【明日、白夜になる前に~拾参~】
文字数 2,995文字
赤池たまきーーそれが彼女の名前だ。
赤池さんはぼくの中学時代の同級生だ。それも三年間同じクラスで、それなりに話をする仲だった。まぁ、そうはいっても好きとかそういった感情は特になく、風のウワサで聴いた話だと、赤池さんはサッカー部の部長でエースの林のことが好きだったんだとか。
そんな感じで中学卒業後は、たまに街で見掛けるくらいで、通りすがった時に軽く会釈するくらいの関係でしかなかった。
おまけに就職して都内で独り暮らしを始めてからは、まったく会うこともなくなった。つまり、今日出会ったのがそれこそ十二年ーーもしかしたらそれ以上ぶりになるワケだ。
にしても、キレイになったモノだ。というより、可愛くなったというべきだろうか。中学の時は冴えなかったのに、今ではすっかり垢抜けて、仕草も含めて小動物的な可愛らしさがある。彼女に声を掛けられた時、誰だかわからなかったのも、マスクをしていたのもあるだろうけど、何よりも彼女が可愛らしくなっていたからだったと思う。
赤池さんとの再会後、赤池さんは久しぶりだからと昔話から近況まで、マスクを下げ、ぼくのとなりに座って色々と話してくれた。
赤池さんの話によると、彼女は大学を卒業後は市役所の職員となり、現在は社会教育課に勤めているとのことだった。
「そうなんだ。堅実に頑張ってんだね」
堅実、が果たして褒め言葉になるのか自分でもわからなかったし、そもそもそんなワードを日常会話の中で使うかも怪しかったが、会話のボキャブラリーが貧しい自分からしたら精一杯の二の矢だった。彼女は屈託なく笑い、
「堅実って、そんなんじゃないよ。斎藤くんは? もしかして、堅実じゃないの?」と冗談混じりに訊ねて来る。
「まぁ……、堅実、ではないかも。毎日死んだように同じ流れをただ何となくこなしているだけ。楽しみなんて、家に帰って飲むビールくらい。他にぼくの人生には何にもない」
自虐的にぼくはいうが、すぐさまそれを後悔する。基本的に男女関係なく自虐というのはいい印象を持たれない。自尊心に満ち溢れたものいいも嫌われはするけれど、ネガティブな趣がある分、自虐は更に印象を悪くする。
謙遜とはまた違う。ぼくは謙遜できるほどに人生を充実させてはいない。誇れるものなど何もない。あるのは自分の胸の中に沈殿した負の塊だけ。誇れるモノがない以上、淀んだ感情を吐き出すことしか出来ない。
「ごめん、つまんないよね、こんな話」
気づけばぼくは謝っている。こんな話だけでもネガティブなのに、ここで謝ると余計に負の側面が強調されるようで申し訳なく感じる。
「ううん、そんなことないよ。でも、何だかあまり元気がないみたい。何かあった?」
そう訊ねられ、ぼくは固まってしまう。本当のことをいうべきだろうか。そうでなくともネガティブな態度、姿勢であるのに、更に暗くなるような話題を話していいモノだろうか。
おまけに相手は久しぶりに会う中学時代の同級生だ。いきなりの重い話題に引かれないだろうかと正直心配になる。ぼくは中々にことばを発せず、口をモゴモゴさせるしかなくなってしまった。何かをいおうという姿勢を見せてはいるのだけど、そこから先が続かない。
「どうした? いいづらかったら話さなくても大丈夫だよ」朗らかな笑みを浮かべて赤池さんはいう。
ぼくは彼女の暖かい笑みと声色に抱き止められ、依存したくなる。うんと相槌を打ちつつ、そして、
「実はーー」
ぼくは彼女にここ最近あったことを話す。中学時代の友人とリモート飲みをしていて倒れたこと、自分の人生が淀んでいること、会社をサボるために母が交通事故にあったとウソをついたら、それが現実になってしまったこと。里村さんのことは敢えて話さなかった。
「そうだったんだ……、大変だったね。でも、誰か自分の気持ちを打ち明けられる人はいなかったの? それこそ、中学の友達とか、それとーー」彼女は一瞬口ごもり、「彼女さんとか」
ぼくは、いないよと即答する。確かに友人に自分の気持ちを打ち明けるのもひとつの手だったかもしれない。だが、それは自分のほうで遠慮してしまった。気持ちを打ち明けることが迷惑だろうと思ったワケではないが、どうも打ち明ける気分になれなかったのだ。
そもそも、男と男の関係なんてそんなモノだ。確かに熱いモノはある。だが、余り湿っぽくはならないようなドライさがどこかにある。ぼくはそう彼女に説明し、それにーー
「彼女はいないんだ……」
三十四歳独身、彼女なし。これが如何に絶望的な状況か、ことばにするまでもないだろう。
聴く話によると、三十代未婚の男は生涯未婚率が七割半ほどにもなるらしい。つまり、それはぼくが生涯を通して孤独になり得る確率そのものだった。そう考えると絶望感しかない。
