【アンダーグラウンド・デストロイヤー】
文字数 4,260文字
何か知らんが、最近毎日このゴミクズ文章を更新している。
とまぁ、これは自分で義務化したわけでも、生存確認のために書いているわけでもなくて、ほんと、ただ漠然とした気持ちで書いている。
漠然というと、あまりいい印象は持たれないのだろうけど、事実、これを書いているのもほんと、何となくだ。
そもそも、おれが文章を書き始めたのも、漠然とした理由からだったりする。
あれは中学生の頃、ちょうど周りでホームページ作りがトレンド化しており、おれも何となくその流行りに乗ってみたのだが、如何せん、十代そこそこのガキのことだ、載せたいことがこれといってない。
となると困ったもので、載せる情報といえば周りの友人のことや、自分の好きなゲームの情報ばかりだった。
しかし、考えてもみてほしい。一体、誰がどこの誰ともわからないクソガキの人間関係や好きなゲームのことに興味を持つだろうか。
ぶっちゃけ、友人ですら興味を持たないだろう。持つとすれば、ショタコンでホモのオッサンか、ド変態痴女くらいだろう。
確かにおれの住んでいた地域の治安は悪く、スタンガンを持って一輪車で追い掛けてくるピエロだとか下半身露出おじさんが出現する中々に問題のあるエリアだったのだ。何だよ、一輪車に乗って追い掛けてくるピエロって。
そりゃ、仮にイジメの告発記事や特異な体験記だったら読む価値もあるし、ビューワーも増えるだろうけど、まぁ、特に強みのないガキのホームページなんて誰も見ないわけよ。
ゲームの記事なんて、あの当時でも既に発売日の翌日には攻略法がネットに上がってたし、二番煎じもいいところだったしな。
そんな中、とある友人のホームページが結構なアクセス数を稼いでまして、おれも漏れなくそのサイトのビューワーだったんだけど、何がそんなに面白かったかといわれれば、その友人の書くコラムが面白く、読み応えのあるものだったわけだ。
今となってはどんな文章だったかは全然覚えてないのだけど、それに触発されたと共に、当時にわか読書家でしかなかったクセに文学巧者を気取ってたことも手伝って、自分も文章を書き始めた、というわけなのだ。
まぁ、中学生らしいといえば中学生らしいのだが、断続的で形体は違えど、何だかんだ今でも文章を書いていることを考えると、まぁ、飽き性のおれにしてはよく続けているほうだと。
あ? その割には文章下手だな、って?ーーそれはいってはいけない。
とまぁ、唐突な自分語りに自分でも吐き気を催したわけですが、その当時我々の中で展開されていたネットブームは凄まじいものがありまして、チャットでの会話や専用掲示板でのお絵描き、フラッシュ動画やフリーゲームと、インターネットが比較的アングラだった時代にしては随分とエンジョイしていたと思う。
で、そのブームに地味に乗っかっていたのが、小野寺先生だった。
小野寺先生は生徒想いで、非常に人気があった先生だった。生徒ひとり一人に献身的で、何かあると親身になって話を聴いてくれる模範的な教員だったと思うーー思うのだが、
正直、おれが美術だったか技術の授業で使うために学校に持ち込んでいた二本のプラスドライバーを、「お前はデストロイヤーだッ!」とか笑いながら取り上げて行った小野寺先生は狂っているとしか思えないのだ。
だから成人式の時の同窓会でも、敢えてドライバーをいつ返してくれるのかと訊いてみようかと思ったのだが、おれの苦手な女子たちを取り巻いておれを遠ざけるとは、まるで結界を張ったマシーン大元帥のようだったぜ。
まぁ、ドライバーなんていくらでも買えるんで全然いいんだけどもーーうん、おれもそこまでケチじゃねえわ。
で、その小野寺先生なんだけど、彼が注目された理由のひとつに、個人ホームページを持っていたということがあったのだ。
