【バンビ・ヴァンパイア】

文字数 2,917文字

 滑舌が悪い。

 これは芝居をやっている人間としては致命的だ。とはいえ、おれは非常に滑舌が悪い。

 そもそもが低い声で、音もこもりやすいこともあって、しっかりと発音しなければならず、自分としても地声よりもやや高い音域で話さなければ、かなり聞き取りづらい声になってしまう。というか、それを抜きにしてもナチュラルに滑舌が悪いのだけど。

 にしても外に出ると、仕事や学校、プライベート関係なく滑舌の悪い人がたくさんいる。だが、そんな中でも特に困るのは、仕事中に滑舌の悪い人に当たってしまうことだろう。

 特に最悪なのは、上司や年上の同僚の滑舌が悪いことだ。

 年上や身分が上の人間の滑舌がレロレロだと、下の人間は非常に苦労する。相手は特に悪気なく話しているワケだし、そんな中、

「あれをやって欲しい」

 みたいな要求をされて、その内容がしっかりと聞き取れなかった場合は目も当てられない。まぁ、聞き返せばいいだけではあるのだけど、小心な人からすれば、それも難しい。

 おれも相手によっては聞き返すのを躊躇ってしまうことがある。それは、シンプルに機嫌の悪い相手やナイーヴないい人の場合だ。

 前者はそもそも関わりたくないのに、何かを要求されて滑舌が悪かったことに対して聞き返せば、単純にキレられる可能性があるからだ。

 滑舌が悪い自分が悪いんだろって話ではあるけども、限られた時間の中で作業しなきゃいけない時は怒られている時間も勿体ないし、大方何をいいたいのかわかるならば、聞き返す前に作業を始めてしまったほうが早いことも多い。

 それに何より、怒られたら怒られたで、ストレスはマッハなので、そもそも聞き返す気も起きないのだけど。

 後者に関しては、単純に悪い気がしてしまうからだ。ナイーヴな人間だと、滑舌が悪いというだけでも傷ついてしまうし、聞き返すにしてもある程度のラインまでと躊躇ってしまうことがある。

 まぁ、前者も後者も聞き返さずにミスをすれば、そもそも聞き返さなかった自分が悪いということになるんで、変に気は回さないほうがいいのだけどさ。

 とはいえ、これは仕事中の話であるからこそ起こる問題であって、プライベートや学校ならそうそう起こらない問題だろう。

 まぁ、学校だったら、先生の滑舌が悪くて授業にならないなんてこともあるのかもしれないけど、ただ、学校における滑舌の悪さというのは、また別の問題を引き起こしかねない。それはーー

 滑舌の悪さがネタになるということだ。

 まぁ、予想はついていたかな。さて、じゃあ今日もやってこうか。『居合篇』は今週中には完結させる。後二回なんで、もう少しお待ち。

 じゃ、やってくーー

 あれは中学三年のことだった。また中三の時の話かよって話だけど、自分でも不思議なくらいだ。何でこんなエピソードが詰まってんだか。それはさておきーー

 その時は選択授業の最中で、おれはキャナと共に国語の選択授業を受けていたのだ。

 国語といってもやることは、漢字検定の受験のための模擬練習で、おれとしては余りやる気はなく、取り敢えず時間を潰す目的でテキストを開いて倦怠感にただただレイプされていただけだった。

 そんな中、隣の席ではキャナが真面目な顔でテキストに漢字を殴り付けていた。

 詳しくは話してこなかったが、キャナはふざける時はふざけるが、成績は非常に優秀で、高校の時は成績優秀者として卒業生代表となり、大学も私立の上位校へ入り、そのまま大学院の博士課程まで修了し、現在ではとある国立大の研究室で働く研究者となっている。キャナは規格外な秀才である麻生とは逆に、堅実な秀才というのがピッタリかもしれない。

 さて、そんな感じで真剣に漢字に取り組むキャナの横で、おれはアクビを噛み殺しながらレンガのような堅苦しい筆圧で頭に溜め込んだ漢字どもを犯していたのだ。

 退屈な時間は過ぎ、授業も終わりが近づいてきた。担当教員のアナウンスにより、テキストとの対峙を止めると、そのまま答え合わせの時間となった。

 教員が答えを一つひとつ吐き出していく中で、おれは黒鉛の上に赤のマーカーで丸やバツをつけていった。

 正答率は七割半といったところだったろうか。鼻水垂らしながら解いたにしては上出来だが、真剣にやるとしたら話にもならない。

 倦怠感が地蔵のように全身にのし掛かる。こんなことをやって、何の意味があるのだろう。そんなことを思っているとーー

 キャナが突然声を殺しながら爆笑しだしたのだ。

 何事かと思い、キャナに話を訊こうとしたのだが、キャナは、

「後で話す」

 の一点張りだった。何かマズイことなのだろうかという考えが脳を占拠したが、キャナがそういうのだからとその時はそれ以上話をほじくることはしなかった。

 授業が終わり、自分の教室に帰る道中でキャナにさっき笑っていた理由を訊ねた。すると、キャナはまたもや笑い出した。

 説明しようとするも、笑声がことばをプレスし、聞き取りづらく加工してしまった。おれはキャナと教室に入って、キャナが落ち着くのを待ち、改めて理由を訊いた。キャナは笑いのインターセプトを押し退けるようにいったーー

「バンビ・ヴァンパイア……!」

 ワケがわからなかった。

 一体、キャナは何をいいたいのだろう。

 改めて問い質してみると、キャナは首の絞められた鶏のような声を出しながらいった。

 何でもキャナは担当教員のいう漢字の正解に耳を澄ませていたというのだが、その時、担当教員が目の前に座っていた『わたる』にこう話し掛けたというのだ。

「流石だね」

 それに対して、わたるはこう返したーー

「バンビ・ヴァンパイアんですよ!」

 まったくもってワケがわからなかった。流石だねと褒められているにも関わらず、そんな小鹿の吸血鬼みたいな意味不明なワードを言い出して、わたるは脳内にアニサキスを飼っているとしか思えなかった。

 わたるは、こんな意味不明なことをいう割には、一応は優等生だった。

 そもそも小学校低学年の頃から厳しい家庭で育ち、それこそテストで百点以外を取ったら罰金とかいう貴族ですらやらないような制度の中を生きてきた男だ。成績はいうまでもなくよく、生徒会の会計だか監査役員でもあり、教師からの評判も上々だった。

 まぁ、好きな漢字を訊かれて『鬱』とか答えちゃうような痛いガキではあったけど、優等生には違いなかったはずなのだ。

 が、おれは唐突にわかってしまった。わたるはバンビ・ヴァンパイアと言ったのではない。

「漢字、頑張った」と言ったのだ!

 流石だね。漢字、頑張ったんですよ。これなら会話が成立する。そもそも漢検の勉強をしていたのだから漢字の話をするのは普通だ。

 わたるの滑舌があまり良くないのは前から知っていた。だが、ここまで酷いとは、おれもキャナも思ってもみなかった。

 結局、これ以降わたるは『バンビ・ヴァンパイア』と呼ばれるようになり、卒業までおれやキャナ、外山たちの間でホットな存在として君臨し続けたのだった。

 みんなも滑舌にはこころから気をつけよう。でないと、キミの中のバンビ・ヴァンパイアがいつ牙を剥くかわからないからな。

 ワケわけんねぇな。

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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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