【マキャベリスト】
文字数 2,714文字
警官の休日の過ごし方で特に多いのは、パチンコなのだそうだ。
または家族団欒、配偶者や子供たちと楽しく過ごすなんてこともよくあることだが、こと、この男にはそのどちらも当てはまらなかった。
休日の朝、弓永龍警部補はベッドの中でウダウダと目を覚ました。すぐにはベッドから出ず、惰眠を貪ろうとしている。基本的に「無駄」なことは嫌いな弓永ではあるが、こと睡眠に関してはかなりだらしない。
というのも、弓永にとって睡眠は、活動する上での大事なエネルギー補給であって、睡眠不足は知力と体力を大幅にダウンさせ、集中力を切らしかつ、情緒を不安定にさせるということをよく知っていたからだった。
だからこそ、弓永は睡眠は可能な限り取るべきというスタンスなのだが、とはいえ、それが過剰であれば、褒められたことではない。
弓永は学生時代から寝ることに関しては目がなかった。元々優等生で勉強も運動も出来、かつ生徒会長まで勤め上げた彼ではあるが、教師たちの目が届かないところでよく昼寝をしていたのは、案外知られていない。
そして、それは学生時代に限ったことではなく、警察官になってからもそうだった。昼寝の事実に関していえば、学生時代なら鈴木祐太朗に、警察官になってからなら武井愛に訊けば、まず間違いなく様々なエピソードが出てくる。
おまけに今はウイルスの関係で不要不急の外出は控えるようにといわれている御時世だ。外出自粛要請も、弓永にとっては家で惰眠を貪るための良いエクスキューズでしかなかった。
ここまで聴いてわかると思うが、弓永龍という男は、本来、社会不適合な人間であるということだ。
そもそも、生徒会長になった理由も警察官になった理由も「他人を支配できるから」で、目的の為なら手段を選ばないというスタンスから見ても、彼がマキャベリストであるのはいうまでもないだろう。
そんな睡眠の虫である弓永にとって、睡眠を妨害する者は犯罪者と同義であり、報復を受けても文句はいえない存在であるといっても可笑しくはない。
が、そんな禁忌を犯した者がいた。
突然、電話が鳴った。
休日の電話には一切出ない主義の弓永ではあるが、安眠を妨害された場合はまた別だ。
弓永はノソノソとした動きで布団の中を這いずり回りながら、手探りでスマホを掴んだ。
画面には「公衆電話」と無機質なゴシック体が不気味に鎮座していた。
弓永は眉間にシワを寄せたまま一瞬静止したが、その後すぐに通話ボタンをスライドさせ、スピーカーをオンにした。
「疚しいことがあるのか知らないけどな。おれはアダルトサイトも使ってなければ、闇金で金も借りてない。公衆電話から掛けるだけの頭があることは評価してやる。でも、お前が使っている電話なんかすぐに特定できるし、近くの防犯カメラの映像をチェックすればーー」
「流石は五村市警のエリート警部補さん。でも、その為だけに一々防犯カメラをチェックする手間を掛けるだけの無駄をアナタがするワケがないけどね。それに、もし仮に周りに防犯カメラのない公衆電話を使っていたら、あたしの正体を特定するのも難しいと思うけど」
受話器を通したホワイトノイズ混じりの女の声が不敵に笑った。弓永の眉間のシワがより一層深く刻まれた。
「……まぁ、よくわかってるな。しかし、こんな朝早くに公衆電話から電話してくるってことはろくな話じゃねえな。それにーー」
その時、弓永の半開きの目に鋭い光が宿った。寝起きとは思えないほど機敏に布団から起き上がると、ベランダへと続く戸を確認した。
鍵は掛かっている。
窓も玄関扉も同様だった。それから浴室、トイレ、クローゼットと身を隠せそうな場所はすべてチェックするも特に異変はなかった。
「侵入者ならいないよ。少なくとも今は、ね」
女のことばに、弓永は薄く笑って見せた。
「……思い出したぜ。お前、武井がヤーヌスに弄ばれてた時に、おれに連絡してきた女だな。確か、『佐野めぐみ』だったか。ま、それも偽名で、成松殺しの最有力候補としちゃーー」
「わざわざ説明的なことをいって、録音してるのはバレバレ。でも、止める必要はないよ。それに、今回アナタに頼みたいのは、またその武井愛のことなんだから」
「武井?」眉間のシワが一層深くなった。「あのネコ女、また監禁でもされてんのか?」
