【帝王霊~捌~】

文字数 3,535文字

 冬の夜の湿った空気が生ぬるい体温を溶かすように冷やして行く。

 深夜二時、ストリートから灯りが消えることはない。昼間のような夜。眠ることなど忘れてしまったかのように和雅は大きな目を開いてストリートを見詰めている。その目は何処か悲しげで幽霊がボウッと浮かんでいるように揺らめいていて元気がない。

 風が和雅の衣服を揺らす。深夜の風は冷たさを運び、鞭のように皮膚を打つはずなのに、和雅はそんなこと関係ないといわんばかりの薄着で、ベランダの手摺に肘を置いている。

 和雅の背後で戸が開く音がする。室内に電気は点いていないが、磨りガラスの先にはうっすらと人影が見える。そして、戸が開く。

「眠れないのか?」

 そう声を掛けて来たのは、祐太朗だ。和雅は首をうしろに向けて祐太朗を見る。

「あぁ……」

「まぁ、ツレがふたり襲われたって聴けば、落ち着いてもいられねえよな。でも、明日も本番で早いんだろ? なら横になったほうがいいんじゃねえか?」

「うん。でも、どうにも気になっちまって」

 和雅がそういうと、祐太朗は何もいわずに戸を閉め、室内へと戻ってしまった。が、少しして祐太朗は再び戸を開けて、今度は裸足のままベランダへと足を踏み入れた。

 いつもはチンピラくさい服装しかしない祐太朗も、寝る前は子供が着るようなポップなパジャマを着ている。ズボンの両ポケットは何やら不自然に膨らんでいて何とも不恰好だ。

「随分と可愛いパジャマ来てるじゃんか」和雅がふっと笑っていう。

「ほっとけ」祐太朗も微笑を漏らす。「それより、こんなとこにいると風邪引くぞ」

「そうね。でも、今は風に当たりたいんよ」

「……そうか。じゃあ」

 祐太朗はポケットの片方から何かを取り出す。350mlの缶ビール。ポケットに入っていたせいで僅かに表面的な水気は失っているが、飲み口辺りに残った水滴によって中身の冷たさは折り紙つき、といった様子だった。

「まだ本番が残ってるとはいえ、これ一本ぐらいならいいだろう。どうせ眠れねえんだろ? なら一杯ぐらい付き合えよ」

 祐太朗は照れくさそうにいいながら、ベランダの手摺が掛かる縁に缶ビールを置く。和雅はにわかに表情を緩ませながら、再びストリートのほうへ目をやるという。

「……酒は本番終わるまでは飲まんことにしてるんだわ。アルコールで顔はむくむし、意識も集中力もバカみたいに落ちるからな。でも、今日はダメだな。自分を律することが出来ない」

 そういって和雅はビールに手を伸ばし、タブを引く。プシュッという音と共に、ビールは微かな泡を伴って飛沫を上げる。まるで悲しみや苦しみが溶けて行くように。祐太朗はまるで亡くなった弟を見るように優しい微笑を見せ、

「……そうか」

 といい、自分も缶ビールを取り出してタブを引くと、手に持った缶ビールを和雅のほうへと差し出す。祐太朗のその仕草を不思議そうに見る和雅に祐太朗は、

「乾杯、だろ?」

「ん?」ハッとする和雅。「あ、あぁ、そうやね、うん。乾杯」

 ふたりは間と缶と缶をかち合わせる。祐太朗は上の位置、和雅は祐太朗よりも僅かに缶の位置を下げる。それはまるでふたりの関係性を象徴しているよう。乾杯の音頭と共にふたりはグッとビールを呷る、呷るーー呷る。

 ふたりほぼ同時に缶から口を離し、快楽に満ちた声を吐き出した。

「いやぁ、久しぶりだからかすげえウマイわ」満足気に和雅は笑みを浮かべる。

「全然飲んでなかったのか?」

「本番前だし、体質的に太りやすいからね」

「へぇ。そうは見えねぇけどな」

「自分を取り繕うのも、楽じゃないかんね」

「……まぁ、そうだよな」

 風が吹く音に混じって、走る原付バイクのエンジン音が通り過ぎて行く。ふたりとも沈黙の中でストリートのほうを見詰めながら、まるで弾倉を変えるように、ビールを呷る。冷たい空気の中、アルコールで身体も火照り始めようかというところで、祐太朗はいう。

「……別によ、事件が起きたのはお前のせいじゃねぇし、気にすることはないと思うぜ」

「……うん」

「それに良かったじゃねえか。ふたりとも何ともなかったようで。あのクズ警官もまったくの役立たずでもねえし、大丈夫だろうよ。しかも、あの長谷川って人の妹は警察OGで今は五村で探偵やってんだろ? それにあのボウズも父親が警官ともなれば、きっと……」

