【明日、白夜になる前に~弐拾参~】
文字数 2,413文字
しかし、困ったことになったモンだ。
何故こんなことになっているのか、どこでどうボタンの掛け違いが起きればこういうことになってしまうのか、皆目わからない。
まぁ、こんな風に話していても何のことだかわからないだろうから説明が必要だろう。
ちなみに今ぼくは自室でひとりビールを呷りながら、このワケのわからない状況から逃避しようとしているーーまぁ、逃避するようなことでもないのだけど。
さて、話は後輩の桃井カエデに呼び出されたところに遡るーー
「ちょっといいですか!?」桃井さんは語調を強くして、ぼくにそう話し掛けて来た。
ぼくはワケもわからずにたじろいで、
「な、何……?」
だが、そんな風に狼狽するのも許さないといった感じで桃井さんは、
「いいから来て下さいッ!」
といって、ぼくの右腕を抱えて無理矢理立ち上がらせると、そのままぼくを何処かへと引き摺って行こうとした。
「ちょっと、何処行くの?」
「いいから来て下さい!」
いいから来いといわれても。そもそもぼくは何処へ行くのかと訊きたい以上に、この状況がとてつもなく恥ずかしかったということだ。
そもそも、後輩女子が先輩男子ーー右腕が義手ーーの腕を抱えて何処かへと連れ去ろうとしているなど、スキャンダラスなにおいしかしないのはいうまでもない。現に、桃井さんがぼくを引っ張って行く最中、ぼくたちに驚きの目や好奇の目を向けてきた人がたくさんいた。
そうやってぼくが連れて来られたのは人も殆どいない休憩室だった。そもそも就業中に休憩室を平気な顔して利用しているヤツなどろくでもないのが殆どだろう。
況してや、こんな風に勢い良く男性社員の先輩を引き摺り込んでくる女性社員という絵面を見せられたら、ぼくらの話に聞き耳を立てることは間違いないだろう。というか、休憩室で休んでいたぼくらを見てやはり驚きの表情だし。
「ここに座ってください!」
桃井さんが長椅子を指差す。大声厳禁の休憩室で良くもまぁ、こんな大声を出すもんだ。でも、注意されたり、文句をいわれないのは、ぼくたちの会話を盗み聞きしたいからだろう。
「あのぉ……、ここ休憩室……」
「いいから!」
もはや敬語ですらなくなってしまった。ぼくは周りに侘びを入れつつ、渋々彼女に従って長椅子に座った。周りの人たちは唖然としつつもコクリと頷いていた。
ドスンと勢い良く桃井さんはぼくの横に座った。地響きでも起きんといった感じ。ちなみに彼女の体型は細身で体重なんて市松人形ほどもないように思えた。
いざ座ったはいいが、桃井さんはさっきまでの勢いはさておき、何も喋らなくなってしまった。ぼくは困惑する以外に何も出来ず、両手の指先を捏ね繰り回していた。我ながら義手の操作にも長けたもんだと感心するーーとか、そんなことはどうでもいい。
横目で桃井さんを見ると、彼女はプリプリと怒りつつも、何処か寂しげにしていた。
「あの、どうしたの? おれ、何かしたかな」
謎の沈黙に耐えきれず、ぼくは彼女に訊ねる。ギャラリーの視線がこちらに集中しているのがわかり、思わず声が小さくなる。
突然、桃井さんの目許から涙がひと筋零れ落ちた。ぼくはギョっとした。
「え、どうしたの、大丈夫?」
ちなみにぼくは大丈夫ではなかった。大体、会社の休憩室で泣くなど、新卒の子でもそうそういない。というか、この状況じゃ、間違いなくぼくがヤラカシたようにしか見えない。
「えっと……、ぼく、何かしたかな?」
取り敢えず、彼女から事情を引き出さないことには話にならない。というか、何でぼくは今こんな風に泣かれているのか。これは退職願い待ったなしだろうかーー。
「何か桃井さんに悪いことしたなら謝るよ。だからーー」
「先輩、ヒドイですよ……」
桃井さんは先程までの勢いとは打って変わって消え入りそうな声でいった。漸く口を開いたと思えば……。またワケのわからない罪状で立件された冤罪者のような感じだった。
「ヒドイって、何が、かな?」
何でぼくがここまで譲歩しているのか、自分でもわからない。取り敢えず、事情を聴かないことには何も始まらない。
だが、桃井さんは再び黙り込んでしまう。
イヤな予感。もしかして、ぼくは多重人格者で、気づかぬ内に彼女のことを弄んで、無意識の内に傷つけていたーーんな、ワケはない。
だとしたら、何だというのだ。ぼくは更に譲歩するようにして、
「説明してくれなきゃわからないよ。ぼく、正直、何でここに呼ばれたのか、自分でもわかってないんだ。ぼくは桃井さんとはそこまで関わりもないし……」
ぼくはハッとして口を閉じる。ここ最近はウイルスもあって会社での飲み会もないし、部署違いの彼女とそんな関わりを持つこともない。というか、関わりがないのに、何かをいわれるような謂われはないし、過去に何かをやらかしていたとしたら、その時点でトラブルは起きているだろう。だとしたら、何だ?