「ううん。でも、近い将来、そうなるかもしれないってこと。詳しいことはアナタのスマホにメールで入れておくから、チェックしといて」
そういうと電話の主は有無をいわさずに電話を切ってしまった。かと思いきや、すぐさまメールの着信でスマホが声を上げた。
有名企業のドメインによるメールアドレス。まず間違いなく「捨てアド」だろう。弓永はメールを開かずに、武井愛に電話を掛けた。
ーー出ない。やはり、佐野のいうことは事実なのかもしれない。それどころか、武井は既に面倒ごとに巻き込まれてしまっているのか。
電話を切ると、次に弓永はネットワークの海へ飛び込み、某SNSのとあるアカウントのチェックし、そのまま音声検索機能を使ってとある電話番号を呼び出し、スピーカーを起動してスマホをテーブルに置いた。
「……何だよ」男の声、くぐもっていた。
「もしかして、寝てたか?」
「いや。でも、配信終わりでこれから寝ようと思ってた」
「そうか。頼みがある」
「そういう時は『寝る前に電話して済まない』とか断りを入れてからするもんだって知らないのか」
「そんな形だけの挨拶がクッションになるか」
「……ならない。少なくとも、苛立ちが消えないことには変わりはない」
「なら要件をいう。今、暇か?」
「エリート気取りの警部補もとうとうボケが始まったか。今、寝るところだっていったよな?」
「おれも寝床を邪魔されたひとりでね。じゃなきゃ、こんな時間にお前に電話なんかしない。ボロ切れクッションみたいなエクスキューズよりちゃんとした挨拶代わりの土産をちゃんと持っていってやる。だからーー」
弓永は突然スマホから意識を切って部屋中を見渡した。
「だから、何だよ」
「いや……、何でもない」
「そ。てか、土産がどうこういってるけど、もしかして、来るつもりか?」弓永はにべもなく肯定した。「リモートじゃダメなのか?」
「ダメってことはないが、ウイルスで自粛ともなると職場の人間ぐらいしか会う奴がいなくてな。たまには別の人間の顔も見たいんだ」
「他人に興味がない奴がいっても信憑性はゼロだな。ま、どうせまた面倒抱えてんだろ。いいよ。別にそこまで眠くもないし、土産で旨いモンを持ってきてくれるなら歓迎する。それにおれもたまには人と会って話すのもいい。じゃ」
電話が切れた。
【続く】
または家族団欒、配偶者や子供たちと楽しく過ごすなんてこともよくあることだが、こと、この男にはそのどちらも当てはまらなかった。
休日の朝、弓永龍警部補はベッドの中でウダウダと目を覚ました。すぐにはベッドから出ず、惰眠を貪ろうとしている。基本的に「無駄」なことは嫌いな弓永ではあるが、こと睡眠に関してはかなりだらしない。
というのも、弓永にとって睡眠は、活動する上での大事なエネルギー補給であって、睡眠不足は知力と体力を大幅にダウンさせ、集中力を切らしかつ、情緒を不安定にさせるということをよく知っていたからだった。
だからこそ、弓永は睡眠は可能な限り取るべきというスタンスなのだが、とはいえ、それが過剰であれば、褒められたことではない。
弓永は学生時代から寝ることに関しては目がなかった。元々優等生で勉強も運動も出来、かつ生徒会長まで勤め上げた彼ではあるが、教師たちの目が届かないところでよく昼寝をしていたのは、案外知られていない。
そして、それは学生時代に限ったことではなく、警察官になってからもそうだった。昼寝の事実に関していえば、学生時代なら鈴木祐太朗に、警察官になってからなら武井愛に訊けば、まず間違いなく様々なエピソードが出てくる。
おまけに今はウイルスの関係で不要不急の外出は控えるようにといわれている御時世だ。外出自粛要請も、弓永にとっては家で惰眠を貪るための良いエクスキューズでしかなかった。
ここまで聴いてわかると思うが、弓永龍という男は、本来、社会不適合な人間であるということだ。
そもそも、生徒会長になった理由も警察官になった理由も「他人を支配できるから」で、目的の為なら手段を選ばないというスタンスから見ても、彼がマキャベリストであるのはいうまでもないだろう。
そんな睡眠の虫である弓永にとって、睡眠を妨害する者は犯罪者と同義であり、報復を受けても文句はいえない存在であるといっても可笑しくはない。
が、そんな禁忌を犯した者がいた。
突然、電話が鳴った。
休日の電話には一切出ない主義の弓永ではあるが、安眠を妨害された場合はまた別だ。
