【西陽の当たる地獄花~弐拾伍~】
文字数 2,168文字
ボロ小屋の中は屋根に開いた穴から差した陽の光で照らされている。
小屋の中には牛馬をはじめ、餓鬼、犬、そして猿の姿がある。牛馬は首を回して、
「ジジイ、死んだんじゃなかったのか?」
牛馬のこころないことばにも、餓鬼ーー悩顕は特に反応することもなく腕を組み胡座を掻いている。そんな様子を犬と猿はヒヤヒヤしながら眺めている。
「死んださ。貴様に手を下されて、な」悩顕のことばに、犬と猿はハッとする。「だがな、貴様はこの彼岸での流れを知らなかった。だからワシも、鬼水も宗賢もここにいる、というワケだ。その姿を変えて、な」
「鬼水に宗賢。姿を変えている、だと?」
「あぁーー」悩顕は説明する。
彼岸にて死亡し、大地獄に堕ちると、その落ちた者の性質によってふたつの行き先が用意されている。
ひとつは、牛馬が取り込まれていた完全なる無の空間であるーー無の空間、とはいっても、そこでは其々の恐怖心が様々な形を以て具現化し、対象者に襲い掛かる。そして、その空間ではいくらキズつき痛みを感じても、肉体はすぐに復元され、死ぬこともできないという。
そして、もうひとつが、餓鬼道や畜生道へと堕ち、今ここにいる悩顕や鬼水、宗賢のように餓鬼や犬、猿といった畜生に姿を変えて彼岸をさ迷うこととなるということだ。
餓鬼道や畜生道は地獄と比べるとまだ重くはない、とも思われるかもしれないが、その実、秩序は皆無で、互いが互いを食い殺し、その日の食料とするような凄惨さがあるという。
「なるほど、な。でもよ、何でジジイだけが餓鬼になってんだ? こっちは畜生だってのに」
「ワシが食法や疾行を犯した僧侶だからだ」
食法は僧侶が私利私欲のために間違った説法を人に説くことをいい、疾行は僧侶でありながら遊行し、貧困者に与えるべき食物を自ら食してしまったことによる罪のことをいう。
「つまりはテメェが僧侶故に餓鬼になった、ってことでいいのか?」
「まぁ、本当はもっと複雑なんだが、そういうことだと思ってもらっていい」
「で、コイツらが畜生なのは?」
「畜生道は生前の悪行によって決まり、落とされるモノとされている。だが、彼岸にて死亡するとこれはもはや行き先がなくなってしまい、自然と畜生道に堕ちるということだ」
「なるほど、な」
「それはそうと牛馬様」尻尾を振る犬ーー鬼水がいう。「牛馬様は死んだと聴かされましたが、実は生きていらしたのですか?」
「いや、死んださ。一度は、な」
「では、何故今ここに?」
牛馬は説明する。一度虚無の空間に堕ちた牛馬は、そこにある己の恐怖心を乗り越えた結果、虚無の空間そのものを操ることが出来るようになってしまい、虚無の空間の出口を開け、彼岸の世界へと帰ることが出来たというのだ。
「貴様、化け物か?」
悩顕が吐き捨てるようにいうと、牛馬はニヤッと笑ってみせーー
「もっと性質が悪いかもしれねぇぜ?」
不気味に嗤う牛馬に、悩顕は依然としてブスッとした表情、鬼水、宗賢は恐怖心を隠すようにヘラヘラとした笑みを浮かべている。
「ワシがこんなことをいうのも変な話ではあるがーー」悩顕はそう前置きしていう。「貴様のような悪人がどうして彼岸にて暴虐を続けているのか、わからなくなってきた」
「それは、テメェがおれに話して寄越したことじゃねぇのか?」
そう。牛馬が彼岸に来た時、悩顕は間違いなくいったのだーー
「彼岸を牛耳る神を殺して欲しい。そのためにまずは地獄の支配者である閻魔と会って欲しい」
牛馬はその話を聴き、確かにその通りにしようとしている。一度はしくじったが、虚無の大地獄から甦って来た牛馬としては、再びしくじるワケにはいかないーーというより、しくじるつもりは毛頭なかった。
「その通りだが、貴様はここに来てもまだ神を殺そうというのか?」
「何、下らねぇ質問してんだよ。あんなイカレたゲテモノ趣味の不細工が支配者だなんて、誰が喜ぶっていうんだよ。それにあのジジイにはおれも借りがあるんで、な」
「なるほど、な……。しかし、ひとつ訊きたいのは、どうしてワシを殺した? 神を殺すのに必要なのはワシの死ではないだろう?」
「だが、おれが神を殺すってことを知られちまってるから、な」牛馬は不敵に嗤う。
震え上がる鬼水と宗賢。
「……では、閻魔とそこにいる鬼水はどうして殺さなかった? ふたりだって貴様の人殺しの立派な証人となりうるのではないか?」
「あぁ、いずれにせよ全員殺すつもりだった。だが、閻魔は依頼人、鬼水は案内人としてまだまだおれの仕事のためには必要だった」
「……なるほど、な」納得はしているが、理解は出来ない、といった調子で悩顕はいう。「で、貴様、これからどうする?」
「どうする、か。このまま極楽に行ったところで中へは入れないだろうし、な」牛馬は鬼水と宗賢をギロリと睨む。「テメェら、今そうして畜生になってるってことは、一度は死んだってことだよな。誰にやられた?」
「名前はわからないのですが……、白装束の無精髭をはやした浪人風の男でした」鬼水。
「おれを殺したのもソイツだ。土佐流の男だろ?」
「土佐流、か。それもそうだろう」悩顕が口を挟む。「ヤツは貴様の因縁の相手、猿田源之助の兄弟子に当たる男なのだからな」
