【いろは歌地獄旅~ハート・オブ・ヒーロー~】
文字数 3,671文字
栄光の日々ーーあの時、おれは間違いなくヒーローだった。
子供たちからは好かれ、おれがそこにいるだけで歓声が沸いた。おれの一挙手一投足によりアウトローどもは一回転して倒れる。
雑魚を片付けた後は敵の親玉との直接対決。
おれは歌舞伎の見栄切りのように凄まじい形相を浮かべながら、左手に巻かれた腕時計型の変身アイテムを自分の顔の前に、地面と平行になるようにかざして、こう叫ぶのだーー
「超越! タイムフリッパー!」
そこでおれの身体は光に包まれ、光が収まるとそこにはアーマーとメット姿のヒーローがいる。名前は『サタノス』。時間を超越し、無機物に寄生できる超高性能AI『リン』と共に悪を討ち、悪の手に掛かった人の死をなかったことにする超時空探偵ーーそれがおれだった。
番組は大ヒット。オモチャは飛ぶように売れた。子供向けヒーロー特撮番組とはいえ、子供に媚びず、子供の付き合いとして観る保護者層をターゲットにした暗くハードでシリアスなシナリオ展開、本格的で派手なアクションにより子供から大人まで広い層に親しまれた。
だが、そこにいるおれは幻だったのだ。
確かにおれは『サタノス』の主演俳優で、サタノスに変身する『沖田隼人』だった。だが、それはあくまでフィクションの話でしかない。それに、このドラマのメインは『サタノス』というヒーローであって、おれではない。
おれはそれをわかっていなかったのだ。
おれは天狗になった。人を見下し、アゴで使い、自分が最高の存在であるかのように振る舞った。だが、そんなのは単なる幻想でしかなく、その幻想も番組終了後、間もなくして解けることとなった。
来る仕事、来る仕事とビデオ映画のチョイ役ばかり。大きな連ドラに出るとしてもゲストが精々。たまにレギュラーとしての役を貰っても、現場スタッフとの言い争いが絶えず、最終的におれは降板という憂き目に遭う。
おれの役は別の役者が引き継ぐ、あるいはおれの役自体が急に失踪していたり、死んでいたりなんてことになっていた。
確かにおれは演技が下手だった。だが、だからといって、おれに役者としての価値がないとはまったく思っておらず、むしろ需要しかないと思っていた。だが、それはすぐに間違いだと証明されてしまったーー
気づけば仕事もなくなり、おれは事務所からお荷物とされ契約を切られていたのだ。
だが、おれはそれでも自信に満ち溢れていた。おれはヒーローなのだから。おれは過去の栄光であるサタノス主演俳優という肩書きを看板に店を立ち上げたり、様々な活動をしてきた。だが、そんなモノは所詮大した効果は生まない。来る客といえば特撮マニアぐらいだ。
結局経営不振で店を畳み、残ったのは借金だけ。当たり前だが妻と子供にも逃げられた。絵に描いたような転落人生。自分でも笑けて来るーー笑っている場合ではないが。
そして、今、おれは酒浸りの借金生活をしている。仕事は工事現場のアルバイトを一日中。酒を飲んでいないと手が震えるような気がするが、子供の頃から空手に柔道と武道をやっていたこと、特撮の撮影現場の厳しさのお陰で体力だけはあったため、肉体的な苦痛はなかった。
それに、五十歳を前にして、贅肉は付いているとはいえ、まぁまぁの筋肉を維持できているのは工事現場でのバイトのお陰もあるだろう。
だが、そこに昔の栄光はない。
あるのはおれという食い潰されたゴミクズだけ。毎日ハードワーク。それからバカみたいに安い事故物件の部屋に帰って安い酒を呷っては、酔って寝るという安いルーティーンの繰り返し。虚しい人生。贅肉のせいもあるだろうが、気づけば面相も悪くなり、今じゃ昔の端正な感じもなくなっている。
そんなある日のことである。おれは休日にパチンコを打ちに街に出ていた。
だが、結果は散々。三時間で数万を溶かし、おれは店を後にした。
財布の中には小銭と塵しか入っていない。
おれはウンザリした気分で街中を歩いた。人混みの繁華街は、笑みに満ちていた。その中でおれは顔をしかめながら、ポケットに手を突っ込んで猫背気味に睨みを利かせながら歩く。
街行く人全員が、おれとは真逆の方向を進んでいるようだった。
おれは完全に世間から溢れていた。
「あの……」
突然、背後から声を掛けられた。おれは威圧的に「あ?」といいながら振り返った。
そこには二十代半ばくらいの冴えない、だが何処かイケメン風なあんちゃんがいた。
「……何だよ?」
あまりに意外で、おれは困惑気味にそう訊ねると、あんちゃんは顔を強張らせながらも、ぎこちない笑みを浮かべてこういったーー
「福井徹さん、ですよね? 『超時空探偵サタノス』に出てらした……」
このあんちゃんがいっていることに間違いはなかった。だが、おれは答えに窮した。まさか、本編終了後二十五年も経ってから、こんな風に声を掛けられるとは思ってもいなかったのだーーそれもこんな若いあんちゃんに……若い?
