【エースか、ジョーカーか】
文字数 2,048文字
たまには人生に疲れてウンザリするのもいいんもんだと思う。
まぁ、何いってんだって話には思えるだろうけど、たまには気分が沈むのも悪くはないんじゃないかと思うのだ。
数日前に書いた話のセオリーからいけば、沈んだ人間にこそ、最高の浮かび上がりがわかるとそういうことにもなるワケだしな。
しかし、一体、何にそんなウンザリしていたのか。それはーー
容姿のことである。
こんな話をすると、そりゃ残念容姿な五条氏のことだ。イケメンに対する僻みが連発なんだろうと、そんな感じにもなりそうなのだけど、実はそうではなかったりする。というのもーー
容姿を褒められたから何だって話なのだ。
この駄文集を読んでいる人なら何度となく目にしたかもしれないけど、おれという人間は、目の釣り上がった、老け顔のチンピラみたいな強面なのだけど、どういうワケか、お世辞で容姿を褒められることが地味にあるのだ。
多分、この造りのマズイ容姿が、一部のジャンルの人にはウケがいいということなんだろう。形態がどうあれ、容姿を褒められるなんていいじゃんと思う人もいるかもしれない。だが、正直、おれからしたらーー、
だから何?っていうのが本音だったりする。
容姿がいいですね。だから、何だよって話なのだ。容姿を褒め称えたところで、その結果どうなるワケでもない。何も生み出されることもなければ、まったくの時間の無駄。いってしまてば、これはただ単に、最初に配られたカードの一枚がエースだったというだけの話。
だが、結果なんてもう出てしまっている。
結局、おれにとってのこのエースは不良債権。革命後の役立たずな雑魚カード。オマケに容姿で人を惹き付けるどころか、むしろ他人を遠ざけている。プラス、特徴的な見た目でもない。だからこそ、人の印象に残らない。
気づけばひとり身。まぁ、性格が悪いのも理由のひとつとはいえ、これも周りのいう容姿に対する褒めことばがウソばかりということの証明でしかない。とはいえ、おれが望んでいなくとも、褒める人はお世辞で褒める。別に欲してもいない褒めことばを投げ掛けて来る。
最初こそ、褒めて貰えているのだからと甘んじて受けてはいたとはいえ、やはり、容姿を褒められるというのはいい気がしない。
もし、もしだ。これでおれが世辞もいえないほど醜悪な見た目なら、きっと陰で色々いわれるはずだ。そう、ちょっとした容姿という手札の違いだけで、だ。
そんなのおれは下らないと思う。
見た目のちょっとした違い程度でとやかくいわれるような低俗さなんて、おれは大嫌いだし、本当に下らないと思う。そんな程度のことで態度を翻すなんて、所詮はその程度。
それなら、容姿で褒められたところで嬉しくも何ともない。大体、容姿は技術じゃない。確かにメイクや心掛けひとつでどうにかなりはするけど、基本、男の容姿は大きく変わらない。
だからこそ、容姿による褒めことばなんて、下の下、下賎でしかない。
まぁ、この駄文集で、人の容姿にとやかくいうようなおれがいえた話ではないのは百も承知なんだけどな。ただ、ここでひとついいたいのは、おれは自分の内から生み出されたモノを褒められることは非常に嬉しく思うたちではあるということだ。
例えば、自分の芝居だったり、居合だったり沖縄空手だったり、殺陣だったり、書く文章だったりが褒められたら、それは嬉しい。何故なら、それは自分が積み上げて来たモノが評価されるということだから。
ただ、容姿なんていくら技術を積み上げようが、経験を積み上げようが、大きく変わるモンじゃない。むしろ劣化していく。
だから、そんなモンを褒められたって嬉しく思えるワケがない。
最近、本当に寒気がしたのは、職場の一部の女性陣が、おれの容姿を褒めていたってウワサ話を聴かされた時だ。
何というか、もっと生産的な話はできないモンなのかとも思えるし、何より、人に陰で自分の容姿をとやかくいわれるのって、正直気持ち悪くて仕方がない。マジで吐き気がする。
これは自慢とか、そういうんじゃない。
おれはそもそも人を見た目で判断するのは好きじゃないし、過去に人を見た目で判断して大失敗した経験を考えると、容姿なんて大した情報源になりはしないし、人の見た目を評するというのは、どんなに悪気はなくとも、本人に対しては鋭利なジャックナイフになりかねない。
容姿で自分のことを語られることにはもうウンザリだ。ヘドが出るね。
とまぁ、こんな感じなことがあったのだけど、こういったネガティブな感情というのも所詮は人生におけるエンターテイメントのひとつでしかないのはいうまでもない。
だから、たまにはウンザリするのも悪くはないと思うのだ。
ただ、やはり人の容姿の美醜なんて、語るモンじゃないとは思う。シンプルに品がないし、それをして得るモノなんか何もないしな。
そういうワケで、暫くはこういったネガティブな感情と仲良くすることになりそうだ。
