【藪医者放浪記~弐拾~】
文字数 2,173文字
九十九街道の赤い土が風に舞う。
その音はまるで、その場の空気の緊張を象徴しているかのよう。風に靡く髪が、あてどもない風の行方を告げている。だが、この状況の行き着く先までは教えてはくれなかった。
うっすらと笑う猿田源之助。ここに来て初めて緊迫した表情を見せる牛馬。そして、凍りつく寅三郎と藤十郎、そして銀次。
「おれたちの組が壊滅してる……?」
銀次のことばは明らかに強ばっている。猿田の笑みは相も変わらず不敵ではあるが、そこには余裕のなさが見える。猿田は空気が漏れ出すように、大きくため息をつく。
「まぁ、それは冗談なんだけどな」
猿田のそのことばで、場の空気は一気に弛む。まるで引っ張り過ぎて伸びきってしまったヒモのように、本来の形を損なってしまったよう。
「冗談、だぁ……?」銀次がいう。
「そう冗談。すまんね」
猿田はお道化るようにいうと、寅三郎と藤十郎は呆れたような表情を浮かべる。
「冗談って、アンタ……」と寅三郎。
「お主はそれをいいに来たのか……?」
と藤十郎が続く。ふたりの呆れ果てたことばに猿田も無垢な少年のような笑みを浮かべる。と、突然に高笑いする声が聴こえる。その声は牛馬のモノだった。牛馬の笑い声はその場に新しい緊張を生み、場を引き締める。
「この場において冗談とは、随分と肝の据わった野郎じゃねぇか。さすが、テメェは他の雑魚どもとは格が違うってことか」
「そりゃどうも」猿田は緊張を引き継いだようにうっすらと笑っていう。「まぁ、でも、あながち間違いでもないんだけどな」
その勝ち誇ったような笑みはその場にいる者たちを騒然とさせる。銀次も牛馬も、寅三郎も藤十郎もみな猿田の意図が読めずに混乱したような表情を浮かべている。
「テメェ、何がいいてぇんだ!」
銀次が荒々しくいう。と、猿田は天を仰ぎ見て口を開く。
「雨は降らないけど、何か降ってきそうな空模様だとは思わないか?」
猿田のことばにその場の一行はすぐさま空を見上げる。雲が多少あるとはいえ、そこには鮮やかな桧皮色の夕焼け空が広がるばかり。天気が荒れる気配など、皆無だった。バカにされた。そんな思いがよぎったか、銀次は怒りを表情いっぱいに込めていう。
「テメェ、またワケのわからねぇことを……」
「上だ!」
牛馬が叫ぶ。と、懐から出した手裏剣を空に向かって投げようとする。が、その手は弾かれる。地面に転がる手裏剣、そしてもうひとつの手裏剣。牛馬が視線を飛ばすと、その先には武士の格好をしたお雉の姿がある。
「なかなか似合ってるな」猿田がいう。
「一応、武家の出だもの」とお雉。
ふたりがそう話していると、突然、空の一部が暗くなる。かと思いきや、その暗さは一気に広がりを見せる。銀次は空を見上げる。だが、それは遅かった、遅すぎたのだ。
巨体が降ってきたのだ。
その巨体は銀次の身体におぶさるようにのし掛かり、銀次の身体を力任せに持ち上げると、背後を取りつつ首元に腕を回す。銀次はもはや自分の脚では立っていられない様子だった。
「テメェは……」
「やっとだよ、腹が減って死ぬかと思った」
銀次の背後を取った者がいう。それは紛れもない犬吉だった。犬吉は屋敷の一階屋根から飛び降りたにも関わらず、まるでビクともしていない様子だった。
銀次は暴れる。が、犬吉の太い腕が銀次ののどに蛇のように絡みつき締め付ける。
「それ以上動くんじゃねえよ。あんまうるさいと、折っちまうかんね」
