【原子の力は原理の力】
文字数 2,297文字
備えあれば憂いなしというのは本当だと思う。
何をやるにしても準備をしているのといないのとでは全然違う。やはり、何をやるにも準備が必要で、何もない空手の状態で上手く行くだろうというのは、その人の驕りでしかない。
確かに何の準備もせずに、いきなり別の世界に飛び込んで成功する人もいる。だが、それも運だったり、その人の持っている器量によって何とかなっていることが多く、凡人が真似すべきでないのはいうまでもない。
そして何より、新しい世界に飛び込むのと、何か定まった目標に挑戦するのとではワケが違う。前者は流れに身を任せ、波に揉まれながら自分のスタンスを変えていけばいいが、後者ではそんな時間的余裕は殆ど与えられない。
やはり、何事も準備することが大切なのだ。
かくいうおれは、そういうことに関しては、かなり微妙だったりする。というのも、準備する時はしっかり準備するし、行き当たりばったりの時は行き当たりばったりなことをするといった様だからだ。
では、行き当たりばったりになる時というのは、どういう時なのか。それはーー
面倒な時だ。
シンプル過ぎる解答に欠伸が出そうなのだけど、面倒に感じるかどうかで人の行動力は大きく変わってくる。
そもそも、面倒なことをやるのはストレスだ。脳がストレスと認識することをやるのは、精神的にも負担になるのはいうまでもない。かといって、面倒なことをやらないとなると、痛い目を見ることは当たり前のようにある。
問題は面倒なことを面倒だと思わず、如何にこなすか、だと思うのだ。
さて、今日はそんな面倒に思い準備を怠ったことで招いた失敗について書いていこうかと思う。アンタらも準備はしっかりとなーー
あれは高校三年のこの時期のことだった。
まぁ、昨日と同様、受験期の話なのだけど、おれはその日、高校の図書室でひとり勉強していたのだ。やった内容といえば、赤本で某大学の過去問をやったり、参考書で数学と物理を勉強したりといった感じだった。
特に、次の日がとある大学の受験日だったということもあって、過去問を重点的にやり、参考書からの勉強は補強程度でやっていた。
夜、図書室の開館時間も残り一時間程度となった。おれは過去問をある程度やり終えて大きく伸びをしていた。
まぁ、大学受験というのも、何校か受けて何校か合格していると、どこかアンニュイでレイジーな気分になるモノで、正直、この時点で疲れていたこともあって、この日の勉強はここまでにしようと思っていたところだった。
が、その時、唐突に頭の中にこんなことが思い浮かんだのだーー
明日の物理、原子が出るな。
どうしてこんなことを思ったのかはわからない。何の根拠もなければ、何か当てがあったワケでもない。
それに原子は物理の中でも異端的な分野で、入試で出ることも殆どなかったし、過去問を見ても原子が出ている年はひとつもなかった。
そんなこともあって、おれは何かの気の迷いだろうと思い、自分の内なる声を無視して、その日の勉強を切り上げたのだ。
そして、翌日。いつも通り朝飯を食い、一時間半ほど掛けて会場となる大学までいき、テストを受けたのだけど、
一限目の時点で不合格になることを確信してしまったのだった。
いやいや、まだ一科目しか受けてないのに不合格とか、気が早すぎだろって思われるかと思うのだけど、何を隠そう、この日はーー
『数字の定義は崩れない』で話した大学の受験日ーー即ち、一限の数学で手痛いマークミスをしてしまい絶望的な状況だったのだ。
もうこの時点で勝ち目はないといっても過言ではないのだけど、そんな中でも英語と物理を何とかすれば、まだ何とかなるんじゃないかと淡い期待を持っていたワケだ。
そんな感じで二限の英語を受けたのだが、これは何てことない。普通の英語の試験で、特に問題もなくこなせ、まだ希望はあると思えた。
英語も終わり、次が最後の試験、物理のテストだった。物理に関しても不安はなかったーーある一点を除いては。
何が気になっていたかといえば、それは前日に突然頭に浮かんだ、原子が出るというイマジネーションだった。まさか、と何度も自分のイマジンを打ち消そうとしたが、どうも消えない。何だろう、この不吉な感じは。
試験官が試験の開始を告げる。おれは問題用紙ページを捲り、すべての大問を確認した。するとーー
原子の問題が出ているやん。
これには五条氏のアゴもシルク・ドゥ・ソレイユって感じだった。ワケわからんか。
しまったーーおれは軽いパニックになった。確かに原子の勉強はある程度はしてある。だが、どうして。どうして例年は出題されない原子の問題が出題されているというのだ。
どうしてーー
どうしておれは内なる声の助言を無視した。
もはや成す術もなかった。取り敢えずは他の大問を解いていくことだ。が、やはり他の大問は取るに足らない問題ばかりで、解くのも用意だった。数学同様、物理も所詮はパターンを掴めているかどうかに尽きる。
が、おれは原子の解き方のパターンを掴んでいなかった。
だが、まだできないと決まったワケではない。兎に角、やるだけやってみーー
まぁ、半分はできたわ。半分は。
とはいえ、所詮はその程度。思わぬ泥沼に足を取られ、もはや数学のマークミスのフォローをする余裕などなくなってしまった。結果ーー
落ちたよな。
まぁ、この話は昨日もしたけどさ。昨日の不注意だけでなく、準備不足とは。改めて考えると、数学だけの問題じゃなかったのかもしれない。やっぱね、準備は大事。