お目汚し、申し訳ないね。
アスタラビスタ。
まぁ、何いってんだって話には思えるだろうけど、たまには気分が沈むのも悪くはないんじゃないかと思うのだ。
数日前に書いた話のセオリーからいけば、沈んだ人間にこそ、最高の浮かび上がりがわかるとそういうことにもなるワケだしな。
しかし、一体、何にそんなウンザリしていたのか。それはーー
容姿のことである。
こんな話をすると、そりゃ残念容姿な五条氏のことだ。イケメンに対する僻みが連発なんだろうと、そんな感じにもなりそうなのだけど、実はそうではなかったりする。というのもーー
容姿を褒められたから何だって話なのだ。
この駄文集を読んでいる人なら何度となく目にしたかもしれないけど、おれという人間は、目の釣り上がった、老け顔のチンピラみたいな強面なのだけど、どういうワケか、お世辞で容姿を褒められることが地味にあるのだ。
多分、この造りのマズイ容姿が、一部のジャンルの人にはウケがいいということなんだろう。形態がどうあれ、容姿を褒められるなんていいじゃんと思う人もいるかもしれない。だが、正直、おれからしたらーー、
だから何?っていうのが本音だったりする。
容姿がいいですね。だから、何だよって話なのだ。容姿を褒め称えたところで、その結果どうなるワケでもない。何も生み出されることもなければ、まったくの時間の無駄。いってしまてば、これはただ単に、最初に配られたカードの一枚がエースだったというだけの話。
だが、結果なんてもう出てしまっている。
結局、おれにとってのこのエースは不良債権。革命後の役立たずな雑魚カード。オマケに容姿で人を惹き付けるどころか、むしろ他人を遠ざけている。プラス、特徴的な見た目でもない。だからこそ、人の印象に残らない。
気づけばひとり身。まぁ、性格が悪いのも理由のひとつとはいえ、これも周りのいう容姿に対する褒めことばがウソばかりということの証明でしかない。とはいえ、おれが望んでいなくとも、褒める人はお世辞で褒める。別に欲してもいない褒めことばを投げ掛けて来る。
最初こそ、褒めて貰えているのだからと甘んじて受けてはいたとはいえ、やはり、容姿を褒められるというのはいい気がしない。
もし、もしだ。これでおれが世辞もいえないほど醜悪な見た目なら、きっと陰で色々いわれるはずだ。そう、ちょっとした容姿という手札の違いだけで、だ。
そんなのおれは下らないと思う。
見た目のちょっとした違い程度でとやかくいわれるような低俗さなんて、おれは大嫌いだし、本当に下らないと思う。そんな程度のことで態度を翻すなんて、所詮はその程度。
それなら、容姿で褒められたところで嬉しくも何ともない。大体、容姿は技術じゃない。確かにメイクや心掛けひとつでどうにかなりはするけど、基本、男の容姿は大きく変わらない。
だからこそ、容姿による褒めことばなんて、下の下、下賎でしかない。
まぁ、この駄文集で、人の容姿にとやかくいうようなおれがいえた話ではないのは百も承知なんだけどな。ただ、ここでひとついいたいのは、おれは自分の内から生み出されたモノを褒められることは非常に嬉しく思うたちではあるということだ。
例えば、自分の芝居だったり、居合だったり沖縄空手だったり、殺陣だったり、書く文章だったりが褒められたら、それは嬉しい。何故なら、それは自分が積み上げて来たモノが評価されるということだから。
ただ、容姿なんていくら技術を積み上げようが、経験を積み上げようが、大きく変わるモンじゃない。むしろ劣化していく。
だから、そんなモンを褒められたって嬉しく思えるワケがない。
最近、本当に寒気がしたのは、職場の一部の女性陣が、おれの容姿を褒めていたってウワサ話を聴かされた時だ。
何というか、もっと生産的な話はできないモンなのかとも思えるし、何より、人に陰で自分の容姿をとやかくいわれるのって、正直気持ち悪くて仕方がない。マジで吐き気がする。
これは自慢とか、そういうんじゃない。
おれはそもそも人を見た目で判断するのは好きじゃないし、過去に人を見た目で判断して大失敗した経験を考えると、容姿なんて大した情報源になりはしないし、人の見た目を評するというのは、どんなに悪気はなくとも、本人に対しては鋭利なジャックナイフになりかねない。
容姿で自分のことを語られることにはもうウンザリだ。ヘドが出るね。
とまぁ、こんな感じなことがあったのだけど、こういったネガティブな感情というのも所詮は人生におけるエンターテイメントのひとつでしかないのはいうまでもない。
だから、たまにはウンザリするのも悪くはないと思うのだ。
ただ、やはり人の容姿の美醜なんて、語るモンじゃないとは思う。シンプルに品がないし、それをして得るモノなんか何もないしな。
そういうワケで、暫くはこういったネガティブな感情と仲良くすることになりそうだ。
お目汚し、申し訳ないね。
アスタラビスタ。