【いろは歌地獄旅~ラブ・ゲーム~】
文字数 4,437文字
恋はまるでポーカーのようだ。
相手の手を想像しつつ、自分は手を変えるために手札を変えるも新しい手も結局は運次第。役が確定せずダメな時もあれば、役が確定していてもダメな時もある。
結局は相手とのこころの読み合いなのだ。
ダメな手だとしても、ブラフや態度でどうにかなることがある。それは恋も同じ。どうしようもないヤツでも、衣服や態度、その他諸々のことを取り繕うことでどうにかなってしまうこともある。勿論、ロイヤル・ストレート・フラッシュが手にあれば、いうことはない。だが、そんな手札を持てるほど、人生は楽ではない。
高校二年生の源藤威は、そのゴツイ名前とは裏腹にまったくゴツさはなく、身体はヒョロヒョロで運動神経は皆無、頭も悪い、身長は普通。オマケに顔の造りも微妙という役なしといわれても可笑しくないような手を持っている。
そんな役なしの源藤だが、ここに来てちょっとした向かい風が吹くこととなる。
というのも、源藤は数合わせということで友人に夏の肝試しに誘われたのだ。
そのメンツは源藤の昔ながらの友人である現在ヤンキーの政木によって集められたモノで、源藤以外は見事にヤンキー。見てくれだけを考えたら、完全に源藤がカツアゲされようとしている、とそんな風にしか見えない。
現に源藤の存在に対して好意的なのは友人の政木だけで、他の連中は全員、何でコイツがいるんだよ、とそんな冷たい視線を源藤に送っている。
さて、肝心の肝試しをする場所だが、これがまた『最恐』と恐れられている廃神社で、今回はその神社まで続く雑木林に囲まれた道までを男女ひと組のペアで歩いて、最初からラス前までのペアが廃神社の賽銭箱の前に十円玉をひとつ置き、オーラスのペアがそれを回収して戻る、とそういったルールになっていた。
次はペアと順番だが、それは現地にて男は男で、女は女でアミダくじにて番号を決め、その番号が同じ男女でペアを組み、かつその番号がそのまま廃神社へ向かう順番となるワケだ。
「じゃあ、順番とペアを決めようぜ」
リーダー格の政木がいい、男女それぞれスプリット、用意してあったA5サイズのルーズリーフに書かれたアミダの頂点をひとつ選択する。
源藤が選択したのは五つある内の左から二番目。何となく選んだ場所だが、結果はーー、
五番目、最後だった。
最後とは、これまたツいてない。正直なことをいうと、源藤は心霊やホラーといったモノが全然ダメだった。なのに今回政木が源藤を呼んだのは、曰く、
「お前も、そろそろ男になろうぜ」
とのことだった。源藤にとってはいい迷惑、余計なお世話だったに違いないが、こうやって現地まで来てしまったのだ、何か思うところがあったのだろう。それとも、ヤンキーの報復を恐れて仕方なく、だったのだろうか。
アミダにて順番を決めると、続いて女子と番号を照らし合わせる。
源藤のペアとなったのは、桜井紅葉というヤンキー女子だった。名前だけ見れば春の桜に秋の紅葉と彩りよく美しいイメージだが、桜井は派手なメイクにプリン掛かった金髪、上下が黒地にやたらと派手な柄の入ったスウェットと、やる気の欠片すら感じられない見た目だった。ただ、その見た目は結構可愛い。
桜井は学校にはあまり来ていない。来てもずっと寝ているだけ。だから源藤とはまともに話したこともないし、そもそも接点自体ない。いつもつまらなそうにブスッとしており、何もかもにやる気がない、そんな感じだった。
「よろしく、桜井さん」
気丈さを装ったような源藤の声。だが、そこには微かだが震えがあり、声の大きさも比較的小さくビビっているのは明らかだ。
「コイツ、ビビってんぜ!」
ヤンキー男子のひとりが源藤を指していう。すると、その場にいた男子と女子が声を上げ、手を叩いて笑う。源藤は恥ずかしげに笑って見せるが、そんな中、桜井だけが笑っていない。スマホをいじりながらガムを噛んでいる。源藤はそれを見て、正気に戻ったようになる。
桜井は笑う一団に加わることなくひとこと「よろしく」といったのみだ。
待ち時間に会話は殆どなかった。源藤が間を持たせるように適当なことばを掛けるも、桜井は、うん、そう、と単純なワンフレーズですべてを済ませてしまう。
