【ハイエナたちの夜】
文字数 5,855文字
ストリートには危険がいっぱいだ。
一見すると何ともないような街の一角も、夜になれば途端に鋭い牙を持った野獣に変わる。
闇夜を纏ったストリートは獣そのものだ。
そして、獣の元には獣が集う。金という血肉を求めてヨダレを垂らすケダモノは、いつだって弱者を探して目を光らせている。
あれは三年前くらいのことだった。
その日、おれは知人たちと新五村駅近辺の居酒屋で、飲み会をしていたのだ。
始まって二時間、宴もたけなわ、飲み会は明るい空気のままに終了した。
居酒屋を出ると、みんな居酒屋横のコンビニへ行った。おれは店外で外山と話をしていた。中学時代の仲間の集まりではなかったが、ちょっとした縁で外山もその飲み会に参加していたのだ。
コンビニをふけると、その場で解散。その場に残ったのは、おれと外山、それと二〇代前半の青年ふたりの計四人だけだった。
さてどうしよう、と話していると、青年のひとりが五村市駅でカラオケをしたいと提案した。周りは賛成。おれは行くつもりはなかったのだけど、付き合いとして、五村市駅までついていくことにした。
コンビニから五村市駅まで歩き始める。が、突然ーー
「お兄さんたち!」
何者かに声を掛けられたのだ。振り返るーー
見るからに柄の悪いチンピラがふたりいた。
ひとりはギャングスタ・ラップをやってそうな格好をしたデブ、もうひとりは厳ついスタジャンを羽織った茶髪のイケメンだった。
神経が一気に引き締まった。マズイ。本能が警鐘を鳴らす。デブはいったーー
「いやぁ、ちょっと五村市駅まで行きたくてさ。良かったら一緒に行ってくれない?」
詭弁だろうか。わからない。ただ、今の時代、スマホを使えば行きたい場所への経路なんて簡単に調べられる。それにーー
夜道で突然人に話し掛ける時点でまともじゃない。
それは偏見かもしれない。だが、普通のヤツは夜道で知らない誰かに突然話し掛けたりはしないもんだ。そもそも、これだけ犯罪に対してナーバスになっている時代に、暗闇の中で知らないヤツに話し掛けるなんて、よっぽどの危急か、悪意がなければ有り得ない。
おれは断るべきだと思った。がーー
一緒にいた青年のひとりが、男たちの頼みを快諾してしまったのだ。
しまった。おれは思わず奥歯を噛み締めた。いや、もしかしたら本当に駅までの道のりが知りたいだけなのかもしれない。
「いやぁ、本当に良かったよ。最近、物騒じゃん? カツアゲとか、マジ怖ぇじゃん」
デブがいった。おれは苦い顔をした。それからデブは、おれたち四人の関係性を訊ねると、続いてこう繋げたーー
「お兄さんたち、女の子の知り合いとかはいないの? 良かったら紹介して欲しいなー。おれ、今彼女募集中でさぁ」
思わず、頬がピクリと動いた。かと思いきや、デブはおれのほうを指し、こういった。
「お兄さん、何やってる人? 何か、すげぇ出来そうな感じがするし、超稼いでるように見えるわーー持ってるんでしょ?」
品のない質問。おれは曖昧にはぐらかした。が、マインドの奥底では、体内に鳴り響くほどの舌打ちをした。どうにかしなければならない。そう考えていると、最初の分岐点に来た。
「こっから、どう行けばいいの?」
デブが訊ねる。正面は住宅街だが、灯りが少なく暗い通り。もうひとつは国道沿いに出る比較的明るい通り。おれは、他のヤツラが口を開くよりも早く、話し始めた。
「ここを曲がれば国道沿いです。国道からなら目印も多いし、こっちから行きましょう」
デブは澄まし顔。イケメンも。おれは静かに答えを待った。デブがいったーー
「わかった。じゃあ、そっちから行こうか」
そうして、おれたちは国道沿いに向かって歩き出した。国道沿いに出て歩き始めると、気付けば、前衛と後衛で3オン3の形になっていた。
前衛は二〇代の青年ふたりにイケメン、後衛はおれと外山、そしてデブだ。
囲われたーーおれは直感的にそう判断した。
よし、ここはひとつ試してみるか。
