【冷たい墓石で鬼は泣く~死~】
文字数 2,889文字
屍の山は静かに嗤う。
そんなはずはないのだが、死者たちが笑っているように聴こえる。いや……、笑っているのではない。呻き声。苦痛の果てに痛みと死の恐怖から逃れんとする呻き声。
息を飲む。その屍たちがまるで呻き声で、香取流の鬼に殺されたとわたしに伝えようとしているような、そんな気がした。キズ口から見て、一撃で腱や骨を確実に叩き切っているのがわかる。これでは絶命はせずとも、まともには動けない。
もし、もしだ。わたしがこの剣の使い手と相対峙したら、どうなるか。確実にわたしも屍の仲間入りをすることとなるだろう。
影が立っている。刀を握った影。それに対峙しているのはわたし。わたしの手にも刀。だが、手はブルブル震えている。足も。影が動く。その影が微かな姿を見せる。
あの男。
源之助殿と一緒にいたあの男。たかが木刀で見せた鋭い一閃。それがわたしの頭に焼き付いている。あの一閃が本身の刀で煌めき、花火のようにわたしの命は弾け飛ぶような影のある妄想が、わたしの頭から離れない。
わたしはうしろじさる。圧倒される。わたしは、一体何をしているのだ。
わたしは何故、大鳥殿の屋敷を飛び出してこんなことをしているのだろうか。
多分、わたし自身、何処かで求めているのだろう。そういった命のやり取りのようなモノを。そんなモノは『弟』だけのモノだと思われていたが、やはり兄弟、わたしにもあるのだろう。肉や骨を断絶する感触を。
わたしは屍の前で立ち尽くす。見るからにただのヤクザ者。弔うほどの価値もない。死者を哀れむ気持ちと殺してしまいたいという気持ちが拮抗する。理性が飛びそうになる。
いや……、わたしは違う……。
わたしは鬼ではない。
「テメェか!」
背後から声が聴こえる。振り返ると、そこには十人のヤクザ者の姿。見るからに臨戦態勢。わたしは関係ない流れ者。だが、そんなことを説明したところで、わかっては貰えないだろう。それ以上にやってやると張り切る様子は、もはや何をいっても聞く耳は持たないだろう。
「……何でしょう」
わたしは微かに刀を前に押し出していう。相手はそれに気づいていないよう。大した腕ではないだろう。ただ、問題は数だ。これではひとり、ふたりは何とかなっても、三人以上は殆ど運否天賦の闘いになるだろう。
「何でしょう、だ? うちの組のモンをよくもやってくれたな!」
興奮状態。そうと一発でわかるほどの声の跳ね上がり方。ガナるような声。
「やったのは、わたしではないが」
そんなことをいったところで時間の無駄だとわかっている。だが、口をついて出たようにそういってしまった。その答えは当然のようにヤクザ者たちの逆鱗に触れる。
「あぁ!?」真ん中の男が二、三歩前へ出て来る。「テメェ、今なんて……!」
ことばは断絶される。男の右腕とともに。わたしの斬り上げ抜刀により吹き飛んだ男の右腕は、空高く大きく跳ね上がる。男は茫然自失とした様子。多分、自分の腕が落ちたということに気づいていないのだろう。
吹き飛んだ腕がぬかるんだ地面にボトッと落ち、泥水に赤身を注ぐ。
沈黙。茫然。無言、無音の時間が過ぎる。
と、突然に男は悲鳴を上げる。左手で右腕の斬り口を抑え、その場に両膝をつき、苦痛を耐えるように悲鳴を上げている。
が、それもすぐに終わる。
わたしはそのまま袈裟懸けに男の身体を叩き斬る。鈍い感触。多分、鎖骨の辺りで刀が引っ掛かったのだろう。斬り切った所で、男の首もとから血が噴き出し、バタリと倒れる。
痙攣する男から血が流れ、地面は更に赤く染まっていく。仲間たちは何が起きたのかわからないといわんばかりに突っ立っているのみ。が、端のほうにいた男が悲鳴を上げ、顔を歪ませる。まるで、目の前で人が死ぬ様に驚いているかのようだ。
「黙れ!」斬られた男のすぐ隣にいた男が叫ぶ。「……消えたいヤツは消えろ。だが、消えたヤツは後で殺す」
風が吹く。そのことばによってふたりのヤクザ者が刀を手にしたままその場から逃げ出す。他の者たちの中には、そんなふたりに呆気を取られつつ、自分が走り出す機を逸してしまったといわんばかりに情けない声を出す者もいた。
「……やっちまえ!」
男の掛け声に遅れて、自暴自棄のような殆ど悲鳴と変わらない掛け声が上がる。
だが、その場にいたヤクザ者たちは泣きそうになりながらも虚勢を張り、身体を低く構えて刀を持った手を震わせている。
「……何やってる! やれ! 殺せ!」
男の声が更なる煽りとなり、ヤクザ者たちは漸く身投げするように寅三郎に向かって行く。
刀を脇に構える。
まずひとり、縦に来る。
