【その孤独は幻想か?】

文字数 1,549文字

 時には孤独感を抱くこともあるものだ。

 これはどんなに友人や恋人、周りの人に恵まれていようと起こりうることだと思う。そして、その要因はその時々で様々だ。

 今やっている何かが上手くいっていない時、人間関係に不和が生じている時、はたまたひとりで夜のストリートにこだまする喧騒を聴く時と、人は自分が孤独なのではという錯覚に陥りやすい生き物だと思うのだ。

 とはいえ、そんなのは所詮幻想でしかないとおれは思う。

 時には自分という殻に籠って現実から目を逸らしたり、逃げ出したくなる時もあるだろう。そんな時、自分は理解されない、自分はたったひとりだと思いもするだろう。

 だが、一歩外に出てみると、案外それは間違いだと気づくこともあったりする。

 サークル等のコミュニティにおける仲のいい人、昔の友人、恋人、中には両親という人もいるだろう。あるいは顔のわからないネットワーク上の友人というのでもいい。

 外に目を向けると、実は自分の周りには必ず誰かしらがいて、その人が案外自分のことを気に掛けてくれていたりする。だから、変に「自分はひとりだ」なんて内に籠らずに、人に何かを相談するのもいいんじゃないかと思うのだ。

 人間、内に籠って孤独感を抱くと、どうにもその場から逃げ出したくなるものだろう。別に逃げることは悪いことではない。身の危険を感じたら、人間は逃げ出すモンだしな。

 ただ、孤独感に苛まれてしまうと、自分にはどこにも逃げ場がないのではとどん詰まりを感じてしまいがちだ。自分には行き場がない。自分には何も出来ない。自分に適した居場所なんか、どこにもないーー

 だが、それは勘違いでしかない。

 本当にマズイ時は逃げなければならない。逃げたことを陰で何をいわれようと、その場にいない自分にその声が届くことはない。そんな聴こえもしない声よりも、内なる自分の声にこそ耳を傾けるべきだ。だって、人は自分のためにこそ生きているんだしな。

 それに仮に置物のようにただいるだけの人でも、いるといないではその場の空気は大きく変わってしまう。確かにその場に必要とされない人も中にはいるだろうけど、それはよっぽどの場合でしかない。大抵の場合は、人は何かしらの形で役に立っているモノなのだ。

 存在価値がないなどと自分に評価を下したところで、何の意味もない。自分の評価をするのは常に他人でしかない。しかもそれが表面化することは殆どない。だが、逆にいえば、この世界は自分で思っているほど狭くて窮屈な世界でもないということだ。

 自分が孤独だなんて幻想に過ぎないーー幻想でしかないのだ。

 まともなコミュニケーションを取っていなくとも、顔がわからずともいい。孤独感に押し潰されているソイツも社会の一員であり、何かしらのコミュニティの大事な存在であるということだ。だから、あんまり自分がひとりだとかいって枕を濡らす必要もない。

 孤独な夜が来たら、次は落ち着いた朝が来て、それが過ぎれば賑やかな昼が来る。

 孤独感なんか幻想でしかない。

 自分の足元ばかりを見ていても、見えるのは自分の靴が如何に汚れているかだけだ。しかも、その汚れは見れば見るほどに汚く見える。靴は歩けば汚れるモノなのに、その汚れを一々気にしていたら歩くこともままならなくなる。それに目線を少し上げれば、そこには自分が思っている以上に広い世界があるモノだ。

 気にすることはない。孤独は幻想だ。

 とまぁ、珍しくまともな内容になってしまったけど、そういうことだ。あまり気を病む必要なんかない。何事もなく過ぎていく日常、ただ何となく会話できる誰か、それがあれば人生は充分安泰だと思うのだよ。

 自分の幸せなんか、案外身近に落っこちているモンなんだからな。

 長くなりそうなんで、これでーー

 アスタラ。
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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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