【丑寅は静かに嗤う~奇襲】
文字数 3,042文字
朝、鳥のさえずりが心地よいまでに緑の木々の間に響き渡り、こだましている。
一行は朝早くから犬蔵を先頭に十二鬼面の砦へ向けて歩き出していた。縛られた犬蔵の手綱を持つのはお雉、そのすぐ隣を歩くは桃川、それから少し遅れて猿田がゆく。
猿田の表情は複雑そのもの。何を考えているかはわからないが、煮え切らないというか、苦虫を噛み潰したような思いがあるよう。
お雉は桃川といい雰囲気で会話を交わしているが、猿田がひとり遅れて歩いていることに気づくと、
「猿ちゃん! どうしたの!?」
と訊ねる。猿田は、
「うしろを注意してるだけだ。そのまま進んでくれ。ついていく」
とそのままの速さで歩き続ける。が、その表情の硬さは何か複雑な事情があることをお雉に予感させたようで、お雉は桃川に、
「ごめん、ちょっとこれお願いしていい?」
と訊ねると桃川は、
「わかりました」
とお雉の握る手綱を受け取り、猿田のほうへ駆け寄っていくお雉を尻目に歩き続ける。
「あの姉ちゃん、あのエテ公のことが気になって仕方ないらしいな」犬蔵がいう。
「昔からの仲間ですし、そうでしょうね」
桃川のことばには何処かお茶を濁す感触がある。犬蔵はそれを聴いて鼻で笑い、
「昔からの仲か、おめでてぇな。昔から知ってれば、情が沸くなんて、そんなのは単なるまやかしだ。そうは思わねえか?」
「……さぁ、どうでしょうね?」
「まるでそんなことはねぇといいてぇような感じだな。でもよ、もしかしたら、色んなヤツが思いがけない場所で出会ってるかもしれない。あのエテ公とお前さん、お前さんとあの姉ちゃん、あの姉ちゃんとおれ、おれとお前さん。あとは、おれとあのエテ公か。実はみんなどこかで繋がっていたなんてこともあるかもしれねぇーーそうは思わねぇか?」
「そういうことも、あるでしょうね。でも、だとしたら、みなさんも覚えているんじゃーー」
「それは記憶をなくしているお前さんでも、かい?」犬蔵は勝ち誇ったようにいう。
「……確かに、今のわたしには記憶がありません。ただ、猿田さんもお雉さんも、そして犬蔵さんもわたしのことを知っていたならもっと具体的なことばを掛けるんじゃないでしょうか」
悪意ある犬蔵のことばを、桃川は動じることなくさらりと受け流す。が、犬蔵は更に意地悪な笑みを浮かべて、
「そうかもしれねぇな。でもよ、もしかしたら、ことばにしてねぇだけかもしれねぇぜ?」
「だとしたら、どうしてあのふたりはそんな複雑な思いを抱きながらわたしに同行するのです? それをしたところで、あのふたりに何の得があるかということでしょうね」
「そんなの、本人たちにしかわからねぇんじゃねぇかな?」せせら嗤うような犬蔵の言。
「そのことば、そっくりお返ししますよ」
不穏な空気が漂う前陣のふたり。そんな中、うしろを行くお雉と猿田。お雉は猿田に寄ると、
「ねぇ、どうしたの? 今日何か変だよ?」
「別に何でもない。ただ、ちょっと気になることがあって、な」
「気になること? 何?」
「いや、ちょっと思うことがあって」
「だから、何?」心配そうに問い詰めるお雉。
猿田は何か考えを巡らしつつ、徐に口を開き、
「例えばの話なんだがーーおれとお前が天誅屋だったってことを抜きにして、直参旗本の松平天馬って男が、金を貰って人を殺す天誅屋って闇の稼業の元締をやっていたって聴いたら、お前は信じられると思うか?」
「え……? んー、そうだなぁ……」お雉は考え込んで、「多分、信じられないと思う」
