【冷たい墓石で鬼は泣く~参拾参~】
文字数 1,241文字
わたしが何をいっても無駄なのはわかっていた。
そもそも、何事にも縛られたくないからという理由から家柄や権威までもを平気で捨て去ってしまうような男に、何をいったところで聞く耳を持たないことなどわかりきっていたことだった。
わたしがそう訊ねた理由は正直わからなかった。だが、今考えると、恐らくそれは保身からだったに違いなかった。わたしは今ある道場の師範代という立場を守りたかった。だからこそ、自分と似た顔を持つ馬乃助に下手に動かれては困ると思ったのだろう。
わたしはつくづく馬乃助とは真逆な人間だった。わたしは権威や安定の奴隷でしかなかった。馬乃助は正直、ヤクザの用心棒なんてことをやっていながら、不要になればすぐにでもヤクザの元を去るし、必要に迫られれば躊躇うことなくヤクザのことを斬り捨てるだろう。あの男は網に掛からない魚だ。どんなに捕まえようとしても、するりと網の目から抜け出してしまう。
「何でだ?」
相対したわたしに対して、馬乃助はそう訊ねた。わたしは返事に困った。そこにあるのは、月並みな答えだけだった。
「人の迷惑になるからだ」
「迷惑? おれがいつ人に迷惑を掛けた?」
「ヤクザと一緒にいる時点で他人を脅かしているとは思わないのか?」
「なるほどな」馬乃助は珍しく素直に納得して見せた。「じゃあひとついわせて貰っていいか?」
わたしはその問いの先を続けるように促した。馬乃助はいつもの人を食ったような微笑を浮かべて口を開いた。
「なら、おれやテメエが腰に差しているそのデケエ得物は人の脅威にはなり得ねえってことか?」
ハッとした。腰の得物ーー刀。武士として生まれ育ち、小さい時からそれを背負って来たさだめの中でいえば、腰に刀を差すなど当たり前のこととして来た。わたしはまるで悪あがきをするように、どういうことだ?と訊ねたね返した。だが、この男はいった。
「どういうことって、何をいってやがる。武士なんて、精神がどうとかで美化されてるだけで、やってることは人殺しだ。主君のためなら躊躇いなく人を殺し、百姓たちや身分の低い者が気に入らなければ殺して強奪してきた。武士が大手を振って街を歩けば、百姓震える。そういうモンだ。武士は所詮、地位や権威に守られてるだけで、そこに当てはまらない人間からしたらただの脅威でしかない。武士もヤクザも変わりはねえ。違うか?」
違う。そう断言したかった。だが、出来なかった。馬乃助は何処までも反乱者だった。この世の中で当たり前とされていることにも臆せず疑問を呈してしまう。そして、それは悔しいことに的を射ている。
結局、わたしは何も答えられなかった。そうしている間にヤクザの一団が女郎屋から出てきた。恐らく、この日はみかじめ料を取りに来ただけだったのだろう。
ヤクザの一団はわたしになど気付きもしなかった。去り際、馬乃助がわたしに向けた視線は、まるで冬の川のように冷たかった。
わたしはたったひとり、誰もいない島に放り込まれたような気分になった。
【続く】
そもそも、何事にも縛られたくないからという理由から家柄や権威までもを平気で捨て去ってしまうような男に、何をいったところで聞く耳を持たないことなどわかりきっていたことだった。
わたしがそう訊ねた理由は正直わからなかった。だが、今考えると、恐らくそれは保身からだったに違いなかった。わたしは今ある道場の師範代という立場を守りたかった。だからこそ、自分と似た顔を持つ馬乃助に下手に動かれては困ると思ったのだろう。
わたしはつくづく馬乃助とは真逆な人間だった。わたしは権威や安定の奴隷でしかなかった。馬乃助は正直、ヤクザの用心棒なんてことをやっていながら、不要になればすぐにでもヤクザの元を去るし、必要に迫られれば躊躇うことなくヤクザのことを斬り捨てるだろう。あの男は網に掛からない魚だ。どんなに捕まえようとしても、するりと網の目から抜け出してしまう。
「何でだ?」
相対したわたしに対して、馬乃助はそう訊ねた。わたしは返事に困った。そこにあるのは、月並みな答えだけだった。
「人の迷惑になるからだ」
「迷惑? おれがいつ人に迷惑を掛けた?」
「ヤクザと一緒にいる時点で他人を脅かしているとは思わないのか?」
「なるほどな」馬乃助は珍しく素直に納得して見せた。「じゃあひとついわせて貰っていいか?」
わたしはその問いの先を続けるように促した。馬乃助はいつもの人を食ったような微笑を浮かべて口を開いた。
「なら、おれやテメエが腰に差しているそのデケエ得物は人の脅威にはなり得ねえってことか?」
ハッとした。腰の得物ーー刀。武士として生まれ育ち、小さい時からそれを背負って来たさだめの中でいえば、腰に刀を差すなど当たり前のこととして来た。わたしはまるで悪あがきをするように、どういうことだ?と訊ねたね返した。だが、この男はいった。
「どういうことって、何をいってやがる。武士なんて、精神がどうとかで美化されてるだけで、やってることは人殺しだ。主君のためなら躊躇いなく人を殺し、百姓たちや身分の低い者が気に入らなければ殺して強奪してきた。武士が大手を振って街を歩けば、百姓震える。そういうモンだ。武士は所詮、地位や権威に守られてるだけで、そこに当てはまらない人間からしたらただの脅威でしかない。武士もヤクザも変わりはねえ。違うか?」
違う。そう断言したかった。だが、出来なかった。馬乃助は何処までも反乱者だった。この世の中で当たり前とされていることにも臆せず疑問を呈してしまう。そして、それは悔しいことに的を射ている。
結局、わたしは何も答えられなかった。そうしている間にヤクザの一団が女郎屋から出てきた。恐らく、この日はみかじめ料を取りに来ただけだったのだろう。
ヤクザの一団はわたしになど気付きもしなかった。去り際、馬乃助がわたしに向けた視線は、まるで冬の川のように冷たかった。
わたしはたったひとり、誰もいない島に放り込まれたような気分になった。
【続く】