わたしはそれを僅かに右に体をかわして、相手の両手首を切断する。
絶叫。ひとり目。
続いて、左右から。
だが、左のほうが微かに遅い。
右の男が袈裟懸けに斬ってくる。
両手で持った刀を上につき出し、男の袈裟斬りを受け流すと、そのまま男の首を切断する。ふたり目。
左から来る男の手が一瞬止まる。
わたしは止まった男へ向かっていく。
男は叫びながら真っ向に斬る。
と、わたしは身体を大きくうしろに反らす。
反れた身体は男の真っ向をかわし、そのしなりを利用して男を逆に真っ向に斬り捨てる。三人目。
と、うしろの左右からほぼ同時にふたり。
わたしはうしろに大きく踏み出すように振り返り、ふたりいっぺんに胴を二回薙ぐ。四人、そして五人目。
更に後方にひとり。今度は足を刈ろうとしてくる。わたしは振り返り様、刈られそうになっていた足を逃がし、刀の平で何とか攻撃を凌ぐ。
と、すぐさまうしろへ下がる。支えがなくなり、男は前のめりになって倒れ込む。
わたしは男の腹を刀で突き刺す。六人目。
そして、最後。声を上げた男。だが、もはや戦意はないようで、全身を震わせてうしろじさっている。
わたしは荒く息を吐く。
「頼む……、助けてくれ!」
ヤクザ者がいう。だが、わたしは答えない。いや、息を次ぐのに精一杯で答えられない。
と、突然にヤクザ者は斬り掛かって来る。
わたしはそれを何とか受け、凌ぐ。重い。何とかその重さを利用して身をかわし、ヤクザ者が体を崩したところ、背中を斜めに斬る。
七人目。そして、そこは屍だけとなった。わたしを除いて……。
わたしはドサリとその場に崩れ落ちる。
必死だった。キツくて仕方なかった。弟にしろ、源之助殿にしろ、あの男にしろ、きっと疲れなど感じることなく、この手の手合いを瞬殺してしまうのだろう。
わたしは明らかに未熟だ。
道場の中でも下手ではないが上手くもない、中堅どころの少し下っぱといった位置にいたわたしが強いワケがない。
今まで仕えて来た方々も、わたしの剣術の腕を買って下さったワケではない。
そう、わたしは弱い。
呼吸が乱れる。何とか倒すことが出来たが、そこには達成感のようなモノはなく、むしろ虚しさしか残っていなかった。
わたしは鬼にはなれない。
「……お前さん、大丈夫かい?」
振り返ると、そこには股旅姿の何者かがいる。わたしは、もう刀を構える気力もない。
【続く】
そんなはずはないのだが、死者たちが笑っているように聴こえる。いや……、笑っているのではない。呻き声。苦痛の果てに痛みと死の恐怖から逃れんとする呻き声。
息を飲む。その屍たちがまるで呻き声で、香取流の鬼に殺されたとわたしに伝えようとしているような、そんな気がした。キズ口から見て、一撃で腱や骨を確実に叩き切っているのがわかる。これでは絶命はせずとも、まともには動けない。
もし、もしだ。わたしがこの剣の使い手と相対峙したら、どうなるか。確実にわたしも屍の仲間入りをすることとなるだろう。
影が立っている。刀を握った影。それに対峙しているのはわたし。わたしの手にも刀。だが、手はブルブル震えている。足も。影が動く。その影が微かな姿を見せる。
あの男。
源之助殿と一緒にいたあの男。たかが木刀で見せた鋭い一閃。それがわたしの頭に焼き付いている。あの一閃が本身の刀で煌めき、花火のようにわたしの命は弾け飛ぶような影のある妄想が、わたしの頭から離れない。
わたしはうしろじさる。圧倒される。わたしは、一体何をしているのだ。
わたしは何故、大鳥殿の屋敷を飛び出してこんなことをしているのだろうか。
多分、わたし自身、何処かで求めているのだろう。そういった命のやり取りのようなモノを。そんなモノは『弟』だけのモノだと思われていたが、やはり兄弟、わたしにもあるのだろう。肉や骨を断絶する感触を。
わたしは屍の前で立ち尽くす。見るからにただのヤクザ者。弔うほどの価値もない。死者を哀れむ気持ちと殺してしまいたいという気持ちが拮抗する。理性が飛びそうになる。
いや……、わたしは違う……。
わたしは鬼ではない。
「テメェか!」
背後から声が聴こえる。振り返ると、そこには十人のヤクザ者の姿。見るからに臨戦態勢。わたしは関係ない流れ者。だが、そんなことを説明したところで、わかっては貰えないだろう。それ以上にやってやると張り切る様子は、もはや何をいっても聞く耳は持たないだろう。
「……何でしょう」
わたしは微かに刀を前に押し出していう。相手はそれに気づいていないよう。大した腕ではないだろう。ただ、問題は数だ。これではひとり、ふたりは何とかなっても、三人以上は殆ど運否天賦の闘いになるだろう。