今となってはSNSの台頭でネットというものがメジャーなモノになってしまったのでアレなんだけど、やはりその当時は「ネット=アングラ」みたいな雰囲気があったんで、そりゃ、生徒の間でも話題になったわけだ。
で、その内容といえば、自分の受け持つ生徒たちの紹介とBBS、メールフォームというシンプルな作り。まぁ、バズらんよな。
おれも中学二年の時に小野寺先生のクラスになって、自分の紹介文を見たのだけど、
『プロレス大好き卓球ボーイ!』
とか書いてあって頸椎を損傷しかねないほど首を傾げたのだけど、今考えたらホームページに自分の受け持つ生徒の名前を書くって相当ヤバイよな。学校名も書いてあったし、特定不可避だったもんな。
さて、そんな感じで小野寺先生のホームページはネットリテラシーの低いクソガキどもにも認知され、愛されてたのだけど、中学二年の二学期、とうとう事件は起きたのだ。
その時、おれはいつも通りネットの掲示板でお絵描きをしていたのだけど、何となく合間に小野寺先生のホームページを覗いてみたのだ。
トップページを開き、相変わらずフリー素材感のあるBGMだな、と死んだ目でBBSを開く。そしたらーー
とてつもなくクオリティの低いエロ文章が貼ってあったのだ。
これには死んだ目も覚醒してしまいまして、
「GoDは莫大な研究費をこの研究者たちに注いでいるッ! やって当然でしょうッ!」
とイキッて川上博士を呆然とさせてしまったアポロガイストみたいになってしまったのだ。
しかも、書き込みはひとつでなく、投稿全部がそれになっていて、もはや当時隆盛を極めていた出会い系サイトでよく見られたような、アソコがヤマタノオロチと化してしまった変態どもの書き込みのようになっていたのだ。
まぁ、覚えている限りでその文章を再現するとーー
「マイネーム・イズ・もこみちッ! アイ・アム・ア・スチューデント。 オゥ! ザット・イズ・康子ッ! ハイ康子、アイ・ラブ・ユーッ!」
「オゥ! もこみち、ミー・トゥーッ!」
「ワーォ! キス・ミー・プリーズッ!」
こうしてふたりは結ばれたのだ。
ーーみたいな感じ。思い出しながら書いたけど、あまりの頭の悪さに書きながら笑ってしまったわ。出会って即座にアイラブユー、キスミープリーズとか頭沸いてるとしか思えんわ。
まぁ、どこから説明したらいいのかわからんのだけど、とりあえず何でこのふたりが英語でやり取りしているのかといえば、小野寺先生が英語の教員だったからだ。
次にもこみちと康子に関してだけど、もこみちというのはおれの同級生で、いつも唐突に「きぇーッ!」とか奇声を上げる変な奴で。
一度、もこみちが中学生御用達のウォレットチェーンを股間の辺りから下げて財布を前ポケットに入れるという奇抜なファッションをしていて、おれもネタだと思って指摘してみたら、
「はぁッ!? ウゼェよッ!」
と滅茶苦茶キレられました。いや、マジでやってたのか……。あと「もこみち」って名前なんで『速水もこみち』を想像してる人がいるかもしれないんで一応いっておくと、見た目は『アルマゲドン』に出てたスティーブ・ブシェミにそっくりです。何か色々カオスだな。
で、続いて康子なんだけど、これは国語の教員で確かあの当時は40代後半で、特に何をしたわけでもないのに何故か生徒からの評判はすこぶる悪く、イキッた男子どもに酷い目に遭わされていた可哀想な先生だったわけで。
でも、何故もこみちと康子のラブストーリーが小野寺先生のホームページのBBSに書き込まれたのか。
理由としては、もこみちが康子先生を好きだったというウワサがあったからだと。
まぁ、康子先生も現代に代表されるような美魔女でも何でもなく、普通の中年女性だったんですけどね。
そんなわけで、卑猥・オブ・卑猥な書き込みにBBSが占拠されてしまったこともあり、翌日になってそれが問題になりまして。
それから、先生が書き込みは全部消したといっていたんで、また学校から帰ってお絵描きの合間にホームページを開いたんですが、
