【練習後に余韻はない】
文字数 2,230文字
人間、練習すればそれなりにはなるものだ。
それはその練習の質が如何に悪くとも、見た目だけは、まぁ、何となく悪くはない、とそんな感じにはなるということだ。
だが、ここで考えなければならないのは、そんな見てくれだけの悪質な練習に果たして価値はあるのか、ということだ。
正直いってしまえば、そんなモノには価値はないと思う。見た目だけの体裁を取り繕って、何となくそんな感じにはするけれど、それは単なる間に合わせのハリボテで、そこには本質や中身が伴っていないーーというのは、何の役にも立ちはしないだろう、ということだ。
だが、逆にいえば、人間、どんな練習が何に役立っているかなんてわかりはしないモンだということだ。
案外、そこには思わぬ効果があったりする。
そこに真剣さが伴っていれば、自分でも思いもよらぬ効果が期待できる、と思うのだ。
だからこそ、日々の練習を終えた後に余韻に浸ってはならないと思う。
余韻ーーこれは単なる麻薬、幻覚にすぎない。
大したことをしてないのに練習した自分に酔っている。余韻に浸ることで、自分は練習したのだと変な満足感を得てしまい、高みを目指すことを妨げてしまう。
だからこそ出来ることなら、練習後に余韻に浸るようなことは避けたいモノだーーまぁ、この余韻に浸るというのは、そもそも大したことないヤツがやりがちなのだけど。
さて、『音楽祭篇』の続きである。今日は色々あって本当に短いです。あらすじーー
「指揮者が難しいーー塾でそう打ち明けたりと、通っていた塾にて音楽祭の話を友人たちとしていた五条氏は、ひょんなことからその友人たちと塾の授業前に歌と指揮の練習をすることに。だが、塾の先生にそれがバレてしまい、メチャクチャに怒られてしまう。しかし、先生は机を下げさせて、『どうせ練習するならこそこそといわず、堂々と』と同じ学年のみんなと音楽祭の練習を始めるのだったーー」
とまぁ、こんな感じか。じゃ、やってくーー
日々の自主トレや教室内での歌の練習、塾での練習、そして音楽の授業のお陰で、始めた当初とは違って、まったくダメということはなくなってきた。
歌のほうも、自由曲でのトチ狂ったようなアルトの選択も当初の感じとは反して、まぁまぁこなせていた。まぁ、後のことを語ったことでどうにもならんのだろうけど、そこら辺のヤツよりかは高い声域と声量で歌を歌えるようになったこともあって、そこら辺のコントロールはその時からまぁまぁ出来ていたのかもしれないーーこれが勘違いである。
それはさておき、そんな中でも苦手だったリズムキープだが、こればかりはあまりよろしいとはいえなかった。というか、これだけはどうにも得意になれなかった。
今改めて考えると、リズムキーピングのトレーニングは案外難しいと思うのだ。
というのも、リズム感だけは今でも自分でいいものだとはいえないし、最低限は何とかなる程度にはしたけれど、それもいつの間にか体裁が整うようにはなった程度で、しかもそうなるに至った練習法も自分でわかっていない。
多分、これは殆どその人が持っている感覚、センスの問題なのだと思う。
リズムに乗るというのは、そこに躊躇いや恐れがあっては上手くいかないモノだ。自分を如何にメロディ、音楽に投げ出せるか、それこそがリズムに乗れるようにする秘訣なのかもしれない。まぁ、観念的といえばそれまでなのだけど、リズムキーピングというのはそれほどに感覚的で難しいモノだと思う。
とまぁ、今でこんな風に思うのだから、この当時の音楽に対する感覚の薄い時分では余計にそう感じてしまうワケで、手掛かりのない暗闇の中を、自分で出来ることをこなしていくことでやりくりしていくしかなかった。
そんな中である。おれはあることに気づいたのだ。それはーー
自分の、既存の音に合わせる能力がそれなりに良くなっていたということだ。
多分、これはウォークマンに合わせての練習のお陰なのだろう、既存の音に合わせて指揮を振るということには随分と強くなっていたのだ。これはつまり、自分でリズムを作り出すことは苦手であっても、人の作り出すリズムに同調することには長けているということだ。
そんなことに気づきつつ、自分のリズムを生み出す能力が絶望的だとわかってしまった時、伴奏者の榎本がこんな風にいったのだーー
「おれの伴奏に合わせて、指揮してみる?」
これは中々に際どい話だ。伴奏者の演奏に合わせて指揮を振るというのは、そもそも指揮者が置物でしかなく、ほんと申し訳程度の存在にしかならないからだ。いってしまえば、ドラムがギターに合わせるみたいなもんだーーイングヴェイのバンドみたいだな。
だが、本番が近づいて来る中で、リズムキーピングというもっとも大きな課題を乗り越えるには、それしか方法はないと思った。
意地でも自分でリズムを取るとは思わなかった。というか、そんな意地を張っていられるほどの余裕が、この時はもはやなかったのだ。
おれは榎本の申し出を承諾した。すると、途端に気持ちが楽になってきた。それもそうだろう。自分の手に何十人の運命が委ねられていたモノが、事実上自分ひとりの問題となったのだからーー
おれは尚も既存の音にリズムを合わせる練習をしたーーし続けた。少しでも体裁を整えるために。クラス全体の評価のためにーー
とまぁ、今日はこんな感じか。多分、あと二回くらいで終わると思う。そんなワケで、