この時おれはロードバイクを押しながら歩いていたのだけど、ロードバイクのペダルを縁石に引っ掻けたのだ。
おれは悪態をつきながら、外山に目配せをした。外山は緊張の面持ちで、おれを真っ直ぐ見ていた。そして、恐れや怯えを見せず、何かを悟ったようにジッとおれを見ていた。
おれが立ち止まるとデブも立ち止まった。
「大丈夫?」デブはいう。「さ、先どうぞ」
デブはおれに先を歩くようにいった。おれは内心ほくそ笑んだーーやっぱりか。
それからも前衛と後衛に分かれて歩き続けた。後衛では、デブが職業の話を振って来た。外山は自分の職業を正直に答えた。おれはーー
「自営でガス工やってます」
大ウソだった。自営のガス工は親父の職であって、おれは関係なかった。
「自営でガス工なんだ。でも、オール電化のこともあって、ガスは今、大変でしょ」
「いえ、震災の影響で盛り返しました」
おれの答えに疑問を呈すデブ。おれはその答えをしっかりと説明してやった。
「確かに一時はキツイこともあったんですが、震災の影響で電気が使えなくなると、オール電化では何も出来なくなってしまう。そこで、ガスの需要が増えたんです」
これは出任せでも何でもなく事実だった。というのも、以前そういった内容の記事を読んでいたし、親父自身そういっていたのだ。
「はぁ、そんなんだ」納得するデブ。「家はどこら辺なんすか?」
「五村の広沢です」
これもウソ。ただ、完全なウソではボロが出る。だからこそ、おれは近隣の地区で土地に明るい広沢の名前を出して保険を掛けたのだ。
「あぁ、広沢なんだ。あの辺り、燃料店あるでしょ。何でしたっけーー村山燃料! そうだ、村山燃料だ! ご存知ですか?」
おれはうっすらと笑って見せた。
「えぇ、知ってますよ」
「だよね! おれも自営で、得意先だからよく知ってるんすよ!」
「へぇ、得意先なんですか。自営って何をやっているんですか?」
デブの顔の影が深くなった。
「土木、っすね」
「土木ですか。何ていう会社なんですか?」
「海原総業です」
それからデブは、自分のやっている仕事の話をし始めた。何でも、ソーラーパネルの設置や何かを主にやっているらしい。
「へぇ、そうなんですね。住まいはどこら辺なんですか?」おれは訊ねた。
「五村の笹山です」
笹山。新五村からは遠く、その辺の土地勘がなくても可笑しくはない。ただーー
「なるほど、笹山ですか」おれはいう。「笹山にあるカラオケならたまに行きますよ」
「あぁ、『カラオケ・ビッグ』ですね」
「あれ、『ビッグ』は三年前に潰れて、今は確か『うたまつり』じゃなかったですっけ?」
一瞬の沈黙が、ベールのようにおれたちの間に漂った。デブは、
「そうでしたっけ? カラオケはあんま行かないからなぁ」おれは冷めた態度で、そうなんですねといった。
それから、少し行くと、デブは唐突に立ち止まり、スマホを弄りだした。遠目に見たデブは誰かに電話しているようで、おれたちに連れ立つ様子はまったくなかった。
その少し後に、前を歩いていたイケメンがデブの不在を確認すると、何もいわずにデブのいるほうへと走っていった。
解放。おれは大きくため息をついた。
「何だったんだろうな」外山がいった。
「危なかったな」おれは外山にいった。「あれ、多分、おれらの財布目当てだぞ」
「マジ?」
おれは一度大きく頷くと、そう感じた理由を一つひとつ説明していった。
おれが、ヤツラを恐喝者だと判断したのは、出会ってすぐだった。ただ何となくそう思ったのもあるが、それ以上に判断材料となったのは、デブの話しぶりだった。というのも、
恐喝者というのが、必ずといっていいほどする話をあのデブはしていたのだ。
これは不良学生は対象外とはいえ、この項目に当てはまれば当てはまるほど、その的中率は高まっていく。その項目とは、
①女性関係を探る。
②懐具合といった金の話をする。
③自分が恐喝者でないことを強調する。
これには、各々理由がある。②に関してはいうまでもなく、対象が金を持っているか探るためだ。①は、いざ金をせびる時の担保として役に立つから。③は自分がそういう人間でないとこちらに刷り込むためだ。