確かに恋人がいなくとも幸せな人は幸せだろう。だが、そういう人は夢中になれる何かを持っているのが殆どだ。
しかし、今のぼくには何もない。
何もない人生を恋人の肌で埋めるというのは如何なモノかとも思うけど、今のぼくにはそれが必要だった。身体にまとわりつく孤独感と絶望感を洗い流すには、愛情という名の石鹸が必要だった。なのにーー
里村さんーー彼女はぼくなんかに対して非常に好感的に接してくれた。が、それもぼくのミスですべてが水泡。何度もメッセージを送ろうとした。だが、何と返ってくるか、それが怖くて結局は送れなかった。
ぼくは何て臆病な人間なのだろう。
ぼくは結局、人から悪く思われたくない、傷つきたくないと体のいいエクスキューズばかりをいって、現状に甘んじているだけなのだ。
里村さんは、人に愛される資格なんて、所詮は自分次第だといった。だが、そんなぼくに人の愛を享受する資格は、やはりなかったのだ。
「そうだったんだ……。悪いこと訊いちゃったかな」ぼくがそこら辺の事情を話終えると、赤池さんは、申し訳なさそうにこちらを見る。
「いや、そんなことないよ。でも、こうやって話せて少しスッキリした。ずっと自分の中の罪悪感に押し潰されそうになってたんだ」
「そっか……、なら良かった」
赤池さんは徐に夜空を見上げる。あの時の夜と同様、星のキレイな夜空。
「わたしね、今、彼氏いないんだ」
そういわれてぼくは驚く。そんな風にはとても見えなかったからだ。
「そうなの!?」
「うん。もう、ずっといない。でも、何かこうやって斎藤くんと話してると昔を思い出すというかーー」
ぼくは彼女のことばに何か引っ掛かりを感じ、
「昔を?」
「うん、実はーーわたし、斎藤くんが好きだったんだ」突然の告白にぼくは呆然とする。「だからその……、何ていうか、斎藤くんさえ良ければ、わたしが斎藤くんの心の支えになれたらな、何てーーダメかな?」
ぼくは自分が何をいわれているのかわからずにいる。赤池さんは一体何をいっているのだろう。ぼくはーー、
「それは、告白ってこと……?」
「うん……」赤池さんは静かに頷く。「ダメ、かな……?」
それから自分が何をいったのか覚えていない。ただ、マスクを外した彼女がぼくのことばに対して涙を浮かべながら笑みを浮かべていたのは覚えている。そして、その笑みに吸い込まれそうになったこともーー
美しき星空の下、ぼくは赤池たまきと唇を交わす。その味は塩気があって、とてもしょっぱかったーー
【続く】
赤池さんはぼくの中学時代の同級生だ。それも三年間同じクラスで、それなりに話をする仲だった。まぁ、そうはいっても好きとかそういった感情は特になく、風のウワサで聴いた話だと、赤池さんはサッカー部の部長でエースの林のことが好きだったんだとか。
そんな感じで中学卒業後は、たまに街で見掛けるくらいで、通りすがった時に軽く会釈するくらいの関係でしかなかった。
おまけに就職して都内で独り暮らしを始めてからは、まったく会うこともなくなった。つまり、今日出会ったのがそれこそ十二年ーーもしかしたらそれ以上ぶりになるワケだ。
にしても、キレイになったモノだ。というより、可愛くなったというべきだろうか。中学の時は冴えなかったのに、今ではすっかり垢抜けて、仕草も含めて小動物的な可愛らしさがある。彼女に声を掛けられた時、誰だかわからなかったのも、マスクをしていたのもあるだろうけど、何よりも彼女が可愛らしくなっていたからだったと思う。
赤池さんとの再会後、赤池さんは久しぶりだからと昔話から近況まで、マスクを下げ、ぼくのとなりに座って色々と話してくれた。
赤池さんの話によると、彼女は大学を卒業後は市役所の職員となり、現在は社会教育課に勤めているとのことだった。
「そうなんだ。堅実に頑張ってんだね」
堅実、が果たして褒め言葉になるのか自分でもわからなかったし、そもそもそんなワードを日常会話の中で使うかも怪しかったが、会話のボキャブラリーが貧しい自分からしたら精一杯の二の矢だった。彼女は屈託なく笑い、
「堅実って、そんなんじゃないよ。斎藤くんは? もしかして、堅実じゃないの?」と冗談混じりに訊ねて来る。
「まぁ……、堅実、ではないかも。毎日死んだように同じ流れをただ何となくこなしているだけ。楽しみなんて、家に帰って飲むビールくらい。他にぼくの人生には何にもない」
自虐的にぼくはいうが、すぐさまそれを後悔する。基本的に男女関係なく自虐というのはいい印象を持たれない。自尊心に満ち溢れたものいいも嫌われはするけれど、ネガティブな趣がある分、自虐は更に印象を悪くする。
謙遜とはまた違う。ぼくは謙遜できるほどに人生を充実させてはいない。誇れるものなど何もない。あるのは自分の胸の中に沈殿した負の塊だけ。誇れるモノがない以上、淀んだ感情を吐き出すことしか出来ない。