「小さい頃『サタノス』観てました。サタノスも沖田隼人もすごくかっこよくて! あれからずっと好きなんです!」
それで合点がいった。おれは何もいわずに、ただあんちゃんを見詰めていた。違うといおうと思えばいえた。だが、いえなかった。別に彼の夢を壊したくないと思ったワケじゃない。
ただ、正解はないように思えた。
おれがそれを肯定すれば、ヒーローだった男の情けないその後を見せつけることになる。否定すれば、彼に悲しい思いをさせることになる。まぁ、今さらそんなことをしたところでどうとも思わないが、昔、陰で自分を慕ってくれた子供が、これまでずっと自分を慕い続けてくれ、かつこんな風に声を掛けられると、嬉しいと思う反面、凄く複雑な気分になるのだ。
何故なら『サタノス』は、おれの栄光でもあり、足枷でもあるから。
「『サタノス』も今年で二十五周年じゃないですか……! そんな年に福井さんに会えるなんて、おれ、嬉しくて……!」
あんちゃんは熱を込めていった。彼の顔は輝いていた。腐っても憧れの人であるおれに出会い、かつてのヒーローのことを熱く話す彼の顔には、一片の曇りもなかった。
「あぁ、いやぁ……、その……」
おれが答えに窮していると、突然、悲鳴が聴こえた。悲鳴のしたほうを見ると、道行く人たちが次々とこっちへ走って来た。
その中を、手を大振りにしながら走る男がいた。手元が光っている。包丁だった。そう、男は紛れもない通り魔だったのだ。
全身が強張った。息が乱れた。汗が脇と背中を濡らした。
「あれは……! 早く逃げましょう!」
あんちゃんはおれの服を引っ張った。だが、おれは動けなかったーーいや、もしかしたら動かなかったのかもしれない。
「……呼べ」おれは震える声でいった。
「……え?」
あんちゃんは訊き返す。震えるおれの声が聞き取れなかったようだ。
「警察を呼べ……、このままじゃ、被害が酷くなるだろ……」
「でも、福井さんは……?」
おれは不思議とやる気になっていた。空手と柔道とは、かれこれ十年以上離れている。当然、アクションなんて役者をやっていた一時期しかやっていなかったし、昔のあの動きが再現されることはないだろう。だが……、
おれはかつてヒーローだった男だ。
そんな男が刃物を振り回す素人丸出しの通り魔に負けるはずがないだろう。
おれは自分にそういい聞かせた。
「頼んだぞ、……ヒーロー!」
おれはそういって走り出した。通り魔に向かって。通り魔はおれというターゲットに目を向けて、一直線にこちらに向かってきた。
「タイムフリッパー!」
おれは叫んでいたーー
翌日のことである。新聞やニュースはこの通り魔事件のことを大々的に取り上げた。
重軽傷者は十人ほど、死者は三名ほどにもなったこの通り魔事件は、結局ひとりの男の手によって終局を迎えた。
その男の名前は『福井徹』。
かつて『超時空探偵サタノス』という特撮ヒーロー番組で主演をしていた元俳優で、現在は工事現場のアルバイトで生計を立てているーーいや、立てていたというべきだろう。
福井は通り魔と立ち回り、腹部を刺されつつも通り魔を投げ飛ばし、急所に拳を打ち込むと、そのまま通り魔を袈裟固めで制圧した。
警察が来た時には福井は既に虫の息で、救急車に搬送される頃には、既に死亡していた。
福井の死は新聞やテレビ、ネットのニュースにも取り上げられ、『サタノス』の二十五周年ということもあって、ちょっとした話題となり数日間、メディアを賑わせたーーとはいえ、数日でまたすぐに過去の人となったが。
そんな中、事件後に、ネットの匿名掲示板にこんな書き込みがなされた。
「福井さんがいなかったら、自分は死んでいたかもしれない。仮にどんなに落ちぶれていたとしても、福井さんはやっぱりヒーローだった」
しかし、それを福井本人が目にすることは、今後一切ない。ただ、ひとついえるのは、あの瞬間、福井は紛れもなくヒーローに返り咲き、ヒーローとして死んだということだ。
子供たちからは好かれ、おれがそこにいるだけで歓声が沸いた。おれの一挙手一投足によりアウトローどもは一回転して倒れる。
雑魚を片付けた後は敵の親玉との直接対決。
おれは歌舞伎の見栄切りのように凄まじい形相を浮かべながら、左手に巻かれた腕時計型の変身アイテムを自分の顔の前に、地面と平行になるようにかざして、こう叫ぶのだーー
「超越! タイムフリッパー!」