女性関係を探るのは、「金を出せないなら、女を紹介しろ」という口実を作るためだ。そんなこといわれた所で、普通の人間なら女を紹介などしないだろう。
だが、そこが落とし穴で、知り合いの女性を犠牲にするくらいなら金を払ってしまったほうがいいと普通は考える。結果、相手に金を払いやすくさせる。これが狙いなのだ。
更にいえば、普通なら初対面の相手に金の話はしないモノだ。そもそも、仲のいい友人ですら金の話をするのは躊躇するモノなのに、仮にも友好的な素振りをしてこちらに近づいて来たにも関わらず金の話をする時点でお察し。まず目当ては財布の中身であって、友情ではないと推測出来る。むしろ、そうでなかったら人間的にどうかしているとしか思えない。
プラス、自分が恐喝者でないことを強調するのは、ある意味では当然のことだ。「これから恐喝するよ」といって恐喝するバカはいないーーもしかしたら、いるかもしれないけど。
恐喝する口実というのは、その時の状況によって違う。交通ルールを破ったからその罰則金としてというのもあれば、お金に困っているから貸して欲しいというのもある。
交通ルール破ったからとか、自警団気取りかよって感じだけど、残念ながらそういって恐喝するヤツは実在する。現におれが遭遇したし。
ひとついえるのは、金を貸して欲しい、これが最もポピュラーな理由だと思う。こうさせないためにも、おれは話し方を徹底した。
「キミはあのデブに対してタメ口で話してたろ? それは何で?」おれは外山に訊ねた。
「それは、ナメられないためかな」
「確かにそれはいいかもしれない。だけど、それがマズイんだ。タメ口は取りようによっては相手に『仲良くなった』と判断されかねない。そうなれば、相手に恐喝させる口実を与えるだけだ。例えばーー」
おれは腕を外山の肩に回し、顔を近づけた。
「おれたち友達だよな? 今、金に困っててさ。友情に免じて金貸してくれねぇかなぁ?」
そのことばを聴いて、外山は固まった。おれは外山をリリースして、ことばを紡いだ。
「こういうことだ。腕を肩に回されて顔を近づけられでもしたら終わりだ。端から見れば仲がいいようにしかみえないけど、いざされると威圧感が半端ない。それに友情を出汁に金を『貸して』といえば、恐喝ではなくなるしな」
「なるほど、なぁ……」
「だから、おれはあくまで敬語は崩さなかった。敬語ってのは便利でな。一見すると、関係性の上下が明らかになりそうだけど、それはスタンス次第で大きく変わる。おれが使ってた敬語は、明らかな壁を作る敬語だ。どんなにフレンドリーに接してこようが、壁のある冷たい敬語で接してやれば、向こうも踏み込みづらい」
「そういうことだったのか……」
「しかし、あのデブもインチキだな。五村市内に住んでれば、車に乗ってなくとも国道のことは知っているはずだし、国道沿いを行けば、まず駅までの案内板はある。それにーー」
おれは思わず笑ってしまった。
「自営の人間が得意先の名前を間違えるのは有り得ない。明日には職を失いかねないような状況下にいるのに、得意先の名前すら覚えてられないようじゃ、話にならない。仮に本当に自営だったとしてもろくな経営者じゃねえよな」
「何か、間違えたのか?」
「広沢近くの燃料店は村山燃料店じゃなくて、『村崎燃料店』だよ。そんな間違い、普通しないよな。それに、おれ、仕事のことでウソついたけど、どうせ金をせびったらバイバイなんだ。いった情報がホントかウソかなんて、ヤツラにはどうでもいいんだよ。そもそも、あのデブが笹山に住んでるかも怪しいしな。『カラオケビッグ』だろうが『うたまつり』だろうが、あんな目立つ建物の変遷を覚えてない時点で、住所も出任せだろうよ」
「なるほど、なぁ……」
「それと、わざわざ国道沿いを選んだのは、こちらには外灯があるからだ」
「外灯?」
「そう。ヤツラの顔を確認したかった。人は顔を見られると、悪事をしづらくなる。それに国道沿いなら警官が張ってることもある。もしそうなったら、余計恐喝なんかできっこない」