アスタラ。
それはその練習の質が如何に悪くとも、見た目だけは、まぁ、何となく悪くはない、とそんな感じにはなるということだ。
だが、ここで考えなければならないのは、そんな見てくれだけの悪質な練習に果たして価値はあるのか、ということだ。
正直いってしまえば、そんなモノには価値はないと思う。見た目だけの体裁を取り繕って、何となくそんな感じにはするけれど、それは単なる間に合わせのハリボテで、そこには本質や中身が伴っていないーーというのは、何の役にも立ちはしないだろう、ということだ。
だが、逆にいえば、人間、どんな練習が何に役立っているかなんてわかりはしないモンだということだ。
案外、そこには思わぬ効果があったりする。
そこに真剣さが伴っていれば、自分でも思いもよらぬ効果が期待できる、と思うのだ。
だからこそ、日々の練習を終えた後に余韻に浸ってはならないと思う。
余韻ーーこれは単なる麻薬、幻覚にすぎない。
大したことをしてないのに練習した自分に酔っている。余韻に浸ることで、自分は練習したのだと変な満足感を得てしまい、高みを目指すことを妨げてしまう。
だからこそ出来ることなら、練習後に余韻に浸るようなことは避けたいモノだーーまぁ、この余韻に浸るというのは、そもそも大したことないヤツがやりがちなのだけど。
さて、『音楽祭篇』の続きである。今日は色々あって本当に短いです。あらすじーー
「指揮者が難しいーー塾でそう打ち明けたりと、通っていた塾にて音楽祭の話を友人たちとしていた五条氏は、ひょんなことからその友人たちと塾の授業前に歌と指揮の練習をすることに。だが、塾の先生にそれがバレてしまい、メチャクチャに怒られてしまう。しかし、先生は机を下げさせて、『どうせ練習するならこそこそといわず、堂々と』と同じ学年のみんなと音楽祭の練習を始めるのだったーー」
とまぁ、こんな感じか。じゃ、やってくーー
日々の自主トレや教室内での歌の練習、塾での練習、そして音楽の授業のお陰で、始めた当初とは違って、まったくダメということはなくなってきた。
歌のほうも、自由曲でのトチ狂ったようなアルトの選択も当初の感じとは反して、まぁまぁこなせていた。まぁ、後のことを語ったことでどうにもならんのだろうけど、そこら辺のヤツよりかは高い声域と声量で歌を歌えるようになったこともあって、そこら辺のコントロールはその時からまぁまぁ出来ていたのかもしれないーーこれが勘違いである。
それはさておき、そんな中でも苦手だったリズムキープだが、こればかりはあまりよろしいとはいえなかった。というか、これだけはどうにも得意になれなかった。
今改めて考えると、リズムキーピングのトレーニングは案外難しいと思うのだ。
というのも、リズム感だけは今でも自分でいいものだとはいえないし、最低限は何とかなる程度にはしたけれど、それもいつの間にか体裁が整うようにはなった程度で、しかもそうなるに至った練習法も自分でわかっていない。
多分、これは殆どその人が持っている感覚、センスの問題なのだと思う。
リズムに乗るというのは、そこに躊躇いや恐れがあっては上手くいかないモノだ。自分を如何にメロディ、音楽に投げ出せるか、それこそがリズムに乗れるようにする秘訣なのかもしれない。まぁ、観念的といえばそれまでなのだけど、リズムキーピングというのはそれほどに感覚的で難しいモノだと思う。
とまぁ、今でこんな風に思うのだから、この当時の音楽に対する感覚の薄い時分では余計にそう感じてしまうワケで、手掛かりのない暗闇の中を、自分で出来ることをこなしていくことでやりくりしていくしかなかった。
そんな中である。おれはあることに気づいたのだ。それはーー
自分の、既存の音に合わせる能力がそれなりに良くなっていたということだ。
多分、これはウォークマンに合わせての練習のお陰なのだろう、既存の音に合わせて指揮を振るということには随分と強くなっていたのだ。これはつまり、自分でリズムを作り出すことは苦手であっても、人の作り出すリズムに同調することには長けているということだ。
そんなことに気づきつつ、自分のリズムを生み出す能力が絶望的だとわかってしまった時、伴奏者の榎本がこんな風にいったのだーー
「おれの伴奏に合わせて、指揮してみる?」
これは中々に際どい話だ。伴奏者の演奏に合わせて指揮を振るというのは、そもそも指揮者が置物でしかなく、ほんと申し訳程度の存在にしかならないからだ。いってしまえば、ドラムがギターに合わせるみたいなもんだーーイングヴェイのバンドみたいだな。
だが、本番が近づいて来る中で、リズムキーピングというもっとも大きな課題を乗り越えるには、それしか方法はないと思った。
意地でも自分でリズムを取るとは思わなかった。というか、そんな意地を張っていられるほどの余裕が、この時はもはやなかったのだ。
おれは榎本の申し出を承諾した。すると、途端に気持ちが楽になってきた。それもそうだろう。自分の手に何十人の運命が委ねられていたモノが、事実上自分ひとりの問題となったのだからーー
おれは尚も既存の音にリズムを合わせる練習をしたーーし続けた。少しでも体裁を整えるために。クラス全体の評価のためにーー
とまぁ、今日はこんな感じか。多分、あと二回くらいで終わると思う。そんなワケで、
アスタラ。