【明日、白夜になる前に~弐拾漆~】
文字数 2,345文字
乗り慣れない電車に、降り慣れない駅。
散々迷った挙げ句に着た服はカジュアル過ぎず、フォーマル過ぎない格好。ただし、セミフォーマルとはとてもいえたモンでもない。別に遠慮するような間柄でもないのかもしれないが、ある程度の遠慮はあるべきだったかも。
ぼくの目の前には幾分くたびれた見た目をした女性がテーブルを挟んで座っている。
髪は栗色のポニーテール。マスクをしていることもあって全体像を掴めはしないが、目は大きめでくっきりしている。一応、目許はしっかりとメイクしている。衣服はTシャツにカーディガン、それにスウェットパンツ。隙だらけの格好なのは、ある種、ぼくと彼女の間柄を表しているようにも思える。
「久しぶりだね」
女性がいう。ぼくはそれに対して曖昧な相槌を打って対応する。何だろう、この変な感じは。別に下心があるワケでもなし。なのに、やたらと話がしづらく感じられる。
「元気だった?」
彼女がいう。ぼくは頷き、
「うん、そっちは?」
いってから後悔する。元気なワケがないとわかっていたからだ。つくづく自分のデリカシーのなさにウンザリする。だが、彼女は疲れ果ててシワが刻まれた顔をクシャッと弛ませて、
「そうだね、最近は落ち着いて来たよ」
という。ぼくは思わず、
「ごめん……」
と呟く。だが、彼女はーー
「いいんだよ。それよりーー」彼女はぼくの右腕に注目する。「斎藤くんも、色々と大変だったみたいだね。新しい生活には慣れた?」
ぼくは一度義手である自分の右腕を見下ろすと、不意に漏れ出す笑みとともに、
「あぁ、これね。うん、まぁまぁって感じかな。最初は戸惑うこともあったけど」
「そっか……」彼女の顔にどこか寂しさのようなモノが漂う。「こんなこというのはどうかと思うけど、斎藤くんは運が良かったと思う」
彼女のことばに別にイラッとは来なかったが、ぼくは彼女のことばの意味がわからず、
「運がいい?」
と聞き返してしまう。彼女は、うんっとまるで十円を入れたら動き出す機械仕掛けの人形のように小さく頷く。
「だって、斎藤くんは生きているから」彼女は自分の発言を弁解するようにして更に続ける。「確かに片方の腕がなくなってしまったのは悲劇かもしれない。それに、自分のことではないからこんなことをいえるんじゃないかと思われるかもしれないけど、斎藤くんは今でもちゃんと生きているじゃん。だから……」
そういって彼女はうつむき加減になって黙り込んでしまう。ぼくは彼女をフォローするように、
「確かにその通りだと思う。……確かに、こうなった当時は何かと思うことが多かったけど、今考えると自分の命があったことにーー」
ことばを選んで、選んで、選び抜いたつもりだった。だが、そんなつもりでも唐突にやって来る罪悪感は、ぼくのことばを尻すぼみにし、そしてすべてを奪う。ぼくはいうーー
「……こんなこというなんて、自分でもどうかしてるって思うけど、直人が亡くなって、ぼくは深くキズついたんだ。アイツは、ぼくらのグループの中でもいちばん順風満帆な人生を歩んでいたから。なのに、何で直人が、って思った。それなのに、ぼくはもう二度も人に助けられて一命をとりとめて。本来なら何も持たないぼくこそが死ぬべきで、直人は生きているべきだったって、何度も思ったよ」
「それは違うよ……」彼女は首を横に振りながらいう。「直人が生きて、斎藤くんが死ぬべきだなんて、そんなことは誰もいうべきじゃないと思う。確かにわたしも直人が突然いなくなってしまって、どうしようかとも思ったけど、でもそれも仕方なかったんだと思う」
「仕方なかった?」