「お前……、とんでもないな」外山はいった。
「まぁ、でも、何ともなくて良かったよ」
「あぁ、お陰で助かった。ありがとよ」
「いいさ」不意にセンチメンタルな感情が込み上げて来た。「……にしても、おれらも長いもんだよな」
「あぁ、多分、これからもずっとだろうな」
外山のひとことに、おれは思わず微笑した。
「そうだな。キャナも健太郎くんもな」
そんなことを話しながら歩いていると、いつしか五村市駅に着いていた。そこでおれは外山と青年ふたりと別れて帰路につくことにした。
ひとり、五村の駅に背を向けて、ロードバイクを押しながら歩いた。
が、おれは絶句した。
目の前に、あのデブとイケメンがいたのだ。
しかも、さっきはいなかったスキンヘッドの厳ついヤツも連れて、だ。
もしかしたら、さっき電話していたのは、このスキンヘッドだったのでは。マズイ。おれはロードバイクに跨がり、走り出した。三人組の横を通り抜けた。その時、
「チッ、ダメだったな」
みたいな声が聴こえた気がしたけど、気のせいであって欲しい。多分その意味は、そういうことだろうからな。
結局、無事に家に付き、何ともなかったのだけど、帰宅後すぐに外山に、デブとイケメンが、さっきはいなかったスキンヘッドと一緒に歩いていたことを告げ、朝まで店を出ないようにと忠告したのだった。
その後聞いた話によると、外山たちは何事もなく帰れたとのことだった。
こうして、ハイエナたちとの夜は終わりを迎えたのだ。まぁ、結局ヤツラの本当の目的が何だったかは明確ではないのだけど、恐らくろくなことにはならなかったんじゃないかと思う。
おれの勘は当たっていたかもしれないし、外れていたかもしれない。まぁ、どちらにせよ、何もなかったことだけが救いだ。
ストリートには死肉に餓えたハイエナがそこら中をさまよっている。月夜に吼えるは、コヨーテかハイエナか。ひとついえるのは、
最後の最後、自分の身を守れるのは自分だけ、ということだ。
アスタラビスタ。
一見すると何ともないような街の一角も、夜になれば途端に鋭い牙を持った野獣に変わる。
闇夜を纏ったストリートは獣そのものだ。
そして、獣の元には獣が集う。金という血肉を求めてヨダレを垂らすケダモノは、いつだって弱者を探して目を光らせている。
あれは三年前くらいのことだった。
その日、おれは知人たちと新五村駅近辺の居酒屋で、飲み会をしていたのだ。
始まって二時間、宴もたけなわ、飲み会は明るい空気のままに終了した。
居酒屋を出ると、みんな居酒屋横のコンビニへ行った。おれは店外で外山と話をしていた。中学時代の仲間の集まりではなかったが、ちょっとした縁で外山もその飲み会に参加していたのだ。
コンビニをふけると、その場で解散。その場に残ったのは、おれと外山、それと二〇代前半の青年ふたりの計四人だけだった。
さてどうしよう、と話していると、青年のひとりが五村市駅でカラオケをしたいと提案した。周りは賛成。おれは行くつもりはなかったのだけど、付き合いとして、五村市駅までついていくことにした。
コンビニから五村市駅まで歩き始める。が、突然ーー
「お兄さんたち!」
何者かに声を掛けられたのだ。振り返るーー
見るからに柄の悪いチンピラがふたりいた。
ひとりはギャングスタ・ラップをやってそうな格好をしたデブ、もうひとりは厳ついスタジャンを羽織った茶髪のイケメンだった。
神経が一気に引き締まった。マズイ。本能が警鐘を鳴らす。デブはいったーー
「いやぁ、ちょっと五村市駅まで行きたくてさ。良かったら一緒に行ってくれない?」
詭弁だろうか。わからない。ただ、今の時代、スマホを使えば行きたい場所への経路なんて簡単に調べられる。それにーー
夜道で突然人に話し掛ける時点でまともじゃない。
それは偏見かもしれない。だが、普通のヤツは夜道で知らない誰かに突然話し掛けたりはしないもんだ。そもそも、これだけ犯罪に対してナーバスになっている時代に、暗闇の中で知らないヤツに話し掛けるなんて、よっぽどの危急か、悪意がなければ有り得ない。