「普通に考えたらそうなるよな。確かに、川越に来る前のお前なら、位の高いヤツにも悪いヤツはいるってこともわかっていたと思う。だけど、そいつが具体的に何をやっているか、何を考えているかを知ってるのはソイツと、ソイツらの犠牲になって死んでいったヤツらだけだ」
「そうだね……。だけど、んー、つまりどういうこと?」
「早い話が、ソイツが本当はどんなことを考え、どんなことをしようとしているかは、ソイツしかわかり得ないってことだ」
「それはそうでしょ。だからーー」突然、猿田はお雉を抱きかかえ、その場に倒れ込む。「ちょっと、どうしたっていうの!?」
「弓だ……!」
弓ーー猿田とお雉のすぐ目の前に、地面に刺さった矢が数本。お雉はハッとし、
「どういうこと……!?」
「転がれ!」
猿田はお雉を巻き込んで、その場を転がり出す。お雉はワケもわからずに猿田に巻き込まれて転がり、動きが止まった時には木の陰。
「ど、どうしたっていうの!?」
「静かに……! 見ろ……!」
猿田が振り返りつつ後方を指差すと、お雉もそちらに目をやる。そこには刀を抜いた桃川と、その場にへたり込んでいる犬蔵の姿がある。
「猿田さん! お雉さん! 何ともありませんか!?」
ふたりに背を向けつつ桃川はいう。その視線は遠い何かを見つめている。猿田は辺りを警戒しつつ桃川の視線の方向を追い、
「大丈夫です! 何があったんですか?」
「奇襲です! 物陰に隠れつつ身を低くしていて下さい」
猿田は目を細めて桃川を見、
「桃川さんは身を隠さないで大丈夫ですか?」
「自分は大丈夫です。それよりーー」
桃川が刀を振るう。それに合わせて数本の矢が地面に突き刺さる。犬蔵は腰を抜かしたまま動けない。そんな犬蔵に向かって一本の矢が飛ぶ。犬蔵は手を自分の身を守るように翳し、思い切り目を瞑るーー暗闇。
何かが弾かれる音。
犬蔵が目を開けると、すぐ目の前には桃川の姿がある。桃川はその場にある石を左手で拾うと木の上に向かって投げつける。
石が何かに当たる音ーーかと思いきや、何か重いものが地面に落ちる音がする。
繁みがガサガサと揺れ動く。
桃川は動かない。残心を取ったまま様子を伺っている。が、そのまま何も起こらない時間が緩やかに続くと、桃川は残心を取りつつ、繁みのほうへと姿を消す。動こうとするお雉、それを止める猿田。動けない犬蔵。
静寂と緊張が緑の中でピンと張り詰める。
張り詰めた糸ーーそれが少しずつ弛むように、桃川が繁みから姿を現す。
お雉は猿田の手を振り切り、桃川のほうへ走る。猿田もお雉を追って走る。
「大丈夫!?」走りながら叫ぶお雉。
「大丈夫です! もう心配ありません。敵はいなくなりました」
そういう桃川の左手には何かが握られている。
桃川が犬蔵の傍まで来たところで、お雉も合流し、それからすぐに猿田も三人のもとに辿り着く。
「何だったの……?」
お雉が息を切りながらいうと、桃川は、
「これです」
と左手に持っていた木の破片のようなモノを見せる。それはーー
犬と猪を象った仮面だった。
犬蔵がハッと息を飲む。
「こ、これは……、おれの配下のヤツラの」
「十二鬼面は、犬蔵さんの配下を使って、犬蔵さんを狙っていたようなんです」
犬蔵の顔に誰の目にも明らかな衝撃が浮かび上がる。目は見開かれ、唇は震えている。
「でも、何で?」お雉。
「わかりません。ただ、これは犬蔵さんへの言付けなのかもしれません」
「こ、言付け……?」犬蔵の声が震える。
「アナタには死んで貰う、そういうことでしょう」桃川が落ち着いた口調でいう。
「そ、そんな……、そんなバカなはずはねぇ!