平然といいのける犬吉に真実味を感じ取ったか、銀次は不本意ながらも動きを止める。
「おい、牛馬」銀次はいう。「この野郎、何とかしてくれ!」
「それはいいが」牛馬の目が凍りつく。「それはテメェの死も意味するぞ」
銀次は絶句する。自分の死を意味する。そういわれて、銀次もどうすればいいのかわからないといった様子だ。
「おれを殺ろうってのか……?」
「おれの左手を見ろよ」牛馬の左手は、先ほどのお雉の手裏剣を受けて切れ、血を流している。「このザマだ。これじゃまともに手裏剣は扱えないし、刀もブレる。そのデケェのを殺ろうと思ったら、テメェごと突き刺すぐらいしかねぇだろうな」
血も涙もないことばに銀次の顔は引き吊る。と、屋敷の中が何やら騒々しい。牛馬と銀次の意識が屋敷のほうを向く。と、屋敷の出入口から慌てた男がひとり吐き出されて来る。
「頭ぁーッ!」
その男は狂乱状態。犬吉に捕らわれた銀次の姿を見、一瞬にしてその動きを止める。が、銀次はそんなことはどうでもいいといわんばかりに訊ねる。
「どうした……?」
銀次がそう訊ねても手下は今目の前で起きている状況に目を真っ赤にするばかり。だが、銀次はその理由をわかっていつつも厳しい口調でいう。
「どうしたって聞いてんだ!」
「あ、それが……!」手下は一瞬ためらいの沈黙を見せてからいう。「伝助の野郎が組の野郎どもを次々と……!」
「何だと……!」銀次は絶句する。
「そういうこと」お雉。「さて、どうする?強がって組を崩壊させる? それとも恥を忍んで生き残る?」
と、突然に高笑いが聴こえる。牛馬。やけくそに笑っているというよりは、今、そこにある状況をこころから楽しんでいるといった様子。
「面白いな。おれは組がどうなろうとどうでもいい。猿田源之助、決着をつけようぜ」
牛馬の目が光る。猿田は固く笑う。
【続く】
その音はまるで、その場の空気の緊張を象徴しているかのよう。風に靡く髪が、あてどもない風の行方を告げている。だが、この状況の行き着く先までは教えてはくれなかった。
うっすらと笑う猿田源之助。ここに来て初めて緊迫した表情を見せる牛馬。そして、凍りつく寅三郎と藤十郎、そして銀次。
「おれたちの組が壊滅してる……?」
銀次のことばは明らかに強ばっている。猿田の笑みは相も変わらず不敵ではあるが、そこには余裕のなさが見える。猿田は空気が漏れ出すように、大きくため息をつく。
「まぁ、それは冗談なんだけどな」
猿田のそのことばで、場の空気は一気に弛む。まるで引っ張り過ぎて伸びきってしまったヒモのように、本来の形を損なってしまったよう。
「冗談、だぁ……?」銀次がいう。
「そう冗談。すまんね」
猿田はお道化るようにいうと、寅三郎と藤十郎は呆れたような表情を浮かべる。
「冗談って、アンタ……」と寅三郎。
「お主はそれをいいに来たのか……?」
と藤十郎が続く。ふたりの呆れ果てたことばに猿田も無垢な少年のような笑みを浮かべる。と、突然に高笑いする声が聴こえる。その声は牛馬のモノだった。牛馬の笑い声はその場に新しい緊張を生み、場を引き締める。
「この場において冗談とは、随分と肝の据わった野郎じゃねぇか。さすが、テメェは他の雑魚どもとは格が違うってことか」
「そりゃどうも」猿田は緊張を引き継いだようにうっすらと笑っていう。「まぁ、でも、あながち間違いでもないんだけどな」
その勝ち誇ったような笑みはその場にいる者たちを騒然とさせる。銀次も牛馬も、寅三郎も藤十郎もみな猿田の意図が読めずに混乱したような表情を浮かべている。
