【エイトフォールド・ラヴ】
文字数 3,667文字
夢を見ていた。
可笑しな夢だった。あたしはひとり、独房にいた。不衛生なトイレとベッド。ベッドの上には汗ジミの浮かんだくしゃくしゃのシーツと掛け布団がシワを作って置かれていた。
独房の監視窓から誰かが覗いていた。
あたしだった。
いや、よく見たらその顔にはあたしにはない口元のホクロがあった。
姉の八重だった。
八重は何かいいたげな表情であたしを見つめていた。あたしは彼女に問い掛けた。だが、彼女は何もいって来なかった。
そこで目が覚め、あたしは辺りを見回した。
簡易的に仕切られた個室のボックス。目の前にはつきっぱなしのデスクトップパソコン。画面には「あの企業」の名前。ネットカフェ。
そうだ、あたしは今追われているのだ。
警察と謎の組織の人間によって自由を奪われ、恩師である高城警部を殺された。あたしは現在、ふたつの殺人の容疑者となっている。
しかし、いくら気を張るような状況であっても、疲れは確実に肉体を蝕んでいき、気づけば意識も夢の中。眠りに落ちていたのはせいぜい一五分から二〇分といったところ。
そんな短い時間にも関わらず夢を見るとはーーいや、もしかしたらあたしの潜在意識が見せた幻覚かもしれない。
あたしは大きく息をつきながらイスの背に身体を預けた。
八重ーー長谷川八重はあたしの双子の姉だ。姓が「武井」でないのは両親が離婚したことが影響している。
両親の離婚後、父に引き取られたあたしはそのまま武井姓を名乗り、母に引き取られた八重は母と共に埼玉県川澄市に越し、母の旧姓である長谷川を名乗るようになった。
とはいえ、母はあたしたちが大学を卒業してすぐに亡くなり、警察官だった父もあたしが五村署に配属された三年目の年に殉職しているため、今となっては両親の離婚など過去の話に過ぎない。
八重と最後に会ったのはあたしが警察官を辞め、探偵として事務所を構えようとした時だった。
八重はあたしの身を案じ、別の職業を選択するよう薦めたが、警察時代に培ったスキルを活かすことや不正に対する怒りと嫌悪から、探偵以外の職を選ぶつもりはなかった。
八重は不服そうに顔を歪めながらも、あたしの意見を尊重するようにそれ以上は何もいって来なかった。
以来八重とは会っていない。あれから四年、八重は元気にしているだろうか。
スマホにてメッセージアプリを開き、八重とのトークを開く。が、何と送っていいのかわからず、そのままトーク画面を閉じた。
そして、あたしはほんの少しの間だけ、八重との思い出に耽ったーー
中学二年の時、即ち両親が離婚する一年前のことだ。あたしと八重は五村市の中学校『五村西中学校』に通っていたが、クラスも違えば、校内での立ち位置も異なっていた。
中学の時から一匹オオカミで群れることを否定し、クラスメイトだけでなく教師からも煙たがられていたあたしに対し、八重は逆にクラスメイトや教師たちから好かれるタイプの子だった。
加えて、あたしは常にひとりで、クラスでもろくに係や委員もやらなかったが、八重は持ち前の人柄と優秀さによりクラスの学級委員を勤めることが多かった。
それもあって、あたしと八重は随分と比較されたものだった。
あたしと八重の違いーー人柄はもちろん、口許のホクロの有無、胸の大きさ、芸術と運動のセンスの有無が顕著な点だろう。
ちなみに、胸はあたしが大きく、八重は小さい。また、八重はあたしと逆で芸術のセンスと運動のセンスが絶望的になかった。
どうやら、八重は母のお腹の中でコミュニケーション能力を全部持っていった代わりに、そこら辺のセンスや胸というものをあたしに譲ってくれたらしい。バカみたいな話とはいえ、それに関しては感謝するしかないだろう。
確かに八重は人気者だった。とはいえ、時にはトラブルに巻き込まれることもあった。
二学期の半ばのことだ。当時も学級委員として活躍していた八重は、教師からも生徒からも信頼される非常に優秀な生徒だった。
が、ある日のこと。学校から帰って部屋でひとり音楽を聴いていると、浮かない顔をした八重が部屋に入ってきた。
何かあったーーそれはすぐにわかった。
彼女の立ち振舞いや表情が変だったのはいうまでもないが、それ以上にあたしは八重が苦しんでいると胸騒ぎがしてならなかったのだ。
これは、母親の子宮をふたりで分けた双子だからかもしれないが、八重に何かある時はいつだって胸騒ぎが起きる。