「ごめん、つまんないよね、こんな話」
気づけばぼくは謝っている。こんな話だけでもネガティブなのに、ここで謝ると余計に負の側面が強調されるようで申し訳なく感じる。
「ううん、そんなことないよ。でも、何だかあまり元気がないみたい。何かあった?」
そう訊ねられ、ぼくは固まってしまう。本当のことをいうべきだろうか。そうでなくともネガティブな態度、姿勢であるのに、更に暗くなるような話題を話していいモノだろうか。
おまけに相手は久しぶりに会う中学時代の同級生だ。いきなりの重い話題に引かれないだろうかと正直心配になる。ぼくは中々にことばを発せず、口をモゴモゴさせるしかなくなってしまった。何かをいおうという姿勢を見せてはいるのだけど、そこから先が続かない。
「どうした? いいづらかったら話さなくても大丈夫だよ」朗らかな笑みを浮かべて赤池さんはいう。
ぼくは彼女の暖かい笑みと声色に抱き止められ、依存したくなる。うんと相槌を打ちつつ、そして、
「実はーー」
ぼくは彼女にここ最近あったことを話す。中学時代の友人とリモート飲みをしていて倒れたこと、自分の人生が淀んでいること、会社をサボるために母が交通事故にあったとウソをついたら、それが現実になってしまったこと。里村さんのことは敢えて話さなかった。
「そうだったんだ……、大変だったね。でも、誰か自分の気持ちを打ち明けられる人はいなかったの? それこそ、中学の友達とか、それとーー」彼女は一瞬口ごもり、「彼女さんとか」
ぼくは、いないよと即答する。確かに友人に自分の気持ちを打ち明けるのもひとつの手だったかもしれない。だが、それは自分のほうで遠慮してしまった。気持ちを打ち明けることが迷惑だろうと思ったワケではないが、どうも打ち明ける気分になれなかったのだ。
そもそも、男と男の関係なんてそんなモノだ。確かに熱いモノはある。だが、余り湿っぽくはならないようなドライさがどこかにある。ぼくはそう彼女に説明し、それにーー
「彼女はいないんだ……」
三十四歳独身、彼女なし。これが如何に絶望的な状況か、ことばにするまでもないだろう。
聴く話によると、三十代未婚の男は生涯未婚率が七割半ほどにもなるらしい。つまり、それはぼくが生涯を通して孤独になり得る確率そのものだった。そう考えると絶望感しかない。
確かに恋人がいなくとも幸せな人は幸せだろう。だが、そういう人は夢中になれる何かを持っているのが殆どだ。
しかし、今のぼくには何もない。
何もない人生を恋人の肌で埋めるというのは如何なモノかとも思うけど、今のぼくにはそれが必要だった。身体にまとわりつく孤独感と絶望感を洗い流すには、愛情という名の石鹸が必要だった。なのにーー
里村さんーー彼女はぼくなんかに対して非常に好感的に接してくれた。が、それもぼくのミスですべてが水泡。何度もメッセージを送ろうとした。だが、何と返ってくるか、それが怖くて結局は送れなかった。
ぼくは何て臆病な人間なのだろう。
ぼくは結局、人から悪く思われたくない、傷つきたくないと体のいいエクスキューズばかりをいって、現状に甘んじているだけなのだ。
里村さんは、人に愛される資格なんて、所詮は自分次第だといった。だが、そんなぼくに人の愛を享受する資格は、やはりなかったのだ。
「そうだったんだ……。悪いこと訊いちゃったかな」ぼくがそこら辺の事情を話終えると、赤池さんは、申し訳なさそうにこちらを見る。
「いや、そんなことないよ。でも、こうやって話せて少しスッキリした。ずっと自分の中の罪悪感に押し潰されそうになってたんだ」
「そっか……、なら良かった」
赤池さんは徐に夜空を見上げる。あの時の夜と同様、星のキレイな夜空。
「わたしね、今、彼氏いないんだ」
そういわれてぼくは驚く。そんな風にはとても見えなかったからだ。
「そうなの!?」
「うん。もう、ずっといない。でも、何かこうやって斎藤くんと話してると昔を思い出すというかーー」
ぼくは彼女のことばに何か引っ掛かりを感じ、
「昔を?」
「うん、実はーーわたし、斎藤くんが好きだったんだ」突然の告白にぼくは呆然とする。「だからその……、何ていうか、斎藤くんさえ良ければ、わたしが斎藤くんの心の支えになれたらな、何てーーダメかな?」
ぼくは自分が何をいわれているのかわからずにいる。赤池さんは一体何をいっているのだろう。ぼくはーー、
「それは、告白ってこと……?」
「うん……」赤池さんは静かに頷く。「ダメ、かな……?」
それから自分が何をいったのか覚えていない。ただ、マスクを外した彼女がぼくのことばに対して涙を浮かべながら笑みを浮かべていたのは覚えている。そして、その笑みに吸い込まれそうになったこともーー
美しき星空の下、ぼくは赤池たまきと唇を交わす。その味は塩気があって、とてもしょっぱかったーー
【続く】