【帝王霊~拾弐~】
文字数 2,585文字
半ば眠ったような意識の中で生きることほど辛いことはないだろう。
何のスリルもなく、何の学びもない。ただ起きて、殆ど何も考えずに働いて。それに中身のない飲み会があれば、この世の地獄だろう。
ここ最近のあたしは、飲み会こそしてないが、おおよそこんな感じだった。
つまらない浮気調査。
男女の情事、修羅場に関する仕事をする時はアレコレ考えてはならない。
思考は感情を呼び起こす。感情が呼び起こされれば、誰かに共感し、情を傾けることとなる。共感し情を傾ければ、こころが揺さぶられる。そんなことを一つひとつの案件の度に繰り返していれば、こころはすぐに崩壊する。
そうならないためにも、感情を無視し、余計なことを考えないことこそが重要なのだ。
しかし、そんな虚無的で何の感動もない時間を過ごしていると、確実に人生のクオリティは下がっていく。最近は日拳の稽古にも行けていないし、ヤエのことが心配だったりでこころのゆとりがまったくない。
そんな中である。
週明けの月曜の夜、あたしは事務所でひとりイスに座ってボーッとしていた。
仕事がちょうどなくなり、この時はこの後訪れるという依頼人を待っていた。
電話で聴いたところによると、また浮気調査とのことだった。まったく、みんなどうしてこうも浮気したがるのだろう。あたしのようにパートナーのいない人はたくさんいるというのに、どういうワケか相手のいる人に限って別の相手と関係を持っていたりする。
隣の芝は青いの精神だろうと思えば、その限りなのだろうけど、だとしても理解できないことばかりだ。
みんな、異性を求め過ぎだ。確かにデートはその一時だけは楽しいかもしれない。でも、その一時によって失う資金と時間は、必ずしも自分に報いてくれるとは限らない。むしろ、酷い目に遭うための特急券かもしれない。
と、こんな仕事ばかりしていると、男性だけでなく女性も、即ち人間自体が信じられなくなるようなことばかりで「美しい」恋愛とかいうモノに魅力を感じなくなってしまう。
自分のこころが乾いてしまっているといえば、それまでなのだろうけど、それを潤してくれるモノといえば、今のあたしにとってはスリルだけなのかもしれない。
きっと、あたしは長生き出来ないだろう。
人の温もりよりも、死の間際の冷ややかさにこそ喜びを感じているだなんて、きっとあたしは長生き出来ない。死神に魅入られている。そんな気がしてならないのだ。
インターフォン。
あたしは快適なビジネスチェアに根を張っていた重いお尻を無理矢理持ち上げる。同じ姿勢を続けていたのに、腰や背中への負担は少ないし、立ち上がるのもまったく苦じゃない。
だが、気分は優れない。これからまた、こころを無にしてイチャつく背徳どもの尻を追い掛けなければならなくなるのだから。やりたくなくても、生きるためには仕方がないことだ。
インターフォンのカメラボタンを押す。と、そこには二十代前半くらいだろうか、若い女性が立っている。
髪はまあまあ長くて色は黒、胸は大きめで、服装はフワフワした印象。所謂「地雷系」という感じだろうか。顔立ちは整っている。キレイというよりは可愛いといったほうがピンと来るだろう。ルックス全体でいえば、小動物ちっくな感じがする。
イヤな記憶が甦る。そう、あのヤーヌスにハメられた、あの事件の時も、こんな感じの女が浮気がどうこういって訪ねて来た。不意に、今回もそんな感じになるのでは、と思った。
「武井探偵事務所です」
通話ボタンを押して画面の向こう側の女に声を掛ける。と、女はあまり喋りなれていないかのように「あ」といってから、
「お電話させて頂きました、大原です」
来た。あたしは画面の向こうの女にバレないように息を深く吐き、こころの電源をオフにして自分のマインドをマシーンにする。
「お待ちしておりました」
そういって、あたしは大原に、事務所に入るよう促す。それから玄関口まで行き、入ってくる大原を出迎える。
「失礼しまぁす……」
そういって入って来た大原は、前のめりになってペコペコと頭を下げながらギコチナイ様子でドアを潜って来る。見た感じでは、身長は160前後といったところか。大きすぎず、小さすぎないといった感じ。