 祐太朗のことばは途中で霞のように霧散していった。そのことば尻には自信のなさが現れているようだった。和雅がビールを呷っていう。

「……うん。確かにそうな。おれはただ芝居に誘っただけなんだから。でも、仮におれが誘わなかったら、ふたりはこころにキズを負わなくても済んだんじゃないかって」

「お前なぁ、それは違うだろ。お前がふたりを誘わなかったら、それはそれでふたりも寂しいだろうし、お前とのこころの距離も離れていっちまうじゃねえか。人間、生きてれば色んなことがあるんだ。トラブったり事故に遭うことも当たり前にある。だから仕方ねえんだよ、今回のことは。大事なのは、何かが起こった後にどう立ち回るか、じゃねえのか?」

 祐太朗の口調には力がこもっていた。和雅は薄く笑って見せる。

「らしくないじゃんか。祐ちゃんがそんな親切なことばを掛けるなんて」

「……まぁ、そうだな。でも、お前って案外打たれ弱いんだな」

「おれも一度こころが壊れた人間だからね。一度壊れたモノは元には戻らない。戻ったように見えても、それは微妙に形が変わってたり、継ぎ接ぎだったりで、決して元通りになったワケじゃない。骨は折れて強くなるけど、こころは一度折れたら弱くなる。だからふたりが心配でならないんよ。でも、祐ちゃんのいう通りだな。何かあったら、おれがふたりを助ければいい。それだけなんだからさ」

 和雅は遠い目をしていう。祐太朗は何と返していいか戸惑うように居心地悪そうにしている。が、少しして口を開くと、

「そうか……、でもそんなに弱気になってると、何処かで気持ちを飲まれるぞ」祐太朗の忠告に和雅は無言で頷き、ビールを呷る。「だけど、良かったじゃねえか。おれがいて」

「え?」呆然として和雅は訊ねる。

「あぁ、いや、だから、その……」祐太朗はあからさまに動揺している。「んー、だから、ひとりで気持ちの悪いモン抱えてるより、それを吐き出して介抱してくれるヤツがいて良かった、ってそういうことだよ!」

 半ば投げ遣りになって祐太朗がいうと、和雅は相変わらずポカーンとしつつも、まるで湯が沸騰するように沸々と笑い出し、そして夜空に響き渡るほど大きな声で笑う。

「おい、近所迷惑だろ」

「ごめんごめん。でも、何かありがたいっていうか」和雅は俯き加減になって寂しそうな笑みを浮かべる。「……今、友達と絶縁中でさ。何だか、そういう風にいって貰えると、おれの人生にもまだ救いはあるんだな、って」

「絶縁って、何があったんだよ?」

「まぁ……、仲が悪くなったワケじゃないんよ。ただ、おれが色々と余計な世話を焼いてしまって。で、アイツは恥を掻いて逃げちまった。彼女とおれを残してな。連絡しても返って来ない。まったく、自分がイヤになるね」

 上を向く和雅。その姿はまるで涙が下に落ちないように、ともいわんばかりだ。

「まぁ、ソイツにも色々あるんだろ、きっと」

「うん……、そうな……」

「でもよ、お前には芝居の仲間がたくさんいるじゃねえか。ソイツらは……」

 和雅は首を横に振る。

「アイツらはダメだ。所詮は自分が目立つことしか考えてない。プロになりたいとかいってるけど、結局は芝居をやりたいなんてのは建前で、イヤなこと、キツイこと、大変なことはしたくないし、真剣にもなりたくない。楽して注目を集めたい。ただその一時が楽しければそれでいい。退屈と孤独を紛らわすために、その時々で群れて中身も何にもないバカ騒ぎしたいだけなんよ。そんなヤツら、ひとつのモノを作り上げるための『一時の仲間』ではあっても『友達』ではないんよ」

「そうか……。難しいモンだな……」

 夜の魔物が蠢く音が、ストリートにこだましている。沈黙と静寂に包まれた人工的な音が孤独な男たちを世間から置き去りにする。

 その時、突然にふたりの元に何かが飛んでくる。

 ゆっくりと、ゆっくりと飛行するそれは、祐太朗の家のベランダに落ちる。

「紙飛行機?」和雅はいう。

 落ちたのは紙飛行機だった。祐太朗はそれを広い上げ眺める。

 何かが書いてある。

 祐太朗は和雅にスマホを持っているか確認し、和雅が懐からスマホを取り出すのを認めると、ライトを点けて紙面を照らすよういう。

 祐太朗が紙飛行機を広げ、和雅が紙面を照らすと、ふたりは「えっ?」という表情を浮かべて互いに顔を見合わせた。

 【続く】
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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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