「あの人も向こう見ずなところがあるから……」彼女は目に涙を滲ませる。「正直いって、何で直人がって何度も思ったよ……! あの人が何をしたっていうの……? この世には悪いことをして人をたくさん傷つけている人がいるというのに、何でそういう人ばかりが長生きして、直人みたいな人が早死にしなくちゃならないの……? 神様は不公平だよ……」
彼女のことばが耳に痛い。ぼくはこれまでの人生を真面目に生きてきたとはとてもいいがたい。対照的に、直人はどんな時でも、真摯に自分の人生に立ち向かっていた。なのに、そういうヤツこそ、蔑まれたり、酷い目に遭ったり、果ては命を落としてしまうのだ。
ぼくも正直なことをいえば、神というヤツは胡散臭いと思っている。
この世の秩序、そのすべてを作り上げた神という存在するかも怪しい全能の支配者は、とんでもないサディストでエゴイストだと何度罵倒しても足りないと思えてしまう。
ぼく自身、何度神を恨んだかわからない。何度神を殺してやりたいと思ったかわからない。もし、これが直人の運命、因果応報だとしたら、神というヤツは贔屓するクズ教師よりも下賎な存在だといわざるを得ない。
この世の中は不公平だ。メチャクチャなことをやってストレスなく好き勝手に生きているヤツもいれば、優秀であっても真面目に生きた果てに心身をダメにして社会から爪弾きに遭ってしまう人もいる。この世の中は弱肉強食、そういえば聞こえはいいかもしれない。
だが、その実、この世の中道を往くセオリーは、すべてやった者勝ちであるということだ。
黙るよりも口汚く罵ることだ。堪えるよりも殴ってしまうことだ。矛先を向けられる前に殺してしまうことだ。この世の中は先手必勝。何をやるにしても、すべてはやった者勝ち。
彼女はうっすらと笑みを浮かべていう。
「急な連絡だったのに、来てくれてありがとう。何か、久しぶりに同級生の顔を見れて嬉しかったよ。直人も、喜んでると思う……」
仏壇に置かれた直人の写真は何処までも明るく純真無垢な様子で笑っていた。
【続く】
散々迷った挙げ句に着た服はカジュアル過ぎず、フォーマル過ぎない格好。ただし、セミフォーマルとはとてもいえたモンでもない。別に遠慮するような間柄でもないのかもしれないが、ある程度の遠慮はあるべきだったかも。
ぼくの目の前には幾分くたびれた見た目をした女性がテーブルを挟んで座っている。
髪は栗色のポニーテール。マスクをしていることもあって全体像を掴めはしないが、目は大きめでくっきりしている。一応、目許はしっかりとメイクしている。衣服はTシャツにカーディガン、それにスウェットパンツ。隙だらけの格好なのは、ある種、ぼくと彼女の間柄を表しているようにも思える。
「久しぶりだね」
女性がいう。ぼくはそれに対して曖昧な相槌を打って対応する。何だろう、この変な感じは。別に下心があるワケでもなし。なのに、やたらと話がしづらく感じられる。
「元気だった?」
彼女がいう。ぼくは頷き、
「うん、そっちは?」
いってから後悔する。元気なワケがないとわかっていたからだ。つくづく自分のデリカシーのなさにウンザリする。だが、彼女は疲れ果ててシワが刻まれた顔をクシャッと弛ませて、
「そうだね、最近は落ち着いて来たよ」
という。ぼくは思わず、
「ごめん……」
と呟く。だが、彼女はーー
「いいんだよ。それよりーー」彼女はぼくの右腕に注目する。「斎藤くんも、色々と大変だったみたいだね。新しい生活には慣れた?」
ぼくは一度義手である自分の右腕を見下ろすと、不意に漏れ出す笑みとともに、
「あぁ、これね。うん、まぁまぁって感じかな。最初は戸惑うこともあったけど」
「そっか……」彼女の顔にどこか寂しさのようなモノが漂う。「こんなこというのはどうかと思うけど、斎藤くんは運が良かったと思う」
彼女のことばに別にイラッとは来なかったが、ぼくは彼女のことばの意味がわからず、