おれは断るべきだと思った。がーー
一緒にいた青年のひとりが、男たちの頼みを快諾してしまったのだ。
しまった。おれは思わず奥歯を噛み締めた。いや、もしかしたら本当に駅までの道のりが知りたいだけなのかもしれない。
「いやぁ、本当に良かったよ。最近、物騒じゃん? カツアゲとか、マジ怖ぇじゃん」
デブがいった。おれは苦い顔をした。それからデブは、おれたち四人の関係性を訊ねると、続いてこう繋げたーー
「お兄さんたち、女の子の知り合いとかはいないの? 良かったら紹介して欲しいなー。おれ、今彼女募集中でさぁ」
思わず、頬がピクリと動いた。かと思いきや、デブはおれのほうを指し、こういった。
「お兄さん、何やってる人? 何か、すげぇ出来そうな感じがするし、超稼いでるように見えるわーー持ってるんでしょ?」
品のない質問。おれは曖昧にはぐらかした。が、マインドの奥底では、体内に鳴り響くほどの舌打ちをした。どうにかしなければならない。そう考えていると、最初の分岐点に来た。
「こっから、どう行けばいいの?」
デブが訊ねる。正面は住宅街だが、灯りが少なく暗い通り。もうひとつは国道沿いに出る比較的明るい通り。おれは、他のヤツラが口を開くよりも早く、話し始めた。
「ここを曲がれば国道沿いです。国道からなら目印も多いし、こっちから行きましょう」
デブは澄まし顔。イケメンも。おれは静かに答えを待った。デブがいったーー
「わかった。じゃあ、そっちから行こうか」
そうして、おれたちは国道沿いに向かって歩き出した。国道沿いに出て歩き始めると、気付けば、前衛と後衛で3オン3の形になっていた。
前衛は二〇代の青年ふたりにイケメン、後衛はおれと外山、そしてデブだ。
囲われたーーおれは直感的にそう判断した。
よし、ここはひとつ試してみるか。
この時おれはロードバイクを押しながら歩いていたのだけど、ロードバイクのペダルを縁石に引っ掻けたのだ。
おれは悪態をつきながら、外山に目配せをした。外山は緊張の面持ちで、おれを真っ直ぐ見ていた。そして、恐れや怯えを見せず、何かを悟ったようにジッとおれを見ていた。
おれが立ち止まるとデブも立ち止まった。
「大丈夫?」デブはいう。「さ、先どうぞ」
デブはおれに先を歩くようにいった。おれは内心ほくそ笑んだーーやっぱりか。
それからも前衛と後衛に分かれて歩き続けた。後衛では、デブが職業の話を振って来た。外山は自分の職業を正直に答えた。おれはーー
「自営でガス工やってます」
大ウソだった。自営のガス工は親父の職であって、おれは関係なかった。
「自営でガス工なんだ。でも、オール電化のこともあって、ガスは今、大変でしょ」
「いえ、震災の影響で盛り返しました」
おれの答えに疑問を呈すデブ。おれはその答えをしっかりと説明してやった。
「確かに一時はキツイこともあったんですが、震災の影響で電気が使えなくなると、オール電化では何も出来なくなってしまう。そこで、ガスの需要が増えたんです」
これは出任せでも何でもなく事実だった。というのも、以前そういった内容の記事を読んでいたし、親父自身そういっていたのだ。
「はぁ、そんなんだ」納得するデブ。「家はどこら辺なんすか?」
「五村の広沢です」
これもウソ。ただ、完全なウソではボロが出る。だからこそ、おれは近隣の地区で土地に明るい広沢の名前を出して保険を掛けたのだ。
「あぁ、広沢なんだ。あの辺り、燃料店あるでしょ。何でしたっけーー村山燃料! そうだ、村山燃料だ! ご存知ですか?」
おれはうっすらと笑って見せた。
「えぇ、知ってますよ」
「だよね! おれも自営で、得意先だからよく知ってるんすよ!」
「へぇ、得意先なんですか。自営って何をやっているんですか?」
デブの顔の影が深くなった。
「土木、っすね」
「土木ですか。何ていう会社なんですか?」
「海原総業です」
それからデブは、自分のやっている仕事の話をし始めた。何でも、ソーラーパネルの設置や何かを主にやっているらしい。
