【ホールに響くは天の声】
文字数 2,208文字
広い舞台に立つのは、やはり興奮する。
中々に共感できる人は少ないかもしれないけれども、これはやはり人前に立つ人間のサガなのかもしれない。
広い舞台というのは、自分という存在がとてもちっぽけに思える。自分の声は大きく広がって拡散し、霧散するように静かに消えて行く。当然、ちゃんと発声しなければ、そこにいる誰かにことばなど届きはしない。
だからこそ、躍起になるのだ。
そこにいる誰かにことばを届けなければならないとなったら、ただ声がデカイだけではダメだ。学生時代にいた、ただ喧しいだけであることを「明るく元気」であると勘違いしているような人たちでは、遠く広い空間でことばを届けようとしたって意味はない。
それではマインドが不足しているからだ。
ただデカイだけの声を出すのなら誰だって出来るのだ。問題はそこに感情やスピリットがあるかどうか、なのだ。
まぁ、こんなことを偉そうにいっておきながら、自分にそれが出来ているのか、というとそれはかなり怪しい。いや、多分出来ていないと思う。仮に出来ていたとしても、自分としてはあまり出来ている感じはない。
人にモノを伝えるというのは、それほどに難しいのだ。
さて、中々に話がスライドしているように思えてならないのだけど、そうではなく、広い舞台ではことばの伝えるのは難しいーーだが、そのリスクの大きさに反して、気分の高揚はまるで大海のように無限大になる。
だからこそ、たまらないのだと思う。
これまでバンドマンとしても、役者としても広い舞台でパフォーマンスをしたことがあるけれど、やはりその気分の高揚は凄まじいモノがあった。
別に人前に出るのは好きじゃない。というか、出来ることなら人前に出るのは避けたいと思っている。だが、いざ広い舞台に立つと緊張の反面、楽しみだという矛盾した感情があるのも事実なのだ。
何とも複雑、というか何がいいたいのかまとまらない感じになってしまったけど、それくらいに広い舞台というのは人のこころを震わせる何かがあるのだと思うのだ。
とはいえ、そう思えるようになったのは、ここ最近の話ではあるのだけどーー
さて、『音楽祭篇』の本番に関してだ。今回はクラスの合唱篇かな。あらすじーー
「本番の朝、何かが沸々と込み上げて来るような感じがあった。五条氏はいつも通りに起きて、いつも通りに家を出た。自転車に乗り市民ホールへ向かうも、こころの中では何かが渦巻いていた。会場へつき、諸々の挨拶を終えると、校長が始まりの挨拶をした。音楽祭が始まったのだーー」
とまぁ、こんな感じか。じゃ、やってくーー
三年生の合唱は昼過ぎからとなった。一、二年生の後ということもあって、開始までのスパンは随分とあり、焦燥感もジワジワと増していくような、そんな不快感があった。
おれは合唱は合唱で聴きつつ、空き時間にはヘラヘラと友人と談笑していた。多分、そうでもしていないとやっていられなかったのだと思う。そうでもしなければ、重くのし掛かって来る緊張に対抗することが出来なかった。
確かに体育祭の応援団長の時の重圧とは比べモノにならないくらいに余裕はあったとはいえ、失敗のイメージは、自分の脳内のヴィジョンで何度となく再放送されていた。
時間が進むごとにヘラヘラが止まらなくなる。適当なスタンスが緊張を和らげてくれるーーそう信じているからなのか、はたまた防衛機制から来るモノなのかはわからない。
一、二年生の合唱が終わり、そして三年生の番となった。
おれは三組なので、三番目。それまでは、ただヘラヘラ笑って震えるばかりだ。
一組の合唱が始まる。だが、注目してしまうのは歌よりも指揮者のほうだ。他クラスの指揮者が如何なモノか、気になって仕方なかった。
一組の指揮者はーーあまり覚えてはいない。ちゃんとその指揮を見たはずなのに、多分、緊張でそれを記憶に留めておくほどの余裕がなかったのかもしれない。
二組の指揮に関しても同様だった。当然、歌のほうもあまり記憶はない。
クラスごとの比較対象として一番に機能するのは、やはり課題曲の『この地球のどこかで』だろう。四クラスが同じ曲をやるとなると、全体的な音のバランスやピッチのコントロールが出来ているかが諸に出てしまう。となると、勝負はやはり一曲目ーー
学級委員の指示により、市民ホールの大ホールの舞台袖まで移動する。
舞台袖は、ナチュラルな肌寒さもあってか、小刻みに震えていたと思う。もちろん、その中には緊張も含まれていた。
ただ、榎本の伴奏に合わせればいいーーそれだけなら散々練習して出来るようにした。後は本番で、練習でやれたことをやればいいだけだ。
二組の番が終了し、そして三組の番となった。司会の生徒が繋いでいる間に転換でそれぞれの立ち位置へ。当然、おれも指揮者の場所へーー行く前に傍らで待機。その前にクラスの代表が、それぞれの思いや音楽祭に臨むにあたっての志やなんかをいうのだ。
うちのクラスの代表は、あのシーサーだった。まぁ、覚えてない人もいるかとは思うのだけど、あの体育祭副団長だった人である。詳しくは体育祭篇でも読んでくれ。
シーサーの挨拶が終わり、いざ指揮者台へ。指揮者台はまるで死刑台のように見えた。いや、考えすぎだ。あとは自分の出来ることをやればいいのだ。おれは指揮台に立ったーー
