【さらば平穏な夜よ】

文字数 3,259文字

 平和だった夜、楽しかった夜というのは儚いものだ。

 楽しかった記憶や嬉しかった記憶、美しい記憶というものは淡く儚い。人間の頭というのはどうにもバカで、イヤな記憶ばかりを先行させては鮮明に記憶させるクセに、美しい記憶をハッキリと脳の片隅に刻むことができない。こればかりは 本当に脳の欠陥だと思っている。

 忘却とは、人間に与えられた最大の防衛本能ともいわれているが、だとしたらイヤな記憶など早々に忘却させるべきで、過去に勉強した内容といったいつ使うかわからないモノこそ鮮明に記憶させるべきなのだ。

 おれは今でもパニックになった瞬間のことをよく覚えている。最初は映画館、二度目は電車の中。どちらも目眩がし、瞬間的なハレーションのような視覚効果があった。かと思いきや急に吐き気がし、精神的な恐怖が訪れた。

 ブラストの過去話で、一部のメンバーを悪くいうのもそういった記憶が原因だといっても可笑しくない。

 本当はそんなゴミ以下の記憶など忘れてしまいたいのに、酷い目に遭わせられると人はその記憶をいつまでも忘れないモノで、おれは今でもブラストでそういう最悪の事態に陥らないためにも、自分が主役を務めた公演の話を引用することがある。

 まぁ、今はメンツも変わって、そんなことにはならないと思うのだけど、自分の記憶にこびりついた汚れというか、そういう醜悪な記憶というものはいつまで経ったも落ちないでいるせいか、どうしてもその話をしてしまう。

 いってしまえば、これは「やったほうはすぐに忘れ、やられたほうはいつまでも覚えている」といった現象そのものだろう。

 悪いことをされた人間というのは、その悪い記憶がいつまでも鮮明に残り続ける。そしてその記憶は、この先の未来も過去の悪夢という形でその人を恒久的に苦しめ続けることとなる。

 だからこそ、人には優しくしなければならないのだと思う。精神を酷く傷つけられた悲しき被害者をひとりでも減らすために。

 とまぁ、昨日は中途半端なところで終わった『十二月の公演篇』だけど、今日で完結予定。『初舞台篇』よりは短かったろ?

 というわけで、あらすじーー

『本番当日、会場にはいくつもの団体がおり、そのすべてが素晴らしい芝居をしていた。そんな中、トリを務めるブラストの出番となった。おれを含めたブラストのメンバーは、舞台袖で静かに幕が上がるのを待つのだったーー』

 と、こんな感じか。さて、書いてくわーー

「お疲れ様! 乾杯!」

 薄暗いカラオケ店の一室で、みんな一斉にコップの中身を口に含んだ。

 旨かった。

 やはり、芝居を終えた後の酒は非常に旨かった。多分、成功したからこそ、余計にそう感じるのだろう。

 成功したーーその思いを胸に、壁に掛かったテレビ画面に映る公演のビデオを眺めた。

 ビデオという形で客観視しても、その公演は面白かった。ある意味当たり前だった。やっているこっちがすごく楽しかったのだから。

 公演はこれといったトラブルもなく進んだ。というより、あの日はみんな今までで一番よかったと思う。

 特にさとちんの素晴らしさは格別だった。

 平凡で冴えない感じから一転、狂ったような愛情と使命感に突き動かされる感じが妙に生々しかったと思う。

 そう、本番の舞台というのはこれがあるから面白いのだ。

 では、おれの芝居はどうだったか。

 個人的な体感ではあるが、結論からいえば、稽古と殆ど変わっていなかったと思う。いってしまえば、稽古でやったことをそのまま本番でやった感じだった。

 まぁ、演出としてはそのほうがありがたいのかもしれないけど、やっている人間としては、ひりつくような本番の緊張感の中、いつも以上の力を出せるほうが絶対に楽しいと羨ましく思えてならなかった。

 緊張ーー結局、おれは何ひとつ緊張していなかった気がする。

 多分、最後に緊張したのは、公演のふた月前に行われた居合の大会の決勝戦だったと思う。流石にあと一度勝てば優勝という場面になると緊張もした。結局はおれが優勝したから結果オーライだったのだけど、そのせいか自信もつき、緊張に対する耐性もついたようだった。