ここで漸く彼女は口を開いたーー
「先輩、あかりのことどう思ってます……?」
あかりーーそれが宗方あかりのことだと気づいたのは、その名前が出て二秒から三秒してからだった。ぼくは、あぁと納得して、
「宗方さんのこと?……まぁ、いい子だと思うよ。気が利くし、仕事も出来るしね」
「じゃあ、あかり自身のことは?」
宗方さん自身のことーーそれはどういうことだろう。彼女のことなら今いったはずだが。
「えっと、それは、どういうこと?」
思わず訊ねてしまい、訊ねてから後悔する。桃井さんは足許に目を落として黙り込んだ。その目は、やはり寂しそうだった。
「先輩、こんなこと女の子にいわせちゃダメですよ……」
唐突なダメ出し。ちょっとイラッとも来たが、ここは話を引き出すほうに意識を割かなければならないだろうとガマンする。
「こんなことって……?」
「あかりが先輩を好きだってことですよ!」
唐突な告白が静寂に包まれた室内にこだましたーー
【続く】
何故こんなことになっているのか、どこでどうボタンの掛け違いが起きればこういうことになってしまうのか、皆目わからない。
まぁ、こんな風に話していても何のことだかわからないだろうから説明が必要だろう。
ちなみに今ぼくは自室でひとりビールを呷りながら、このワケのわからない状況から逃避しようとしているーーまぁ、逃避するようなことでもないのだけど。
さて、話は後輩の桃井カエデに呼び出されたところに遡るーー
「ちょっといいですか!?」桃井さんは語調を強くして、ぼくにそう話し掛けて来た。
ぼくはワケもわからずにたじろいで、
「な、何……?」
だが、そんな風に狼狽するのも許さないといった感じで桃井さんは、
「いいから来て下さいッ!」
といって、ぼくの右腕を抱えて無理矢理立ち上がらせると、そのままぼくを何処かへと引き摺って行こうとした。
「ちょっと、何処行くの?」
「いいから来て下さい!」
いいから来いといわれても。そもそもぼくは何処へ行くのかと訊きたい以上に、この状況がとてつもなく恥ずかしかったということだ。
そもそも、後輩女子が先輩男子ーー右腕が義手ーーの腕を抱えて何処かへと連れ去ろうとしているなど、スキャンダラスなにおいしかしないのはいうまでもない。現に、桃井さんがぼくを引っ張って行く最中、ぼくたちに驚きの目や好奇の目を向けてきた人がたくさんいた。
そうやってぼくが連れて来られたのは人も殆どいない休憩室だった。そもそも就業中に休憩室を平気な顔して利用しているヤツなどろくでもないのが殆どだろう。
況してや、こんな風に勢い良く男性社員の先輩を引き摺り込んでくる女性社員という絵面を見せられたら、ぼくらの話に聞き耳を立てることは間違いないだろう。というか、休憩室で休んでいたぼくらを見てやはり驚きの表情だし。
「ここに座ってください!」
桃井さんが長椅子を指差す。大声厳禁の休憩室で良くもまぁ、こんな大声を出すもんだ。でも、注意されたり、文句をいわれないのは、ぼくたちの会話を盗み聞きしたいからだろう。
「あのぉ……、ここ休憩室……」
「いいから!」
もはや敬語ですらなくなってしまった。ぼくは周りに侘びを入れつつ、渋々彼女に従って長椅子に座った。周りの人たちは唖然としつつもコクリと頷いていた。
ドスンと勢い良く桃井さんはぼくの横に座った。地響きでも起きんといった感じ。ちなみに彼女の体型は細身で体重なんて市松人形ほどもないように思えた。