弓永はノソノソとした動きで布団の中を這いずり回りながら、手探りでスマホを掴んだ。
画面には「公衆電話」と無機質なゴシック体が不気味に鎮座していた。
弓永は眉間にシワを寄せたまま一瞬静止したが、その後すぐに通話ボタンをスライドさせ、スピーカーをオンにした。
「疚しいことがあるのか知らないけどな。おれはアダルトサイトも使ってなければ、闇金で金も借りてない。公衆電話から掛けるだけの頭があることは評価してやる。でも、お前が使っている電話なんかすぐに特定できるし、近くの防犯カメラの映像をチェックすればーー」
「流石は五村市警のエリート警部補さん。でも、その為だけに一々防犯カメラをチェックする手間を掛けるだけの無駄をアナタがするワケがないけどね。それに、もし仮に周りに防犯カメラのない公衆電話を使っていたら、あたしの正体を特定するのも難しいと思うけど」
受話器を通したホワイトノイズ混じりの女の声が不敵に笑った。弓永の眉間のシワがより一層深く刻まれた。
「……まぁ、よくわかってるな。しかし、こんな朝早くに公衆電話から電話してくるってことはろくな話じゃねえな。それにーー」
その時、弓永の半開きの目に鋭い光が宿った。寝起きとは思えないほど機敏に布団から起き上がると、ベランダへと続く戸を確認した。
鍵は掛かっている。
窓も玄関扉も同様だった。それから浴室、トイレ、クローゼットと身を隠せそうな場所はすべてチェックするも特に異変はなかった。
「侵入者ならいないよ。少なくとも今は、ね」
女のことばに、弓永は薄く笑って見せた。
「……思い出したぜ。お前、武井がヤーヌスに弄ばれてた時に、おれに連絡してきた女だな。確か、『佐野めぐみ』だったか。ま、それも偽名で、成松殺しの最有力候補としちゃーー」
「わざわざ説明的なことをいって、録音してるのはバレバレ。でも、止める必要はないよ。それに、今回アナタに頼みたいのは、またその武井愛のことなんだから」
「武井?」眉間のシワが一層深くなった。「あのネコ女、また監禁でもされてんのか?」
「ううん。でも、近い将来、そうなるかもしれないってこと。詳しいことはアナタのスマホにメールで入れておくから、チェックしといて」
そういうと電話の主は有無をいわさずに電話を切ってしまった。かと思いきや、すぐさまメールの着信でスマホが声を上げた。
有名企業のドメインによるメールアドレス。まず間違いなく「捨てアド」だろう。弓永はメールを開かずに、武井愛に電話を掛けた。
ーー出ない。やはり、佐野のいうことは事実なのかもしれない。それどころか、武井は既に面倒ごとに巻き込まれてしまっているのか。
電話を切ると、次に弓永はネットワークの海へ飛び込み、某SNSのとあるアカウントのチェックし、そのまま音声検索機能を使ってとある電話番号を呼び出し、スピーカーを起動してスマホをテーブルに置いた。
「……何だよ」男の声、くぐもっていた。
「もしかして、寝てたか?」
「いや。でも、配信終わりでこれから寝ようと思ってた」
「そうか。頼みがある」
「そういう時は『寝る前に電話して済まない』とか断りを入れてからするもんだって知らないのか」
「そんな形だけの挨拶がクッションになるか」
「……ならない。少なくとも、苛立ちが消えないことには変わりはない」
「なら要件をいう。今、暇か?」
「エリート気取りの警部補もとうとうボケが始まったか。今、寝るところだっていったよな?」
「おれも寝床を邪魔されたひとりでね。じゃなきゃ、こんな時間にお前に電話なんかしない。ボロ切れクッションみたいなエクスキューズよりちゃんとした挨拶代わりの土産をちゃんと持っていってやる。だからーー」
弓永は突然スマホから意識を切って部屋中を見渡した。
「だから、何だよ」
「いや……、何でもない」
「そ。てか、土産がどうこういってるけど、もしかして、来るつもりか?」弓永はにべもなく肯定した。「リモートじゃダメなのか?」
「ダメってことはないが、ウイルスで自粛ともなると職場の人間ぐらいしか会う奴がいなくてな。たまには別の人間の顔も見たいんだ」
「他人に興味がない奴がいっても信憑性はゼロだな。ま、どうせまた面倒抱えてんだろ。いいよ。別にそこまで眠くもないし、土産で旨いモンを持ってきてくれるなら歓迎する。それにおれもたまには人と会って話すのもいい。じゃ」
電話が切れた。
【続く】