「どうぞ」と大原を部屋の奥へと通す。
大原は肩に掛けたバッグのヒモを大事そうに握りながら、やはり控え目に頭をペコリと下げながら、事務所内をモノ珍しそうに見回す。
「探偵事務所は初めてみたいですね」
「え!?……あ、はい! 何か、ちょっと緊張しちゃって……」
「わかりますよ。何か色んなことを見通されるじゃないかって、ガチガチになる人も多くて」
事務的なマシーンになる。あたしの目論見は失敗した。あたしは朗らかな声色と笑みで、大原の緊張を解こうとしていた。
どうもあたしは自分より年下の世間知らずそうな女子に対して親切心を出そうとしてしまう傾向にあるらしい。だが、その親切心こそが突け込まれるスキとなる。
あたしは気を取り直して、氷のマインドを宿した鬼の面を被ると、大原に商談用のソファに掛けるよういう。
大原は警戒するネコのように、あたしのいった通りにソファにちょこんと座る。
「何か飲みますか?」
「あ、じゃあコーヒーを……」
あたしは大原に待つよういい、注文を復唱しながらキッチンに向かった。
実はこの質問だけでも、相手の性格を分類する大きな手懸かりとなる。何も訊かずにコーヒーや特定の飲み物を指定する相手の場合、大抵は人の話を聴かない、思慮深さに欠けるといった傾向が見られる。
「おまたせしました」
少ししてコーヒーを大原の前に置くと、あたしはテーブルを挟んで大原の向かいに腰掛ける。大原は備えとして置いておいた砂糖とガムシロップをコーヒーに入れ、ティースプーンでかき混ぜる。どちらかといえばセッカチ、か。
「早速ですが、ご依頼内容は浮気でしたね」
そう訊ねると大原はハッとして、
「あの……、実は……」
イヤな予感がした。あたしは態度には出さずに、こころの中で身構えた。
「何か……?」
あたしが訊ねると、大原は少し黙ってから、ゆっくりと口を開く。
「実は、あの話はウソなんです……」
あたしはこころの中で大きくため息をついた。トラブル・イズ・マイ・ビジネス。また面倒なことになりそうだ。
【続く】
何のスリルもなく、何の学びもない。ただ起きて、殆ど何も考えずに働いて。それに中身のない飲み会があれば、この世の地獄だろう。
ここ最近のあたしは、飲み会こそしてないが、おおよそこんな感じだった。
つまらない浮気調査。
男女の情事、修羅場に関する仕事をする時はアレコレ考えてはならない。
思考は感情を呼び起こす。感情が呼び起こされれば、誰かに共感し、情を傾けることとなる。共感し情を傾ければ、こころが揺さぶられる。そんなことを一つひとつの案件の度に繰り返していれば、こころはすぐに崩壊する。
そうならないためにも、感情を無視し、余計なことを考えないことこそが重要なのだ。
しかし、そんな虚無的で何の感動もない時間を過ごしていると、確実に人生のクオリティは下がっていく。最近は日拳の稽古にも行けていないし、ヤエのことが心配だったりでこころのゆとりがまったくない。
そんな中である。
週明けの月曜の夜、あたしは事務所でひとりイスに座ってボーッとしていた。
仕事がちょうどなくなり、この時はこの後訪れるという依頼人を待っていた。
電話で聴いたところによると、また浮気調査とのことだった。まったく、みんなどうしてこうも浮気したがるのだろう。あたしのようにパートナーのいない人はたくさんいるというのに、どういうワケか相手のいる人に限って別の相手と関係を持っていたりする。
隣の芝は青いの精神だろうと思えば、その限りなのだろうけど、だとしても理解できないことばかりだ。
みんな、異性を求め過ぎだ。確かにデートはその一時だけは楽しいかもしれない。でも、その一時によって失う資金と時間は、必ずしも自分に報いてくれるとは限らない。むしろ、酷い目に遭うための特急券かもしれない。
と、こんな仕事ばかりしていると、男性だけでなく女性も、即ち人間自体が信じられなくなるようなことばかりで「美しい」恋愛とかいうモノに魅力を感じなくなってしまう。