「テメェ、何がいいてぇんだ!」
銀次が荒々しくいう。と、猿田は天を仰ぎ見て口を開く。
「雨は降らないけど、何か降ってきそうな空模様だとは思わないか?」
猿田のことばにその場の一行はすぐさま空を見上げる。雲が多少あるとはいえ、そこには鮮やかな桧皮色の夕焼け空が広がるばかり。天気が荒れる気配など、皆無だった。バカにされた。そんな思いがよぎったか、銀次は怒りを表情いっぱいに込めていう。
「テメェ、またワケのわからねぇことを……」
「上だ!」
牛馬が叫ぶ。と、懐から出した手裏剣を空に向かって投げようとする。が、その手は弾かれる。地面に転がる手裏剣、そしてもうひとつの手裏剣。牛馬が視線を飛ばすと、その先には武士の格好をしたお雉の姿がある。
「なかなか似合ってるな」猿田がいう。
「一応、武家の出だもの」とお雉。
ふたりがそう話していると、突然、空の一部が暗くなる。かと思いきや、その暗さは一気に広がりを見せる。銀次は空を見上げる。だが、それは遅かった、遅すぎたのだ。
巨体が降ってきたのだ。
その巨体は銀次の身体におぶさるようにのし掛かり、銀次の身体を力任せに持ち上げると、背後を取りつつ首元に腕を回す。銀次はもはや自分の脚では立っていられない様子だった。
「テメェは……」
「やっとだよ、腹が減って死ぬかと思った」
銀次の背後を取った者がいう。それは紛れもない犬吉だった。犬吉は屋敷の一階屋根から飛び降りたにも関わらず、まるでビクともしていない様子だった。
銀次は暴れる。が、犬吉の太い腕が銀次ののどに蛇のように絡みつき締め付ける。
「それ以上動くんじゃねえよ。あんまうるさいと、折っちまうかんね」
平然といいのける犬吉に真実味を感じ取ったか、銀次は不本意ながらも動きを止める。
「おい、牛馬」銀次はいう。「この野郎、何とかしてくれ!」
「それはいいが」牛馬の目が凍りつく。「それはテメェの死も意味するぞ」
銀次は絶句する。自分の死を意味する。そういわれて、銀次もどうすればいいのかわからないといった様子だ。
「おれを殺ろうってのか……?」
「おれの左手を見ろよ」牛馬の左手は、先ほどのお雉の手裏剣を受けて切れ、血を流している。「このザマだ。これじゃまともに手裏剣は扱えないし、刀もブレる。そのデケェのを殺ろうと思ったら、テメェごと突き刺すぐらいしかねぇだろうな」
血も涙もないことばに銀次の顔は引き吊る。と、屋敷の中が何やら騒々しい。牛馬と銀次の意識が屋敷のほうを向く。と、屋敷の出入口から慌てた男がひとり吐き出されて来る。
「頭ぁーッ!」
その男は狂乱状態。犬吉に捕らわれた銀次の姿を見、一瞬にしてその動きを止める。が、銀次はそんなことはどうでもいいといわんばかりに訊ねる。
「どうした……?」
銀次がそう訊ねても手下は今目の前で起きている状況に目を真っ赤にするばかり。だが、銀次はその理由をわかっていつつも厳しい口調でいう。
「どうしたって聞いてんだ!」
「あ、それが……!」手下は一瞬ためらいの沈黙を見せてからいう。「伝助の野郎が組の野郎どもを次々と……!」
「何だと……!」銀次は絶句する。
「そういうこと」お雉。「さて、どうする?強がって組を崩壊させる? それとも恥を忍んで生き残る?」
と、突然に高笑いが聴こえる。牛馬。やけくそに笑っているというよりは、今、そこにある状況をこころから楽しんでいるといった様子。
「面白いな。おれは組がどうなろうとどうでもいい。猿田源之助、決着をつけようぜ」
牛馬の目が光る。猿田は固く笑う。
【続く】