復活してましたーーあの書き込みが。
しかも、またBBSをすべて埋めつくして。
よくやったもんだわ、と感心しながらBBSを見ていたんですが、やっぱりそのクオリティの低さには笑ってしまい、頭が可笑しくなったのかと親に本気で心配されましたわ。
更に翌日、とうとう小野寺先生の口からBBSの閉鎖が発表され、あの頭の悪い書き込みともおさらばか、と一抹の寂しさだけが残り、非常に残念な思いを抱いたまま日々を過ごすことになったんです。
その間も、BBSの内容を口頭で再現するおバカさんが現れたり、もこみちが小野寺先生に犯人だと疑われたりと中々マッドネスな展開があって、中学生にして世の中狂ってると思った次第で。自分で教員とのラブロマンスを書き込むとか、思考がバグってるとしか思えん。
で、BBSの閉鎖から二週間後、小野寺先生の口から再びBBSを解放するとのお触れが出、おれは学校が終わるとすぐさまパソコンを起動し、ホームページを開いたのですが、
BBSがない。
まぁ、早すぎたかーーそう思い、三時間ほどして再びホームページを開いたのですが、
やっぱりBBSがない。
流石にワケがわからず、翌日になって小野寺先生に事情を訊いてみたのだけど、
おれがホームページにアクセスするより先に、またBBSが卑猥な書き込みでいっぱいになったとのこと。
あまりのクレイジー具合におれも笑いを堪えるのが必死だったんですが、その日の塾にて、友人とそのことについて話していると、
「あぁ、あれ書いたの、おれだよ」
まさか、こんな身近に犯人がいたとは……。ちなみに、その友人はおれが影響を受けたサイトを作った友人とは別人で、もこみちと地味に揉めた経験があり、ネタとして書いたとのこと。にしても、あのクオリティは酷い。
以降、小野寺先生のBBSが解放されることは、二度とありませんでした。
世の中、狂ってるッ!
【追伸】
わかってると思いますが、登場人物の名前はすべて仮名です。出来事は事実ですが。
うーん、マッドネス!
とまぁ、これは自分で義務化したわけでも、生存確認のために書いているわけでもなくて、ほんと、ただ漠然とした気持ちで書いている。
漠然というと、あまりいい印象は持たれないのだろうけど、事実、これを書いているのもほんと、何となくだ。
そもそも、おれが文章を書き始めたのも、漠然とした理由からだったりする。
あれは中学生の頃、ちょうど周りでホームページ作りがトレンド化しており、おれも何となくその流行りに乗ってみたのだが、如何せん、十代そこそこのガキのことだ、載せたいことがこれといってない。
となると困ったもので、載せる情報といえば周りの友人のことや、自分の好きなゲームの情報ばかりだった。
しかし、考えてもみてほしい。一体、誰がどこの誰ともわからないクソガキの人間関係や好きなゲームのことに興味を持つだろうか。
ぶっちゃけ、友人ですら興味を持たないだろう。持つとすれば、ショタコンでホモのオッサンか、ド変態痴女くらいだろう。
確かにおれの住んでいた地域の治安は悪く、スタンガンを持って一輪車で追い掛けてくるピエロだとか下半身露出おじさんが出現する中々に問題のあるエリアだったのだ。何だよ、一輪車に乗って追い掛けてくるピエロって。
そりゃ、仮にイジメの告発記事や特異な体験記だったら読む価値もあるし、ビューワーも増えるだろうけど、まぁ、特に強みのないガキのホームページなんて誰も見ないわけよ。
ゲームの記事なんて、あの当時でも既に発売日の翌日には攻略法がネットに上がってたし、二番煎じもいいところだったしな。
そんな中、とある友人のホームページが結構なアクセス数を稼いでまして、おれも漏れなくそのサイトのビューワーだったんだけど、何がそんなに面白かったかといわれれば、その友人の書くコラムが面白く、読み応えのあるものだったわけだ。
