【冷たい墓石に鬼は泣く~弐拾~】
文字数 1,133文字
わたしは死んだ。
死んだのだ。
だからわたしは今、ここにいる。馬乃助に敗れ、馬乃助を見送ったこの場所で、ひとり、立ち尽くしている。
雨が来るとは思っていなかった。だが、こころの何処かではそれを望んでいたのかもしれない。雨に打たれ、ひとり孤独に佇むことを望んでいたのかもしれなかった。わたしはキズついてもいない背中を擦った。
血は流れていない。だが、他のモノは流れた。
わたしの顔をいくつもの雨粒が叩く。流れた雨は頬を伝い、地面へと吸い込まれて行く。だが、頬を流れたのは何も雨粒だけではなかったのだ。
わたしは天を仰いだ。無数の雨。真っ暗な空は雨雲ひとつ見えはしなかった。冷たかった。冬の雨は冷たかった。だが、それ以上に冷えきったモノがあった。わたしは苦痛とここちよさを一緒に感じていた。
右手には木刀が垂れ下がっていた。
置かなかったーーいや、置けなかった。わたしは凍えて震える手で、痩せ細った木刀をグッと握り締めていた。
勝てなかった。やはり、馬乃助には勝てなかった。下段に構えた馬乃助にスキなど微塵もなかった。にも関わらず、わたしは痺れを切らして向かっていってしまった。真っ向に。
すべては一瞬だった。
馬乃助の体が左に逸れ、かつ入り身になったのも。そして、馬乃助の木刀が、わたしの背骨に突き付けられていたことも。すべて、一瞬のことだった。
斬られはしなかった。だが、これが本当の勝負だったら、わたしは死んでいた。馬乃助はわたしの腕前を知っていたが故、わたしの背骨を砕かないよう、暗い夜闇の中で正確にわたしの背骨前で木刀を寸止めしたのだ。
負けた。それ以上にわたしは武士として、実の弟に生かされたということが悔しくて仕方がなかった。馬乃助ーーヤツはやはり強かった。そして、何故、馬乃助が木刀で辻斬りしていたのかがわかった気がした。
道場を出禁になった馬乃助が自らの腕を腐らせず、鈍らさず、修行する方法はそれしかなかったのだ。暗闇の中でも自在に得物を操り、真剣と木刀という明らかに不利な状況の下で、相手を殺さずして勝利する。これが馬乃助が辻斬りをしていた理由だったのだ。
だからこそ、無力なおはるを、馬乃助が真剣をもって斬り殺すことなどあり得ない話だったのだ。あの男は、そもそも自分に因縁を吹っ掛けてくる相手を除けば、明らかな格下を斬るなんてことは出来ない男なのだから。
「おはるを殺した下手人が誰だか教えてやるよ」
馬乃助のことばが頭を駆け巡る。
そうだ、わたしはわたしの「仕事」をやり遂げなければならない。おはるの復讐という、牛野家長男として、最後の「仕事」を。
わたしは雨の中、ぐっしょり濡れた着物の袖で、自分の顔を拭った。
顔は濡れたままだった。
【続く】
死んだのだ。
だからわたしは今、ここにいる。馬乃助に敗れ、馬乃助を見送ったこの場所で、ひとり、立ち尽くしている。
雨が来るとは思っていなかった。だが、こころの何処かではそれを望んでいたのかもしれない。雨に打たれ、ひとり孤独に佇むことを望んでいたのかもしれなかった。わたしはキズついてもいない背中を擦った。
血は流れていない。だが、他のモノは流れた。
わたしの顔をいくつもの雨粒が叩く。流れた雨は頬を伝い、地面へと吸い込まれて行く。だが、頬を流れたのは何も雨粒だけではなかったのだ。
わたしは天を仰いだ。無数の雨。真っ暗な空は雨雲ひとつ見えはしなかった。冷たかった。冬の雨は冷たかった。だが、それ以上に冷えきったモノがあった。わたしは苦痛とここちよさを一緒に感じていた。
右手には木刀が垂れ下がっていた。
置かなかったーーいや、置けなかった。わたしは凍えて震える手で、痩せ細った木刀をグッと握り締めていた。
勝てなかった。やはり、馬乃助には勝てなかった。下段に構えた馬乃助にスキなど微塵もなかった。にも関わらず、わたしは痺れを切らして向かっていってしまった。真っ向に。
すべては一瞬だった。
馬乃助の体が左に逸れ、かつ入り身になったのも。そして、馬乃助の木刀が、わたしの背骨に突き付けられていたことも。すべて、一瞬のことだった。
斬られはしなかった。だが、これが本当の勝負だったら、わたしは死んでいた。馬乃助はわたしの腕前を知っていたが故、わたしの背骨を砕かないよう、暗い夜闇の中で正確にわたしの背骨前で木刀を寸止めしたのだ。
負けた。それ以上にわたしは武士として、実の弟に生かされたということが悔しくて仕方がなかった。馬乃助ーーヤツはやはり強かった。そして、何故、馬乃助が木刀で辻斬りしていたのかがわかった気がした。
道場を出禁になった馬乃助が自らの腕を腐らせず、鈍らさず、修行する方法はそれしかなかったのだ。暗闇の中でも自在に得物を操り、真剣と木刀という明らかに不利な状況の下で、相手を殺さずして勝利する。これが馬乃助が辻斬りをしていた理由だったのだ。
だからこそ、無力なおはるを、馬乃助が真剣をもって斬り殺すことなどあり得ない話だったのだ。あの男は、そもそも自分に因縁を吹っ掛けてくる相手を除けば、明らかな格下を斬るなんてことは出来ない男なのだから。
「おはるを殺した下手人が誰だか教えてやるよ」
馬乃助のことばが頭を駆け巡る。
そうだ、わたしはわたしの「仕事」をやり遂げなければならない。おはるの復讐という、牛野家長男として、最後の「仕事」を。
わたしは雨の中、ぐっしょり濡れた着物の袖で、自分の顔を拭った。
顔は濡れたままだった。
【続く】