アンタらも準備はしっかりと、な。
アスタラビスタ。
何をやるにしても準備をしているのといないのとでは全然違う。やはり、何をやるにも準備が必要で、何もない空手の状態で上手く行くだろうというのは、その人の驕りでしかない。
確かに何の準備もせずに、いきなり別の世界に飛び込んで成功する人もいる。だが、それも運だったり、その人の持っている器量によって何とかなっていることが多く、凡人が真似すべきでないのはいうまでもない。
そして何より、新しい世界に飛び込むのと、何か定まった目標に挑戦するのとではワケが違う。前者は流れに身を任せ、波に揉まれながら自分のスタンスを変えていけばいいが、後者ではそんな時間的余裕は殆ど与えられない。
やはり、何事も準備することが大切なのだ。
かくいうおれは、そういうことに関しては、かなり微妙だったりする。というのも、準備する時はしっかり準備するし、行き当たりばったりの時は行き当たりばったりなことをするといった様だからだ。
では、行き当たりばったりになる時というのは、どういう時なのか。それはーー
面倒な時だ。
シンプル過ぎる解答に欠伸が出そうなのだけど、面倒に感じるかどうかで人の行動力は大きく変わってくる。
そもそも、面倒なことをやるのはストレスだ。脳がストレスと認識することをやるのは、精神的にも負担になるのはいうまでもない。かといって、面倒なことをやらないとなると、痛い目を見ることは当たり前のようにある。
問題は面倒なことを面倒だと思わず、如何にこなすか、だと思うのだ。
さて、今日はそんな面倒に思い準備を怠ったことで招いた失敗について書いていこうかと思う。アンタらも準備はしっかりとなーー
あれは高校三年のこの時期のことだった。
まぁ、昨日と同様、受験期の話なのだけど、おれはその日、高校の図書室でひとり勉強していたのだ。やった内容といえば、赤本で某大学の過去問をやったり、参考書で数学と物理を勉強したりといった感じだった。
特に、次の日がとある大学の受験日だったということもあって、過去問を重点的にやり、参考書からの勉強は補強程度でやっていた。
夜、図書室の開館時間も残り一時間程度となった。おれは過去問をある程度やり終えて大きく伸びをしていた。
まぁ、大学受験というのも、何校か受けて何校か合格していると、どこかアンニュイでレイジーな気分になるモノで、正直、この時点で疲れていたこともあって、この日の勉強はここまでにしようと思っていたところだった。
が、その時、唐突に頭の中にこんなことが思い浮かんだのだーー
明日の物理、原子が出るな。
どうしてこんなことを思ったのかはわからない。何の根拠もなければ、何か当てがあったワケでもない。
それに原子は物理の中でも異端的な分野で、入試で出ることも殆どなかったし、過去問を見ても原子が出ている年はひとつもなかった。
そんなこともあって、おれは何かの気の迷いだろうと思い、自分の内なる声を無視して、その日の勉強を切り上げたのだ。
そして、翌日。いつも通り朝飯を食い、一時間半ほど掛けて会場となる大学までいき、テストを受けたのだけど、
一限目の時点で不合格になることを確信してしまったのだった。
いやいや、まだ一科目しか受けてないのに不合格とか、気が早すぎだろって思われるかと思うのだけど、何を隠そう、この日はーー
『数字の定義は崩れない』で話した大学の受験日ーー即ち、一限の数学で手痛いマークミスをしてしまい絶望的な状況だったのだ。
もうこの時点で勝ち目はないといっても過言ではないのだけど、そんな中でも英語と物理を何とかすれば、まだ何とかなるんじゃないかと淡い期待を持っていたワケだ。
そんな感じで二限の英語を受けたのだが、これは何てことない。普通の英語の試験で、特に問題もなくこなせ、まだ希望はあると思えた。
英語も終わり、次が最後の試験、物理のテストだった。物理に関しても不安はなかったーーある一点を除いては。
何が気になっていたかといえば、それは前日に突然頭に浮かんだ、原子が出るというイマジネーションだった。まさか、と何度も自分のイマジンを打ち消そうとしたが、どうも消えない。何だろう、この不吉な感じは。
試験官が試験の開始を告げる。おれは問題用紙ページを捲り、すべての大問を確認した。するとーー
原子の問題が出ているやん。
これには五条氏のアゴもシルク・ドゥ・ソレイユって感じだった。ワケわからんか。
しまったーーおれは軽いパニックになった。確かに原子の勉強はある程度はしてある。だが、どうして。どうして例年は出題されない原子の問題が出題されているというのだ。
どうしてーー
どうしておれは内なる声の助言を無視した。
もはや成す術もなかった。取り敢えずは他の大問を解いていくことだ。が、やはり他の大問は取るに足らない問題ばかりで、解くのも用意だった。数学同様、物理も所詮はパターンを掴めているかどうかに尽きる。
が、おれは原子の解き方のパターンを掴んでいなかった。
だが、まだできないと決まったワケではない。兎に角、やるだけやってみーー
まぁ、半分はできたわ。半分は。
とはいえ、所詮はその程度。思わぬ泥沼に足を取られ、もはや数学のマークミスのフォローをする余裕などなくなってしまった。結果ーー
落ちたよな。
まぁ、この話は昨日もしたけどさ。昨日の不注意だけでなく、準備不足とは。改めて考えると、数学だけの問題じゃなかったのかもしれない。やっぱね、準備は大事。
アンタらも準備はしっかりと、な。
アスタラビスタ。