今となってはどんな文章だったかは全然覚えてないのだけど、それに触発されたと共に、当時にわか読書家でしかなかったクセに文学巧者を気取ってたことも手伝って、自分も文章を書き始めた、というわけなのだ。
まぁ、中学生らしいといえば中学生らしいのだが、断続的で形体は違えど、何だかんだ今でも文章を書いていることを考えると、まぁ、飽き性のおれにしてはよく続けているほうだと。
あ? その割には文章下手だな、って?ーーそれはいってはいけない。
とまぁ、唐突な自分語りに自分でも吐き気を催したわけですが、その当時我々の中で展開されていたネットブームは凄まじいものがありまして、チャットでの会話や専用掲示板でのお絵描き、フラッシュ動画やフリーゲームと、インターネットが比較的アングラだった時代にしては随分とエンジョイしていたと思う。
で、そのブームに地味に乗っかっていたのが、小野寺先生だった。
小野寺先生は生徒想いで、非常に人気があった先生だった。生徒ひとり一人に献身的で、何かあると親身になって話を聴いてくれる模範的な教員だったと思うーー思うのだが、
正直、おれが美術だったか技術の授業で使うために学校に持ち込んでいた二本のプラスドライバーを、「お前はデストロイヤーだッ!」とか笑いながら取り上げて行った小野寺先生は狂っているとしか思えないのだ。
だから成人式の時の同窓会でも、敢えてドライバーをいつ返してくれるのかと訊いてみようかと思ったのだが、おれの苦手な女子たちを取り巻いておれを遠ざけるとは、まるで結界を張ったマシーン大元帥のようだったぜ。
まぁ、ドライバーなんていくらでも買えるんで全然いいんだけどもーーうん、おれもそこまでケチじゃねえわ。
で、その小野寺先生なんだけど、彼が注目された理由のひとつに、個人ホームページを持っていたということがあったのだ。
今となってはSNSの台頭でネットというものがメジャーなモノになってしまったのでアレなんだけど、やはりその当時は「ネット=アングラ」みたいな雰囲気があったんで、そりゃ、生徒の間でも話題になったわけだ。
で、その内容といえば、自分の受け持つ生徒たちの紹介とBBS、メールフォームというシンプルな作り。まぁ、バズらんよな。
おれも中学二年の時に小野寺先生のクラスになって、自分の紹介文を見たのだけど、
『プロレス大好き卓球ボーイ!』
とか書いてあって頸椎を損傷しかねないほど首を傾げたのだけど、今考えたらホームページに自分の受け持つ生徒の名前を書くって相当ヤバイよな。学校名も書いてあったし、特定不可避だったもんな。
さて、そんな感じで小野寺先生のホームページはネットリテラシーの低いクソガキどもにも認知され、愛されてたのだけど、中学二年の二学期、とうとう事件は起きたのだ。
その時、おれはいつも通りネットの掲示板でお絵描きをしていたのだけど、何となく合間に小野寺先生のホームページを覗いてみたのだ。
トップページを開き、相変わらずフリー素材感のあるBGMだな、と死んだ目でBBSを開く。そしたらーー
とてつもなくクオリティの低いエロ文章が貼ってあったのだ。
これには死んだ目も覚醒してしまいまして、
「GoDは莫大な研究費をこの研究者たちに注いでいるッ! やって当然でしょうッ!」
とイキッて川上博士を呆然とさせてしまったアポロガイストみたいになってしまったのだ。
しかも、書き込みはひとつでなく、投稿全部がそれになっていて、もはや当時隆盛を極めていた出会い系サイトでよく見られたような、アソコがヤマタノオロチと化してしまった変態どもの書き込みのようになっていたのだ。
まぁ、覚えている限りでその文章を再現するとーー
「マイネーム・イズ・もこみちッ! アイ・アム・ア・スチューデント。 オゥ! ザット・イズ・康子ッ! ハイ康子、アイ・ラブ・ユーッ!」
「オゥ! もこみち、ミー・トゥーッ!」
「ワーォ! キス・ミー・プリーズッ!」
こうしてふたりは結ばれたのだ。