「何でしょう、だ? うちの組のモンをよくもやってくれたな!」
興奮状態。そうと一発でわかるほどの声の跳ね上がり方。ガナるような声。
「やったのは、わたしではないが」
そんなことをいったところで時間の無駄だとわかっている。だが、口をついて出たようにそういってしまった。その答えは当然のようにヤクザ者たちの逆鱗に触れる。
「あぁ!?」真ん中の男が二、三歩前へ出て来る。「テメェ、今なんて……!」
ことばは断絶される。男の右腕とともに。わたしの斬り上げ抜刀により吹き飛んだ男の右腕は、空高く大きく跳ね上がる。男は茫然自失とした様子。多分、自分の腕が落ちたということに気づいていないのだろう。
吹き飛んだ腕がぬかるんだ地面にボトッと落ち、泥水に赤身を注ぐ。
沈黙。茫然。無言、無音の時間が過ぎる。
と、突然に男は悲鳴を上げる。左手で右腕の斬り口を抑え、その場に両膝をつき、苦痛を耐えるように悲鳴を上げている。
が、それもすぐに終わる。
わたしはそのまま袈裟懸けに男の身体を叩き斬る。鈍い感触。多分、鎖骨の辺りで刀が引っ掛かったのだろう。斬り切った所で、男の首もとから血が噴き出し、バタリと倒れる。
痙攣する男から血が流れ、地面は更に赤く染まっていく。仲間たちは何が起きたのかわからないといわんばかりに突っ立っているのみ。が、端のほうにいた男が悲鳴を上げ、顔を歪ませる。まるで、目の前で人が死ぬ様に驚いているかのようだ。
「黙れ!」斬られた男のすぐ隣にいた男が叫ぶ。「……消えたいヤツは消えろ。だが、消えたヤツは後で殺す」
風が吹く。そのことばによってふたりのヤクザ者が刀を手にしたままその場から逃げ出す。他の者たちの中には、そんなふたりに呆気を取られつつ、自分が走り出す機を逸してしまったといわんばかりに情けない声を出す者もいた。
「……やっちまえ!」
男の掛け声に遅れて、自暴自棄のような殆ど悲鳴と変わらない掛け声が上がる。
だが、その場にいたヤクザ者たちは泣きそうになりながらも虚勢を張り、身体を低く構えて刀を持った手を震わせている。
「……何やってる! やれ! 殺せ!」
男の声が更なる煽りとなり、ヤクザ者たちは漸く身投げするように寅三郎に向かって行く。
刀を脇に構える。
まずひとり、縦に来る。
わたしはそれを僅かに右に体をかわして、相手の両手首を切断する。
絶叫。ひとり目。
続いて、左右から。
だが、左のほうが微かに遅い。
右の男が袈裟懸けに斬ってくる。
両手で持った刀を上につき出し、男の袈裟斬りを受け流すと、そのまま男の首を切断する。ふたり目。
左から来る男の手が一瞬止まる。
わたしは止まった男へ向かっていく。
男は叫びながら真っ向に斬る。
と、わたしは身体を大きくうしろに反らす。
反れた身体は男の真っ向をかわし、そのしなりを利用して男を逆に真っ向に斬り捨てる。三人目。
と、うしろの左右からほぼ同時にふたり。
わたしはうしろに大きく踏み出すように振り返り、ふたりいっぺんに胴を二回薙ぐ。四人、そして五人目。
更に後方にひとり。今度は足を刈ろうとしてくる。わたしは振り返り様、刈られそうになっていた足を逃がし、刀の平で何とか攻撃を凌ぐ。
と、すぐさまうしろへ下がる。支えがなくなり、男は前のめりになって倒れ込む。
わたしは男の腹を刀で突き刺す。六人目。
そして、最後。声を上げた男。だが、もはや戦意はないようで、全身を震わせてうしろじさっている。
わたしは荒く息を吐く。
「頼む……、助けてくれ!」
ヤクザ者がいう。だが、わたしは答えない。いや、息を次ぐのに精一杯で答えられない。
と、突然にヤクザ者は斬り掛かって来る。
わたしはそれを何とか受け、凌ぐ。重い。何とかその重さを利用して身をかわし、ヤクザ者が体を崩したところ、背中を斜めに斬る。
七人目。そして、そこは屍だけとなった。わたしを除いて……。
わたしはドサリとその場に崩れ落ちる。
必死だった。キツくて仕方なかった。弟にしろ、源之助殿にしろ、あの男にしろ、きっと疲れなど感じることなく、この手の手合いを瞬殺してしまうのだろう。
わたしは明らかに未熟だ。
道場の中でも下手ではないが上手くもない、中堅どころの少し下っぱといった位置にいたわたしが強いワケがない。
今まで仕えて来た方々も、わたしの剣術の腕を買って下さったワケではない。
そう、わたしは弱い。
呼吸が乱れる。何とか倒すことが出来たが、そこには達成感のようなモノはなく、むしろ虚しさしか残っていなかった。
わたしは鬼にはなれない。
「……お前さん、大丈夫かい?」
振り返ると、そこには股旅姿の何者かがいる。わたしは、もう刀を構える気力もない。
【続く】