そこでおれの身体は光に包まれ、光が収まるとそこにはアーマーとメット姿のヒーローがいる。名前は『サタノス』。時間を超越し、無機物に寄生できる超高性能AI『リン』と共に悪を討ち、悪の手に掛かった人の死をなかったことにする超時空探偵ーーそれがおれだった。
番組は大ヒット。オモチャは飛ぶように売れた。子供向けヒーロー特撮番組とはいえ、子供に媚びず、子供の付き合いとして観る保護者層をターゲットにした暗くハードでシリアスなシナリオ展開、本格的で派手なアクションにより子供から大人まで広い層に親しまれた。
だが、そこにいるおれは幻だったのだ。
確かにおれは『サタノス』の主演俳優で、サタノスに変身する『沖田隼人』だった。だが、それはあくまでフィクションの話でしかない。それに、このドラマのメインは『サタノス』というヒーローであって、おれではない。
おれはそれをわかっていなかったのだ。
おれは天狗になった。人を見下し、アゴで使い、自分が最高の存在であるかのように振る舞った。だが、そんなのは単なる幻想でしかなく、その幻想も番組終了後、間もなくして解けることとなった。
来る仕事、来る仕事とビデオ映画のチョイ役ばかり。大きな連ドラに出るとしてもゲストが精々。たまにレギュラーとしての役を貰っても、現場スタッフとの言い争いが絶えず、最終的におれは降板という憂き目に遭う。
おれの役は別の役者が引き継ぐ、あるいはおれの役自体が急に失踪していたり、死んでいたりなんてことになっていた。
確かにおれは演技が下手だった。だが、だからといって、おれに役者としての価値がないとはまったく思っておらず、むしろ需要しかないと思っていた。だが、それはすぐに間違いだと証明されてしまったーー
気づけば仕事もなくなり、おれは事務所からお荷物とされ契約を切られていたのだ。
だが、おれはそれでも自信に満ち溢れていた。おれはヒーローなのだから。おれは過去の栄光であるサタノス主演俳優という肩書きを看板に店を立ち上げたり、様々な活動をしてきた。だが、そんなモノは所詮大した効果は生まない。来る客といえば特撮マニアぐらいだ。
結局経営不振で店を畳み、残ったのは借金だけ。当たり前だが妻と子供にも逃げられた。絵に描いたような転落人生。自分でも笑けて来るーー笑っている場合ではないが。
そして、今、おれは酒浸りの借金生活をしている。仕事は工事現場のアルバイトを一日中。酒を飲んでいないと手が震えるような気がするが、子供の頃から空手に柔道と武道をやっていたこと、特撮の撮影現場の厳しさのお陰で体力だけはあったため、肉体的な苦痛はなかった。
それに、五十歳を前にして、贅肉は付いているとはいえ、まぁまぁの筋肉を維持できているのは工事現場でのバイトのお陰もあるだろう。
だが、そこに昔の栄光はない。
あるのはおれという食い潰されたゴミクズだけ。毎日ハードワーク。それからバカみたいに安い事故物件の部屋に帰って安い酒を呷っては、酔って寝るという安いルーティーンの繰り返し。虚しい人生。贅肉のせいもあるだろうが、気づけば面相も悪くなり、今じゃ昔の端正な感じもなくなっている。
そんなある日のことである。おれは休日にパチンコを打ちに街に出ていた。
だが、結果は散々。三時間で数万を溶かし、おれは店を後にした。
財布の中には小銭と塵しか入っていない。
おれはウンザリした気分で街中を歩いた。人混みの繁華街は、笑みに満ちていた。その中でおれは顔をしかめながら、ポケットに手を突っ込んで猫背気味に睨みを利かせながら歩く。
街行く人全員が、おれとは真逆の方向を進んでいるようだった。
おれは完全に世間から溢れていた。
「あの……」
突然、背後から声を掛けられた。おれは威圧的に「あ?」といいながら振り返った。
そこには二十代半ばくらいの冴えない、だが何処かイケメン風なあんちゃんがいた。
「……何だよ?」
あまりに意外で、おれは困惑気味にそう訊ねると、あんちゃんは顔を強張らせながらも、ぎこちない笑みを浮かべてこういったーー
「福井徹さん、ですよね? 『超時空探偵サタノス』に出てらした……」
このあんちゃんがいっていることに間違いはなかった。だが、おれは答えに窮した。まさか、本編終了後二十五年も経ってから、こんな風に声を掛けられるとは思ってもいなかったのだーーそれもこんな若いあんちゃんに……若い?
