【丑寅は静かに嗤う~決意】
文字数 2,636文字
「吉備様、お京! 大丈夫ですか!?」
甲子寺の中に入り込んだ桃川が叫ぶも虚しく、声は静寂の中に溶けていく。桃川は叫ぶ。だが、声はない。尚も叫ぶーー
「桃川さんか……?」
弱々しい声。まるで今にも踏み潰されそうな弱った蟻のような声。桃川は声がしたほうへ急ぐ。声は本堂から聴こえる。本堂へと続く戸を開ける桃川ーーそこには、
「吉備様!」
左腕を刺されてその場にへたりこんでいる吉備の姿。床には幾分の血溜まり。桃川は慌てて吉備の元に駆け寄り、負傷した腕を改める。
「大丈夫ですかッ!?」
「桃川さん、か……」
「喋らないで!」
桃川は自分の衣服の一部を二切れ破ると、それを口に咥え、吉備の衣服の左袖を捲る。
が、そこには腕に入った二本線。桃川は絶句。吉備はそれを擦って見せると、
「……若い頃、色々あってな。島流しの身だったのだよ」
桃川は破った衣服のひとつを手に取り、
「そうでしたか……」
と、そのまま吉備の腕の根本をしっかりと縛る。呻く吉備。が、桃川はお構いなしに手近な雑巾を手に取ると吉備の傷口を押さえつける。
「……慣れたもんだな」
吉備のひとこと。だが、桃川はそれには答えず、作業を進めながら、
「それより、お京はどこにいるんです?」
桃川の問いに対し、吉備は一度口をつぐみ深刻な表情を作ってみせ、
「盗賊たちに、拐かされてしまった……」
「……そうでしたか」
「すまない……! 何も出来ずに……」
桃川の目が淀む。まるでここにはない 何かを見つめるようにハッキリしない目で、何かを静かに見つめている。そして、桃川は余った衣服の切れ端で傷口を被う雑巾を押さえて縛ると、
「血が止まるまで、しっかりと押さえつけておいて下さい。それまでは余り温めないように。難儀ではありますが……、すぐ戻ります!」
そういって、桃川は立ち上がり振り返ると、そのまま本堂を出て行こうとする。
「桃川さん!」吉備の声が響く。「どうしようというんだ、一体……」
桃川は首だけを吉備のほうへ軽く向け、
「お京を、助けに行きます」
と、その場を去ろうとする。
「無茶だ! 相手は何十といる盗賊だ。いくらアンタが刀の達人だろうと、多勢に無勢。数の暴力で捩じ伏せられる……!」
が、桃川は一瞬気を止めただけでそのまま出て行こうとする。
「待つんだ、桃川さん!」桃川は足を止め、再び吉備のほうへ意識を向ける。吉備は息を荒げながら、「ちょっと、待っておれ……」
そういって吉備はゆっくりと立ち上がり仏壇のほうへ行くと、今度はゆっくりとしゃがみ込み、手で床を探るようにしてあちこちを触る。
ある一点、床が抜ける場所が。その一点の床を抜くと、吉備はそこから一本の刀を取り出し、桃川のもとへ戻ると刀を差し出す。
「これは『五月雨』という曰く付きの刀だ。幾多の血を吸い、幾多の肉を食らって来た。この刀には死んだ人間の怨みと絶叫が籠っている。恐ろしいモノで、大概のモノなら簡単に斬れてしまうほどに刃は鋭い。恐ろしいモノだが、アンタなら、使いこなせるだろう……」
桃川はゆっくりと『五月雨』を受け取る。受け取りと、ずっしりとした重みを感じるように、桃川の腕が下に落ちる。まるで、奪われた死者の魂が腕に乗るように。
「……ありがとうございました」腰の刀を交換し、外した刀を吉備に渡すと、「では、行って参ります……!」
桃川は踵を返すと、そのまま振り返ることなく、躊躇うことなく、本堂から立ち去る。吉備の目、まるで自分の子供を見送るような優しさが宿っているようーー
表の境内には猿田、お雉、そして縛られた犬蔵の姿が。桃川の姿を見て猿田は駆け寄り、
「大丈夫でしたか?」
桃川は足を緩めることなく歩き続ける。そんな桃川を見て猿田は、
「……何があったんです?」
「お京が、盗賊に拐かされました」
「お京さんが!?」
「えぇ、だから、盗賊の元へ」
「ひとりで行くっていうんですか!」
猿田の問いに、桃川は何も答えずに歩いて行こうとする。が、桃川は急に足を止めることとなる。猿田が桃川の衣服を掴んだのだ。
「なら、おれも連れて行ってもらうぜ」
桃川はそれに対し、すぐに回答はしなかった。が、数秒の間を置いてから、
「……死ぬかもしれませんよ?」