この時もそうだった。
「何かあったの?」
あたしが訊ねると八重は、
「ううん、何でもない」
と無理に繕ったような笑顔を浮かべていった。あたしはウソだと一発で見抜いた。
疑念はあたしに不安をもたらしたが、もう少し様子を見てみようと一歩引くことにした。
それから数日後、あたしは家に忘れた教科書を八重に借りに、彼女のいる教室へといった。
そこで彼女に教科書を貸して欲しいというと明らかに動揺した様子で、
「ごめん!今日わすれちゃったんだ……」
といった。あたしはそれがウソだと一発で見抜いた。というのも、八重は前日の夜には必ず次の日のカリキュラムを確認し、必要な教科書や参考書の準備をしていたからだ。前日も確かにそういった動きをしていたはずだった。
確かに前日の夜、八重は教科書等を自分のカバンに詰めていた。が、憂鬱そうな表情をして、カバンを閉じたのをあたしは見逃さなかった。
が、あたしはその時は八重の話を特に追及することなく了承し、同時に確信した。
放課後、あたしはすぐさま家に帰った。部活にて遅くなる八重とは違い、あたしは部活にも委員会にも入っていないのは大きかった。
家に帰り八重との共有の部屋に入ると、早々にオーディオで音楽を掛けてカモフラージュしつつ、八重の机を漁った。
やはり、あたしが借りにいった教科書はなかった。それどころか、この日必要のない教科書すらなくなっていた。
あたしは更に八重の机を調べた。
特に異常はなかったーー鍵の掛かった二段目の引き出しを除いては。
この鍵の在処はわかっていた。机の裏か、ベッドの底の裏、雑多な引き出しの中、あるいは本人が携帯しているかのいずれか、だ。
ベッドを調べた。鍵はなかった。引き出しの中にもない。となると、残ったのはーー
「何してるの?」
そう訊ねられてあたしの心臓は跳ね上がった。声のしたほうを見ると、そこには青白い顔をした八重がいた。
「あれ、部活は?どうしたの?」
内心、焦りを隠すのに必死だった。が、八重はそんなことに気づく様子もなく、
「……体調悪いから休んだ」
そういわれて納得して見せたものの、あたしはそれがウソだと見抜いていた。理由や根拠はーーない。ただ、双子としての感覚が、あたしにそう告げていた。
「ウソ。本当は別に何かあるんでしょ」
「何でそんなこといえるの?」
「あたしとアナタは同じ血を分けた双子。それくらい、勘でわかるよ」
そういうと、八重は何も反論してこなかった。かと思いきや、目から涙をポロポロと流し始めた。八重のすすり泣く声が、六畳の部屋の中で静かに響いた。
あたしは涙を流す八重を静かに抱き締め、背中を擦ってあげた。
「辛いよね。でも、何があったのかは、あたしからは訊かない。だけど、もし、何か話したいことがあれば、話してくれても全然いいんだよ。大丈夫、お父さんとお母さんには内緒にするから。ふたりだけの秘密だよ」
あたしがそう語り掛けると八重は静かに何度も頷いた。声は涙に掻き消され、涙は彼女をより美しく見せた。双子で顔が似ているとはいえ、八重はあたしよりもずっと可愛い。
八重が美しい毛並みを持つのロシアンブルーなら、あたしは土埃にまみれた山ネコだった。
あたしはゆっくりと八重の身体を離して彼女に微笑み掛けた。八重の顔は涙でグシャグシャ。視線は足許に向き、口許は微かに動いていた。少しして八重は静かに口を開いたーー
「本当に、黙っててくれる……?」
その問いに頷くと、八重はカバンをその場に落とした。あたしは落ちたカバンを拾おうとした。がーー
「ごめん……、わたしには見れない。自分で確認して……」
八重の声は震えていた。あたしは屈んで八重が落としたカバンの中身を改めた。
絶句した。
八重の教科書ーー落書きされていた。
その内容は、低俗な人間が思いつくであろう最低なモノばかりだった。
「何、これ……ッ!?」
あたしが訊ねると、八重は首を振り、
「わからない……、でも一、二週間前から、何かイヤなことばかりで……」
その「イヤなこと」とはシンプルにモノがなくなったり、足を引っ掛けられたりするといったことだった。
何と低レベルな、とあたしはことばを失い、呆れ返ってしまった。八重が何をしたかは知らないが、多分、ちょっとした嫉妬や何かから起きたイジメなのだろう。
冗談じゃない。何で、八重がこんな目に遭わなければならないのだ。
「八重」気づけばあたしはーー「手を貸して」
八重はその潤んだ瞳で不思議そうにあたしを見つめていた。
