【鎌鼬はどこまでも優しくて】

文字数 2,634文字

 凄過ぎて目を疑った経験はあるだろうか。

 おれはある。それは鞘に納まった刀が閃光を放つように一瞬にしてギラつく刃を見せた瞬間だった。

 速すぎる。

 そんな陳腐な感想しか出てこなかった。それ以上に形容しようがないほどに、その刀の一閃は凄まじかった。

 居合初体験のおれにとって、坂久保先生の太刀筋は鎌鼬のように見えた。

 まず対面で刀を抜かれたら、次の瞬間には死んでいる。これは今でも思うことだ。

 確かに経験を積んで太刀筋も見えるようになってきた。とはいえ、それまでだ。見えようが見えまいが反応できなければ意味はない。

 おれは鎌鼬を見抜くことは生涯できないだろうーー

 とまぁ、初っぱなからわかる通り『居合篇』である。今日が最後ーー師匠である坂久保先生についてだ。他の先生や臼田さんについては書いているのに、肝心の師匠のことは何も書かないんだなって感じだったけど、師匠のことは単純に一番最後に書きたかったのだ。

 というワケで、あらすじーーは今更いらないか。簡単に説明すると、三回目の大会で優勝したってことだ。詳しくは昨日の記事を読んでくれ。じゃ、最後、始めてくーー

「初めまして。川澄居合会代表の坂久保です」

 初めての居合体験、支部長の坂久保先生は、見た感じは非常に紳士的で、想像していたのとは真逆の、とても物腰の柔らかい人だった。

 初めての稽古時、坂久保先生から稽古を受けることはなかった。ちょうど昇段試験が近く、当時の初段受験者に稽古をつけていたからだ。

 最初に坂久保先生の稽古を受けたのは二度目の体験稽古の時だったと思う。

 その日の前半は塩谷さんの稽古を受けた後で心身共に疲れていたのだが、そんなことをいっている暇もなく、おれは臼田さんと共に坂久保先生の稽古を受けることとなった。

 が、坂久保先生の稽古は厳しかった。何よりも体捌きを重視する坂久保先生の稽古は慣れないことが多く、かつ運動が苦手な自分には容易ではなかった。

 怒号は一切飛ばない。だが、理によって構築された牙城を突破するのは非常に困難だった。

 いわれたことを再現しようにも身体がついていってくれない。結局、その日の稽古はいいとこなしだった。

 が、坂久保先生は少しでもいいところがあれば、どんな些細なことでもピックアップして褒めて下さった。多分、おれが居合を止めなかったのも、大会に出続けたのも、それがあったからだろう。

 そんな坂久保先生との稽古も回数を重ねるごとに、経験を積むごとに楽になっていった。

 稽古の質が下がったのではない。自分の腕が上がったのだ。自惚れではなく、間違いなくそうだと確信できた。

 初の大会は辛酸をなめさせられた。だが、そんな中でも坂久保先生はあくまで紳士的で、情熱的だった。

「どうせやるなら勝ちましょう。稽古のペースを上げていきます。これからは現段位よりも上のレベルで稽古していきます。大丈夫、キミたちならできますよ」

 そのことばを信じて、おれは稽古したーー稽古し続けた。お陰で昇段審査も軽々と突破できたし、初段では三位入賞、弐段では優勝することができた。

 弐段にもなると、稽古の指導者が坂久保先生でほぼ固定になった。毎回そうというワケではなかったが、稽古時間の前半あるいは後半と時間が絞られても、坂久保先生は可能な限り指導してくれた。

 おれにはそれが楽しくて仕方なかった。

 どんなに機嫌が悪くとも体調が悪くとも坂久保先生と稽古しているとそんなのは気にならなかった。むしろ、気持ちは落ち着くし好奇心が刺激されて稽古が楽しくて仕方なかった。

 そんな坂久保先生とは、居合以外でも地味に付き合いがあった。

 まずは、川澄居合会のメンバーでおれ以外にひとり芝居をやっている人がいるのだが、その人の公演を坂久保先生と観に行ったことがあった。オマケに公演後、夕飯のご馳走までして頂き、色々と話しもできた。

 その時、自分の過去についても話し、自分がパニック持ちだということもいった。が、

「そんな風には全然見えなかったなぁ。大変でしたね。でも、キミはセンスもあるし、素晴らしい好青年だなとぼくは思いますよ。無理せず頑張りましょうね」

 といって下さった。そして、そこで坂久保先生がリウマチで左腕が上手く動かないのだと知った。

 左腕が不自由だと刀を抜くにもかなりのハンデがつく。以前も話したが、刀は右手で抜くモノではない。左手と腰で抜くモノだ。

 左腕が動かしづらい場合、刀を抜く速さは落ちるはずーーなのだが、そんなことはないように思えた。イフの話をしても仕方がないが、もし師匠の左腕からリウマチが取り除かれたら、鎌鼬はどれほどその刃が鋭くなるのだろう。考えただけでもとんでもない話だ。

 師匠との付き合いは、それだけに留まらなかった。

 坂久保先生は、おれの芝居の公演もしっかりと観に来てくれた。遠征公演は流石に無理だったとはいえ、行ける範囲の公演であれば毎回必ず来て下さった。そして、その度に芝居を激賞して下さり頭が下がる思いだった。

 と、公私ともにおれの師匠となった坂久保先生だが、居合を始めて三〇年近くが経つにも関わらず、研究に余念がなく今でも自分の技術と向き合い、時には他流を学び、時には出稽古に赴きと、その探求心は留まることを知らない。

 例のウイルスで世の中も閉鎖的になり、まともに稽古をすることが難しくなっているが、ウイルスには気をつけつつ、稽古が再開されたならば、また師匠のもとで自分の技術と能力に向き合っていきたいと思っている。

「ぼくは、キミと臼田くんは、この支部の双璧だと思っているよ」

 坂久保先生のそのことばを無駄にしないよう、おれもまだまだ進歩していかなければならない。居合は勿論、芝居も殺陣も、そして文章を書くことも、な。それこそが、おれが師匠に出来る恩返しだろうからな。

 とまぁ、随分とカルト的な文章になってしまったんでここらで終わりにするわ。

 当然、勧誘目的みたいな怪しい話ではないんで安心し。ただひとついえるのはーー

 師と呼べる人がいる人生はいいもんだよ。

 当然、盲目的に信仰したり崇拝すんのはどうかと思うけどな。モノを教え、教わるという上下関係はあるにしろ、人間としてはあくまで対等なんだし、そこはそこで、だな。

 さて、これにて『居合篇』は終わり。次回からはまた通常に戻ります。まぁ、ちょいちょい通常のを書いてはいたし普通に戻る感じもないけどな。というワケでーー

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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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