【藪医者放浪記~睦拾睦~】
文字数 1,066文字
人間、無理をするほど汗と震えは止まらなくなるモノだ。
そして、それは猿田源之助も例外ではなかった。日差しと緊張、運動によって張り付いていた汗が途端に冷え冷えとしてきた。猿田の笑みも、いつしか引きつったようになり、口許を何とか引き上げて、自分が何のキズも負っていないという風に見せつけようとしているようだった。身体には震えがあった。
そして、右腕ーー群青色の右袖がじんわりと黒く染まって行った。そう、血だ。
「アンタ、それーー」
茂作がそれを口にしようとすると、猿田は左手で茂作を制した。表情から見て、かなり辛そうで、ゼェゼェ吐く息も少しずつ荒くなっていた。だが、目はオオカミのように光っていた。
「天馬様にはいわないで頂きたい。ご心配を掛けるワケにはいかないので......」
九十九街道でのことだった。牛馬との対決はほんの一瞬のスキの突き合いのようになっていた。牛馬という男が無外流の結構な腕前だとは猿田も即座に理解していた。スキなんてまるでなかった。恐らく攻め込めば流されて背骨を両断されるだろう。そして、それは牛馬も同様に攻撃すれば流されて首を飛ばされると気づいていたに違いなかった。
猿田が下段に刀を下ろせば、牛馬も下げた。逆にふたりとも刀を上げようとすることはなかった。刀を下げれば頭ががら空きになる。そうすれば、真っ向で打ち抜けるのではというにわかな機会が巡って来たと錯覚するようになる。そして、そのまま真っ向に打ち抜こうとすれば、下から刀が襲って来て上からの斬撃を弾き飛ばし、後は脇の下を切断されて終わり、ということになる。
脇の下には血管の束が通っており、切られればその場で大量の血が流れ、力は抜け、もはや生き残る術は残されていない。
そこで猿田はゆっくりと息を吐き、刀を中段に戻した。当然、そうなれば牛馬も中段へと変える。中段になってしまえば今度は突きの可能性が出てくる。突きばかりは下段からの弾き飛ばしは間に合わない。
猿田はふっと笑って見せた。震えを見せながら。牛馬はそんな猿田を見て更なる笑みを浮かべて見せた。ふたりに会話などなかった。だが、そこにあるのは命と命のやり取り。生と死を掛けた必死の会話。
猿田はゆっくりと刀を上段に構えた。牛馬は一瞬何かを疑ったように顔をしかめたが、すぐにまた笑って刀を再び下段に下ろした。
心臓の鼓動までもが聴こえて来そうだった。空っ風の吹く音が邪魔だった。猿田の刀の柄は汗でグッショリ濡れていた。緊張してはいただろうが、不思議と力は抜けていた。
猿田は声を上げたーー
【続く】
そして、それは猿田源之助も例外ではなかった。日差しと緊張、運動によって張り付いていた汗が途端に冷え冷えとしてきた。猿田の笑みも、いつしか引きつったようになり、口許を何とか引き上げて、自分が何のキズも負っていないという風に見せつけようとしているようだった。身体には震えがあった。
そして、右腕ーー群青色の右袖がじんわりと黒く染まって行った。そう、血だ。
「アンタ、それーー」
茂作がそれを口にしようとすると、猿田は左手で茂作を制した。表情から見て、かなり辛そうで、ゼェゼェ吐く息も少しずつ荒くなっていた。だが、目はオオカミのように光っていた。
「天馬様にはいわないで頂きたい。ご心配を掛けるワケにはいかないので......」
九十九街道でのことだった。牛馬との対決はほんの一瞬のスキの突き合いのようになっていた。牛馬という男が無外流の結構な腕前だとは猿田も即座に理解していた。スキなんてまるでなかった。恐らく攻め込めば流されて背骨を両断されるだろう。そして、それは牛馬も同様に攻撃すれば流されて首を飛ばされると気づいていたに違いなかった。
猿田が下段に刀を下ろせば、牛馬も下げた。逆にふたりとも刀を上げようとすることはなかった。刀を下げれば頭ががら空きになる。そうすれば、真っ向で打ち抜けるのではというにわかな機会が巡って来たと錯覚するようになる。そして、そのまま真っ向に打ち抜こうとすれば、下から刀が襲って来て上からの斬撃を弾き飛ばし、後は脇の下を切断されて終わり、ということになる。
脇の下には血管の束が通っており、切られればその場で大量の血が流れ、力は抜け、もはや生き残る術は残されていない。
そこで猿田はゆっくりと息を吐き、刀を中段に戻した。当然、そうなれば牛馬も中段へと変える。中段になってしまえば今度は突きの可能性が出てくる。突きばかりは下段からの弾き飛ばしは間に合わない。
猿田はふっと笑って見せた。震えを見せながら。牛馬はそんな猿田を見て更なる笑みを浮かべて見せた。ふたりに会話などなかった。だが、そこにあるのは命と命のやり取り。生と死を掛けた必死の会話。
猿田はゆっくりと刀を上段に構えた。牛馬は一瞬何かを疑ったように顔をしかめたが、すぐにまた笑って刀を再び下段に下ろした。
心臓の鼓動までもが聴こえて来そうだった。空っ風の吹く音が邪魔だった。猿田の刀の柄は汗でグッショリ濡れていた。緊張してはいただろうが、不思議と力は抜けていた。
猿田は声を上げたーー
【続く】