【続く】
可笑しな夢だった。あたしはひとり、独房にいた。不衛生なトイレとベッド。ベッドの上には汗ジミの浮かんだくしゃくしゃのシーツと掛け布団がシワを作って置かれていた。
独房の監視窓から誰かが覗いていた。
あたしだった。
いや、よく見たらその顔にはあたしにはない口元のホクロがあった。
姉の八重だった。
八重は何かいいたげな表情であたしを見つめていた。あたしは彼女に問い掛けた。だが、彼女は何もいって来なかった。
そこで目が覚め、あたしは辺りを見回した。
簡易的に仕切られた個室のボックス。目の前にはつきっぱなしのデスクトップパソコン。画面には「あの企業」の名前。ネットカフェ。
そうだ、あたしは今追われているのだ。
警察と謎の組織の人間によって自由を奪われ、恩師である高城警部を殺された。あたしは現在、ふたつの殺人の容疑者となっている。
しかし、いくら気を張るような状況であっても、疲れは確実に肉体を蝕んでいき、気づけば意識も夢の中。眠りに落ちていたのはせいぜい一五分から二〇分といったところ。
そんな短い時間にも関わらず夢を見るとはーーいや、もしかしたらあたしの潜在意識が見せた幻覚かもしれない。
あたしは大きく息をつきながらイスの背に身体を預けた。
八重ーー長谷川八重はあたしの双子の姉だ。姓が「武井」でないのは両親が離婚したことが影響している。
両親の離婚後、父に引き取られたあたしはそのまま武井姓を名乗り、母に引き取られた八重は母と共に埼玉県川澄市に越し、母の旧姓である長谷川を名乗るようになった。
とはいえ、母はあたしたちが大学を卒業してすぐに亡くなり、警察官だった父もあたしが五村署に配属された三年目の年に殉職しているため、今となっては両親の離婚など過去の話に過ぎない。
八重と最後に会ったのはあたしが警察官を辞め、探偵として事務所を構えようとした時だった。
八重はあたしの身を案じ、別の職業を選択するよう薦めたが、警察時代に培ったスキルを活かすことや不正に対する怒りと嫌悪から、探偵以外の職を選ぶつもりはなかった。
八重は不服そうに顔を歪めながらも、あたしの意見を尊重するようにそれ以上は何もいって来なかった。
以来八重とは会っていない。あれから四年、八重は元気にしているだろうか。
スマホにてメッセージアプリを開き、八重とのトークを開く。が、何と送っていいのかわからず、そのままトーク画面を閉じた。
そして、あたしはほんの少しの間だけ、八重との思い出に耽ったーー
中学二年の時、即ち両親が離婚する一年前のことだ。あたしと八重は五村市の中学校『五村西中学校』に通っていたが、クラスも違えば、校内での立ち位置も異なっていた。
中学の時から一匹オオカミで群れることを否定し、クラスメイトだけでなく教師からも煙たがられていたあたしに対し、八重は逆にクラスメイトや教師たちから好かれるタイプの子だった。
加えて、あたしは常にひとりで、クラスでもろくに係や委員もやらなかったが、八重は持ち前の人柄と優秀さによりクラスの学級委員を勤めることが多かった。
それもあって、あたしと八重は随分と比較されたものだった。
あたしと八重の違いーー人柄はもちろん、口許のホクロの有無、胸の大きさ、芸術と運動のセンスの有無が顕著な点だろう。
ちなみに、胸はあたしが大きく、八重は小さい。また、八重はあたしと逆で芸術のセンスと運動のセンスが絶望的になかった。
どうやら、八重は母のお腹の中でコミュニケーション能力を全部持っていった代わりに、そこら辺のセンスや胸というものをあたしに譲ってくれたらしい。バカみたいな話とはいえ、それに関しては感謝するしかないだろう。
確かに八重は人気者だった。とはいえ、時にはトラブルに巻き込まれることもあった。
二学期の半ばのことだ。当時も学級委員として活躍していた八重は、教師からも生徒からも信頼される非常に優秀な生徒だった。
が、ある日のこと。学校から帰って部屋でひとり音楽を聴いていると、浮かない顔をした八重が部屋に入ってきた。
何かあったーーそれはすぐにわかった。
彼女の立ち振舞いや表情が変だったのはいうまでもないが、それ以上にあたしは八重が苦しんでいると胸騒ぎがしてならなかったのだ。
これは、母親の子宮をふたりで分けた双子だからかもしれないが、八重に何かある時はいつだって胸騒ぎが起きる。
この時もそうだった。
「何かあったの?」