猿田は不敵な笑みを浮かべ、
「死ぬくらいでちょうどいいさーーお雉、お前も行くだろう?」
そう問われてお雉は、やはり口をつぐむが、やがてすぐに、
「当たり前、でしょ。記憶のない腕前も定かでない侍と、都落ちしてきた落伍者ふたりじゃ、心許ないだろうからね」
「ダメです!」桃川。「女の人には危険過ぎる!」
「桃川さん、お雉なら大丈夫です」猿田。「むしろ、我々の強い味方になります」
「だとしてもです。これはーー」
「これは、何? 女には出来ない仕事、とでもいいたいの?」お雉の声にトゲ。「あたしのこともろくに知らずに、偉そうなこといわないで! あたしだって生きたくて生きてるんじゃない。猿ちゃんと同じく、生きた死人なんだ。それに、男だけじゃ出来ないことも、女には出来るんだ。違う?」
その勢いに飲まれたのか、桃川は何もいえなくなってしまう。そこに猿田、
「そういうことです。おれは過去何度となくこのお雉に救われて来ました。彼女がいるといないでは全然違う。連れて行きましょう」
「猿田さん……」桃川は少し考え込み、「わかりました。ただ、危なくなったらすぐに逃げるように。いいですね?」
「逃げる? あたしの人生にはそんなことばはない。ただ、やり切るのみーーといいたい所だけど、そうじゃないと連れてかないつもりでしょ。わかったよ。危なくなったら逃げる」
「なら、いいでしょう。では、行きましょう」
桃川が行こうとすると、猿田は更に、
「待ってください、その犬ころも連れて行きましょう。道案内させるには最適です」
これに対し、桃川も犬蔵も何もいわない。というより、犬蔵は気絶していて何もいえないのだが。桃川は、
「……わかりました。その代わり気をつけて行きましょう。相手は盗賊ですから」
「当然です。それと、村を出る前に家に寄らせて下さい。取ってきたいものがあるんです」
「それならいいです。代わりに、わたしもお馬さんの所へ寄りたいんです。吉備様のお世話を頼むと伝えたくて」
「いいでしょう」
「……では、行きましょう」
三人、顔を見合せ、ゆっくりと頷く。その六つの目には、それぞれ異なった情念が籠っているように見えたことだろうーー
【続く】
甲子寺の中に入り込んだ桃川が叫ぶも虚しく、声は静寂の中に溶けていく。桃川は叫ぶ。だが、声はない。尚も叫ぶーー
「桃川さんか……?」
弱々しい声。まるで今にも踏み潰されそうな弱った蟻のような声。桃川は声がしたほうへ急ぐ。声は本堂から聴こえる。本堂へと続く戸を開ける桃川ーーそこには、
「吉備様!」
左腕を刺されてその場にへたりこんでいる吉備の姿。床には幾分の血溜まり。桃川は慌てて吉備の元に駆け寄り、負傷した腕を改める。
「大丈夫ですかッ!?」
「桃川さん、か……」
「喋らないで!」
桃川は自分の衣服の一部を二切れ破ると、それを口に咥え、吉備の衣服の左袖を捲る。
が、そこには腕に入った二本線。桃川は絶句。吉備はそれを擦って見せると、
「……若い頃、色々あってな。島流しの身だったのだよ」
桃川は破った衣服のひとつを手に取り、
「そうでしたか……」
と、そのまま吉備の腕の根本をしっかりと縛る。呻く吉備。が、桃川はお構いなしに手近な雑巾を手に取ると吉備の傷口を押さえつける。
「……慣れたもんだな」
吉備のひとこと。だが、桃川はそれには答えず、作業を進めながら、
「それより、お京はどこにいるんです?」
桃川の問いに対し、吉備は一度口をつぐみ深刻な表情を作ってみせ、
「盗賊たちに、拐かされてしまった……」
「……そうでしたか」
「すまない……! 何も出来ずに……」
桃川の目が淀む。まるでここにはない 何かを見つめるようにハッキリしない目で、何かを静かに見つめている。そして、桃川は余った衣服の切れ端で傷口を被う雑巾を押さえて縛ると、
「血が止まるまで、しっかりと押さえつけておいて下さい。それまでは余り温めないように。難儀ではありますが……、すぐ戻ります!」
そういって、桃川は立ち上がり振り返ると、そのまま本堂を出て行こうとする。
「桃川さん!」吉備の声が響く。「どうしようというんだ、一体……」
桃川は首だけを吉備のほうへ軽く向け、
「お京を、助けに行きます」
と、その場を去ろうとする。