「へぇ、そうなんですね。住まいはどこら辺なんですか?」おれは訊ねた。
「五村の笹山です」
笹山。新五村からは遠く、その辺の土地勘がなくても可笑しくはない。ただーー
「なるほど、笹山ですか」おれはいう。「笹山にあるカラオケならたまに行きますよ」
「あぁ、『カラオケ・ビッグ』ですね」
「あれ、『ビッグ』は三年前に潰れて、今は確か『うたまつり』じゃなかったですっけ?」
一瞬の沈黙が、ベールのようにおれたちの間に漂った。デブは、
「そうでしたっけ? カラオケはあんま行かないからなぁ」おれは冷めた態度で、そうなんですねといった。
それから、少し行くと、デブは唐突に立ち止まり、スマホを弄りだした。遠目に見たデブは誰かに電話しているようで、おれたちに連れ立つ様子はまったくなかった。
その少し後に、前を歩いていたイケメンがデブの不在を確認すると、何もいわずにデブのいるほうへと走っていった。
解放。おれは大きくため息をついた。
「何だったんだろうな」外山がいった。
「危なかったな」おれは外山にいった。「あれ、多分、おれらの財布目当てだぞ」
「マジ?」
おれは一度大きく頷くと、そう感じた理由を一つひとつ説明していった。
おれが、ヤツラを恐喝者だと判断したのは、出会ってすぐだった。ただ何となくそう思ったのもあるが、それ以上に判断材料となったのは、デブの話しぶりだった。というのも、
恐喝者というのが、必ずといっていいほどする話をあのデブはしていたのだ。
これは不良学生は対象外とはいえ、この項目に当てはまれば当てはまるほど、その的中率は高まっていく。その項目とは、
①女性関係を探る。
②懐具合といった金の話をする。
③自分が恐喝者でないことを強調する。
これには、各々理由がある。②に関してはいうまでもなく、対象が金を持っているか探るためだ。①は、いざ金をせびる時の担保として役に立つから。③は自分がそういう人間でないとこちらに刷り込むためだ。
女性関係を探るのは、「金を出せないなら、女を紹介しろ」という口実を作るためだ。そんなこといわれた所で、普通の人間なら女を紹介などしないだろう。
だが、そこが落とし穴で、知り合いの女性を犠牲にするくらいなら金を払ってしまったほうがいいと普通は考える。結果、相手に金を払いやすくさせる。これが狙いなのだ。
更にいえば、普通なら初対面の相手に金の話はしないモノだ。そもそも、仲のいい友人ですら金の話をするのは躊躇するモノなのに、仮にも友好的な素振りをしてこちらに近づいて来たにも関わらず金の話をする時点でお察し。まず目当ては財布の中身であって、友情ではないと推測出来る。むしろ、そうでなかったら人間的にどうかしているとしか思えない。
プラス、自分が恐喝者でないことを強調するのは、ある意味では当然のことだ。「これから恐喝するよ」といって恐喝するバカはいないーーもしかしたら、いるかもしれないけど。
恐喝する口実というのは、その時の状況によって違う。交通ルールを破ったからその罰則金としてというのもあれば、お金に困っているから貸して欲しいというのもある。
交通ルール破ったからとか、自警団気取りかよって感じだけど、残念ながらそういって恐喝するヤツは実在する。現におれが遭遇したし。
ひとついえるのは、金を貸して欲しい、これが最もポピュラーな理由だと思う。こうさせないためにも、おれは話し方を徹底した。
「キミはあのデブに対してタメ口で話してたろ? それは何で?」おれは外山に訊ねた。
「それは、ナメられないためかな」
「確かにそれはいいかもしれない。だけど、それがマズイんだ。タメ口は取りようによっては相手に『仲良くなった』と判断されかねない。そうなれば、相手に恐喝させる口実を与えるだけだ。例えばーー」
おれは腕を外山の肩に回し、顔を近づけた。
「おれたち友達だよな? 今、金に困っててさ。友情に免じて金貸してくれねぇかなぁ?」
そのことばを聴いて、外山は固まった。おれは外山をリリースして、ことばを紡いだ。
