【マキャベリスト~模索~】

文字数 3,417文字

 何の収穫もなかった。

 子供の為の学習塾を探しているとウソをつき日谷学習塾内に潜入したまではよかったが、ビルの二階の半分を貸し切っただけの学習塾には、可笑しな場所など存在しなかった。

 それどころか、逆に架空の子供の素性を訊かれて詰まってしまい、可笑しな空気を作ってしまった。挙げ句の果ては、友人の子供というワケのわからない言い訳をし、塾の職員を唖然とさせてしまう始末。弓永にはその手の演技の才能がなかったようだ。

 にしても、日谷塾のほうも随分と温和に取り計らってくれたモノだ。突然その日になって授業風景を見学したい、それも大人ひとりで、という申し入れに対しイヤな顔ひとつせずに応対してくれた。

 建物近辺から塾の様子を探ってみても可笑しな所は特にないし、隠しスペースがあるようにも思えなかった。当たり前だ。仮に学習塾を隠れ蓑にしていたとして、表向きに何か分かるようなことがあれば、不正は直ぐに発覚する。

 やはり、真理への道は長く険しい。

 弓永は学習塾近くの公園のベンチでひとり、コンビニで買ったいくつかのメロンパンを頬張りながら、日本製のウイスキーの小ボトルをキーポンで呷っていた。

 ネオンと灯りで照らされた真っ暗な五村のストリートはグロテスクに揺れ、自動車のエンジン音が悲鳴のように轟いていた。

 街灯の光を受けて夜闇に浮かぶメロンパンは、まるで欠けた月のようだった。食べ滓が弓永の口からボロボロ落ち、弓永のブラウンのジャケットに白い点を打ち込んでいた。

 弓永が見つめる先には、野球帽を被った少年らしき者が、木製のバットを素振りしていた。少年は弓永が公園に来る前からずっとおり、ひとり熱心に来る球種をイメージしながら練習に励んでいるようだった。

 日谷塾へ行く前に武井探偵事務所へと赴いてみるも武井はおらず、電話もメールも依然不通のまま。弓永は完全に行き詰まっていた。

 弓永は静かにため息をついた。

 スマホが振動した。

 弓永は鐘が鳴らされたパブロフの犬のように素早く懐からスマホを取り出した。

 が、その番号は武井のではなく、見知らぬ何者かのモノだった。

 弓永は彫刻刀を入れたように深いシワを眉間に刻み込むと、少し静止した後、通話ボタンをスライドさせた。

「誰だ」同情のない、強固な金庫のような固く不可侵な語調で弓永はいった。

「誰だ、じゃない!」

 まるで蝉に小便を引っ掛けられて泣き言をいっているような情けない声だった。

「あ?」弓永は呆気に取られたように声を上げたが、すぐに、「あぁ、オッサンか」

「誰がオッサンだ! 上司に向かって何て口利くんだ。そもそも、わたしが赴任してもう二年近くになるっていうのに、まだ番号も登録してないんだな。お前、わたしの名前も覚えちゃいないんだろう?」

「はい、覚えているであります。佐武警部殿」

「下の名前は?」

「アンタ、自分の『息子』に名前つける趣味があったのか」

「何をいう、わたしには娘しかーー何をいわせるんだ! わたしがいってるのはその『下の名前』じゃない!」

 弓永の視線の先でバットを素振りしていた者が、練習を終え、公園から出ていった。弓永はそんなことには構うことなく、赤ちゃんが上げるような無邪気な笑い声を夜の公園で上げた。

「笑うんじゃない!」

「悪かったな。ちゃんと覚えてるよ、佐武平蔵警部」

 佐武平蔵は、二年前の高城警部の殉職に伴い、別の署から五村署刑事組織犯罪対策課の課長へと配属されて来た男だった。弓永ほどではないが、実績もあり、優秀ではあるが、その性格や落ち着きのない甲高い声のせいで部下からの評判はあまりよくなかった。

「でも、何だよ。今日、非番なんだけど」

「今どこにいる?」

「おい、おれの事情はシカトかよ」

「お前の事情がどうこういっている場合じゃないんだ。ただお前に事情を訊きたい」

「おれの事情はどうでもいいのに、おれに事情を訊きたいとか、哲学かーー」

「真面目な話だ。今どこにいる?」

「電話じゃダメなのか。それとも、老害に有りがちな無駄な対面に拘る主義をおれに押し付けたいと?」

 弓永はウイスキーを軽く煽った。ガラスのボトルに光が反射し、黒いラベルに揺れる何かが映った。

「上司を『害』呼ばわりは聞き捨てならないな。どちらにしろこちらにーー」

 弓永はベンチから勢いよく立ち上がり、スマホを捨てつつ後方に向かってウイスキーのボトルを投げつけた。

 硬度なガラスのボトルが、野球帽を被った何者かの顔にぶち当たった。さっきまで公園でバットを素振りしていた、あの野球帽だった。

 間一髪。野球帽は華奢な身体で手に持っていた木製のバットを振り上げていた。ちょうどタイミング良く、弓永はビンを投げ、ビンはバットに邪魔されることなく野球帽の空いた顔面の下部を覆う黒いマスクにヒットした。