だが、源藤はそれどころではない。自分の番が近づくにつれて、恐怖が源藤の顔をセメントで塗り固めたようにガチガチにしてしまう。源藤の身体は微かに震えている。夏だから寒いワケはない。冷えるのは肝ばかり。
来るな来るな、そう思っている時ほど時間の流れは早く感じられてしまう。そうして気づけば四組目のペアが戻ってきて、五組目、源藤と桜井ペアの順番が回ってくる。
源藤はガチガチになっている。対する桜井は特に緊張した様子もなく何処となくつまらなそうにしている。そんなふたりを、順番を終えた者たちが囃し立てる。
だが、源藤にそんな冷やかしのことばは殆ど届かない。何となくことばが聴こえる、そんなノリで笑みを浮かべて行ってくるというと、
「じゃ、じゃあ行きましょう、か……」
と桜井に声を掛ける。桜井は、
「うん……」
と平然とした調子でいい、ガムを口許で膨らませ破裂させる。
スタート、源藤と桜井は出発する。
源藤は四組目の男子に渡されたいかにも安物の懐中電灯を片手にゆっくりと足を運ぶ。ガチガチになりながらもチラチラと桜井のほうへと目をやるが、桜井は何も感じていないかのような余裕を見せている。
風が吹く。その感触がまるで幽霊の手の感触のように生々しく、源藤は軽く声を上げる。
「……どうしたの?」
桜井がアンニュイに訊ねる。
「ううん、な、何でも、ないです!」
「……そう」
味気ない会話。だが、源藤にはそれが精一杯だ。今はただこの恐怖に堪え忍ぶのみ。もちろん、桜井とふたりで、だ。
ぬかるんだ土を踏み締める。その感触は、まるで底なし沼に足を引っ張られるよう。源藤の額には珠のような汗が浮かんでいる。暑さもあるだろうが、その汗は何処か脂のようにねっとりとしているようだった。
だが、源藤は声を上げない。恐い。そんなの恐がりの源藤には当たり前だろう。とはいえ、今はひとりではない。桜井と一緒だ。
源藤は悲鳴を噛み殺して進む。桜井の姿をしっかりと確認しながら。桜井は依然としてつまらなそう。醒めた表情のままガムを噛む。だが、そんな桜井の姿が源藤には救いだったのか、足取りは比較的軽い。
廃神社の前に着くと、そこには不気味を絵に描いたような光景が浮かび上がる。朽ちた木に崩れかけた社、くすんだ鳥居、すべてが不気味。源藤はツバを飲み込む。
「つ、着きましたね」
「……うん」
桜井はガムを膨らませ、パンッと破裂させる。その音に源藤はヒッと小さく声を上げたが、桜井が源藤に視線をやると、
「……ごめん」
案外素直なところがあるようだ。源藤はそんなことはお構いなしに首を横に振ると、
「じゃ、じゃあ、十円を拾ってさっさと行きましょうか……!」
「……そうな」
賽銭箱の前に十円は置かれていた。四枚。前の四組の分だ。源藤が十円玉四枚を拾い上げようとすると、桜井が先に四枚を拾い上げる。それを見て源藤は呆然とするが、桜井は、
「……お前、懐中電灯持ってんじゃん。あたしが持つよ……」そういって四枚の十円を握り込むと、そのままポケットに手を突っ込む。「早く行こうぜ……」
歩き出す桜井にハッとする源藤、相槌を打ってはや歩きで桜井についていく。
行きはヨイヨイ、帰りは恐い。こんなことばもあるが、一度通ってしまえば、帰りはどうということもなかった。
ふたりは気づけば、スタート地点で待っていた四組の男女のもとへと戻ってきていた。
「早かったな」政木がいう。「十円は?」
政木のことばで桜井がポケットから手を出して手のひらを開く。そこには、十円玉。
「……あれ?」ヤンキーのひとりがいう。「何で五枚あんの?」
桜井の手のひらの上、そこには十円玉が五枚あった。桜井が廃神社で拾った十円玉は四枚。明らかに一枚増えている。源藤は「えっ……」と呟き凍りつく。他もそう。静寂と沈黙。
「……なぁんだ。お前、自分の十円と一緒にすんなよ!」
政木がいうと、他の連中もハッとし笑い出す。
「何だよ、桜井。脅かすなよ」
そんな声が続き、源藤も安堵の表情を浮かべて笑う。桜井も薄く口許を緩ませる。
「じゃ、帰ろうぜ」
政木がいって、その日は解散となった。源藤はすぐにでも帰りたかったようで、そのまま他のグループとは別れた。そして、桜井も他のメンツとは別れて、帰ることとなった。