ーーみたいな感じ。思い出しながら書いたけど、あまりの頭の悪さに書きながら笑ってしまったわ。出会って即座にアイラブユー、キスミープリーズとか頭沸いてるとしか思えんわ。
まぁ、どこから説明したらいいのかわからんのだけど、とりあえず何でこのふたりが英語でやり取りしているのかといえば、小野寺先生が英語の教員だったからだ。
次にもこみちと康子に関してだけど、もこみちというのはおれの同級生で、いつも唐突に「きぇーッ!」とか奇声を上げる変な奴で。
一度、もこみちが中学生御用達のウォレットチェーンを股間の辺りから下げて財布を前ポケットに入れるという奇抜なファッションをしていて、おれもネタだと思って指摘してみたら、
「はぁッ!? ウゼェよッ!」
と滅茶苦茶キレられました。いや、マジでやってたのか……。あと「もこみち」って名前なんで『速水もこみち』を想像してる人がいるかもしれないんで一応いっておくと、見た目は『アルマゲドン』に出てたスティーブ・ブシェミにそっくりです。何か色々カオスだな。
で、続いて康子なんだけど、これは国語の教員で確かあの当時は40代後半で、特に何をしたわけでもないのに何故か生徒からの評判はすこぶる悪く、イキッた男子どもに酷い目に遭わされていた可哀想な先生だったわけで。
でも、何故もこみちと康子のラブストーリーが小野寺先生のホームページのBBSに書き込まれたのか。
理由としては、もこみちが康子先生を好きだったというウワサがあったからだと。
まぁ、康子先生も現代に代表されるような美魔女でも何でもなく、普通の中年女性だったんですけどね。
そんなわけで、卑猥・オブ・卑猥な書き込みにBBSが占拠されてしまったこともあり、翌日になってそれが問題になりまして。
それから、先生が書き込みは全部消したといっていたんで、また学校から帰ってお絵描きの合間にホームページを開いたんですが、
復活してましたーーあの書き込みが。
しかも、またBBSをすべて埋めつくして。
よくやったもんだわ、と感心しながらBBSを見ていたんですが、やっぱりそのクオリティの低さには笑ってしまい、頭が可笑しくなったのかと親に本気で心配されましたわ。
更に翌日、とうとう小野寺先生の口からBBSの閉鎖が発表され、あの頭の悪い書き込みともおさらばか、と一抹の寂しさだけが残り、非常に残念な思いを抱いたまま日々を過ごすことになったんです。
その間も、BBSの内容を口頭で再現するおバカさんが現れたり、もこみちが小野寺先生に犯人だと疑われたりと中々マッドネスな展開があって、中学生にして世の中狂ってると思った次第で。自分で教員とのラブロマンスを書き込むとか、思考がバグってるとしか思えん。
で、BBSの閉鎖から二週間後、小野寺先生の口から再びBBSを解放するとのお触れが出、おれは学校が終わるとすぐさまパソコンを起動し、ホームページを開いたのですが、
BBSがない。
まぁ、早すぎたかーーそう思い、三時間ほどして再びホームページを開いたのですが、
やっぱりBBSがない。
流石にワケがわからず、翌日になって小野寺先生に事情を訊いてみたのだけど、
おれがホームページにアクセスするより先に、またBBSが卑猥な書き込みでいっぱいになったとのこと。
あまりのクレイジー具合におれも笑いを堪えるのが必死だったんですが、その日の塾にて、友人とそのことについて話していると、
「あぁ、あれ書いたの、おれだよ」
まさか、こんな身近に犯人がいたとは……。ちなみに、その友人はおれが影響を受けたサイトを作った友人とは別人で、もこみちと地味に揉めた経験があり、ネタとして書いたとのこと。にしても、あのクオリティは酷い。
以降、小野寺先生のBBSが解放されることは、二度とありませんでした。
世の中、狂ってるッ!
【追伸】
わかってると思いますが、登場人物の名前はすべて仮名です。出来事は事実ですが。
うーん、マッドネス!