 よろめく野球帽。

 弓永はベンチの座面と背もたれの縁を踏み台に勢いよく飛び上がり、野球帽の顔面に跳び蹴りを食らわせた。

 怯みつつも野球帽は、バットを振り上げた。

 弓永は口に含んだままだったウイスキーを野球帽の顔面に思い切り吹き掛けた。

 野球帽は手で顔を覆った。

 弓永は野球帽の股関を蹴り上げた。

 野球帽は空いた手で股関を抑え、身体を折った。

 足払いを掛ける弓永。

 野球帽は背中から地面に叩きつけられ、後頭部を強く打った。

 野球帽の手からバットが放れた。

 弓永はバットを蹴って野球帽から遠ざけると、起き上がろうとする野球帽の顔面に蹴りを入れた。

 野球帽が落ちた。

 弓永は野球帽の取れた何者かのマスクを外した。

 女だった。見た目的には三十代くらいだろうか。胸の膨らみがないこともあって、男にも見えないこともないが肩幅の狭さと華奢な体つき、うしろで纏めた比較的長めの髪に化粧を施した顔を見ればまず男には見えない。

 女はすすり泣いていた。が、弓永は相手が女であろうと、すすり泣いていようと容赦はしなかった。胸ぐらを掴み顔面に拳を一撃喰らわせると、そのまま尋問を始めた。

「お前、佐野じゃなさそうだな」

「佐野って……、何のこと……?」

「身分証を出せ」

「ないよ……! そんなことより、警察を……」

「そうだな。暴力事件には警察がつきモンだ。でもな、お前がやったことはおれへの傷害未遂、あるいは殺人未遂であって、おれが問われるのは精々過剰防衛かどうか、だ。それに、なーー」弓永は懐から警察手帳を出した。「おれこそが法律だ。よく覚えておけ」

 普通、警察手帳は紛失や悪用を防ぐために非番の時は署内の金庫に仕舞っておく決まりがある。だが、弓永は、ある時、警察手帳を「紛失した」とウソをつき、不正に新しい警察手帳を取得、「紛失した」警察手帳を自宅で保管し、勤務中とプライベートでそれぞれ別の手帳を持ち歩くようになったのだった。

「さぁ、答えろ。どうしておれを狙った?」

 弓永が問い質しても、女は泣くばかりだった。が、弓永はそんなことにはお構い無しに女を詰めた。女の目線が弓永の背後に向いた。

 弓永は横へ飛び退いた。

 何かが鋭く空を切る音。

 飛び退き様、弓永は自分がいた位置へと注意を向けた。

 別の何者かの姿。手には包丁を持ち、顔はやはり帽子と黒いマスクで判別ができない。

 何者かは、ナイフを弓永に向けた。腰の高い構え。切っ先は上下左右にブレている。

 弓永の表情から感情が消えた。

 弓永は肩を落とし、摺り足気味に何者かに近づいた。

 何者かはジリジリと引き下がりつつ、空いた手で懐を探った。

 次に懐から手が出ると、霧が起きた。

 痴漢避けスプレー。弓永は咄嗟に引き下がり、身構えた。

 が、次の一撃はなかった。

 何者かは、女を立たせるとナイフを仕舞いつつ走って公園から逃げていってしまった。

 弓永は追わなかった。

 女が落としたバットをハンカチを使って拾い上げると、自分のスマホを拾った。

「弓永! 無視するんじゃない!」

「うるせぇな。結構な時間黙ってたのに、まだ電話切ってねぇのか」

「な、何だその口の利き方は!」

「黙れ。それより、今からそっちへ行ってやるよ。面白い土産もあるしな」

「土産?」

「あぁ。そんなことより、おれに何の用だ」

「……お前、日谷学習塾って知ってるか?」

 佐武の声が張り詰めたピアノ線のように緊張した。弓永の顔に疑問が浮かぶ。

「知ってるけど、それがどうしたんだよ?」

「放火されたんだよ、さっき」

 焦燥の沼から声が出た。

 【続く】
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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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