帰り道はどういうワケか肝試しの時と同様、源藤と桜井のふたりきりとなった。というか、桜井が源藤に「……送ってくれない?」と頼んだからだが。とはいえ、相変わらず会話はない。源藤は自転車に乗りながらとなりを走る桜井を横目で見るばかり。
桜井はやはりつまらなそうにしている。源藤は桜井にバレない程度のため息をつく。
桜井の家に到着し、ふたりは自転車を降りて向き合って立つ。だが、会話はない。
源藤の口許がモゴモゴする。だが、それは恐怖から来るものではなく、緊張から来るものだとは容易に想像がつく。
源藤が口を開こうとする。だが、
「お前、カッコよかったよ……」桜井がいう。
「え……?」
「正直、怖かった。お前もそうだろ?」
「え……? え、えぇ」
「お前、あたしに気を使って頑張ってくれたんだろ。何つうか……、すげぇカッコ良かった」
源藤は桜井の思わぬ誉めことばに顔を赤くし、照れた。しどろもどろで、何もいえない。が、何処か桜井の様子が可笑しい。震えている。源藤もそれに気づき、
「……どうかしました?」
が、桜井は答えない。源藤は更に何があったのか問う。すると桜井はゆっくりと口を開く。
「……十円玉が五枚あるの、驚いた?」
「え、あぁ、それはもう。でも、あんなイタズラするなんて桜井さんもヒドイーー」
「あれ、あたしじゃないんだ」
「……え?」空気が凍りつく。風が吹く。「どういうこと、……ですか?」
「あたし、今日、金持ってきてないんだ……ポケットにも金なんか入れてないし、だから、あの五枚目の十円は……」
桜井は震える。それを見て源藤は目に涙を浮かべ、震え出す。肩を震わす桜井。
が、突然桜井は笑い出す。
「え……?」
「ウソだよ、バーカ。スタート前にポケットに十円が一枚入ってるのに気づいたからさ、みんなをからかっただけだよ」桜井は風船が割れたように声を大にして笑う。「お前、ビビり過ぎ! マジ面白ぇ!」
「……な、何ですか! からかわないで下さいよ! 本当に怖かったんですから!」
「でもーー」桜井は少し背伸びする。「カッコ良かったのは本当だよ……」
次の瞬間、源藤の唇に柔らかい感触があった。最初は驚いて目を見開いていた源藤も、何かに誘われるようにゆっくりと目を閉じた。
夏の生ぬるい空気が、つむじを巻いていた。
相手の手を想像しつつ、自分は手を変えるために手札を変えるも新しい手も結局は運次第。役が確定せずダメな時もあれば、役が確定していてもダメな時もある。
結局は相手とのこころの読み合いなのだ。
ダメな手だとしても、ブラフや態度でどうにかなることがある。それは恋も同じ。どうしようもないヤツでも、衣服や態度、その他諸々のことを取り繕うことでどうにかなってしまうこともある。勿論、ロイヤル・ストレート・フラッシュが手にあれば、いうことはない。だが、そんな手札を持てるほど、人生は楽ではない。
高校二年生の源藤威は、そのゴツイ名前とは裏腹にまったくゴツさはなく、身体はヒョロヒョロで運動神経は皆無、頭も悪い、身長は普通。オマケに顔の造りも微妙という役なしといわれても可笑しくないような手を持っている。
そんな役なしの源藤だが、ここに来てちょっとした向かい風が吹くこととなる。
というのも、源藤は数合わせということで友人に夏の肝試しに誘われたのだ。
そのメンツは源藤の昔ながらの友人である現在ヤンキーの政木によって集められたモノで、源藤以外は見事にヤンキー。見てくれだけを考えたら、完全に源藤がカツアゲされようとしている、とそんな風にしか見えない。
現に源藤の存在に対して好意的なのは友人の政木だけで、他の連中は全員、何でコイツがいるんだよ、とそんな冷たい視線を源藤に送っている。
さて、肝心の肝試しをする場所だが、これがまた『最恐』と恐れられている廃神社で、今回はその神社まで続く雑木林に囲まれた道までを男女ひと組のペアで歩いて、最初からラス前までのペアが廃神社の賽銭箱の前に十円玉をひとつ置き、オーラスのペアがそれを回収して戻る、とそういったルールになっていた。
次はペアと順番だが、それは現地にて男は男で、女は女でアミダくじにて番号を決め、その番号が同じ男女でペアを組み、かつその番号がそのまま廃神社へ向かう順番となるワケだ。
「じゃあ、順番とペアを決めようぜ」
リーダー格の政木がいい、男女それぞれスプリット、用意してあったA5サイズのルーズリーフに書かれたアミダの頂点をひとつ選択する。
