【冷たい墓石で鬼は泣く~拾睦~】
文字数 1,185文字
床板が痛いほどに軋んでいた。
いくらヒッソリと歩いたつもりでも、感情が足の裏を伝って床へと伝わる様は防ぎようがなかった。そもそもその時のわたしには、自分の足音を殺すという繊細な動きをするには、あまりにも余裕がなかったといっていい。
真っ暗な部屋が連なっている。縁側は月の光で照らされて、まるで昼間のように思えた。中庭の池に浮かぶ月の姿は波打って今にも消えそうだった。
わたしはある部屋の前にて立ち止まった。
わたしは可能な限り音を殺しながら刀を抜くと、ゆっくりと障子戸に手を掛け、それからゆっくりと、ゆっくりと引いた。
丸まった背中がわたしの目の前に広がっていた。そこにはたくさんの業と罪が詰まっているように見えた。右手、刀を握る手に力がこもる。鍔と切羽がカチャリと音を立てた。丸まった背中が首を傾けてわたしのほうへと意識を向けた。
「来たか......」
わたしはそのことばに呼応しなかった。ただ、訊きたいことはただのひとつしかなかった。わたしはただ手を震わせながら口を開いた。
「何故、おはるを殺した......?」
自分でも己の声が震えていることに気づいていた。怒りを抑えるので精一杯だった。ことを大きくして、仕損じることのないようにしなければならないことはいわずもがな、だった。だが、ヤツは振り返ることなくいった。
「殺してねえよ」
その何処か落ち着いた声色に、わたしはいい様のない怒りを感じた。だが、声を荒げたくとも、荒げることは出来なかった。何故ならーー
「ウソつくな......ッ!」わたしは息を含んだ声で断言した。「あの提灯を投げ付けた時、確かにわたしは貴様の顔を見た。そして貴様はわたしに顔を見られたことに驚き慌てて逃げ出した」
一刻ほど前のことだった。辻斬りに襲われ掛けたわたしは、先の先を取るためにもうしろから近づいて来る辻斬りに向かって火のついた提灯を投げ付けた。そこで、わたしは見てしまったのだ。辻斬りの正体をーー。
「何か、いいワケしたいことはあるか?」そんなことを聴くつもりは毛頭なかったが、わたしは最後の情けでそう訊ねた。
「いいワケも何も、やっていないことはやっていない」
「ウソをつくな......ッ!」
「ウソじゃねえさ。おれはやってねぇ。そもそも、こんな棒っキレで、人を斬り殺すことが出来ると思うか」
ヤツは自分の左側に木刀を置いた。真剣なら抜き打ち座となるこの状況も、木刀故に抜刀することはないという理由から、即座に右手で打ち込むことは出来ないということを示しているのだろうか。それとも、わたしを舐めているのか。
「ふざけるな! おはるの時だけ得物を変えただけだろう!?」
「そんなことして、おれに何の得がある」ゆっくりと立ち上がる姿がそこにある。「おはるを殺したのはおれじゃない。だが、誰が殺ったかは知っている」
馬乃助は振り返った。
【続く】
いくらヒッソリと歩いたつもりでも、感情が足の裏を伝って床へと伝わる様は防ぎようがなかった。そもそもその時のわたしには、自分の足音を殺すという繊細な動きをするには、あまりにも余裕がなかったといっていい。
真っ暗な部屋が連なっている。縁側は月の光で照らされて、まるで昼間のように思えた。中庭の池に浮かぶ月の姿は波打って今にも消えそうだった。
わたしはある部屋の前にて立ち止まった。
わたしは可能な限り音を殺しながら刀を抜くと、ゆっくりと障子戸に手を掛け、それからゆっくりと、ゆっくりと引いた。
丸まった背中がわたしの目の前に広がっていた。そこにはたくさんの業と罪が詰まっているように見えた。右手、刀を握る手に力がこもる。鍔と切羽がカチャリと音を立てた。丸まった背中が首を傾けてわたしのほうへと意識を向けた。
「来たか......」
わたしはそのことばに呼応しなかった。ただ、訊きたいことはただのひとつしかなかった。わたしはただ手を震わせながら口を開いた。
「何故、おはるを殺した......?」
自分でも己の声が震えていることに気づいていた。怒りを抑えるので精一杯だった。ことを大きくして、仕損じることのないようにしなければならないことはいわずもがな、だった。だが、ヤツは振り返ることなくいった。
「殺してねえよ」
その何処か落ち着いた声色に、わたしはいい様のない怒りを感じた。だが、声を荒げたくとも、荒げることは出来なかった。何故ならーー
「ウソつくな......ッ!」わたしは息を含んだ声で断言した。「あの提灯を投げ付けた時、確かにわたしは貴様の顔を見た。そして貴様はわたしに顔を見られたことに驚き慌てて逃げ出した」
一刻ほど前のことだった。辻斬りに襲われ掛けたわたしは、先の先を取るためにもうしろから近づいて来る辻斬りに向かって火のついた提灯を投げ付けた。そこで、わたしは見てしまったのだ。辻斬りの正体をーー。
「何か、いいワケしたいことはあるか?」そんなことを聴くつもりは毛頭なかったが、わたしは最後の情けでそう訊ねた。
「いいワケも何も、やっていないことはやっていない」
「ウソをつくな......ッ!」
「ウソじゃねえさ。おれはやってねぇ。そもそも、こんな棒っキレで、人を斬り殺すことが出来ると思うか」
ヤツは自分の左側に木刀を置いた。真剣なら抜き打ち座となるこの状況も、木刀故に抜刀することはないという理由から、即座に右手で打ち込むことは出来ないということを示しているのだろうか。それとも、わたしを舐めているのか。
「ふざけるな! おはるの時だけ得物を変えただけだろう!?」
「そんなことして、おれに何の得がある」ゆっくりと立ち上がる姿がそこにある。「おはるを殺したのはおれじゃない。だが、誰が殺ったかは知っている」
馬乃助は振り返った。
【続く】