【丑寅は静かに嗤う~愛憎】
文字数 2,656文字
悲鳴ーー怒号混じりの悲鳴が夜の湿っぽい空気の中でも響き渡る。
「何が、起きたの……!?」
突然のことにただならぬ雰囲気を感じたお京が声を上げる。お雉がニヤリと笑う。
「始まったんだよ」
「何が、ですか?」
「お祭り」
お雉のことばに、お京はワケもわからないといった調子で困惑している。
「……アンタ、どうしてここまで来たんだい?」お馬が訊ねる。「アンタは、桃川さんや猿田さんとここまで来たはずだろ?」
「見ての通り捕まったんだけど。でも、なぁに? やたらと突っ掛かるね」
ギクシャクするお雉とお馬。まるで互いが互いを信用していないよう。が、
「……まぁ、今はそれどころじゃない。そんなことよりもーー」
お雉が横目で牢見張りの仮面を盗み見る。牢見張りのふたりは己に与えられた使命を遂行し続けるか、外の混乱を確認しに行くべきかを迷っているよう。それから片方が外の様子を見、片方が牢の見張りをすることで合意をし、猿の面の見張りはそのまま牢部屋から出ていく。
ひとり残された羊の面は、牢内の様子を見るという名目で残されたとはいえ、外の様子が気になって仕方ないのか、意識は完全に外へ向いてしまっている。
「さて、出ようか……」小声でお雉はいう。
「はぁ? 一体どうやって? 見張りがひとりいなくなったくらいで、どうにかなるモンでもないだろう?」
「それが、上手くいっちゃうのよねん、オ、バ、サ、ン」
お雉のオバサンにより、お馬は眉間に思い切りシワを寄せる。だが、言い争っている時間もないと見るや、そのままため息混じりに、
「どうしようっていうんだ?」
「簡単な話、表から堂々と出るんだよ」
表から堂々と出る。お雉の発言の意図が掴めていないお京とお馬は困惑を表情に刻む。
「アンタねぇ……、表からっていったって、あたいたちに何が出来るっていうんだい?」
お雉は懐を探り、何かを取り出す。それを見て、お京とお馬は驚きに声も出ない。
「これは……」
「簡単な話、ア、レ」
そういうとお雉は左の親指で牢の出入口のほうを差す。お京は困惑しつつ、
「もしかして、ここのカギなの……?」
「正解」お雉は不敵に笑う。「ここに入れられる直前に、ね。スらせて貰ったよ」
「じゃ、じゃあ、お雉さんがここにいるっていうのは、桃川さんと猿田さんの……」
「余計なことはいわない。それよりーー」
お雉は外の様子を伺う牢の見張りに気づかれないように素早くカギの掛かった戸のほうへと行くと、格子の間から手を出して錠にカギをさして回す。ガチャっという音。流石にこれには牢見張りの羊の面も振り向く。
が、羊の面が振り向いた時には、お雉は牢から出ており、髪に刺していた簪を抜き出して、羊の面目掛けて刺しに行く。
羊の面の鈍い声。
お雉の簪は羊の面のノドに突き刺さっている。時が止まったように、動かないお雉と羊の面。お雉はゆっくりと簪を抜き取る。羊の面はゆっくりと前に倒れる。
牢内ではどよめきが広がっている。牢見張りを倒したとはいえ、目の前で殺しが起きたことに動揺しているのが見て取れる。
お雉がゆっくりと牢内へと目をやると、牢内の女たちは思わず身を引く。
「……そりゃそうだよね」自虐的な調子でいいつつ、血塗れの簪を殺した羊の面の衣服でしっかりと拭い再び髪に簪を差すと、牢内の女たちに向かっていう。「何してるの。ビビってる暇があったら、さっさと逃げないと! ここもそんなに長くはーー」
「流石だね、おきっちゃんーー」
お雉はそう呼び掛けられて目を大きく見開くと、すぐさま振り返り、ハッとする。
「お羊……ッ!」
お雉の視線の先には、坤ーーが、その手には何の得物も持ってはいない。
「まだ、お羊って呼んでくれるんだね。ありがとう。ほんと、おきっちゃん、変わってーー」
いい終わるよりも前に、坤の身体は宙を舞っていた。次の瞬間には地面に勢い良く叩きつけられていたが、坤は特に痛がることも、苦しがることもせずに、ただお雉を見詰めている。
「……柔術の腕も鈍ってないんだね」
「うるさいッ!……本当なら、こんなことしたくなんかないんだけど、ね。アンタみたいのがいるから、またすることになっちゃった」