あたしが訊ねると八重は、
「ううん、何でもない」
と無理に繕ったような笑顔を浮かべていった。あたしはウソだと一発で見抜いた。
疑念はあたしに不安をもたらしたが、もう少し様子を見てみようと一歩引くことにした。
それから数日後、あたしは家に忘れた教科書を八重に借りに、彼女のいる教室へといった。
そこで彼女に教科書を貸して欲しいというと明らかに動揺した様子で、
「ごめん!今日わすれちゃったんだ……」
といった。あたしはそれがウソだと一発で見抜いた。というのも、八重は前日の夜には必ず次の日のカリキュラムを確認し、必要な教科書や参考書の準備をしていたからだ。前日も確かにそういった動きをしていたはずだった。
確かに前日の夜、八重は教科書等を自分のカバンに詰めていた。が、憂鬱そうな表情をして、カバンを閉じたのをあたしは見逃さなかった。
が、あたしはその時は八重の話を特に追及することなく了承し、同時に確信した。
放課後、あたしはすぐさま家に帰った。部活にて遅くなる八重とは違い、あたしは部活にも委員会にも入っていないのは大きかった。
家に帰り八重との共有の部屋に入ると、早々にオーディオで音楽を掛けてカモフラージュしつつ、八重の机を漁った。
やはり、あたしが借りにいった教科書はなかった。それどころか、この日必要のない教科書すらなくなっていた。
あたしは更に八重の机を調べた。
特に異常はなかったーー鍵の掛かった二段目の引き出しを除いては。
この鍵の在処はわかっていた。机の裏か、ベッドの底の裏、雑多な引き出しの中、あるいは本人が携帯しているかのいずれか、だ。
ベッドを調べた。鍵はなかった。引き出しの中にもない。となると、残ったのはーー
「何してるの?」
そう訊ねられてあたしの心臓は跳ね上がった。声のしたほうを見ると、そこには青白い顔をした八重がいた。
「あれ、部活は?どうしたの?」
内心、焦りを隠すのに必死だった。が、八重はそんなことに気づく様子もなく、
「……体調悪いから休んだ」
そういわれて納得して見せたものの、あたしはそれがウソだと見抜いていた。理由や根拠はーーない。ただ、双子としての感覚が、あたしにそう告げていた。
「ウソ。本当は別に何かあるんでしょ」
「何でそんなこといえるの?」
「あたしとアナタは同じ血を分けた双子。それくらい、勘でわかるよ」
そういうと、八重は何も反論してこなかった。かと思いきや、目から涙をポロポロと流し始めた。八重のすすり泣く声が、六畳の部屋の中で静かに響いた。
あたしは涙を流す八重を静かに抱き締め、背中を擦ってあげた。
「辛いよね。でも、何があったのかは、あたしからは訊かない。だけど、もし、何か話したいことがあれば、話してくれても全然いいんだよ。大丈夫、お父さんとお母さんには内緒にするから。ふたりだけの秘密だよ」
あたしがそう語り掛けると八重は静かに何度も頷いた。声は涙に掻き消され、涙は彼女をより美しく見せた。双子で顔が似ているとはいえ、八重はあたしよりもずっと可愛い。
八重が美しい毛並みを持つのロシアンブルーなら、あたしは土埃にまみれた山ネコだった。
あたしはゆっくりと八重の身体を離して彼女に微笑み掛けた。八重の顔は涙でグシャグシャ。視線は足許に向き、口許は微かに動いていた。少しして八重は静かに口を開いたーー
「本当に、黙っててくれる……?」
その問いに頷くと、八重はカバンをその場に落とした。あたしは落ちたカバンを拾おうとした。がーー
「ごめん……、わたしには見れない。自分で確認して……」
八重の声は震えていた。あたしは屈んで八重が落としたカバンの中身を改めた。
絶句した。
八重の教科書ーー落書きされていた。
その内容は、低俗な人間が思いつくであろう最低なモノばかりだった。
「何、これ……ッ!?」
あたしが訊ねると、八重は首を振り、
「わからない……、でも一、二週間前から、何かイヤなことばかりで……」
その「イヤなこと」とはシンプルにモノがなくなったり、足を引っ掛けられたりするといったことだった。
何と低レベルな、とあたしはことばを失い、呆れ返ってしまった。八重が何をしたかは知らないが、多分、ちょっとした嫉妬や何かから起きたイジメなのだろう。
冗談じゃない。何で、八重がこんな目に遭わなければならないのだ。
「八重」気づけばあたしはーー「手を貸して」
八重はその潤んだ瞳で不思議そうにあたしを見つめていた。
【続く】