【冷たい墓石で鬼は泣く~伍拾睦~】
文字数 1,118文字
吐き気がし、冷や汗が全身から吹き出した。
出来ることなら藤十郎様のことばが、自分の聞き間違いであればいいと思った。わたしはいうまでもなく、そのことばを受け入れるどころか呆然と立ち尽くすばかりだった。
が、現実はそう上手くはいかなかった。
「どうした、聞こえなかったか?」藤十郎様がいった。「なぁ、牛野」
牛野の姓を聞くと、達人はハッとしていった。
「牛野とは......、アナタはもしかして」
そう、そのまさかである。房州やその周辺のみならず、牛野の姓は結構名を轟かせているらしかった。わたし自身、結構いわれたモノだ。牛野という旗本のせがれがとてつもない剣の腕を持っている、と。まぁ、それは紛れもなく馬乃助のことなのだが、ある種オマケのようにわたしもその一員とされていた。自分としては不本意極まりなかった。この名前の姓で何度となく勝負を挑まれて来たか。
「へぇ、知っているのか」
藤十郎様がいった。年齢のこともあるとは思うが、そもそも藤十郎様は自分より格下の旗本になど興味があるはずがなかった。だが、そこらで必死に剣の技術を磨いている者からしたらそうではなかった。
「知っているも何も、牛野家のご子息様は剣の技術が素晴らしく、まるで鬼のようだ、と。しかし、聞くところによれば、牛野様は更なる剣の腕を求めて御家を出られたと聴きました。今は武田様の元で仕えられておるのですか?」
仕えているーーそれは間違いなかった。だが、それもちょっとした事故のようなモノでしかない。誰が手裏剣を投げて藤乃助様を暗殺しようとしていた者を退けたことがキッカケとなって、問題児ーーいや、ご子息様のお世話係になったなどと信じるだろうか。
わたしは曖昧な口調で達人にそうだと答えた。しかし、そこにーー
「この男は道端で野垂れ死にそうになっていたところを父上に助けられたのだ」
と藤十郎様が口を挟んだ。まったく、余計なことをと思わざるを得なかった。しかし、達人はそれを信じきっていたようで、
「そうでございましたか。しかし、こうやって武田様の元で仕えられるようになってよかったではないですか。アナタほどの腕の持ち主が、そこら辺で野垂れ死ぬなど、あまりにももったいない」
良かったのか悪かったのかは正直微妙なところではあったが、まぁ、確かにあのまま流浪の旅を続けていても、いつしか野垂れ死ぬか、辻斬りや野盗の餌食になって終わりだろう。そう考えると、わたしはまだついているのかもしれなかった。
だが、それはそれ、これはこれ。カラクリの歯車は止まることを知らない。達人はいった。
「是非、わたくしからもお願いしたい。わたくしと勝負してくだされ!」
面倒なことになったモノだ。
【続く】
出来ることなら藤十郎様のことばが、自分の聞き間違いであればいいと思った。わたしはいうまでもなく、そのことばを受け入れるどころか呆然と立ち尽くすばかりだった。
が、現実はそう上手くはいかなかった。
「どうした、聞こえなかったか?」藤十郎様がいった。「なぁ、牛野」
牛野の姓を聞くと、達人はハッとしていった。
「牛野とは......、アナタはもしかして」
そう、そのまさかである。房州やその周辺のみならず、牛野の姓は結構名を轟かせているらしかった。わたし自身、結構いわれたモノだ。牛野という旗本のせがれがとてつもない剣の腕を持っている、と。まぁ、それは紛れもなく馬乃助のことなのだが、ある種オマケのようにわたしもその一員とされていた。自分としては不本意極まりなかった。この名前の姓で何度となく勝負を挑まれて来たか。
「へぇ、知っているのか」
藤十郎様がいった。年齢のこともあるとは思うが、そもそも藤十郎様は自分より格下の旗本になど興味があるはずがなかった。だが、そこらで必死に剣の技術を磨いている者からしたらそうではなかった。
「知っているも何も、牛野家のご子息様は剣の技術が素晴らしく、まるで鬼のようだ、と。しかし、聞くところによれば、牛野様は更なる剣の腕を求めて御家を出られたと聴きました。今は武田様の元で仕えられておるのですか?」
仕えているーーそれは間違いなかった。だが、それもちょっとした事故のようなモノでしかない。誰が手裏剣を投げて藤乃助様を暗殺しようとしていた者を退けたことがキッカケとなって、問題児ーーいや、ご子息様のお世話係になったなどと信じるだろうか。
わたしは曖昧な口調で達人にそうだと答えた。しかし、そこにーー
「この男は道端で野垂れ死にそうになっていたところを父上に助けられたのだ」
と藤十郎様が口を挟んだ。まったく、余計なことをと思わざるを得なかった。しかし、達人はそれを信じきっていたようで、
「そうでございましたか。しかし、こうやって武田様の元で仕えられるようになってよかったではないですか。アナタほどの腕の持ち主が、そこら辺で野垂れ死ぬなど、あまりにももったいない」
良かったのか悪かったのかは正直微妙なところではあったが、まぁ、確かにあのまま流浪の旅を続けていても、いつしか野垂れ死ぬか、辻斬りや野盗の餌食になって終わりだろう。そう考えると、わたしはまだついているのかもしれなかった。
だが、それはそれ、これはこれ。カラクリの歯車は止まることを知らない。達人はいった。
「是非、わたくしからもお願いしたい。わたくしと勝負してくだされ!」
面倒なことになったモノだ。
【続く】