呼吸を荒くしてお雉はいう。その声色は朗らかで優しいようであって、こころの奥底に眠る怒りが具現化したように微かに強張ってもいる。髪も乱れ、着物も少しはだけている。坤の着物の袈裟部分を掴み、横になっている坤の顔を覗き込んでいる。坤は無表情の面のまま、
「そう、だよね……。わかってる」
「わかってる? 何を? 自分が人を裏切って、たくさんの人を殺して来たってこと?」
だが、その問いに坤が答えることはなかった。顔を叛け、お雉から視線を逸らす。
「何もいうことはないってこと」
「殺すなら殺して、いいよ……。わたし、後悔はしていないから……」
お雉は再び簪を抜き取ると、坤に向かって掲げる。が、刺さない。手は震え、口許は横一文字にキュッと結ばれている。
刺さない……、刺さない。
刺そうと思えば刺せる。殺そうと思えば殺せる。そういった状況であるにも関わらず、お雉は坤を殺さない。
坤を離すお雉ーー簪を拭い再び髪に差すと、そのまま立ち上がり、
「アンタを殺すのは、猿ちゃんに譲る。アンタだって、あたしに殺されるよりは猿ちゃんに殺されたほうが気分がいいでしょ?」
「……いいの?」
「その代わり、ここであたしたちを見逃して貰えない? ここで震えている人質を安全なところまで送り届ける義務がーー」
「それなら、わたしがやろうか?」
坤がいう。お雉は胡散臭さ全開に顔を歪めて見せると、
「……それ、本気でいってるの?」
「本気だよ」
「……どうして? そうすれば、罪の償いが出来るとでも思ってんの?」
「償いなんか出来ない。でも、おきっちゃんがわたしを助けたように、わたしだって、ね」
「……信じていいの?」
「信じて。大丈夫だから……」
「もし、ウソだったらーー」お雉は一度口をつぐみ、「……今度は容赦しないから」
「わかってる」
「……じゃ、あとはよろしく」
お雉は牢を後にしようとする。
「おきっちゃん、どうするの?」
お雉は振り返ることもせずにいう。
「あたしはやることがいっぱいでね。あたしを放っておかない男がたくさんなんだ。だから、相手してくるよ」
「フフ、おきっちゃんらしいね」
お雉は微かに坤へと意識を向ける。が、何もいわずに牢部屋から出て行く。
「おきっちゃん、ごめんね……」
坤はひとり佇む。
【続く】
「何が、起きたの……!?」
突然のことにただならぬ雰囲気を感じたお京が声を上げる。お雉がニヤリと笑う。
「始まったんだよ」
「何が、ですか?」
「お祭り」
お雉のことばに、お京はワケもわからないといった調子で困惑している。
「……アンタ、どうしてここまで来たんだい?」お馬が訊ねる。「アンタは、桃川さんや猿田さんとここまで来たはずだろ?」
「見ての通り捕まったんだけど。でも、なぁに? やたらと突っ掛かるね」
ギクシャクするお雉とお馬。まるで互いが互いを信用していないよう。が、
「……まぁ、今はそれどころじゃない。そんなことよりもーー」
お雉が横目で牢見張りの仮面を盗み見る。牢見張りのふたりは己に与えられた使命を遂行し続けるか、外の混乱を確認しに行くべきかを迷っているよう。それから片方が外の様子を見、片方が牢の見張りをすることで合意をし、猿の面の見張りはそのまま牢部屋から出ていく。
ひとり残された羊の面は、牢内の様子を見るという名目で残されたとはいえ、外の様子が気になって仕方ないのか、意識は完全に外へ向いてしまっている。
「さて、出ようか……」小声でお雉はいう。
「はぁ? 一体どうやって? 見張りがひとりいなくなったくらいで、どうにかなるモンでもないだろう?」
「それが、上手くいっちゃうのよねん、オ、バ、サ、ン」
お雉のオバサンにより、お馬は眉間に思い切りシワを寄せる。だが、言い争っている時間もないと見るや、そのままため息混じりに、
「どうしようっていうんだ?」
「簡単な話、表から堂々と出るんだよ」
表から堂々と出る。お雉の発言の意図が掴めていないお京とお馬は困惑を表情に刻む。
「アンタねぇ……、表からっていったって、あたいたちに何が出来るっていうんだい?」
お雉は懐を探り、何かを取り出す。それを見て、お京とお馬は驚きに声も出ない。
「これは……」
「簡単な話、ア、レ」
そういうとお雉は左の親指で牢の出入口のほうを差す。お京は困惑しつつ、
「もしかして、ここのカギなの……?」