おれは、おれが仲間に殺されるなんて、そんなバカなはずはねぇんだ! そんなバカなはずはーー」
取り乱す犬蔵と神妙に佇む桃川、息を飲むお雉。猿田は眉間にシワを寄せて桃川を見ーー
【続く】
一行は朝早くから犬蔵を先頭に十二鬼面の砦へ向けて歩き出していた。縛られた犬蔵の手綱を持つのはお雉、そのすぐ隣を歩くは桃川、それから少し遅れて猿田がゆく。
猿田の表情は複雑そのもの。何を考えているかはわからないが、煮え切らないというか、苦虫を噛み潰したような思いがあるよう。
お雉は桃川といい雰囲気で会話を交わしているが、猿田がひとり遅れて歩いていることに気づくと、
「猿ちゃん! どうしたの!?」
と訊ねる。猿田は、
「うしろを注意してるだけだ。そのまま進んでくれ。ついていく」
とそのままの速さで歩き続ける。が、その表情の硬さは何か複雑な事情があることをお雉に予感させたようで、お雉は桃川に、
「ごめん、ちょっとこれお願いしていい?」
と訊ねると桃川は、
「わかりました」
とお雉の握る手綱を受け取り、猿田のほうへ駆け寄っていくお雉を尻目に歩き続ける。
「あの姉ちゃん、あのエテ公のことが気になって仕方ないらしいな」犬蔵がいう。
「昔からの仲間ですし、そうでしょうね」
桃川のことばには何処かお茶を濁す感触がある。犬蔵はそれを聴いて鼻で笑い、
「昔からの仲か、おめでてぇな。昔から知ってれば、情が沸くなんて、そんなのは単なるまやかしだ。そうは思わねえか?」
「……さぁ、どうでしょうね?」
「まるでそんなことはねぇといいてぇような感じだな。でもよ、もしかしたら、色んなヤツが思いがけない場所で出会ってるかもしれない。あのエテ公とお前さん、お前さんとあの姉ちゃん、あの姉ちゃんとおれ、おれとお前さん。あとは、おれとあのエテ公か。実はみんなどこかで繋がっていたなんてこともあるかもしれねぇーーそうは思わねぇか?」
「そういうことも、あるでしょうね。でも、だとしたら、みなさんも覚えているんじゃーー」
「それは記憶をなくしているお前さんでも、かい?」犬蔵は勝ち誇ったようにいう。
「……確かに、今のわたしには記憶がありません。ただ、猿田さんもお雉さんも、そして犬蔵さんもわたしのことを知っていたならもっと具体的なことばを掛けるんじゃないでしょうか」
悪意ある犬蔵のことばを、桃川は動じることなくさらりと受け流す。が、犬蔵は更に意地悪な笑みを浮かべて、
「そうかもしれねぇな。でもよ、もしかしたら、ことばにしてねぇだけかもしれねぇぜ?」
「だとしたら、どうしてあのふたりはそんな複雑な思いを抱きながらわたしに同行するのです? それをしたところで、あのふたりに何の得があるかということでしょうね」
「そんなの、本人たちにしかわからねぇんじゃねぇかな?」せせら嗤うような犬蔵の言。
「そのことば、そっくりお返ししますよ」
不穏な空気が漂う前陣のふたり。そんな中、うしろを行くお雉と猿田。お雉は猿田に寄ると、
「ねぇ、どうしたの? 今日何か変だよ?」
「別に何でもない。ただ、ちょっと気になることがあって、な」
「気になること? 何?」
「いや、ちょっと思うことがあって」
「だから、何?」心配そうに問い詰めるお雉。
猿田は何か考えを巡らしつつ、徐に口を開き、
「例えばの話なんだがーーおれとお前が天誅屋だったってことを抜きにして、直参旗本の松平天馬って男が、金を貰って人を殺す天誅屋って闇の稼業の元締をやっていたって聴いたら、お前は信じられると思うか?」
「え……? んー、そうだなぁ……」お雉は考え込んで、「多分、信じられないと思う」