源藤が選択したのは五つある内の左から二番目。何となく選んだ場所だが、結果はーー、
五番目、最後だった。
最後とは、これまたツいてない。正直なことをいうと、源藤は心霊やホラーといったモノが全然ダメだった。なのに今回政木が源藤を呼んだのは、曰く、
「お前も、そろそろ男になろうぜ」
とのことだった。源藤にとってはいい迷惑、余計なお世話だったに違いないが、こうやって現地まで来てしまったのだ、何か思うところがあったのだろう。それとも、ヤンキーの報復を恐れて仕方なく、だったのだろうか。
アミダにて順番を決めると、続いて女子と番号を照らし合わせる。
源藤のペアとなったのは、桜井紅葉というヤンキー女子だった。名前だけ見れば春の桜に秋の紅葉と彩りよく美しいイメージだが、桜井は派手なメイクにプリン掛かった金髪、上下が黒地にやたらと派手な柄の入ったスウェットと、やる気の欠片すら感じられない見た目だった。ただ、その見た目は結構可愛い。
桜井は学校にはあまり来ていない。来てもずっと寝ているだけ。だから源藤とはまともに話したこともないし、そもそも接点自体ない。いつもつまらなそうにブスッとしており、何もかもにやる気がない、そんな感じだった。
「よろしく、桜井さん」
気丈さを装ったような源藤の声。だが、そこには微かだが震えがあり、声の大きさも比較的小さくビビっているのは明らかだ。
「コイツ、ビビってんぜ!」
ヤンキー男子のひとりが源藤を指していう。すると、その場にいた男子と女子が声を上げ、手を叩いて笑う。源藤は恥ずかしげに笑って見せるが、そんな中、桜井だけが笑っていない。スマホをいじりながらガムを噛んでいる。源藤はそれを見て、正気に戻ったようになる。
桜井は笑う一団に加わることなくひとこと「よろしく」といったのみだ。
待ち時間に会話は殆どなかった。源藤が間を持たせるように適当なことばを掛けるも、桜井は、うん、そう、と単純なワンフレーズですべてを済ませてしまう。
だが、源藤はそれどころではない。自分の番が近づくにつれて、恐怖が源藤の顔をセメントで塗り固めたようにガチガチにしてしまう。源藤の身体は微かに震えている。夏だから寒いワケはない。冷えるのは肝ばかり。
来るな来るな、そう思っている時ほど時間の流れは早く感じられてしまう。そうして気づけば四組目のペアが戻ってきて、五組目、源藤と桜井ペアの順番が回ってくる。
源藤はガチガチになっている。対する桜井は特に緊張した様子もなく何処となくつまらなそうにしている。そんなふたりを、順番を終えた者たちが囃し立てる。
だが、源藤にそんな冷やかしのことばは殆ど届かない。何となくことばが聴こえる、そんなノリで笑みを浮かべて行ってくるというと、
「じゃ、じゃあ行きましょう、か……」
と桜井に声を掛ける。桜井は、
「うん……」
と平然とした調子でいい、ガムを口許で膨らませ破裂させる。
スタート、源藤と桜井は出発する。
源藤は四組目の男子に渡されたいかにも安物の懐中電灯を片手にゆっくりと足を運ぶ。ガチガチになりながらもチラチラと桜井のほうへと目をやるが、桜井は何も感じていないかのような余裕を見せている。
風が吹く。その感触がまるで幽霊の手の感触のように生々しく、源藤は軽く声を上げる。
「……どうしたの?」
桜井がアンニュイに訊ねる。
「ううん、な、何でも、ないです!」
「……そう」
味気ない会話。だが、源藤にはそれが精一杯だ。今はただこの恐怖に堪え忍ぶのみ。もちろん、桜井とふたりで、だ。
ぬかるんだ土を踏み締める。その感触は、まるで底なし沼に足を引っ張られるよう。源藤の額には珠のような汗が浮かんでいる。暑さもあるだろうが、その汗は何処か脂のようにねっとりとしているようだった。
だが、源藤は声を上げない。恐い。そんなの恐がりの源藤には当たり前だろう。とはいえ、今はひとりではない。桜井と一緒だ。
源藤は悲鳴を噛み殺して進む。桜井の姿をしっかりと確認しながら。桜井は依然としてつまらなそう。醒めた表情のままガムを噛む。だが、そんな桜井の姿が源藤には救いだったのか、足取りは比較的軽い。
廃神社の前に着くと、そこには不気味を絵に描いたような光景が浮かび上がる。朽ちた木に崩れかけた社、くすんだ鳥居、すべてが不気味。源藤はツバを飲み込む。