「無茶だ! 相手は何十といる盗賊だ。いくらアンタが刀の達人だろうと、多勢に無勢。数の暴力で捩じ伏せられる……!」
が、桃川は一瞬気を止めただけでそのまま出て行こうとする。
「待つんだ、桃川さん!」桃川は足を止め、再び吉備のほうへ意識を向ける。吉備は息を荒げながら、「ちょっと、待っておれ……」
そういって吉備はゆっくりと立ち上がり仏壇のほうへ行くと、今度はゆっくりとしゃがみ込み、手で床を探るようにしてあちこちを触る。
ある一点、床が抜ける場所が。その一点の床を抜くと、吉備はそこから一本の刀を取り出し、桃川のもとへ戻ると刀を差し出す。
「これは『五月雨』という曰く付きの刀だ。幾多の血を吸い、幾多の肉を食らって来た。この刀には死んだ人間の怨みと絶叫が籠っている。恐ろしいモノで、大概のモノなら簡単に斬れてしまうほどに刃は鋭い。恐ろしいモノだが、アンタなら、使いこなせるだろう……」
桃川はゆっくりと『五月雨』を受け取る。受け取りと、ずっしりとした重みを感じるように、桃川の腕が下に落ちる。まるで、奪われた死者の魂が腕に乗るように。
「……ありがとうございました」腰の刀を交換し、外した刀を吉備に渡すと、「では、行って参ります……!」
桃川は踵を返すと、そのまま振り返ることなく、躊躇うことなく、本堂から立ち去る。吉備の目、まるで自分の子供を見送るような優しさが宿っているようーー
表の境内には猿田、お雉、そして縛られた犬蔵の姿が。桃川の姿を見て猿田は駆け寄り、
「大丈夫でしたか?」
桃川は足を緩めることなく歩き続ける。そんな桃川を見て猿田は、
「……何があったんです?」
「お京が、盗賊に拐かされました」
「お京さんが!?」
「えぇ、だから、盗賊の元へ」
「ひとりで行くっていうんですか!」
猿田の問いに、桃川は何も答えずに歩いて行こうとする。が、桃川は急に足を止めることとなる。猿田が桃川の衣服を掴んだのだ。
「なら、おれも連れて行ってもらうぜ」
桃川はそれに対し、すぐに回答はしなかった。が、数秒の間を置いてから、
「……死ぬかもしれませんよ?」
猿田は不敵な笑みを浮かべ、
「死ぬくらいでちょうどいいさーーお雉、お前も行くだろう?」
そう問われてお雉は、やはり口をつぐむが、やがてすぐに、
「当たり前、でしょ。記憶のない腕前も定かでない侍と、都落ちしてきた落伍者ふたりじゃ、心許ないだろうからね」
「ダメです!」桃川。「女の人には危険過ぎる!」
「桃川さん、お雉なら大丈夫です」猿田。「むしろ、我々の強い味方になります」
「だとしてもです。これはーー」
「これは、何? 女には出来ない仕事、とでもいいたいの?」お雉の声にトゲ。「あたしのこともろくに知らずに、偉そうなこといわないで! あたしだって生きたくて生きてるんじゃない。猿ちゃんと同じく、生きた死人なんだ。それに、男だけじゃ出来ないことも、女には出来るんだ。違う?」
その勢いに飲まれたのか、桃川は何もいえなくなってしまう。そこに猿田、
「そういうことです。おれは過去何度となくこのお雉に救われて来ました。彼女がいるといないでは全然違う。連れて行きましょう」
「猿田さん……」桃川は少し考え込み、「わかりました。ただ、危なくなったらすぐに逃げるように。いいですね?」
「逃げる? あたしの人生にはそんなことばはない。ただ、やり切るのみーーといいたい所だけど、そうじゃないと連れてかないつもりでしょ。わかったよ。危なくなったら逃げる」
「なら、いいでしょう。では、行きましょう」
桃川が行こうとすると、猿田は更に、
「待ってください、その犬ころも連れて行きましょう。道案内させるには最適です」
これに対し、桃川も犬蔵も何もいわない。というより、犬蔵は気絶していて何もいえないのだが。桃川は、
「……わかりました。その代わり気をつけて行きましょう。相手は盗賊ですから」
「当然です。それと、村を出る前に家に寄らせて下さい。取ってきたいものがあるんです」
「それならいいです。代わりに、わたしもお馬さんの所へ寄りたいんです。吉備様のお世話を頼むと伝えたくて」
「いいでしょう」
「……では、行きましょう」
三人、顔を見合せ、ゆっくりと頷く。その六つの目には、それぞれ異なった情念が籠っているように見えたことだろうーー
【続く】