発的に決められるだろう。でも、だからといってぼくに可能かといえば、それも怪しい。何より、人間には得意、不得意があるし、ぼくにもそれがないわけじゃない。まぁ、不得意のほうが圧倒的に多く、得意なモノなどほぼないけど。
それからどうするべきか考えた。あまり返信を待たせるのは悪いとわかっていた。そもそも、向こうだって覚悟を決めてそういって来たに違いないのだから。
だが、返信はすぐには出来ず、そのまま仕事に行くことに。
その日の仕事は気が気ではなかった。やたらと周りの目が気になるし、桃井さんがメッセージの遅さに辟易して乗り込んで来るのではないか、と戦々恐々とした。
仕事中もやたらと視線が飛ぶ。小林さんに宗方さん。ふたりはこのことを知っているのだろうか。いや、知っているはずがない。話す理由もないだろう。現に、ふたりとも何もないように自分の仕事をしているではないか。
多分、穴の中から広い空を眺めているのはぼくだけなのだろう。だが、一度疑うと、というより、自分にとってそうでないで欲しいと思うことが出来ると、その不安は無限に大きくなっていく。お陰で全然仕事に集中出来なかった。
昼休みになって、小林さんに昼飯に行こうといわれたけれど、ぼくは思わずドキッとしてしまった。まさか、何か問われるのでは。まぁ、昨日の今日なので、そのことに関して何か訊かれるであろうことは何となく想像はついた。
だが、今は出来ることならそれは避けたい。少なくとも、この一連の流れが終わるまでは。
そんなこともあってか、この日はあらかじめコンビニで弁当を買っておき、小林さんからのお誘いに対しては、
「今ちょっと切りが悪いので、すみません、また次によろしくお願いします」
と答えた。小林さんはそれ以上は特に追及してくることもなく、わかったと納得してオフィスを去って行った。
ぼくはなるべく自然に小林さんと宗方さんがオフィスからいなくなったことを確認すると、カバンからスマホを取り出し、前傾姿勢のまま座った状態で、メッセージを確認した。
里村さんから一件。桃井さんからは来ていない。ぼくは里村さんからのメッセージを開いた。
「で、どうしたの?」
里村さんからのメッセージに対し、ぼくはまだ連絡していないと返信した。と、里村さんからの返信は、テニスのレシーブのように素早く返って来た。ぼくは飛び付くようにメッセージを開いた。
「早く返せ。ケチるなよ?」
暖かみがまったくない文章だった。まさに電気信号の羅列といった感じ。
もうここまで来たら四面楚歌、背水の陣だ。ぼくはこんがらがる頭をフル回転させた。そして、メッセージを送信した。
「今度の日曜日、『紅葉レジャーランド』に一緒に行かないかい?」
と、これが成り行きというワケだ。
【続く】