【帝王霊~参拾玖~】
文字数 2,139文字
プロの将棋士は最低でも百手先の棋譜まで読めるといわれている。
そして、その百を超えた何十、百という手の先にこそ勝利と敗北、そのどちらかがその場に屈み込んで待っている。そう、詰みの瞬間が少しずつ自分の頭のヴィジョンに、目の中の水晶体に具現化してくるということだ。
祐太朗と弓永は共に目を見開いて、今自分たちが見ている光景に対して硬直している。口は開かれ、焦りが汗となってこめかみから流れ落ちていく。
詰みというふた文字が祐太朗と弓永、ふたりの意識の中によぎったであろうことは、状況を見ても明らかだった。目の前には悪霊のついた男、男ーー男。すべては成松に支配され、自分の意思を持たない傀儡のようになっている。
「コイツら……ッ!」弓永、呆然。「これじゃ、こっから出るどころか、殺されて終わりじゃねえか!」
「殺しはしませんよ」成松がいう。「アナタたちはわたしなり、他の悪霊なりの器としては重宝しそうですからね」
「おれらの身体を乗っ取ったところで、何の役にも立たないぞ。かたやギャンブル中毒のビールっ腹、おれに至っては誰からも嫌われる警察機構のブラックジャックだからな」
「それで、いいんですよ」成松は不敵な笑みを浮かべる。
「これでいい、だと?」
「はい。弓永さんは例え嫌われていようと、腐っても警察官。アナタの身体は乗っ取れば、五村市警察の署内には入り放題。そうすれば、署内の様子は筒抜け。オマケにアナログ、デジタル関係なく警察機構のデータベースにアクセスし放題となる」
「……ハッ! バカかお前は。五村署内のデータベースならともかく、察庁に本庁のデータベースをおれみたいな三下が荒らせば、向こうだって黙っちゃいない。ハムの野郎どももおれを潰しに動くだろうな。つまり、おれ諸ともお前らも終わりだ」
ハムとは、「公安委員会」のことを意味する隠語だ。公安の「公」の字を分解すると「ハム」になることから、そう呼ばれている。
弓永のいい分は尤もだった。そもそも、ネットワーク上に存在する察庁、本庁のデータベースにアクセスするには、弓永本人の識別番号が必要となる。また署内のネットワークも同様で、過去の凡例や各種機密事項について自分が何の情報を求めているかを、情報の不正利用等を防ぐ意味でも開示しなければならない。
つまり、どうあがいたところで、弓永の身体を乗っ取っても、わかるのは署内の内装が如何に汚いかと、何処の課の、何処の係の管理職が口うるさく、部下から嫌われているかぐらいでしかなかった。
だが、それを聴いても成松はただ笑うばかり。弓永はそんな成松に、
「何がそんなに可笑しい?」
「何がって、保身に走り過ぎたばかりに大事な視点が欠けている、ということがです」
成松は獲物を見詰めるヘビのような上目遣いで弓永を眺める。弓永は表情で疑問を呈し、
「何がいいたい?」
「単純な話です。わたし、或いは他の下っぱの悪霊が署内に入れれば、それだけで充分だということです。アナタの身体は使い捨て。公安に狙われようと本庁から目玉を喰らおうと、要はアナタと心中しなければ、わたしなり悪霊なりは新しい器を探して終わりになるだけ。大切なのは、五村署は警察機構をわたしの手に納めるための拠点とすること。アナタの存在など、川沿いの土手に落ちている土まみれでボロボロのエロ本よりも価値はないのですよ」
弓永はハッとする。自分は捨て駒、問題は五村署を制圧した後に少しずつ本庁や察庁に悪霊を送り込み、日本の警察機構を自分の手中に納めることでしかない。
「どうです? 片田舎の工業都市を牛耳ることより、こっちのほうがずっと有益で簡単だとは思いませんか?」
「……結局はそういうことか」
「すべてはわたしのモノ、そういうことです」
弓永は殆ど苦し紛れにいう。
「おれが捨て駒なのはわかった。だけどな、コイツを乗っ取るメリットなんか何処にもないだろ」弓永は祐太朗をさす。「やってることは霊との対話ばかりで、まともな財力もない。あるのは妹だけ。霊が見えるって利点もテメェが入っちゃなんの意味もない。だから、コイツだけは見逃してやっちゃくれないか……?」
「弓永……」祐太朗は呟く。「舐めたことホザくな。おれひとり助かったところで、テメェが犠牲になったらいずれはおれも追い込まれて死ぬんだ。それに、おれは憑かれ慣れてるから、ある程度のコントロールは出来るにしろ、テメェは憑かれたらどうにもならねぇぞ。だから、出るならおれもお前も完璧にクリーンな状況でなきゃ意味がねぇだろ」
「祐太朗……」
「友達同士の熱い友情はそこまでにして貰えますか」成松がピシャリという。「クサいドラマはテレビの中だけで充分ですから」
「そうだな……。でも、おれだってこのまま屈するほど甘くはねぇよ」
祐太朗はそういうと、ドアの向こう側で集う悪霊たちに向かい、右手を拝むような形で顔の中央を割る形でかざす。
「祐太朗、お前……!」
「これをやるのは多分小学か中学以来か。こっちの力は衰えちまって出来るかわかんねぇけど、おれを信じろよ」
弓永は呆気に取られたように祐太朗を見ていたが、ふと笑い出すと懐からガバメントを一丁、取り出してコッキングする。