「……猿田、源之助の?」
笑ってばかりの牛馬の顔が強張った。
【続く】
小屋の中には牛馬をはじめ、餓鬼、犬、そして猿の姿がある。牛馬は首を回して、
「ジジイ、死んだんじゃなかったのか?」
牛馬のこころないことばにも、餓鬼ーー悩顕は特に反応することもなく腕を組み胡座を掻いている。そんな様子を犬と猿はヒヤヒヤしながら眺めている。
「死んださ。貴様に手を下されて、な」悩顕のことばに、犬と猿はハッとする。「だがな、貴様はこの彼岸での流れを知らなかった。だからワシも、鬼水も宗賢もここにいる、というワケだ。その姿を変えて、な」
「鬼水に宗賢。姿を変えている、だと?」
「あぁーー」悩顕は説明する。
彼岸にて死亡し、大地獄に堕ちると、その落ちた者の性質によってふたつの行き先が用意されている。
ひとつは、牛馬が取り込まれていた完全なる無の空間であるーー無の空間、とはいっても、そこでは其々の恐怖心が様々な形を以て具現化し、対象者に襲い掛かる。そして、その空間ではいくらキズつき痛みを感じても、肉体はすぐに復元され、死ぬこともできないという。
そして、もうひとつが、餓鬼道や畜生道へと堕ち、今ここにいる悩顕や鬼水、宗賢のように餓鬼や犬、猿といった畜生に姿を変えて彼岸をさ迷うこととなるということだ。
餓鬼道や畜生道は地獄と比べるとまだ重くはない、とも思われるかもしれないが、その実、秩序は皆無で、互いが互いを食い殺し、その日の食料とするような凄惨さがあるという。
「なるほど、な。でもよ、何でジジイだけが餓鬼になってんだ? こっちは畜生だってのに」
「ワシが食法や疾行を犯した僧侶だからだ」
食法は僧侶が私利私欲のために間違った説法を人に説くことをいい、疾行は僧侶でありながら遊行し、貧困者に与えるべき食物を自ら食してしまったことによる罪のことをいう。
「つまりはテメェが僧侶故に餓鬼になった、ってことでいいのか?」
「まぁ、本当はもっと複雑なんだが、そういうことだと思ってもらっていい」
「で、コイツらが畜生なのは?」
「畜生道は生前の悪行によって決まり、落とされるモノとされている。だが、彼岸にて死亡するとこれはもはや行き先がなくなってしまい、自然と畜生道に堕ちるということだ」
「なるほど、な」
「それはそうと牛馬様」尻尾を振る犬ーー鬼水がいう。「牛馬様は死んだと聴かされましたが、実は生きていらしたのですか?」
「いや、死んださ。一度は、な」
「では、何故今ここに?」
牛馬は説明する。一度虚無の空間に堕ちた牛馬は、そこにある己の恐怖心を乗り越えた結果、虚無の空間そのものを操ることが出来るようになってしまい、虚無の空間の出口を開け、彼岸の世界へと帰ることが出来たというのだ。
「貴様、化け物か?」
悩顕が吐き捨てるようにいうと、牛馬はニヤッと笑ってみせーー
「もっと性質が悪いかもしれねぇぜ?」
不気味に嗤う牛馬に、悩顕は依然としてブスッとした表情、鬼水、宗賢は恐怖心を隠すようにヘラヘラとした笑みを浮かべている。
「ワシがこんなことをいうのも変な話ではあるがーー」悩顕はそう前置きしていう。「貴様のような悪人がどうして彼岸にて暴虐を続けているのか、わからなくなってきた」
「それは、テメェがおれに話して寄越したことじゃねぇのか?」
そう。牛馬が彼岸に来た時、悩顕は間違いなくいったのだーー
「彼岸を牛耳る神を殺して欲しい。そのためにまずは地獄の支配者である閻魔と会って欲しい」
牛馬はその話を聴き、確かにその通りにしようとしている。一度はしくじったが、虚無の大地獄から甦って来た牛馬としては、再びしくじるワケにはいかないーーというより、しくじるつもりは毛頭なかった。
「その通りだが、貴様はここに来てもまだ神を殺そうというのか?」
「何、下らねぇ質問してんだよ。あんなイカレたゲテモノ趣味の不細工が支配者だなんて、誰が喜ぶっていうんだよ。それにあのジジイにはおれも借りがあるんで、な」
「なるほど、な……。しかし、ひとつ訊きたいのは、どうしてワシを殺した? 神を殺すのに必要なのはワシの死ではないだろう?」
「だが、おれが神を殺すってことを知られちまってるから、な」牛馬は不敵に嗤う。
震え上がる鬼水と宗賢。
「……では、閻魔とそこにいる鬼水はどうして殺さなかった? ふたりだって貴様の人殺しの立派な証人となりうるのではないか?」
「あぁ、いずれにせよ全員殺すつもりだった。だが、閻魔は依頼人、鬼水は案内人としてまだまだおれの仕事のためには必要だった」
「……なるほど、な」納得はしているが、理解は出来ない、といった調子で悩顕はいう。「で、貴様、これからどうする?」
「どうする、か。このまま極楽に行ったところで中へは入れないだろうし、な」牛馬は鬼水と宗賢をギロリと睨む。「テメェら、今そうして畜生になってるってことは、一度は死んだってことだよな。誰にやられた?」
「名前はわからないのですが……、白装束の無精髭をはやした浪人風の男でした」鬼水。
「おれを殺したのもソイツだ。土佐流の男だろ?」
「土佐流、か。それもそうだろう」悩顕が口を挟む。「ヤツは貴様の因縁の相手、猿田源之助の兄弟子に当たる男なのだからな」
「……猿田、源之助の?」
笑ってばかりの牛馬の顔が強張った。
【続く】