 それもあって、この時ほど怖いものがなかったことはないんじゃないか、と改めて思う。

 画面に映る芝居の中で演技するおれは自信に満ちていた。初舞台の時の不安の見えるギコチナイ感じとは比べ物にならないくらいに。

 多分、今でも和雅の役はやろうと思えばできるだろう。その次にやった五条という青年の役もできるだろう。より上手に、テクニカルに。

 だが、今のおれはその当時のおれではない。

 和雅も五条も、おれの中では演じた当時の自分だからこそ完成した役だと思っている。技術も実力も、今とは雲泥の差ではあるが、どちらの役も当時のギコチナイ自分によって成り立っていた役だとおれは信じている。

 きっと、どこか芝居にこなれてしまった今では、このふたつの役をやっても、見てくれはよくなっても、スピリットの面ではまったく及ばないだろう、とおれは思っている。

 舞台演劇は水物だ。瞬間、瞬間に花があり、それを過ぎれば花は枯れてしまう。今のおれは枯れた花であり、新しい蕾をつけた未熟な芽でしかなかった。

 と、自分の芝居を客観視しながら、そんな風に思ったのだった。

 その後といえば、久しぶりの飲酒で気をよくしたヤマムーの介抱をしたり、因縁の相手である正さんと少し話をしたり、ゆなちとカラオケを楽しんだりと芝居終わりの夜を盛大にーーもう少し、詳しく説明するか。

 ヤマムーの介抱に関してだが、これはシンプルに初めての舞台が成功に終わって気分がよくなってしまったのだろう。

 飲みに飲んで随分と気分がよくなったらしく、ヤマムーは随分と陽気に、またはセンチメンタルになっていた。

 部屋では楽しそうにはしゃぎ、店の外の喫煙スペースでは、おれを理解者として崇めつつ、自分の心情を吐露して涙を流した。

 人によっては迷惑に感じるのかもしれないが、おれはそんなこと微塵も思わなかった。

 当時の彼はまだ二三歳、大人としてはまだ一年生みたいなものだ。おれにだってそんなナイーブな時期があった。誰かに話を聞いて欲しい時があった。おれは自分が求めていた誰かになったに過ぎない。だから、ヤマムーがどんな面倒を起こそうと、迷惑だとは思わなかった。

 後日、ブラストのラインに謝罪文と自粛するという宣言がヤマムーから発されたが、正直、みんな気にしていなかったとおれは思っている。現に、今も月一で開かれるブラストの会合で他のメンバーと上手くやれているしね。

 続いて正さんとの一件。これは、遠征公演の時にSNSを通じて揉めた件や、これまで膨れ上がったふたりの因縁に関して。

 SNSによるやり合いに関していえば、既に終わったことでどうでもよかったのだけど、正さんは改めておれに謝罪してきた。おれも、流石にやり過ぎたと自分の大人げなさを詫びた。

 その後もこれまでのことを話し合い、長きに渡ったブラスト内での冷戦が終結したのだ。

 最後にゆなちとカラオケを楽しんだって話だけど、そのままの意味ですわ。稽古の時点でゆなちとは仲が良くてな。デュエットとかもしましたよ。今ではよくラインでやり取りする仲ですわ。ちなみに恋人関係ではないです。

 あとひとつ付け加えるとしたら、本番後はブラストのOB、OGとは何も話せなかった。

 色んな感情が入り交じっているのはあるけど、公演を観に来て下さった居合の師匠と、おれと同期入門の方と話していたのもあるし、何よりもデカかったのは、外山との会話が滅茶苦茶長引いたからだった。普通に片付け寸前まで話してたからな。流石我が相棒。

 とはいえ、この時はまだ例のウイルスが世界中に蔓延するとは思ってもいなかった。

 願わくば、また何の気兼ねや心配もなく芝居を打ちたいモノだ。そうなることを信じて、また明日を頑張っていきたいーー

 はい、『十二月の舞台篇』終了です。明日からはまた通常に戻るわ。じゃ、

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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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