「付き合うぜ、相棒」
【続く】
そして、その百を超えた何十、百という手の先にこそ勝利と敗北、そのどちらかがその場に屈み込んで待っている。そう、詰みの瞬間が少しずつ自分の頭のヴィジョンに、目の中の水晶体に具現化してくるということだ。
祐太朗と弓永は共に目を見開いて、今自分たちが見ている光景に対して硬直している。口は開かれ、焦りが汗となってこめかみから流れ落ちていく。
詰みというふた文字が祐太朗と弓永、ふたりの意識の中によぎったであろうことは、状況を見ても明らかだった。目の前には悪霊のついた男、男ーー男。すべては成松に支配され、自分の意思を持たない傀儡のようになっている。
「コイツら……ッ!」弓永、呆然。「これじゃ、こっから出るどころか、殺されて終わりじゃねえか!」
「殺しはしませんよ」成松がいう。「アナタたちはわたしなり、他の悪霊なりの器としては重宝しそうですからね」
「おれらの身体を乗っ取ったところで、何の役にも立たないぞ。かたやギャンブル中毒のビールっ腹、おれに至っては誰からも嫌われる警察機構のブラックジャックだからな」
「それで、いいんですよ」成松は不敵な笑みを浮かべる。
「これでいい、だと?」
「はい。弓永さんは例え嫌われていようと、腐っても警察官。アナタの身体は乗っ取れば、五村市警察の署内には入り放題。そうすれば、署内の様子は筒抜け。オマケにアナログ、デジタル関係なく警察機構のデータベースにアクセスし放題となる」
「……ハッ! バカかお前は。五村署内のデータベースならともかく、察庁に本庁のデータベースをおれみたいな三下が荒らせば、向こうだって黙っちゃいない。ハムの野郎どももおれを潰しに動くだろうな。つまり、おれ諸ともお前らも終わりだ」
ハムとは、「公安委員会」のことを意味する隠語だ。公安の「公」の字を分解すると「ハム」になることから、そう呼ばれている。
弓永のいい分は尤もだった。そもそも、ネットワーク上に存在する察庁、本庁のデータベースにアクセスするには、弓永本人の識別番号が必要となる。また署内のネットワークも同様で、過去の凡例や各種機密事項について自分が何の情報を求めているかを、情報の不正利用等を防ぐ意味でも開示しなければならない。
つまり、どうあがいたところで、弓永の身体を乗っ取っても、わかるのは署内の内装が如何に汚いかと、何処の課の、何処の係の管理職が口うるさく、部下から嫌われているかぐらいでしかなかった。
だが、それを聴いても成松はただ笑うばかり。弓永はそんな成松に、
「何がそんなに可笑しい?」
「何がって、保身に走り過ぎたばかりに大事な視点が欠けている、ということがです」
成松は獲物を見詰めるヘビのような上目遣いで弓永を眺める。弓永は表情で疑問を呈し、
「何がいいたい?」
「単純な話です。わたし、或いは他の下っぱの悪霊が署内に入れれば、それだけで充分だということです。アナタの身体は使い捨て。公安に狙われようと本庁から目玉を喰らおうと、要はアナタと心中しなければ、わたしなり悪霊なりは新しい器を探して終わりになるだけ。大切なのは、五村署は警察機構をわたしの手に納めるための拠点とすること。アナタの存在など、川沿いの土手に落ちている土まみれでボロボロのエロ本よりも価値はないのですよ」
弓永はハッとする。自分は捨て駒、問題は五村署を制圧した後に少しずつ本庁や察庁に悪霊を送り込み、日本の警察機構を自分の手中に納めることでしかない。
「どうです? 片田舎の工業都市を牛耳ることより、こっちのほうがずっと有益で簡単だとは思いませんか?」
「……結局はそういうことか」
「すべてはわたしのモノ、そういうことです」
弓永は殆ど苦し紛れにいう。
「おれが捨て駒なのはわかった。だけどな、コイツを乗っ取るメリットなんか何処にもないだろ」弓永は祐太朗をさす。「やってることは霊との対話ばかりで、まともな財力もない。あるのは妹だけ。霊が見えるって利点もテメェが入っちゃなんの意味もない。だから、コイツだけは見逃してやっちゃくれないか……?」
「弓永……」祐太朗は呟く。「舐めたことホザくな。おれひとり助かったところで、テメェが犠牲になったらいずれはおれも追い込まれて死ぬんだ。それに、おれは憑かれ慣れてるから、ある程度のコントロールは出来るにしろ、テメェは憑かれたらどうにもならねぇぞ。だから、出るならおれもお前も完璧にクリーンな状況でなきゃ意味がねぇだろ」
「祐太朗……」
「友達同士の熱い友情はそこまでにして貰えますか」成松がピシャリという。「クサいドラマはテレビの中だけで充分ですから」
「そうだな……。でも、おれだってこのまま屈するほど甘くはねぇよ」
祐太朗はそういうと、ドアの向こう側で集う悪霊たちに向かい、右手を拝むような形で顔の中央を割る形でかざす。
「祐太朗、お前……!」
「これをやるのは多分小学か中学以来か。こっちの力は衰えちまって出来るかわかんねぇけど、おれを信じろよ」
弓永は呆気に取られたように祐太朗を見ていたが、ふと笑い出すと懐からガバメントを一丁、取り出してコッキングする。
「付き合うぜ、相棒」
【続く】