とまぁ、こんな感じで。じゃ、またーー
アスタラ。
中々に共感できる人は少ないかもしれないけれども、これはやはり人前に立つ人間のサガなのかもしれない。
広い舞台というのは、自分という存在がとてもちっぽけに思える。自分の声は大きく広がって拡散し、霧散するように静かに消えて行く。当然、ちゃんと発声しなければ、そこにいる誰かにことばなど届きはしない。
だからこそ、躍起になるのだ。
そこにいる誰かにことばを届けなければならないとなったら、ただ声がデカイだけではダメだ。学生時代にいた、ただ喧しいだけであることを「明るく元気」であると勘違いしているような人たちでは、遠く広い空間でことばを届けようとしたって意味はない。
それではマインドが不足しているからだ。
ただデカイだけの声を出すのなら誰だって出来るのだ。問題はそこに感情やスピリットがあるかどうか、なのだ。
まぁ、こんなことを偉そうにいっておきながら、自分にそれが出来ているのか、というとそれはかなり怪しい。いや、多分出来ていないと思う。仮に出来ていたとしても、自分としてはあまり出来ている感じはない。
人にモノを伝えるというのは、それほどに難しいのだ。
さて、中々に話がスライドしているように思えてならないのだけど、そうではなく、広い舞台ではことばの伝えるのは難しいーーだが、そのリスクの大きさに反して、気分の高揚はまるで大海のように無限大になる。
だからこそ、たまらないのだと思う。
これまでバンドマンとしても、役者としても広い舞台でパフォーマンスをしたことがあるけれど、やはりその気分の高揚は凄まじいモノがあった。
別に人前に出るのは好きじゃない。というか、出来ることなら人前に出るのは避けたいと思っている。だが、いざ広い舞台に立つと緊張の反面、楽しみだという矛盾した感情があるのも事実なのだ。
何とも複雑、というか何がいいたいのかまとまらない感じになってしまったけど、それくらいに広い舞台というのは人のこころを震わせる何かがあるのだと思うのだ。
とはいえ、そう思えるようになったのは、ここ最近の話ではあるのだけどーー
さて、『音楽祭篇』の本番に関してだ。今回はクラスの合唱篇かな。あらすじーー
「本番の朝、何かが沸々と込み上げて来るような感じがあった。五条氏はいつも通りに起きて、いつも通りに家を出た。自転車に乗り市民ホールへ向かうも、こころの中では何かが渦巻いていた。会場へつき、諸々の挨拶を終えると、校長が始まりの挨拶をした。音楽祭が始まったのだーー」
とまぁ、こんな感じか。じゃ、やってくーー
三年生の合唱は昼過ぎからとなった。一、二年生の後ということもあって、開始までのスパンは随分とあり、焦燥感もジワジワと増していくような、そんな不快感があった。
おれは合唱は合唱で聴きつつ、空き時間にはヘラヘラと友人と談笑していた。多分、そうでもしていないとやっていられなかったのだと思う。そうでもしなければ、重くのし掛かって来る緊張に対抗することが出来なかった。
確かに体育祭の応援団長の時の重圧とは比べモノにならないくらいに余裕はあったとはいえ、失敗のイメージは、自分の脳内のヴィジョンで何度となく再放送されていた。
時間が進むごとにヘラヘラが止まらなくなる。適当なスタンスが緊張を和らげてくれるーーそう信じているからなのか、はたまた防衛機制から来るモノなのかはわからない。
一、二年生の合唱が終わり、そして三年生の番となった。
おれは三組なので、三番目。それまでは、ただヘラヘラ笑って震えるばかりだ。
一組の合唱が始まる。だが、注目してしまうのは歌よりも指揮者のほうだ。他クラスの指揮者が如何なモノか、気になって仕方なかった。
一組の指揮者はーーあまり覚えてはいない。ちゃんとその指揮を見たはずなのに、多分、緊張でそれを記憶に留めておくほどの余裕がなかったのかもしれない。
二組の指揮に関しても同様だった。当然、歌のほうもあまり記憶はない。
クラスごとの比較対象として一番に機能するのは、やはり課題曲の『この地球のどこかで』だろう。四クラスが同じ曲をやるとなると、全体的な音のバランスやピッチのコントロールが出来ているかが諸に出てしまう。となると、勝負はやはり一曲目ーー
学級委員の指示により、市民ホールの大ホールの舞台袖まで移動する。
舞台袖は、ナチュラルな肌寒さもあってか、小刻みに震えていたと思う。もちろん、その中には緊張も含まれていた。
ただ、榎本の伴奏に合わせればいいーーそれだけなら散々練習して出来るようにした。後は本番で、練習でやれたことをやればいいだけだ。
二組の番が終了し、そして三組の番となった。司会の生徒が繋いでいる間に転換でそれぞれの立ち位置へ。当然、おれも指揮者の場所へーー行く前に傍らで待機。その前にクラスの代表が、それぞれの思いや音楽祭に臨むにあたっての志やなんかをいうのだ。
うちのクラスの代表は、あのシーサーだった。まぁ、覚えてない人もいるかとは思うのだけど、あの体育祭副団長だった人である。詳しくは体育祭篇でも読んでくれ。
シーサーの挨拶が終わり、いざ指揮者台へ。指揮者台はまるで死刑台のように見えた。いや、考えすぎだ。あとは自分の出来ることをやればいいのだ。おれは指揮台に立ったーー
とまぁ、こんな感じで。じゃ、またーー
アスタラ。