自分のこころが乾いてしまっているといえば、それまでなのだろうけど、それを潤してくれるモノといえば、今のあたしにとってはスリルだけなのかもしれない。
きっと、あたしは長生き出来ないだろう。
人の温もりよりも、死の間際の冷ややかさにこそ喜びを感じているだなんて、きっとあたしは長生き出来ない。死神に魅入られている。そんな気がしてならないのだ。
インターフォン。
あたしは快適なビジネスチェアに根を張っていた重いお尻を無理矢理持ち上げる。同じ姿勢を続けていたのに、腰や背中への負担は少ないし、立ち上がるのもまったく苦じゃない。
だが、気分は優れない。これからまた、こころを無にしてイチャつく背徳どもの尻を追い掛けなければならなくなるのだから。やりたくなくても、生きるためには仕方がないことだ。
インターフォンのカメラボタンを押す。と、そこには二十代前半くらいだろうか、若い女性が立っている。
髪はまあまあ長くて色は黒、胸は大きめで、服装はフワフワした印象。所謂「地雷系」という感じだろうか。顔立ちは整っている。キレイというよりは可愛いといったほうがピンと来るだろう。ルックス全体でいえば、小動物ちっくな感じがする。
イヤな記憶が甦る。そう、あのヤーヌスにハメられた、あの事件の時も、こんな感じの女が浮気がどうこういって訪ねて来た。不意に、今回もそんな感じになるのでは、と思った。
「武井探偵事務所です」
通話ボタンを押して画面の向こう側の女に声を掛ける。と、女はあまり喋りなれていないかのように「あ」といってから、
「お電話させて頂きました、大原です」
来た。あたしは画面の向こうの女にバレないように息を深く吐き、こころの電源をオフにして自分のマインドをマシーンにする。
「お待ちしておりました」
そういって、あたしは大原に、事務所に入るよう促す。それから玄関口まで行き、入ってくる大原を出迎える。
「失礼しまぁす……」
そういって入って来た大原は、前のめりになってペコペコと頭を下げながらギコチナイ様子でドアを潜って来る。見た感じでは、身長は160前後といったところか。大きすぎず、小さすぎないといった感じ。
「どうぞ」と大原を部屋の奥へと通す。
大原は肩に掛けたバッグのヒモを大事そうに握りながら、やはり控え目に頭をペコリと下げながら、事務所内をモノ珍しそうに見回す。
「探偵事務所は初めてみたいですね」
「え!?……あ、はい! 何か、ちょっと緊張しちゃって……」
「わかりますよ。何か色んなことを見通されるじゃないかって、ガチガチになる人も多くて」
事務的なマシーンになる。あたしの目論見は失敗した。あたしは朗らかな声色と笑みで、大原の緊張を解こうとしていた。
どうもあたしは自分より年下の世間知らずそうな女子に対して親切心を出そうとしてしまう傾向にあるらしい。だが、その親切心こそが突け込まれるスキとなる。
あたしは気を取り直して、氷のマインドを宿した鬼の面を被ると、大原に商談用のソファに掛けるよういう。
大原は警戒するネコのように、あたしのいった通りにソファにちょこんと座る。
「何か飲みますか?」
「あ、じゃあコーヒーを……」
あたしは大原に待つよういい、注文を復唱しながらキッチンに向かった。
実はこの質問だけでも、相手の性格を分類する大きな手懸かりとなる。何も訊かずにコーヒーや特定の飲み物を指定する相手の場合、大抵は人の話を聴かない、思慮深さに欠けるといった傾向が見られる。
「おまたせしました」
少ししてコーヒーを大原の前に置くと、あたしはテーブルを挟んで大原の向かいに腰掛ける。大原は備えとして置いておいた砂糖とガムシロップをコーヒーに入れ、ティースプーンでかき混ぜる。どちらかといえばセッカチ、か。
「早速ですが、ご依頼内容は浮気でしたね」
そう訊ねると大原はハッとして、
「あの……、実は……」
イヤな予感がした。あたしは態度には出さずに、こころの中で身構えた。
「何か……?」
あたしが訊ねると、大原は少し黙ってから、ゆっくりと口を開く。
「実は、あの話はウソなんです……」
あたしはこころの中で大きくため息をついた。トラブル・イズ・マイ・ビジネス。また面倒なことになりそうだ。
【続く】