【西陽の当たる地獄花~死拾死~】

文字数 2,287文字

 ほこりくささとカビくささが充満している。

 意識を取り戻す牛馬。その視界はまだ歪んでいる。だが、その先は桧皮色と真っ黒の二色が独立して存在している。

 身体を起こすと、牛馬は手を後頭部へと回す。何やら痛みを感じているようだ。

「気がついたか」

 その声には聞き覚えのあった。牛馬は目を擦って意識を視界に集中させる。歪む視界が次第にそのブレを小さくし、目の前の光景を明確にして行く。明確に、明確にーー

 見覚えのある光景だ。雑然とし、ほこりとカビに満ちた寺、そこは紛れもなく牛馬が彼岸で最初に目覚めた場所だった。

「……あ? どういうことだ?」牛馬は辺りを見回しながらいう。

「お前、自分の名前は覚えているか?」

 またもや聞き覚えのある声がする。枯れ木が朽ちたような、乾いた声。収束しゆく視界の中にそれが映る。牛馬は眉間にシワを寄せる。

「……テメェ、何でいるんだよ」

 そこにいたのは、しわくちゃで小さな僧侶らしき男がひとり。

「目覚めた最初のひとことがそれ、か。相変わらずだな、お前は」僧侶らしき男はいう。

「何がいいてぇんだよ」

「さっきから訊いてるだろう。お前の名前は何か、と。覚えているか?」

「んなこと……」

 が牛馬の口からは何も出て来ない。ハッとした顔。その顔には焦りのようなモノがある。

「お前がこっちで出会った人のことは? こっちで何があったか、は?」

 牛馬は何も答えない。いや、答えられないといったほうが正しいのかもしれない。

「答えられないか。それもそうだろうな。では、わたしのことは? さっき、確かにわたしが誰か、わかっていたようだったな」

「それは……」牛馬は考える。「何でおれはテメェを知っているんだ? 名前は出て来ねぇが、確かにテメェのことを知っている」

「で、ここの光景にも見覚えがある、と」

「……あぁ」牛馬は静かに頷く。

「だろうな。何故なら貴様は少なくとも一度はここに来ているのだからな」

 少なくとも一度は、ということは一度以上はここに来たことがあるということ。だが、それが一度か二度か、三度かそれ以上かはわからない。少なくとも今の牛馬にはわかることではないのはいうまでもない。

「おれがここに来たことがある、だと?」

「その通りだ。わたしもお前には会ったことがある。そして、わたしがお前に名前をつけた。その名前を教えてやろうか?」

「テメェがおれに名前をつけた?」

「そうだ」

「……何て名前だ」

「『牛馬』、元の名前はもう少し長かったからこれで充分かと思ってな」

「『牛馬』……」

 その名前に何となくだが覚えがあったのか、牛馬は目をギラつかせて記憶を辿る。そこに糸はなくとも、糸があったという軌跡は残されているのか、明確な記憶はなくとも、漠然とした絵面だけが浮かび上がって来る。

「そうか、おれは牛馬、っていうのか……」

「そうだ。だが、お前にとって忘れられない存在がひとり、いるはずだ。覚えているはずだ。たったひとり、憎しみを抱いた相手がそこにいるはずだろう?」

 牛馬は思いを巡らす。

 と、そこには紺色の着物に黒の袴姿の男の姿がある。男は髷を結わずに金属の髪留めで髪をうしろになでつけている。刀は一本差し、その刀の柄巻と下緒は淡青色。脇差の代わりに十手のような何かを差している。

「猿田、源之助……!」

「そうだ。お前はその猿田源之助に強い恨みを抱いている。その恨みがお前から猿田の記憶だけは残しておいたのだ。だとしたら、他にお前が抱いた強い感情を辿れば、これまでやって来たことを思い出せるのではないかな?」

 牛馬は自分の抱いた強い感情を思い返す。だが、そこにあるのは怒りと不安ではなく、快楽一辺倒。血の雨と肉片の山が積み重なる屍の敷物の上を歩く自分の姿。

 屍となった者たちの顔は覚えていない。だが、何となくその姿は覚えている。それから、自分に付きまとっていた犬と猿の存在も。

「……犬と猿、確かにいた。あれは……」

「犬は鬼水、地獄の閻魔の使いのひとりだ。猿のほうは宗顕。極楽の中級役人でわたしのたったひとりの息子だ」

「鬼水、宗顕……」

 漠然とした記憶が牛馬の中に甦る。だが、

「そいつらは人間じゃなかったか?」

「確かに人らしい姿はしていた。というより、元はといえば人間だったのだからな」

「人間?」

「そうだ。鬼水。お前にとっては『小便垂らし』といったほうが馴染みがあるか。『宗顕』は、そのままでいいだろうが」

 牛馬の記憶の中に、尻餅をついて小便を漏らした鬼水の姿が浮かび上がる。そして、宗顕。宗顕は猿になってからのほうが付き合いは深かったが、天と地が……。

 突然、牛馬は立ち上がり、窓の外を眺める。が、そこにあるのは天高く君臨する青空と地上に腰を据えた地のふたつだった。

「天地なら逆転しておらんよ」

「……どういうことだ。一体、何が起きている?」

「他に、思い出せることはないかな? 例えば、何処かに閉じ込められた、とか」

 閉じ込められた。確かにそういうこともあった。牛馬は何かに気づく。

「……あぁ、閉じ込められていた! だが、そこは……」

「抜け出した?」そのことばに対し、牛馬が自信なさげに頷く。「どうしてそう思った? 大体、どうやって抜け出したというのだ」

 答えられない。それがわからない。牛馬の中で、そこの記憶だけは完全に抜け落ちてしまっていた。牛馬からことばが消える。

「それもそうだろう。お前は抜け出してなんかいないのだから」

「抜け出していない!?」

「そうだ。改めて名乗ろう。わたしは『悩顕』、大地獄の案内人だ」

 悩顕は険しい顔でいった。

 【続く】
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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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