「正解」お雉は不敵に笑う。「ここに入れられる直前に、ね。スらせて貰ったよ」
「じゃ、じゃあ、お雉さんがここにいるっていうのは、桃川さんと猿田さんの……」
「余計なことはいわない。それよりーー」
お雉は外の様子を伺う牢の見張りに気づかれないように素早くカギの掛かった戸のほうへと行くと、格子の間から手を出して錠にカギをさして回す。ガチャっという音。流石にこれには牢見張りの羊の面も振り向く。
が、羊の面が振り向いた時には、お雉は牢から出ており、髪に刺していた簪を抜き出して、羊の面目掛けて刺しに行く。
羊の面の鈍い声。
お雉の簪は羊の面のノドに突き刺さっている。時が止まったように、動かないお雉と羊の面。お雉はゆっくりと簪を抜き取る。羊の面はゆっくりと前に倒れる。
牢内ではどよめきが広がっている。牢見張りを倒したとはいえ、目の前で殺しが起きたことに動揺しているのが見て取れる。
お雉がゆっくりと牢内へと目をやると、牢内の女たちは思わず身を引く。
「……そりゃそうだよね」自虐的な調子でいいつつ、血塗れの簪を殺した羊の面の衣服でしっかりと拭い再び髪に簪を差すと、牢内の女たちに向かっていう。「何してるの。ビビってる暇があったら、さっさと逃げないと! ここもそんなに長くはーー」
「流石だね、おきっちゃんーー」
お雉はそう呼び掛けられて目を大きく見開くと、すぐさま振り返り、ハッとする。
「お羊……ッ!」
お雉の視線の先には、坤ーーが、その手には何の得物も持ってはいない。
「まだ、お羊って呼んでくれるんだね。ありがとう。ほんと、おきっちゃん、変わってーー」
いい終わるよりも前に、坤の身体は宙を舞っていた。次の瞬間には地面に勢い良く叩きつけられていたが、坤は特に痛がることも、苦しがることもせずに、ただお雉を見詰めている。
「……柔術の腕も鈍ってないんだね」
「うるさいッ!……本当なら、こんなことしたくなんかないんだけど、ね。アンタみたいのがいるから、またすることになっちゃった」
呼吸を荒くしてお雉はいう。その声色は朗らかで優しいようであって、こころの奥底に眠る怒りが具現化したように微かに強張ってもいる。髪も乱れ、着物も少しはだけている。坤の着物の袈裟部分を掴み、横になっている坤の顔を覗き込んでいる。坤は無表情の面のまま、
「そう、だよね……。わかってる」
「わかってる? 何を? 自分が人を裏切って、たくさんの人を殺して来たってこと?」
だが、その問いに坤が答えることはなかった。顔を叛け、お雉から視線を逸らす。
「何もいうことはないってこと」
「殺すなら殺して、いいよ……。わたし、後悔はしていないから……」
お雉は再び簪を抜き取ると、坤に向かって掲げる。が、刺さない。手は震え、口許は横一文字にキュッと結ばれている。
刺さない……、刺さない。
刺そうと思えば刺せる。殺そうと思えば殺せる。そういった状況であるにも関わらず、お雉は坤を殺さない。
坤を離すお雉ーー簪を拭い再び髪に差すと、そのまま立ち上がり、
「アンタを殺すのは、猿ちゃんに譲る。アンタだって、あたしに殺されるよりは猿ちゃんに殺されたほうが気分がいいでしょ?」
「……いいの?」
「その代わり、ここであたしたちを見逃して貰えない? ここで震えている人質を安全なところまで送り届ける義務がーー」
「それなら、わたしがやろうか?」
坤がいう。お雉は胡散臭さ全開に顔を歪めて見せると、
「……それ、本気でいってるの?」
「本気だよ」
「……どうして? そうすれば、罪の償いが出来るとでも思ってんの?」
「償いなんか出来ない。でも、おきっちゃんがわたしを助けたように、わたしだって、ね」
「……信じていいの?」
「信じて。大丈夫だから……」
「もし、ウソだったらーー」お雉は一度口をつぐみ、「……今度は容赦しないから」
「わかってる」
「……じゃ、あとはよろしく」
お雉は牢を後にしようとする。
「おきっちゃん、どうするの?」
お雉は振り返ることもせずにいう。
「あたしはやることがいっぱいでね。あたしを放っておかない男がたくさんなんだ。だから、相手してくるよ」
「フフ、おきっちゃんらしいね」
お雉は微かに坤へと意識を向ける。が、何もいわずに牢部屋から出て行く。
「おきっちゃん、ごめんね……」
坤はひとり佇む。
【続く】