「小さい頃『サタノス』観てました。サタノスも沖田隼人もすごくかっこよくて! あれからずっと好きなんです!」
それで合点がいった。おれは何もいわずに、ただあんちゃんを見詰めていた。違うといおうと思えばいえた。だが、いえなかった。別に彼の夢を壊したくないと思ったワケじゃない。
ただ、正解はないように思えた。
おれがそれを肯定すれば、ヒーローだった男の情けないその後を見せつけることになる。否定すれば、彼に悲しい思いをさせることになる。まぁ、今さらそんなことをしたところでどうとも思わないが、昔、陰で自分を慕ってくれた子供が、これまでずっと自分を慕い続けてくれ、かつこんな風に声を掛けられると、嬉しいと思う反面、凄く複雑な気分になるのだ。
何故なら『サタノス』は、おれの栄光でもあり、足枷でもあるから。
「『サタノス』も今年で二十五周年じゃないですか……! そんな年に福井さんに会えるなんて、おれ、嬉しくて……!」
あんちゃんは熱を込めていった。彼の顔は輝いていた。腐っても憧れの人であるおれに出会い、かつてのヒーローのことを熱く話す彼の顔には、一片の曇りもなかった。
「あぁ、いやぁ……、その……」
おれが答えに窮していると、突然、悲鳴が聴こえた。悲鳴のしたほうを見ると、道行く人たちが次々とこっちへ走って来た。
その中を、手を大振りにしながら走る男がいた。手元が光っている。包丁だった。そう、男は紛れもない通り魔だったのだ。
全身が強張った。息が乱れた。汗が脇と背中を濡らした。
「あれは……! 早く逃げましょう!」
あんちゃんはおれの服を引っ張った。だが、おれは動けなかったーーいや、もしかしたら動かなかったのかもしれない。
「……呼べ」おれは震える声でいった。
「……え?」
あんちゃんは訊き返す。震えるおれの声が聞き取れなかったようだ。
「警察を呼べ……、このままじゃ、被害が酷くなるだろ……」
「でも、福井さんは……?」
おれは不思議とやる気になっていた。空手と柔道とは、かれこれ十年以上離れている。当然、アクションなんて役者をやっていた一時期しかやっていなかったし、昔のあの動きが再現されることはないだろう。だが……、
おれはかつてヒーローだった男だ。
そんな男が刃物を振り回す素人丸出しの通り魔に負けるはずがないだろう。
おれは自分にそういい聞かせた。
「頼んだぞ、……ヒーロー!」
おれはそういって走り出した。通り魔に向かって。通り魔はおれというターゲットに目を向けて、一直線にこちらに向かってきた。
「タイムフリッパー!」
おれは叫んでいたーー
翌日のことである。新聞やニュースはこの通り魔事件のことを大々的に取り上げた。
重軽傷者は十人ほど、死者は三名ほどにもなったこの通り魔事件は、結局ひとりの男の手によって終局を迎えた。
その男の名前は『福井徹』。
かつて『超時空探偵サタノス』という特撮ヒーロー番組で主演をしていた元俳優で、現在は工事現場のアルバイトで生計を立てているーーいや、立てていたというべきだろう。
福井は通り魔と立ち回り、腹部を刺されつつも通り魔を投げ飛ばし、急所に拳を打ち込むと、そのまま通り魔を袈裟固めで制圧した。
警察が来た時には福井は既に虫の息で、救急車に搬送される頃には、既に死亡していた。
福井の死は新聞やテレビ、ネットのニュースにも取り上げられ、『サタノス』の二十五周年ということもあって、ちょっとした話題となり数日間、メディアを賑わせたーーとはいえ、数日でまたすぐに過去の人となったが。
そんな中、事件後に、ネットの匿名掲示板にこんな書き込みがなされた。
「福井さんがいなかったら、自分は死んでいたかもしれない。仮にどんなに落ちぶれていたとしても、福井さんはやっぱりヒーローだった」
しかし、それを福井本人が目にすることは、今後一切ない。ただ、ひとついえるのは、あの瞬間、福井は紛れもなくヒーローに返り咲き、ヒーローとして死んだということだ。