【明日、白夜になる前に~参拾玖~】
文字数 2,301文字
とてつもなく居心地が悪い。
何だろう、この居心地の悪さは。あの会議室の悪夢とはまたひと味違った、皮膚の裏側を大量のアリが動き回っているような、そんな浮き足立つような居心地の悪さが蠢いている。
いや、その居心地の悪さの理由はわかっている。わかりきっている。人間、誰だって初めて来る場所、慣れない場所に来れば脳髄の水が蒸発するような、髄液が粟立つような焦燥感に侵されるのはいうまでのないだろう。
だが、それがホームグラウンドではなく、敵陣。完全なアウェイだとしたらどうだろう。
いや、敵陣やアウェイというと語弊がある、というか失礼な気もするのだけど、そう例えても可笑しくないくらいに、ぼくは今、想定外な場所にいるワケだ。まったく不覚。
もはや何度目かわからないが、順を追って説明していくべきだろうか。いや、止めておこう。同じ流れは代謝を悪くする。
にしてもぼくはいつだって事後報告。だから仕事が出来ない。それはさておき、である。
結論からいうと、ぼくは今、小林さんの家にいる。
何故かといわれたら、それは単純に誘われたから。誘われてしまったから、だ。
正直、家に来ないかと誘われたら、迷惑だろうからと色々とことばを飾って断っていた。だが、この時は違う。小林さんはいつものようにぼくを誘い、ぼくを家まで招いたのだ。
気づいた時には、もう小林さんの家がある駅で、ぼくが何処へ行くのか訊ねると、小林さんはひとこと、おれの家だ、と。
当然断った。だが、奥さんが食事を作って待ってくれていると知らされて、ならば仕方なく、と行くことにしてしまったのだ。なるべく早く帰ろう、とこころに決めて。
部屋中を見渡す。
築年数もそれなりで、少しくたびれて黄色っぽく変色した感じのある白い壁に、レトロといえば耳の触りもいいかもしれないが、実際にはただ古臭くてダサいだけの角張った武骨な掛け時計に、アンティーク品というにはデザインにセンスがなさすぎる棚が置かれている様は、まさにありふれた中年男性の家の一室といった感じだったが、その平凡さの中に、明らかに異物といっても可笑しくないようなグロテスクな代物がドカンと鎮座している。
平凡な神棚、その上端にはフリーメイソンのマークのような大きな目と回りにヒンディー語のような文字が書かれた御札、両端には水の入った御猪口のような形をした透明な入れ物と燭台及び蝋燭、そしてその真ん中には威風堂々と君臨するように置かれた銅か何かで造られた不細工な何かの像がある。
その「何か」は唇が分厚く、ギャグマンガ家が描くようなステレオタイプな不細工キャラのような変にリアルで大きな目を持ち、鼻と鼻の穴はパチンコ台の大入賞口のアタッカーのように大きく、頭にはツバの近くの中央にエメラルドのようなモノが埋め込まれた尖った変な帽子を被っている。
右手は胸の前で拝む形に、左手は外に開いて掌をまるでこの世の重さを計らんとする天秤のように天に向けている。
両足は足の裏同士をくっつけ、座禅を組むようにして座っている。また、右腕には蛇が巻き付いており、右の肩甲骨からは大鷲のような翼が生えている。左腕にはトライバル柄の刺青のようなモノが刻まれており、左の肩甲骨からは如何なる翼も生えていない。
胸板は若干の厚みがあるが、腹は餓鬼のようにポッコリと出ている。ちなみに腕は鍛えられた印象の胸板にはおおよそ相応しくないような細さで、まさに餓鬼、といった感じだった。
ついでにいうと、服はブリーフのようなパンツが一丁のみで、どっからどう見てもただの変態で、これじゃあ二分に一回のペースで職質されても文句はいえないような格好だ。
さて、ここまで散々蔑んで来たこの銅像だが、これは恐らくーーというより十中八九、小林さんが信仰している新興宗教の神の像であろう。だとしたら不敬にも程があるけど。
にしても、これまで小林さんの信仰している宗教というのは、話だけでまったく背景の見えないモノだったが、この像で、その実態が何となく見えて来たような気がする。
いってしまえば、この宗教は「インチキ」に限りなく近いであろうということだ。
しかし、この古臭い部屋間に、その様相とはとても相容れないようなグロテスクな神様らしき存在が鎮座している客間なんて、これなら部屋に通された客も靴を忘れて逃げ出すだろう。というか、逃げ出したいのはぼくなのだけど。
あまり皮肉をいっていても心象が悪いだろうけど、正直この時ぼくは、これから何をされるのだろうかと内心震えていた。
奥さんが食事を作ってくれているといっていたが、そんな様子はまったくなく、もしかしたら、ぼくもとうとう新興宗教デビューという花を飾るその前哨戦、小林さんにうちの宗教を信仰してみないかと勧誘されるのかもしれない。いや、もしやそれよりもっと最悪なーーいやいや、それは何よりも失礼か。
そんな焦燥感まみれな心境の中、小林さんが戸を静かに開けて入ってくる。
「いやいや、待たせてゴメンよ」
ぼくはテンプレート通りの、大丈夫のひとことで返答する。全然大丈夫じゃないけど。
小林さんはぼくの前で胡座を掻いて座る。
「突然悪いね、家まで連れて来ちゃって」
「いえいえ……」
「実は折り入って話があるんだ」
来た。ぼくは死刑宣告を恐れる死刑囚のような気分だった。粟立つ気持ちでぼくは訊ねる。
「何、でしょうか?」
「うん、実はね……」
死刑、信仰、新興宗教、ホモ、様々な単語が頭の中で踊り狂う。吐き気が止まらない。
「斎藤くんに見合いなんかどうかな、と思ってね」