「運がいい?」
と聞き返してしまう。彼女は、うんっとまるで十円を入れたら動き出す機械仕掛けの人形のように小さく頷く。
「だって、斎藤くんは生きているから」彼女は自分の発言を弁解するようにして更に続ける。「確かに片方の腕がなくなってしまったのは悲劇かもしれない。それに、自分のことではないからこんなことをいえるんじゃないかと思われるかもしれないけど、斎藤くんは今でもちゃんと生きているじゃん。だから……」
そういって彼女はうつむき加減になって黙り込んでしまう。ぼくは彼女をフォローするように、
「確かにその通りだと思う。……確かに、こうなった当時は何かと思うことが多かったけど、今考えると自分の命があったことにーー」
ことばを選んで、選んで、選び抜いたつもりだった。だが、そんなつもりでも唐突にやって来る罪悪感は、ぼくのことばを尻すぼみにし、そしてすべてを奪う。ぼくはいうーー
「……こんなこというなんて、自分でもどうかしてるって思うけど、直人が亡くなって、ぼくは深くキズついたんだ。アイツは、ぼくらのグループの中でもいちばん順風満帆な人生を歩んでいたから。なのに、何で直人が、って思った。それなのに、ぼくはもう二度も人に助けられて一命をとりとめて。本来なら何も持たないぼくこそが死ぬべきで、直人は生きているべきだったって、何度も思ったよ」
「それは違うよ……」彼女は首を横に振りながらいう。「直人が生きて、斎藤くんが死ぬべきだなんて、そんなことは誰もいうべきじゃないと思う。確かにわたしも直人が突然いなくなってしまって、どうしようかとも思ったけど、でもそれも仕方なかったんだと思う」
「仕方なかった?」
「あの人も向こう見ずなところがあるから……」彼女は目に涙を滲ませる。「正直いって、何で直人がって何度も思ったよ……! あの人が何をしたっていうの……? この世には悪いことをして人をたくさん傷つけている人がいるというのに、何でそういう人ばかりが長生きして、直人みたいな人が早死にしなくちゃならないの……? 神様は不公平だよ……」
彼女のことばが耳に痛い。ぼくはこれまでの人生を真面目に生きてきたとはとてもいいがたい。対照的に、直人はどんな時でも、真摯に自分の人生に立ち向かっていた。なのに、そういうヤツこそ、蔑まれたり、酷い目に遭ったり、果ては命を落としてしまうのだ。
ぼくも正直なことをいえば、神というヤツは胡散臭いと思っている。
この世の秩序、そのすべてを作り上げた神という存在するかも怪しい全能の支配者は、とんでもないサディストでエゴイストだと何度罵倒しても足りないと思えてしまう。
ぼく自身、何度神を恨んだかわからない。何度神を殺してやりたいと思ったかわからない。もし、これが直人の運命、因果応報だとしたら、神というヤツは贔屓するクズ教師よりも下賎な存在だといわざるを得ない。
この世の中は不公平だ。メチャクチャなことをやってストレスなく好き勝手に生きているヤツもいれば、優秀であっても真面目に生きた果てに心身をダメにして社会から爪弾きに遭ってしまう人もいる。この世の中は弱肉強食、そういえば聞こえはいいかもしれない。
だが、その実、この世の中道を往くセオリーは、すべてやった者勝ちであるということだ。
黙るよりも口汚く罵ることだ。堪えるよりも殴ってしまうことだ。矛先を向けられる前に殺してしまうことだ。この世の中は先手必勝。何をやるにしても、すべてはやった者勝ち。
彼女はうっすらと笑みを浮かべていう。
「急な連絡だったのに、来てくれてありがとう。何か、久しぶりに同級生の顔を見れて嬉しかったよ。直人も、喜んでると思う……」
仏壇に置かれた直人の写真は何処までも明るく純真無垢な様子で笑っていた。
【続く】