【藪医者放浪記~玖拾漆~】
文字数 696文字
茂作の目は大きく見開かれた。
確かにこれくらいの直参旗本の屋敷で、しかも『天誅屋』なんて裏の稼業の元締めをやっているのであれば、普通の旗本よりも危ない目にあう可能性はずっと高い。そもそもやっていることがことだけに、何かあって仮に何事もなく抜け出せたとしても、その後が茨の道であろうことは誰の目にも明らかだ。
だが、そんな松平天馬たちの事情を知る由もない茂作とお凉からしたら何の関係もなかった。出られる。この閉じられた場所から。それだけでもお凉は既に気持ちを抑えきれないといった様子だった。が、茂作は何処か煮え切らない事情があるようだった。
「どうしたんだい?」
お凉がそう訊ねるのも無理はなかった。今までの茂作ならこんな美味しい話に飛びつかないワケがない。躊躇する間なんてまったくといっていいほどなかったに違いなかった。にも関わらず、この時の茂作はいつも見せる下衆な笑みを浮かべていなかった。
「いや......」茂作は口を開いた。「例え逃げたとしてよ、旗本の元から勝手に逃げ出したってことで何か酷い目にあうんじゃねぇかと思って」
「そんなことないでしょ! 一度逃げちまえばこっちのモンだよ! そっからさっさとどっかに行っちまえば、わたしらのことなんか見つけられっこないよ!」
だが、茂作は煮え切らなかった。お凉はそんな茂作にとうとう痺れを切らしていった。
「どうしたんだい! 逃げるのか、逃げないのか、どっちなんだい!?」
「おれは......」と茂作。「ひとりで行ってくれねぇか」
この答えにはお凉も唖然とした。ワケを訊くと茂作は照れ臭そうにいった。
「アイツらのこと、放っておけなくて」
【続く】
確かにこれくらいの直参旗本の屋敷で、しかも『天誅屋』なんて裏の稼業の元締めをやっているのであれば、普通の旗本よりも危ない目にあう可能性はずっと高い。そもそもやっていることがことだけに、何かあって仮に何事もなく抜け出せたとしても、その後が茨の道であろうことは誰の目にも明らかだ。
だが、そんな松平天馬たちの事情を知る由もない茂作とお凉からしたら何の関係もなかった。出られる。この閉じられた場所から。それだけでもお凉は既に気持ちを抑えきれないといった様子だった。が、茂作は何処か煮え切らない事情があるようだった。
「どうしたんだい?」
お凉がそう訊ねるのも無理はなかった。今までの茂作ならこんな美味しい話に飛びつかないワケがない。躊躇する間なんてまったくといっていいほどなかったに違いなかった。にも関わらず、この時の茂作はいつも見せる下衆な笑みを浮かべていなかった。
「いや......」茂作は口を開いた。「例え逃げたとしてよ、旗本の元から勝手に逃げ出したってことで何か酷い目にあうんじゃねぇかと思って」
「そんなことないでしょ! 一度逃げちまえばこっちのモンだよ! そっからさっさとどっかに行っちまえば、わたしらのことなんか見つけられっこないよ!」
だが、茂作は煮え切らなかった。お凉はそんな茂作にとうとう痺れを切らしていった。
「どうしたんだい! 逃げるのか、逃げないのか、どっちなんだい!?」
「おれは......」と茂作。「ひとりで行ってくれねぇか」
この答えにはお凉も唖然とした。ワケを訊くと茂作は照れ臭そうにいった。
「アイツらのこと、放っておけなくて」
【続く】