【西陽の当たる地獄花~弐拾玖~】

文字数 2,422文字

 滴る血の音が滝の流れる轟々とした音の中でポタポタと響く。

 それはまるで死の近づく音のよう。微かだが、確実に死が足音を立てるよう。

 刀身にベッタリとついた血が刀の平を伝ってツーっと落ちて行く。地面を覆う草原、その一辺が赤く染まっている。赤く染まった草々、そのすぐ上に見えるは顔に切り傷を作った男。

「……何が可笑しい?」

 白装束の男は氷が更に凍りつきそうなほど冷たい声でいう。斬られた男は片膝をついて右腕から流れる血を抑えている。不気味な笑みを浮かべて。男は鉛の擦れる音のような不快な声で笑う。

「……土佐英信流、か。まさか、こんなところで会えるとは、な」

 男の笑い声が少しずつ高まっていく。

 男はあの牛馬だった。傷つき、致命的な状態でありながら、牛馬は死を恐れるどころか、むしろそれを楽しみに待っているというような不気味な態度を取っている。

 白装束には、そんな牛馬の態度が不快だったのか、冷たい無表情に僅かながら眉間のシワを刻ませ、口許を歪ませる。そして、それが屈辱であったかのように、白装束は、

「貴様、これから往ぬというのに、何がそんなに可笑しいというのだ」

 だが、そんな白装束にはお構いなしに牛馬は笑い続ける。その刀を敵に打ち込み勝利はほぼ確定しているにも関わらず、その表情を不快に歪める白装束と、死を目前にして逆に愉悦する牛馬。その姿は対照的で、これではどちらが勝者で敗者か、わからない。

「おれは……」牛馬が口を開く。「土佐英信流が、大嫌いでねぇ……」

 牛馬の口許を垂れる血が、笑みによって出来た筋肉の歪みによって横へ逸れて落ちる。

「……土佐流が嫌い、だと?」

 牛馬は不気味に嗤う。

「……何故に?」

 白装束が問うても、牛馬は答えるどころか、その笑い声を更に強めるばかり。

 剣術、居合の流派は、江戸末期の時点でその数は七百を超えるほど存在した。勿論、その中でも多数派、少数派と流派の使い手の規模は変わってくる。そんな中でも土佐英信流といえば、本流の英信流とは異なるモノがあり、使い手もかなり限られて来る。故に、その流派が嫌いということは限りなく、その使い手と生前に何かしらの因縁があったことを意味する。

「答えろ!」

 苛立ちを隠せない白装束。生前に最期にて猿田源之助相手に見せた落ち着きと余裕は、そこにはまるでない。

 激情。荒ぶる怒りが白装束を狂わせる。だが、牛馬は狂ったように笑うばかり。

「……キチガイめ、が」

 白装束は思わず呟く。牛馬のうしろにつくと懐から出した拭い紙で一度刀身を拭う。それから血のついた紙を乱雑にそこら辺に投げ捨てると、右足を引いて半身になりつつ白鞘の刀をゆっくりと肩に乗せて構える。

「……最期にいい残すことは?」

 白装束が重く響く声でそう訊ねる。だが、依然として牛馬は笑うばかり。白装束は口を小さく開けて微かな息を吐く。

「……ならば、死ーー」

 白装束が刀を振り下ろそうとしたその時、白装束の目は軽く見開かれ、右手は止まる。

「テメェも……、あの野郎も……、みんな、殺して、やる……」

 牛馬は風で揺れる草のような声で笑う。白装束の顔が引き吊る。口をゆっくり開け、

「無駄だ。これで終わりなのだから。それに、わたしだけでなく、誰を殺すというのだ。神か? それとも、他にーー」

「神、か……。あの、野郎も、殺さなきゃ、な……。でもな、おれが本当に殺してやりたいのは、神でもなければ、テメェでもねぇ、もっと、鼻持ちならねぇ……」

「誰だ。そこまで貴様を怒りと復讐心に駆り立てるその者は一体何者だというのだ!」

「……おれは、これで二度も土佐の野郎に負けるということだ」

「二度……? 貴様ーー」

 刹那。一瞬の出来事。牛馬は突如転がり出し、その勢いで立ち上がると最後の力を振り絞るようにして激流の川へ向かって走り出す。

 白装束は呆気に取られたようにハッとし、その場に刀を落として懐に手を入れる。手裏剣。右手に一本。それは瞬間的に白装束の手から消え、次の瞬間には牛馬の右肩に突き刺さる。

 牛馬は均衡を崩し、そのまま激流の川に落ちる。白装束は舌打ちをして牛馬が消えた川の傍まで走る。走りながら、懐からもう一本の手裏剣を取り出して万が一に備える。

 が、白装束が川辺に着いたところで、あるのは白い筋を幾多も連ねる水の流れと内耳をつんざく水流の轟音だけ。牛馬の姿はおろか、着物の残骸、流れた血の跡すら残っていない。

 白装束は、水面をただただ眺めている。その表情は何処か複雑で、何を考えているかなど到底わかるモノではなかった。

 白装束はそれから少しの間川の流れを眺め、川の先に続く滝を見詰めると、そのまま元いた場所へと踵を返す。

 牛馬に手裏剣を投げる際に落とした白鞘の刀、その目釘は折れ、柄はパックリ割れて刀身が飛び出している。

 白鞘刀は、基本的に刀身の「寝間着」のようなモノで、刀として機能させるためのモノではなく、あくまで観賞用、保管用の装備に過ぎないため、その構造は非常に脆い。

 柄は米ぬかにて簡易的に接着されただけで、かつ刀身を固定する目釘も細いため非常に折れやすいため、とてもじゃないが、白鞘の姿の刀を提刀するのは推奨出来た話ではない。

 これはつまり本来の用途、いってしまえば何かを斬るために刀を使うのであれば、所謂「拵え」、人が刀を思い浮かべる際に一番最初に想像するであろう姿、すなわち鍔があり、柄には柄巻が巻かれた姿でなければならない。

 白装束は着物の裾を細めに破くと、破いた切れ端で割れた柄と刀身を固定する。そうかと思うと、今度はそこら辺に落ちていた小枝を拾ってちょうどいい長さに折り、それを即席の目釘にして目釘穴へと入れる。

 最後に折れた目釘を拾い上げると、それを懐へ入れ、今一度川へ視線をやったかと思うと、すぐに視線を切って、その場から消え去る。

 川は何もなかったかのように、ただただ激しく流れ続けるだけだった。

 【続く】
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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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