【西陽の当たる地獄花~弐拾捌~】

文字数 2,395文字

 炊き上がる香の煙は白く、天まで伸びる。

 白装束の男は仏壇に向かって正座、手を合わしている。黙想。目を閉じ、気持ちを集中。

 燃える蝋燭が静かに息を立てている。

 木の擦れる音ーー

 白装束の男は静かに目を閉じたまま、仏壇を拝み続けている。足音が聴こえる。木の床を踏み締めるギィという音が神経に突き刺さる。

 やがて足音は消え、刀を置く鈍い重みを持った音と衣擦れの音と身体を折る微かな音が白装束の男の内耳に届く。

「奥村さん」一瞬の間ーー「お久しぶりです」

 低い声ーー糸が張ったように緊張している。震えている。緊張だけではない。恐れ。恐れがそこにある。声だけでわかる肉体全体の強張りが、場にこだましている。

「……源之助か」白装束の男は目を閉じたままいう。「久しぶりだな」

 源之助ーー猿田源之助は静かに頷く。目を閉じたままの白装束の男には、猿田が頷く所作など見えるはずがないのに、まるで空気の流れでそれを理解したようにいう。

「……わたしを探していたそうだな」

 猿田は何も答えない。口許は笑っているが、その表情は強張り緊張している。

「……殺しに来たのか」

 猿田は尚も答えない。正座し、膝元に置いた拳をグッと握り締める。肩が震える。

「……肩が上がっているな」目を閉じているにも関わらず、白装束の男は断言する。「殺気が隠し切れていない。土佐では如何様な稽古を積んで来たかはわからないが、その様子だと、未だ人を殺したことはないと見た」

 看破ーー猿田のこめかみにひと筋の汗。

 白装束のいう通り、猿田はこの時点でも剣術、居合の腕は上々だったが、殺しという意味では完全な素人だった。

「……何故、父を」

 漸く口を開く猿田ーーその口振りはやはり硬い。真っ白く凝固した吐息が漏れる。その真っ白い吐息も、すぐに霧散し霞と消える。

 蝋燭の火がさめやかに燃えている。不安定に揺れる火は蝋を溶かし、溶けた蝋は蝋燭立ての上にポツポツと垂れては弾ける。

 溶けた蝋が落ちて弾ける音は、沈黙と静寂の中ではけたたましいほどに響き渡る。

「……それを知ったところで御主に幸福はない。あるのは死よりも苦しい絶望と悲歎だけ」

「だとしても納得は出来ません。アナタほどのーー父に次ぐほどの腕前といわれたアナタほどの人が」唾をゴクリと飲み込む猿田。「……仮に、道場を乗っ取ろうというのであれば、殺さずとも待っていれば自ずと道場はアナタのモノとなっていたでしょう」

 白装束は何もいわず、目と口を閉じたまま、ただひたすらに仏壇を拝み続けている。

「……だが、アナタはいなくなった。道場の乗っ取りを画策していたと信じていた者にとっては青天の霹靂だった。しかし、自分にはわかった。アナタは道場の乗っ取りなど最初から考えていなかった。アナタが欲しかったのは父の命、それだけだった。違いますか?」

 静寂が空気となって場に重くのし掛かる。

「……そこまでわかっているのなら、答えはもはやいうまでもあるまい。疑問が御主の中にあるように、その答えも御主の中にある。わたしに答えを訊かずとも、自ずとわかるはずだ」

「わかりません」猿田は即答する。「わかりたくもありません」

「だとしたら、御主はまだ未熟なのだろう」

 未熟ーー武芸を志す者にとってはこれほど不名誉なことばもないだろう。謙遜の意味で自らそう称するならまだしも、他者、それもこれから殺し合いをするかもしれない相手にそういわれるのは、武士にとって最大の不名誉。

「……ならば、自分が未熟かどうか、御自分の目で、腕で確かめてみては如何でしょうか」

 猿田の左手が愛刀である『狂犬』に伸びる。

「師の愛息とはいえ、兄弟子であるわたしに『抜き打ち座』で対した時点で、はじめからそうするつもりだったのだろう、源之助?」

『抜き打ち座』とは、相手と対面して座る時の作法のひとつだーー作法といっても、そこに礼儀などというモノは欠片もない。

 本来、武士が相手と向き合って座る際、刀は己の右側に、かつ刀の刃を己に向けて置くのが礼儀とされる。

 それは左手側に刀が来ない分、即座に刀を鞘から抜くことが難しく、闇討ちが困難になるためだ。故に、刀を己の右側に置くことは相手に対して敵意がないことを示す作法となるーー勿論、流派によって例外は存在するが。

 だが、『抜き打ち座』はその逆、己の左側、相手から見れば右側に刀を置いて座ることをいう。刀を左に置くということは、刀を即座に抜き、相手に奇襲を掛けられるということ。いうなれば、『抜き打ち』が出来る形になる。

 だからこそ、刀を左に置いて座ることは、相手に対して敵意、或いは不信感を持っていることを意味する。

 猿田の顔に張りつく微笑は、まるでその恐怖を象徴しているよう。室内に入って来た時と比べて、その震えが高まっているのが、その証左といったところだろうか。

「……その身体の震えと強張りでは、わたしを暗殺するなど無理な話だな」

 白装束のいうことは詭弁でも何でもなかった。事実ーーまごうことなき事実だった。

 目は開き、その状況をすべて見渡している猿田に対し、白装束の男はここまで音だけで猿田の所作から心理、周りの状況を判断している。それだけで、ふたりの差は歴然ということだ。

「今、わたしの右手に置かれている刀に拵えがなくとも、御主の奇襲など容易く防ぐことが出来る。いや、防ぐ必要はない。まず、殺す」

 殺すーーそのひとことが、猿田に更なる身体の強張りと震えを与える。

「源之助、わたしを殺せるか?」

 猿田の左手が刀に伸びる。

 だが、その手は途中で止まる。大地を揺るがさんほどの震えと、大地の揺れにも耐えしのぐほどの強張りをもって。

「源之助。今、御主はわたしが御主の父上ーー源十郎殿を斬った理由がわからないという。だが、その理由はいずれわかるだろう。御主が生き延びて、業を重ねれば、いつかーー」

 闇が訪れた。

 【続く】
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み