「……は?」無礼な響きだけがこだました。
【続く】
何だろう、この居心地の悪さは。あの会議室の悪夢とはまたひと味違った、皮膚の裏側を大量のアリが動き回っているような、そんな浮き足立つような居心地の悪さが蠢いている。
いや、その居心地の悪さの理由はわかっている。わかりきっている。人間、誰だって初めて来る場所、慣れない場所に来れば脳髄の水が蒸発するような、髄液が粟立つような焦燥感に侵されるのはいうまでのないだろう。
だが、それがホームグラウンドではなく、敵陣。完全なアウェイだとしたらどうだろう。
いや、敵陣やアウェイというと語弊がある、というか失礼な気もするのだけど、そう例えても可笑しくないくらいに、ぼくは今、想定外な場所にいるワケだ。まったく不覚。
もはや何度目かわからないが、順を追って説明していくべきだろうか。いや、止めておこう。同じ流れは代謝を悪くする。
にしてもぼくはいつだって事後報告。だから仕事が出来ない。それはさておき、である。
結論からいうと、ぼくは今、小林さんの家にいる。
何故かといわれたら、それは単純に誘われたから。誘われてしまったから、だ。
正直、家に来ないかと誘われたら、迷惑だろうからと色々とことばを飾って断っていた。だが、この時は違う。小林さんはいつものようにぼくを誘い、ぼくを家まで招いたのだ。
気づいた時には、もう小林さんの家がある駅で、ぼくが何処へ行くのか訊ねると、小林さんはひとこと、おれの家だ、と。
当然断った。だが、奥さんが食事を作って待ってくれていると知らされて、ならば仕方なく、と行くことにしてしまったのだ。なるべく早く帰ろう、とこころに決めて。
部屋中を見渡す。
築年数もそれなりで、少しくたびれて黄色っぽく変色した感じのある白い壁に、レトロといえば耳の触りもいいかもしれないが、実際にはただ古臭くてダサいだけの角張った武骨な掛け時計に、アンティーク品というにはデザインにセンスがなさすぎる棚が置かれている様は、まさにありふれた中年男性の家の一室といった感じだったが、その平凡さの中に、明らかに異物といっても可笑しくないようなグロテスクな代物がドカンと鎮座している。
平凡な神棚、その上端にはフリーメイソンのマークのような大きな目と回りにヒンディー語のような文字が書かれた御札、両端には水の入った御猪口のような形をした透明な入れ物と燭台及び蝋燭、そしてその真ん中には威風堂々と君臨するように置かれた銅か何かで造られた不細工な何かの像がある。
その「何か」は唇が分厚く、ギャグマンガ家が描くようなステレオタイプな不細工キャラのような変にリアルで大きな目を持ち、鼻と鼻の穴はパチンコ台の大入賞口のアタッカーのように大きく、頭にはツバの近くの中央にエメラルドのようなモノが埋め込まれた尖った変な帽子を被っている。
右手は胸の前で拝む形に、左手は外に開いて掌をまるでこの世の重さを計らんとする天秤のように天に向けている。
両足は足の裏同士をくっつけ、座禅を組むようにして座っている。また、右腕には蛇が巻き付いており、右の肩甲骨からは大鷲のような翼が生えている。左腕にはトライバル柄の刺青のようなモノが刻まれており、左の肩甲骨からは如何なる翼も生えていない。
胸板は若干の厚みがあるが、腹は餓鬼のようにポッコリと出ている。ちなみに腕は鍛えられた印象の胸板にはおおよそ相応しくないような細さで、まさに餓鬼、といった感じだった。
ついでにいうと、服はブリーフのようなパンツが一丁のみで、どっからどう見てもただの変態で、これじゃあ二分に一回のペースで職質されても文句はいえないような格好だ。
さて、ここまで散々蔑んで来たこの銅像だが、これは恐らくーーというより十中八九、小林さんが信仰している新興宗教の神の像であろう。だとしたら不敬にも程があるけど。
にしても、これまで小林さんの信仰している宗教というのは、話だけでまったく背景の見えないモノだったが、この像で、その実態が何となく見えて来たような気がする。
いってしまえば、この宗教は「インチキ」に限りなく近いであろうということだ。
しかし、この古臭い部屋間に、その様相とはとても相容れないようなグロテスクな神様らしき存在が鎮座している客間なんて、これなら部屋に通された客も靴を忘れて逃げ出すだろう。というか、逃げ出したいのはぼくなのだけど。
あまり皮肉をいっていても心象が悪いだろうけど、正直この時ぼくは、これから何をされるのだろうかと内心震えていた。
奥さんが食事を作ってくれているといっていたが、そんな様子はまったくなく、もしかしたら、ぼくもとうとう新興宗教デビューという花を飾るその前哨戦、小林さんにうちの宗教を信仰してみないかと勧誘されるのかもしれない。いや、もしやそれよりもっと最悪なーーいやいや、それは何よりも失礼か。
そんな焦燥感まみれな心境の中、小林さんが戸を静かに開けて入ってくる。
「いやいや、待たせてゴメンよ」
ぼくはテンプレート通りの、大丈夫のひとことで返答する。全然大丈夫じゃないけど。
小林さんはぼくの前で胡座を掻いて座る。
「突然悪いね、家まで連れて来ちゃって」
「いえいえ……」
「実は折り入って話があるんだ」
来た。ぼくは死刑宣告を恐れる死刑囚のような気分だった。粟立つ気持ちでぼくは訊ねる。
「何、でしょうか?」
「うん、実はね……」
死刑、信仰、新興宗教、ホモ、様々な単語が頭の中で踊り狂う。吐き気が止まらない。
「斎藤くんに見合いなんかどうかな、と思ってね」
「……は?」無礼な響きだけがこだました。
【続く】