「つ、着きましたね」
「……うん」
桜井はガムを膨らませ、パンッと破裂させる。その音に源藤はヒッと小さく声を上げたが、桜井が源藤に視線をやると、
「……ごめん」
案外素直なところがあるようだ。源藤はそんなことはお構いなしに首を横に振ると、
「じゃ、じゃあ、十円を拾ってさっさと行きましょうか……!」
「……そうな」
賽銭箱の前に十円は置かれていた。四枚。前の四組の分だ。源藤が十円玉四枚を拾い上げようとすると、桜井が先に四枚を拾い上げる。それを見て源藤は呆然とするが、桜井は、
「……お前、懐中電灯持ってんじゃん。あたしが持つよ……」そういって四枚の十円を握り込むと、そのままポケットに手を突っ込む。「早く行こうぜ……」
歩き出す桜井にハッとする源藤、相槌を打ってはや歩きで桜井についていく。
行きはヨイヨイ、帰りは恐い。こんなことばもあるが、一度通ってしまえば、帰りはどうということもなかった。
ふたりは気づけば、スタート地点で待っていた四組の男女のもとへと戻ってきていた。
「早かったな」政木がいう。「十円は?」
政木のことばで桜井がポケットから手を出して手のひらを開く。そこには、十円玉。
「……あれ?」ヤンキーのひとりがいう。「何で五枚あんの?」
桜井の手のひらの上、そこには十円玉が五枚あった。桜井が廃神社で拾った十円玉は四枚。明らかに一枚増えている。源藤は「えっ……」と呟き凍りつく。他もそう。静寂と沈黙。
「……なぁんだ。お前、自分の十円と一緒にすんなよ!」
政木がいうと、他の連中もハッとし笑い出す。
「何だよ、桜井。脅かすなよ」
そんな声が続き、源藤も安堵の表情を浮かべて笑う。桜井も薄く口許を緩ませる。
「じゃ、帰ろうぜ」
政木がいって、その日は解散となった。源藤はすぐにでも帰りたかったようで、そのまま他のグループとは別れた。そして、桜井も他のメンツとは別れて、帰ることとなった。
帰り道はどういうワケか肝試しの時と同様、源藤と桜井のふたりきりとなった。というか、桜井が源藤に「……送ってくれない?」と頼んだからだが。とはいえ、相変わらず会話はない。源藤は自転車に乗りながらとなりを走る桜井を横目で見るばかり。
桜井はやはりつまらなそうにしている。源藤は桜井にバレない程度のため息をつく。
桜井の家に到着し、ふたりは自転車を降りて向き合って立つ。だが、会話はない。
源藤の口許がモゴモゴする。だが、それは恐怖から来るものではなく、緊張から来るものだとは容易に想像がつく。
源藤が口を開こうとする。だが、
「お前、カッコよかったよ……」桜井がいう。
「え……?」
「正直、怖かった。お前もそうだろ?」
「え……? え、えぇ」
「お前、あたしに気を使って頑張ってくれたんだろ。何つうか……、すげぇカッコ良かった」
源藤は桜井の思わぬ誉めことばに顔を赤くし、照れた。しどろもどろで、何もいえない。が、何処か桜井の様子が可笑しい。震えている。源藤もそれに気づき、
「……どうかしました?」
が、桜井は答えない。源藤は更に何があったのか問う。すると桜井はゆっくりと口を開く。
「……十円玉が五枚あるの、驚いた?」
「え、あぁ、それはもう。でも、あんなイタズラするなんて桜井さんもヒドイーー」
「あれ、あたしじゃないんだ」
「……え?」空気が凍りつく。風が吹く。「どういうこと、……ですか?」
「あたし、今日、金持ってきてないんだ……ポケットにも金なんか入れてないし、だから、あの五枚目の十円は……」
桜井は震える。それを見て源藤は目に涙を浮かべ、震え出す。肩を震わす桜井。
が、突然桜井は笑い出す。
「え……?」
「ウソだよ、バーカ。スタート前にポケットに十円が一枚入ってるのに気づいたからさ、みんなをからかっただけだよ」桜井は風船が割れたように声を大にして笑う。「お前、ビビり過ぎ! マジ面白ぇ!」
「……な、何ですか! からかわないで下さいよ! 本当に怖かったんですから!」
「でもーー」桜井は少し背伸びする。「カッコ良かったのは本当だよ……」
次の瞬間、源藤の唇に柔らかい感触があった。最初は驚いて目を見開いていた源藤も、何かに誘われるようにゆっくりと目を閉じた。
夏の生ぬるい空気が、つむじを巻いていた。