「こういうことだ。腕を肩に回されて顔を近づけられでもしたら終わりだ。端から見れば仲がいいようにしかみえないけど、いざされると威圧感が半端ない。それに友情を出汁に金を『貸して』といえば、恐喝ではなくなるしな」
「なるほど、なぁ……」
「だから、おれはあくまで敬語は崩さなかった。敬語ってのは便利でな。一見すると、関係性の上下が明らかになりそうだけど、それはスタンス次第で大きく変わる。おれが使ってた敬語は、明らかな壁を作る敬語だ。どんなにフレンドリーに接してこようが、壁のある冷たい敬語で接してやれば、向こうも踏み込みづらい」
「そういうことだったのか……」
「しかし、あのデブもインチキだな。五村市内に住んでれば、車に乗ってなくとも国道のことは知っているはずだし、国道沿いを行けば、まず駅までの案内板はある。それにーー」
おれは思わず笑ってしまった。
「自営の人間が得意先の名前を間違えるのは有り得ない。明日には職を失いかねないような状況下にいるのに、得意先の名前すら覚えてられないようじゃ、話にならない。仮に本当に自営だったとしてもろくな経営者じゃねえよな」
「何か、間違えたのか?」
「広沢近くの燃料店は村山燃料店じゃなくて、『村崎燃料店』だよ。そんな間違い、普通しないよな。それに、おれ、仕事のことでウソついたけど、どうせ金をせびったらバイバイなんだ。いった情報がホントかウソかなんて、ヤツラにはどうでもいいんだよ。そもそも、あのデブが笹山に住んでるかも怪しいしな。『カラオケビッグ』だろうが『うたまつり』だろうが、あんな目立つ建物の変遷を覚えてない時点で、住所も出任せだろうよ」
「なるほど、なぁ……」
「それと、わざわざ国道沿いを選んだのは、こちらには外灯があるからだ」
「外灯?」
「そう。ヤツラの顔を確認したかった。人は顔を見られると、悪事をしづらくなる。それに国道沿いなら警官が張ってることもある。もしそうなったら、余計恐喝なんかできっこない」
「お前……、とんでもないな」外山はいった。
「まぁ、でも、何ともなくて良かったよ」
「あぁ、お陰で助かった。ありがとよ」
「いいさ」不意にセンチメンタルな感情が込み上げて来た。「……にしても、おれらも長いもんだよな」
「あぁ、多分、これからもずっとだろうな」
外山のひとことに、おれは思わず微笑した。
「そうだな。キャナも健太郎くんもな」
そんなことを話しながら歩いていると、いつしか五村市駅に着いていた。そこでおれは外山と青年ふたりと別れて帰路につくことにした。
ひとり、五村の駅に背を向けて、ロードバイクを押しながら歩いた。
が、おれは絶句した。
目の前に、あのデブとイケメンがいたのだ。
しかも、さっきはいなかったスキンヘッドの厳ついヤツも連れて、だ。
もしかしたら、さっき電話していたのは、このスキンヘッドだったのでは。マズイ。おれはロードバイクに跨がり、走り出した。三人組の横を通り抜けた。その時、
「チッ、ダメだったな」
みたいな声が聴こえた気がしたけど、気のせいであって欲しい。多分その意味は、そういうことだろうからな。
結局、無事に家に付き、何ともなかったのだけど、帰宅後すぐに外山に、デブとイケメンが、さっきはいなかったスキンヘッドと一緒に歩いていたことを告げ、朝まで店を出ないようにと忠告したのだった。
その後聞いた話によると、外山たちは何事もなく帰れたとのことだった。
こうして、ハイエナたちとの夜は終わりを迎えたのだ。まぁ、結局ヤツラの本当の目的が何だったかは明確ではないのだけど、恐らくろくなことにはならなかったんじゃないかと思う。
おれの勘は当たっていたかもしれないし、外れていたかもしれない。まぁ、どちらにせよ、何もなかったことだけが救いだ。
ストリートには死肉に餓えたハイエナがそこら中をさまよっている。月夜に吼えるは、コヨーテかハイエナか。ひとついえるのは、
最後の最後、自分の身を守れるのは自分だけ、ということだ。
アスタラビスタ。