「普通に考えたらそうなるよな。確かに、川越に来る前のお前なら、位の高いヤツにも悪いヤツはいるってこともわかっていたと思う。だけど、そいつが具体的に何をやっているか、何を考えているかを知ってるのはソイツと、ソイツらの犠牲になって死んでいったヤツらだけだ」
「そうだね……。だけど、んー、つまりどういうこと?」
「早い話が、ソイツが本当はどんなことを考え、どんなことをしようとしているかは、ソイツしかわかり得ないってことだ」
「それはそうでしょ。だからーー」突然、猿田はお雉を抱きかかえ、その場に倒れ込む。「ちょっと、どうしたっていうの!?」
「弓だ……!」
弓ーー猿田とお雉のすぐ目の前に、地面に刺さった矢が数本。お雉はハッとし、
「どういうこと……!?」
「転がれ!」
猿田はお雉を巻き込んで、その場を転がり出す。お雉はワケもわからずに猿田に巻き込まれて転がり、動きが止まった時には木の陰。
「ど、どうしたっていうの!?」
「静かに……! 見ろ……!」
猿田が振り返りつつ後方を指差すと、お雉もそちらに目をやる。そこには刀を抜いた桃川と、その場にへたり込んでいる犬蔵の姿がある。
「猿田さん! お雉さん! 何ともありませんか!?」
ふたりに背を向けつつ桃川はいう。その視線は遠い何かを見つめている。猿田は辺りを警戒しつつ桃川の視線の方向を追い、
「大丈夫です! 何があったんですか?」
「奇襲です! 物陰に隠れつつ身を低くしていて下さい」
猿田は目を細めて桃川を見、
「桃川さんは身を隠さないで大丈夫ですか?」
「自分は大丈夫です。それよりーー」
桃川が刀を振るう。それに合わせて数本の矢が地面に突き刺さる。犬蔵は腰を抜かしたまま動けない。そんな犬蔵に向かって一本の矢が飛ぶ。犬蔵は手を自分の身を守るように翳し、思い切り目を瞑るーー暗闇。
何かが弾かれる音。
犬蔵が目を開けると、すぐ目の前には桃川の姿がある。桃川はその場にある石を左手で拾うと木の上に向かって投げつける。
石が何かに当たる音ーーかと思いきや、何か重いものが地面に落ちる音がする。
繁みがガサガサと揺れ動く。
桃川は動かない。残心を取ったまま様子を伺っている。が、そのまま何も起こらない時間が緩やかに続くと、桃川は残心を取りつつ、繁みのほうへと姿を消す。動こうとするお雉、それを止める猿田。動けない犬蔵。
静寂と緊張が緑の中でピンと張り詰める。
張り詰めた糸ーーそれが少しずつ弛むように、桃川が繁みから姿を現す。
お雉は猿田の手を振り切り、桃川のほうへ走る。猿田もお雉を追って走る。
「大丈夫!?」走りながら叫ぶお雉。
「大丈夫です! もう心配ありません。敵はいなくなりました」
そういう桃川の左手には何かが握られている。
桃川が犬蔵の傍まで来たところで、お雉も合流し、それからすぐに猿田も三人のもとに辿り着く。
「何だったの……?」
お雉が息を切りながらいうと、桃川は、
「これです」
と左手に持っていた木の破片のようなモノを見せる。それはーー
犬と猪を象った仮面だった。
犬蔵がハッと息を飲む。
「こ、これは……、おれの配下のヤツラの」
「十二鬼面は、犬蔵さんの配下を使って、犬蔵さんを狙っていたようなんです」
犬蔵の顔に誰の目にも明らかな衝撃が浮かび上がる。目は見開かれ、唇は震えている。
「でも、何で?」お雉。
「わかりません。ただ、これは犬蔵さんへの言付けなのかもしれません」
「こ、言付け……?」犬蔵の声が震える。
「アナタには死んで貰う、そういうことでしょう」桃川が落ち着いた口調でいう。
「そ、そんな……、そんなバカなはずはねぇ!
おれは、おれが仲間に殺されるなんて、そんなバカなはずはねぇんだ! そんなバカなはずはーー」
取り乱す犬蔵と神妙に佇む桃川、息を飲むお雉。猿田は眉間にシワを寄せて桃川を見ーー
【続く】