いざ座ったはいいが、桃井さんはさっきまでの勢いはさておき、何も喋らなくなってしまった。ぼくは困惑する以外に何も出来ず、両手の指先を捏ね繰り回していた。我ながら義手の操作にも長けたもんだと感心するーーとか、そんなことはどうでもいい。
横目で桃井さんを見ると、彼女はプリプリと怒りつつも、何処か寂しげにしていた。
「あの、どうしたの? おれ、何かしたかな」
謎の沈黙に耐えきれず、ぼくは彼女に訊ねる。ギャラリーの視線がこちらに集中しているのがわかり、思わず声が小さくなる。
突然、桃井さんの目許から涙がひと筋零れ落ちた。ぼくはギョっとした。
「え、どうしたの、大丈夫?」
ちなみにぼくは大丈夫ではなかった。大体、会社の休憩室で泣くなど、新卒の子でもそうそういない。というか、この状況じゃ、間違いなくぼくがヤラカシたようにしか見えない。
「えっと……、ぼく、何かしたかな?」
取り敢えず、彼女から事情を引き出さないことには話にならない。というか、何でぼくは今こんな風に泣かれているのか。これは退職願い待ったなしだろうかーー。
「何か桃井さんに悪いことしたなら謝るよ。だからーー」
「先輩、ヒドイですよ……」
桃井さんは先程までの勢いとは打って変わって消え入りそうな声でいった。漸く口を開いたと思えば……。またワケのわからない罪状で立件された冤罪者のような感じだった。
「ヒドイって、何が、かな?」
何でぼくがここまで譲歩しているのか、自分でもわからない。取り敢えず、事情を聴かないことには何も始まらない。
だが、桃井さんは再び黙り込んでしまう。
イヤな予感。もしかして、ぼくは多重人格者で、気づかぬ内に彼女のことを弄んで、無意識の内に傷つけていたーーんな、ワケはない。
だとしたら、何だというのだ。ぼくは更に譲歩するようにして、
「説明してくれなきゃわからないよ。ぼく、正直、何でここに呼ばれたのか、自分でもわかってないんだ。ぼくは桃井さんとはそこまで関わりもないし……」
ぼくはハッとして口を閉じる。ここ最近はウイルスもあって会社での飲み会もないし、部署違いの彼女とそんな関わりを持つこともない。というか、関わりがないのに、何かをいわれるような謂われはないし、過去に何かをやらかしていたとしたら、その時点でトラブルは起きているだろう。だとしたら、何だ?
ここで漸く彼女は口を開いたーー
「先輩、あかりのことどう思ってます……?」
あかりーーそれが宗方あかりのことだと気づいたのは、その名前が出て二秒から三秒してからだった。ぼくは、あぁと納得して、
「宗方さんのこと?……まぁ、いい子だと思うよ。気が利くし、仕事も出来るしね」
「じゃあ、あかり自身のことは?」
宗方さん自身のことーーそれはどういうことだろう。彼女のことなら今いったはずだが。
「えっと、それは、どういうこと?」
思わず訊ねてしまい、訊ねてから後悔する。桃井さんは足許に目を落として黙り込んだ。その目は、やはり寂しそうだった。
「先輩、こんなこと女の子にいわせちゃダメですよ……」
唐突なダメ出し。ちょっとイラッとも来たが、ここは話を引き出すほうに意識を割かなければならないだろうとガマンする。
「こんなことって……?」
「あかりが先輩を好きだってことですよ!」
唐突な告白が静寂に包まれた室内にこだましたーー
【続く】